第108話 煽り癖
「いてて…おっと」
破壊された車両のドアをゆっくりとこじ開け、頭から血を流しつつ半ば朦朧としながらもセドリックが降り立った。周囲の状況を確認しようと車の陰に隠れて反対側へ少しだけ顔を出すと、ムラセが妊婦と脱走兵の前に立って敵をの方を向いている。何か話をしているらしいが、所々で相槌代わりに罵倒じみた愚痴を漏らしていた。
「おい、替えが必要になった。無線の座標がある場所へすぐに来てくれ。念のため武器は持てるだけ持って来い。大至急だぞ」
「了解です」
セドリックからの指令を聞いた舎弟がすぐさま応え、二つ返事の後に無線を切ってから待機させていた装甲車のエンジンをかける。後ろの座席には武装した他の舎弟達が乗って、入念に装備をチェックしていた。セドリックはこんな事もあろうかと、仕事仲間や自分が可愛がっている者達を集め、目的地やそこに至るまでの経路の付近に待機させていたのである。
「よし…保険かけといてよかった」
一方で連絡を終えたセドリックは、そのまま車の中に落ちていた拳銃へ手を伸ばして何とか掴んでから手元へ寄せる。心許ない事この上ないが、丸腰で居続けるよりはマシだろうと具合を確認する。しかしあろうことかぶつかった際の衝撃で銃口が変形していた。事故につながる可能性もあり、とてもではないが使う気にはならない。
「あー最悪」
セドリックは悪態をついた。迎えが来るのにそれほど時間は必要としないだろうが、やはり生きた心地はしない。ムラセがいつまでも自分達を守ってくれるとも限らない状況ではあるが、どうにか時間を稼いでくれることを祈るしか無かった。そのままムラセ達の方をコッソリ見ると、どうやら進展があったらしい。
「…今、何か言ったか ?」
やる気満々というわけではないようだが、ハヤトが少し顔を引きつらせてムラセへ話しかけている。
「クソ野郎って言ったのが聞こえなかった ? 耳も頭も顔も性根も全部腐ってるなんてて一周回って奇跡だよ。母親が不憫で仕方ないけど、父親に見捨てられなかっただけマシかもね」
ここまで来たらもうどうなっても良いや。クソ野郎というただ一言の罵倒は、彼女の中にあった他人への中傷に対する抵抗感を大きく削ぎ落していた。ダムが決壊したかのようにとめどなく罵倒が溢れ出す。そして慣れない行いに対して緊張しているのか、心臓の動悸が激しくなっていた。心なしか足もガク付いているような気さえしてしまう。
ベクターはよくもまあ、あれ程涼しい顔で他人様へ恨みつらみを臆面も無く言えるものだ。自分でやってみた事で他人に面と向かって言葉を出す事がいかに難しいかをムラセは痛感していたが、やはりハヤトにとっても不快だったらしい。
「死にてえんだな、お前」
みるみる表情が変わり、こちらを不愉快そうに睨み始めていた。
「それと勘違いしてるようだから教えてやるよ。俺には母親も父親もいねえ」
「え ?」
続けてハヤトがカミングアウトをしてくる。ムラセも素っ頓狂な反応を示した。
「俺を捨てやがったんだよ、赤ん坊の頃にな。この見た目のせいで散々な目に遭ったさ。殺されかけもした。誰も信用できなかったさ。だが、あの人はそんな俺を助けてくれてな。力も金も…何もかも俺に与えて、俺に息子を名乗る事を認めてくれたんだよ」
話の最中、ハヤトの周りに辺りを走り回っていた車や、逃げ惑う通行人の持ち物らしき金品が浮遊し始める。大小問わず変形していくと次々に体へ付着し、鎧を纏っているかのように頑強な装甲が出来上がった。とはいえ細かい調整は出来ないらしく、鉄骨や部品が突き出ていたりと見た目に関しては突貫工事と言って差し支え無かった。
「分かるわけねえよな。仲間に囲まれてチヤホヤされてるお前なんかによお ?」
そんな経歴を持ってるからどうしたのだと、ムラセは突然不幸自慢を始めたハヤトの行動が理解できなかった。慰めて欲しいのか、どん底から今の地位にまで来れた事を褒めて欲しいのか分からないが、彼の態度を少々腹立たしく思っていた。
「自分が力を付けた途端に虐げる側に回って威張り散らす。そんな卑怯で小者くさい性格してるから虐められてたんでしょ」
「あ ?」
ムラセが再び罵ると、ハヤトもただでさえ堪忍袋の緒が切れそうになる。
「何なら私も思ってるから…生まれて初めて、『死んだ方が世のためになる奴に会えた』って」
「そうかい…全員遠慮はいらねえぞ ! このガキに地獄見せた上でぶっ殺せ !」
吐き捨てるようにムラセが言い放つと、ハヤトも上等だと言わんばかりに周りの部下へ指示を出す。その時、ムラセの背後から車のエンジン音が聞こえて来た。そのまま大破した車両を避けて装甲車が姿を見せると、上部に設置されているハッチを開けてから男が顔を出す。銃座も取り付けられていた。たちまち機関銃から銃弾が放たれ、兵士達も怯むか隠れるなどして身を守ろうとし始める。
「おい、今の内だ !」
セドリックが妊婦たちに駆け寄り、二人を引っ張るようにして装甲車の方へ案内する。ムラセは彼らの方を見て自分も逃げようかと思ったが、ハヤトが追いかけてこない保証はない。やはり始末しておかなければならないだろう。
「私がやる…先に行って !」
そのまま大声で逃げるように言ってから、先程まで自分達が乗っていた車をゲーデ・ブリングで掴む。そしてそれを全力でハヤトたちへ向かってぶん投げた。
「ハ、裏切り者なんざいつでも始末出来る…今度こそてめえの首を土産代わりにしてやるよ」
投げつけられた車を宣戦布告と見たのか、コウジロウも首を切り落とすと宣告してそれを投げ捨てる。装甲車が走り去っていく中、敵を前にして退路のど真ん中に立ちはだかったムラセは、そのまま一呼吸してから拳を構えた。