第143話 最後通牒
身の毛がよだち、自分達の命に危機が迫っている事を理解したムラセは化身を背後に出現させてから構えを取る。
「最後だぞ。どけ」
レクイエムの指先を細かく動かし、動作不良が無いかを確認しながらベクターは言った。しかし震えてはいたものの、ムラセは一向に道を空けようとはしない。
「うおおおお !」
背後に吹き飛ばされていた兵士が立ち上がってから、ベクターに狙いを定めて銃を乱射してきた。鬱陶しそうにベクターは振り向き、銃弾を食らいながら彼に近づく。そして彼を窓の外へと殴り飛ばした。
「…頼むよ。お前だってそんなにその男と接点無いだろ。庇う必要あるか ? お前の母親の死に目にも現れず、お前が一番助けを必要としていた時に来なかった。正真正銘のクズだろうが」
何か地面に叩きつけられ、破裂するような音が微かに聞こえた後にベクターはムラセに問いかける。
「…確かにそれは酷いと思う。でも…」
ムラセは握った拳の中が汗で濡れてしまっているのを感じながら、怯えを必死に隠して返答を始めた。最初から折れてくれることなど期待していなかったのか、ベクターは特に彼女に視線を向けることなく突っ立っている。
「ちゃんと話をして、理由を聞きたいんです…許すか許さないかは、その後に決めます」
「俺には話通さず騙そうとしてた癖にな。都合が良い時だけ平和主義者面か」
ベクターがオベリスクを片手に携えながら更に追及する。服や彼の得物にこびり付いている大量の血をを見たムラセは、改めてベクターという人物に恐怖心を抱いた。テーブルを囲って仲良くお話など出来る訳がない。殺すか殺さないかのどちらかでしか判断をしないような者に、なぜ平和的な手段を提言できるわけがない。
「何でもかんでも…都合が悪くなったら手当たり次第にぶっ壊すような人になるくらいなら、私はそれでいいです」
「そうか、分かった………」
それは彼女の精一杯の虚勢であった。ベクターはそんなムラセの反抗心を目の当たりにすると、少し黙った後に走り出し、そのまま迷うことなく彼女へオベリスクを振り下ろした。
「まずはお前を殺す。その次にファウストだ」
ムラセが化身に受け止めてもらう。そして互いに鍔迫り合いの様に押し合う最中、ベクターは殺害予告を出した。
「ベクター。た、頼む…その子を殺すのはやめてくれ」
このままでは殺し合いになる。そう思ったファウストはすぐさま呼びかけた。
「慌てなくてもてめえは確実に殺してやる !」
ベクターが彼を見て叫んだ直後、一瞬の隙を見たムラセが彼に向かって蹴りを放つ。吹き飛ばされて屋上への入り口のドアを突き破ったベクターは受け身を取り、そのまま追いかけて来たムラセの方を睨む。そのまま二人一斉に走り出し、ゲーデ・ブリングやオベリスクをぶつけ合っていく。
果敢に切り込むベクターだが、何をするにしても化身がすぐに防いでしまうせいで思う様に攻撃が当たらない。そしてその度にムラセからゲーデ・ブリングによるカウンターを食らう羽目になる。
「”時流超躍” !」
ベクターは叫んだ。化身は恐らくこちらの攻撃に対して自動で反応するようになっている。ならばどの程度の反応速度なのかを見ておかなければならない。何より、この速度に追い付けはしないだろうという魂胆である。しかしムラセはそう来る事を既に予測していたのか、彼が叫ぶのとほぼ同時にゲーデ・ブリングで思い切り床を殴って破壊した。そのまま落下する瞬間、ベクターの体を化身に掴ませてから二人一緒に穴の中へ落ちていく。
屋上の真下にあった病室の一画らしき場所に叩き落とされた時、周りの埃やゴミがスローモーションの様に緩やかな速度で待っているのを見た事で、ベクターに触れている事さえできていれば時流超躍の影響を受けなくなるという事を初めて知った。成程、こんな状態で戦っているのでああれば確かに全てが余裕に感じられるだろう。尤も、対策の仕方が分かった以上は恐れるに足らないのだが。
そのまま化身にベクターを引き摺り寄せさせると、ゲーデブリングで仰向けに倒れていた彼の腹を殴った。床に亀裂が入り、ベクターはそのまま落下していく。恐らくはいくつかの階層を突き抜けて行っただろう。ダメージも考慮すると暫くは上がって来れない。それより優先すべきはファウストである。ムラセは抜けてしまった天井を跳躍して登り、再び屋上へと戻った。ファウストも疲弊しながらも屋上へと出て来ており、ベクターがどこにいるのかを探しているのか、辺りをしきりに見回している。
「ベクターは…どこへ ?」
「急いで逃げよう、きっとまた来るから。ああでも…飛空艇の使い方が分からな――」
安否の確認は出来てないが、ひとまず退けたと思っていたムラセはとにかく早急に離脱しようとする。しかし次の瞬間、凄まじい衝撃が彼女を襲った。何かに殴られたような鈍い痛みが襲って来たと思いきや、今度は何かが自分にぶつかって来た。そのままうつ伏せの体勢で床に倒され、自分にぶつかった何かが足から下に圧し掛かって来る。なんとそれは飛空艇であった。
「うあああああ…‼」
重し代わりに叩きつけられた飛空艇のせいで下半身を潰されたムラセは呻き、泣き叫んだ。そして必死にどかそうとしてみるが、重すぎて流石に自力では不可能であった。何より苦痛のせいで能力を満足に発揮できない。そんな彼女の視線の先にはベクターが立っていた。
一番下の階層にまで叩き落とされた彼だったが、時流超躍を使って最速で屋上まで辿り着き、そこから破砕剛拳に変形させて彼女を殴る。さらに飛空艇を持ち上げて、武器代わりにしてから彼女をそれで殴り倒し、動きを封じるために重しとして体の上に置いた。その一連の動作は時流超躍を発動している間に行っており、故にムラセからしてみれば何が起こったのか分からなかったのである。
「待て ! その子は関係無いだろ…‼」
ヨロヨロと近づきつつ、ファウストが大声で懇願した。
「かかって来るんだからしょうがねえだろ。ホント、こいつにはベッタリなんだな。俺の事はどうでも良いってか」
「分かってる ! お前が私を憎んでいる事も承知だ ! だから…」
不愉快そうにベクターが彼へ詰め寄ろうとするが、ファウストは食い気味に言い返した。そして震えながら両腕を広げる。
「殺せ…それで全て終わりにするんだ」
ファウストは覚悟を決めた様にじっとベクターを見つめながら言った。
「…子供思いな父親だな。御大層な事だ」
そんな自己犠牲的な態度が癪に障ったのか、彼に近づきながらベクターは皮肉交じりにぼやいた。俺の事を見捨て、育ての親まで殺しておいて今更善人ぶりやがってと、本題とは違う点から彼に対する嫌悪感が湧き始める。
「後から命乞いしても聞かねえぞ」
間合いにまで詰め寄ったベクターは一言だけ忠告した。しかしファウストが何も言い返さないと見るや、背後で何か喚き立てているムラセの声にも耳を貸さず、右腕で彼を殴り飛ばす。レクイエムやオベリスクを使って即死させるつもりは無い。最後の最後まで苦しめた上で殺すという彼の意思表示であった。