第133話 思惑
「死ぬかと思った」
血まみれになりながらはみ出ている腸を集め、ベクターは息を切らしながら言った。
「そのまま死ねば良かったのに。いっつもしぶといわね」
そんな彼へリーラはさらに辛辣な言葉を浴びせながらソファに座る。話し方からして今に始まった事ではないらしい。ベクターも特に怒ったりする事なく肉体の再生を待ち続ける。
「ん、なにこれ ?」
ベクターの様子が戻るまで大人しくしようと思っていた矢先、リーラはテーブルに置かれていた紙の束に目が行く。拾い上げてみると何やら税金の申告に関する書類や、そして慈善団体を騙る胡散臭い組織からの寄付の誘いが無数に来ていた。
「ああ。富の再分配とか、貧困層への救済とか…どこから聞きつけたのか知らないけど、金持ってるって分かった途端ポストに入れられまくっててさ」
気が付けば一行の財布及び事務係となっていたジョージがチラシについて解説すると、それを聞いたベクターは乾いた血で汚れてしまった手で拾って目を通す。しかしどうも難しい言葉は分からないのか、途中でリーラの隣で彼女に聞きながら読んでいた。わざわざ応じてあげる辺り、リーラも彼の事を本気で嫌っているわけじゃないのだろう。その場にいた一同は口に出さずその光景を眺めていた。
「…はっ、しょーもな」
一通り書いていた事を理解した様子のベクターは税金の申告書やその他の明細以外を床に置いてライターで燃やし始める。
「こんなもん作る金を”ひんこんそう”とやらに配ってやる方が世のためになるわボケ」
「相変わらず散々な言い様だな…こういうのってのはデモと同じで知ってもらうための宣伝みたいなもんだろ」
ベクターがぶつくさと文句を言い、流石にもう少し言葉を選ぶべきではないかとタルマンが諭した。
「じゃあ聞くが毎日毎日外を練り歩いて訳の分からんプラカード掲げて金寄越せって叫んでるアイツらが飢えに苦しんでるように見えるか ? あんな奴らを助ける気になるか ? 弱者扱いされることを利用して結局タダ金が欲しいだけだろ。本気で貧しい奴には文句言ってる暇すらねえよ。生きるのに精一杯だからな」
「優しさの輪ってのを広げてやれよ。旅は何とか世は情けって言うだろ」
「何で俺に何もしてくれねえ奴に優しさを見せてやる必要があるんだよ」
ベクターが毛嫌いするように吐き捨てる傍ら、タルマンは引き続き落ち着いた態度で接する。早いうちに保護者を失い、犯罪や傭兵稼業で日銭を稼いで生きて来たという経歴を考えれば、自分から動こうとせずに他人から恵んでもらう事を待ち続ける人間など、ベクターにとっては最も見下げられて当然の存在なのかもしれない。それ自体は分かるのだが、そこまで言う必要があるのかというのが率直な意見だった。
「ベクターが不幸な生い立ち自慢始める前に本題に入らせてもらうわね。これ見て」
面倒な事態を予測したリーラが話を強引に終わらせ、コートのポケットから写真を取り出してテーブルに置いた。
「これ…… !」
ムラセが驚いた。写真に写っているのは見慣れない土地で、人混みの中を歩いているザガンの姿である。
「いきなり匿名で送り付けられて私もびっくりした。あなた達が言ってたコウジロウ・シライシの仲間ってコイツの事よね ?」
「間違いない。のうのうと生きてやがったのかこの女」
リーラの言葉にイフリートはすぐ反応してから写真を睨む。治っているとはいえ、自分の姉が腕を吹き飛ばされた相手である以上、心象が良い筈も無かった。
「これはどこで撮った写真なんですか ?」
ムラセはリーラに尋ねた。
「ここから結構な距離がある。もしかして行くの ?」
「行きたいです。色々と確かめないといけない事がありますから…」
ムラセは並々ならぬ思いがあるのか、珍しく自分の意思を迅速に伝えた。ベクターも少し嬉しそうな様子で写真を見つめている。
「多少の距離なんざ問題ない。すぐにでも荷造りしようぜ」
立ち上がって背伸びをしつつ、ベクターがやる気をアピールする。しかし、それを聞いたリーラは神妙な面持ちで写真を見つめていた。
「変だと思わないの ?」
「え ?」
そしてリーラが唐突に呟くと、すぐにでも向かうつもりだったベクターも思わず反応した。
「考えて。コウジロウと組んでいる間中、こいつに関しては私生活や素性について一切情報が出回らなかった。お祖母ちゃんの情報網にも引っ掛からないレベルで。そんな奴が、こうもアッサリ居所が知られてしまう様なヘマをする ?」
「そりゃあのジジイが守ってたからでしょ ?」
リーラが疑問を呈するが、リリスは権力で守られなくなったからではないかと推察する。しかし、リーラは納得してないのか首を横に振った。
「ボディーガードが雇い主に守られちゃ終わりでしょ。そもそもの話、この写真を送ってきた奴が何者なのかも分からない。こんなものを送りつけてくるって事は、送り主は私達がこの女の事を探してるのを知ってるって事になる。なのに見返りすら求めてこないなんて」
「つまり、どうなるんだ ?」
「タダほど高い物は無い。送り主にとっては私達に礼をしてもらう事は二の次…ただの善意によるもので済めばともかく、問題は別の目的があったうえでこの写真を送りつけてきた場合。そうなれば、送り主の正体は『あなた達がザガンを探しにこの写真の場所まで出向く事を望んでいる連中』って事になる」
決して確証がある訳ではないが、リーラはどうしても疑念を捨てきれずにいた。 誰がなぜこのタイミングで ? シアルド・インダストリーズが恩返しにやったとは思えない。少なくともそこまでしくれるような間柄では無いだろう。フロウなどの様な身内という線は更にあり得ない。もしそうなら何かしらの連絡をして来る筈である。
「誰かが私達を嵌めようとしているって事ですか ?」
「推測だけどね…今はハッキリとした根拠も無い」
ムラセもリーラの言おうとしてる事が分かったのか、第三者による意図があるのかと勘繰り始める。リーラは頷いてから写真を手に取ってソファに座った。
「その線で行くなら、これを送って来たのは何かしらの企みがあるザガン本人か…或いは私達を嵌めたい誰かか。とにかく、ここで下手に動くのはマズいと思ってる」
リーラはそのまま嫌な予感がする事を感じ取ったのか、目立つ行動をとる事に反対の意を示すが、ムラセ達は不服そうに彼女を見る。
「でもここで逃がしたら行方だって分からなくなるんですよ ? …私の父さんの事だって…」
「私もそっちに賛成。何に警戒してるのか知らないけど、どの道私はアイツの顔面をぶん殴ってやらないと気が済まない」
ムラセの言葉にリリスは同意するが、そのままリーラがそこまで警戒するのは何故なのか分からないと言い放つ。しかしベクターから彼の父親を殺した者の名がファウストというデーモンである事をリーラは聞いていた。さらにムラセの父親の名がファウストであるという情報についても、既に耳に入ってしまっている。そのファウストというデーモンが二人の人生に大きく関わっていると分かってしまった以上、これ以上踏み込んでしまえば互いに知らなくて良い真実まで知ってしまいそうな気がしてならない。そういった仲間同士でのいざこざを起こされる事が嫌で仕方なかった。
「まあ、その時はその時で考えれば良いだろ。俺は行きたいね」
そんな中で能天気に口を開いたのは他ならぬベクターであった。リーラは一瞬ギョッとするが、今の彼にしてみればようやく自分の親の仇が判明し、尚且つ報いを受けさせることのできるチャンスが訪れてる様なものである。飛びつかずにはいられないだろう。問題は彼がどこまで把握しているかである。彼のいつも通りとも言える何も考えて無さそうな態度からして、自分の仇とムラセの父親と思われるデーモンが同一の存在である事を恐らく知らない。ムラセ達は何も伝えてないのだろうか。
もしかすれば彼らも恐れているのかもしれない。ベクターの普段の様子からして、万が一にも仇であると分かれば怪我では済まないだろう。そうなれば確実にファウストは殺される。しかし馬鹿正直に「私の父親が実はお前の父親殺した張本人でした。出来れば殺して欲しくないです」などとは口が裂けても言えない筈である。
「つーわけで頼む。車貸してくれ。ちょっと調べたらすぐに帰ってくるからよ」
そんなリーラの思考など知る由も無く、何も知らなそうなベクターが手を合わせて頼み込んで来る。リーラがその様子を黙って見た後に、ムラセの方を見ると彼女は申し訳なさそうに視線を逸らした。
「…どうなっても知らないわよ ?」
「承知の上だ」
「分かった…移動手段の手配はこっちでしておく」
あくまで警告はしたからなという既成事実のために、ベクターに対してリーラは釘を刺すが当の本人は気にも留めてない様だった。後でどうにかして伝えるべきかと考えつつ、リーラは必要な装備を調達するためにひとまずその場を立ち去っていく。