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ボーイ・ミーツ・肉塊 その1

 青年──長谷川歩は、その名前に反して非常に停滞的な人間だった。

 努力を重ねても進歩しない、好きになってもにわか止まり。

 何にも秀でた部分が存在しない、強みを一切持たない人間だったのだ。


 だが、青年自身がそうありたいかと言われれば勿論そんな事は無い。

 人として生まれたからにはソイツにしか出来ない、特別な何かがある筈だ。

 どんなに些細な事でも、下らない事でもそれの為に生まれたのだと言える、謂わば「生き甲斐」がある筈なのだ。

 でなければ生まれてきた意味が無い。

 つまり何が言いたいのかと言えば、青年はただぼんやりと毎日を過ごして、飯食って学校行って風呂入って寝る、そんな自分のあり方をどうにか是正したかったのだ。


 故にこそ大学への進学に伴う上京で、「何か」が変わるのではないかと期待を込めていた。

 状況が変われば、環境が変われば自分も変われるのではないか。

 そんな曖昧模糊な希望を道連れにして地元を離れて2年、冴えない青年の家に「ソイツ」がやってきた。


 ああ、やって来てしまったのだ。

 今、青年があの日の自分に言える事があるとすればそれは「家に帰るな」の一言だろう。

 あの日家に帰りさえしなければ、友人の家なりカプセルホテルなりに泊まってさえいれば、こんな事にはならなかったのに。

 こんな思いをしなくて済んだのに。



■■■



 僕が「ソイツ」と対面したのは2ヶ月前から始めたアルバイトを終え、20分程電車に揺られて帰宅した時の事だった。

 ボロいとは言わずとも間違いなく新しくはない、そんなありふれたアパートの一室で事は起こったのだ。


「うわぁ」


 未知の講義に怯える1年生を乗り越えた大学2年生の春、と言う季節は大学生にとってそこそこ暇な時期である。

 或いは人生で1番遊び呆けられる時期と言うべきか。

 大人としての責務に縛られず、子供としての不自由にもまた縛られる事もない。

 就職活動や受験勉強から解き放たれて好きなだけ遊んで、好きなだけバイトして、好きなだけ勉強出来る──謂わば人生最後のパラダイスが「大学2年生」という言葉に秘められた特権なのだ。 


「えー、うわどうしよ…」


 そんな訳で、僕もその恩恵に預かっていた所だったのである。

 週に2回、6時間勤務、時給1110円、夜勤手当て有り。

 日本料理屋「魚介天国」でのアルバイトは僕にとって正しく天職だった。

 両親からの仕送りで生活している僕からすればアルバイトは死活問題と言う訳ではなかったが、気が狂ったように打ち込む事が出来たのだ。


 それは何故か。


 働いている時は他の事を考えなくて済むからだ。

 皿を洗い、料理を盛り付けている間だけは「今日も1日ゴロゴロしてるだけで終わってしまった」だとか「これでインターンの情報集められなかった」とか後悔せずに済むのだ。

 更に労働の充足感と給料まで貰えて布団に入る事が出来るとくれば、控えめに言って最高だ。

 アイデンティティを失ったりして何もする事がない、そんな風に食っちゃ寝をしている人は先ずアルバイトを始めると良いだろう。


「あー、うーん…」


 さて、ここまで長々と語ってしまった訳だが、現在直面している問題に大学生活の尊さとアルバイトの有用さは1mmも役に立たない。

 と言うか1人で解決出来るとは到底思えない。

 故に僕は遠く離れた故郷に思いを馳せた。

 ああ、拝啓故郷のお父様、お母様────






『ごろ゛ざな゛い゛でぐだざい゛ぃぃぃ…』

「いや、うん…別に取って食ったりはしないから落ち着いて…?」


──どうして僕は自分と同じ位デカイ肉塊(結構綺麗な女の子の声がする)を慰めているのでしょうか。


『ごろ゛ざな゛い゛で…』

「一旦落ち着こうか。取り敢えずティッシュあげるから鼻かみな?」

『は゛な゛な゛い゛でずぅ゛…』

「そうだね、取り敢えず被せとくよ」

『あ゛り゛がどう゛ござい゛ま゛ず…』


 適当にティッシュを乗っけられた「ソイツ」は──どう表現すれば良いのか。

 取り敢えず肉塊である事だけは間違いないと思われる。


(うわっ、ぶるぶるしてる…)


 強いて全体のシルエットを表すならばそう、モンブランだ。

 牛とか人とかそういう哺乳類の腸を繋げて円形に積み上げたような、赤黒いモンブランが狭苦しい1DKのど真ん中にでんと居座っている。

 泣いているかのような濁った声に合わせて不規則に蠕動する様は見るものに不快感を与える事この上ない。


(え、あれ。ひょっとして机潰れてる…?)


 そして良く観察すると、肉塊モンブランの隅から重量に耐えきれずひしゃけだとおぼしき木片が覗いているではないか。

 そう、この肉塊が部屋の中央にいると言う事は、本来はそこに設置されているはずのローテーブルを押し潰していると言う事でもある。

 上京に当たって奮発した5万円が、粉微塵になった瞬間だった。


(え、てか壁紙前衛芸術になってるじゃん…)


 更に付け加えるなら、それなりに清潔感があった筈の部屋が血のような赤黒い液体で塗れていた。

 玄関からキッチンから、壁掛け時計に至るまで真っ赤っ赤である。

 でも何故か生臭くはない。

 絵の具かペンキでもぶちまけられたみたいだ。


(いや、これ拭けば取れんのか…?)


 もしこれが雑巾掛けしても取れないとすれば、いよいよ以て最低である。

 人の家は断じてキャンバスでは無いし、勝手にリフォームして良い道理などある筈も無いのだ。

 故に僕は腹を立てた。

 何しろ自分だけの城が滅茶苦茶になってしまったのだ。

 恐怖だとか困惑だとかを通り越して、まず自宅を荒らされた怒りが歩の中で燃え盛った。

 そうしてつい5分程前、怒りに突き動かされるまま歩は「どう弁償してくれるんだ」と肉塊を怒鳴り付けようとしたのだが────


『ごろ゛っ、ごろ゛ざな゛い゛でぇ!』

「だから殺さないって」

『ほんとに…?』

「嘘だって言ったら?」

『い゛や゛ぁぁぁぁぁぁぁ!ごろ゛ざれ゛る゛ぅ゛ぅぅ!?』

「おもしろ…」


 この肉塊、相当に「弱い」。

 まず物理的に弱い。

 それなりに重量はあるようだが、どうも自分でそれを支えられないのか何をされても動く様子すら見せずにただぷるぷると震えるだけだ。

 正直気色悪い。

 燃えるゴミに出したい。

 だがクイックルワイパーの柄でつついてみても無抵抗で震えるだけなのだから、何らかの理由で動けないと見て間違いないだろう。

 これである程度の安全性は確保された。


「近所に良い肉屋があるから売りさばこうか」

『や゛ぁっ、やめ、止めて下さい…!』

「きっと美味しいソーセージになるね。知ってる?ソーセージって腸詰めって意味なんだよ?」

『止めて…止めて下さいぃ…!』


 そして精神的にも弱い。

 そのグロテスクな外見とは裏腹に、彼女(推定)は非常に打たれ弱い性格をしているようだった。

 簡単に言ってしまえば、子供っぽいのだ。

 状況が状況とは言え「肉屋に売る」なんて冗談を真に受けてしまう辺りにその幼さが垣間見えるだろう。

 つまり、その気になれば幾らでも言い込められるのである。

 よってこの肉塊はおよそ人間に危害を加えられるモノではなく、殺す生かすの決定を除けば1人でどうにか対処可能な生命体である、というのが僕の結論だった。


「嘘だよ嘘」

『嘘ぉ!?』

「いや考えてもみなよ、こんな何の生物かも分からない肉が売れる訳ないじゃん。ソーセージとか無理無理」

『うぅ…うゅぅぅぅぅぅ!』

「ははは、唸っても無駄だって。大体肉の売買ってのは農家と卸売業者が契約結んでやるもんなんじゃないの」

『え、そうなんですか?』

「いや知らんけど」


 この肉塊は肉塊の癖して人の言う事を素直に聞きすぎる。

 いざ怒鳴り付けようとした歩も見ての通りの弱々しさに毒気を抜かれてしまい、今となっては部屋の惨状からの現実逃避も兼ねて肉塊をからかっているのだ。


(明日も大学あるんだけどなぁ…てか管理人さんに何を言われるか…)


 認めたくはないが、完全にやけっぱちである。

 こうなってしまえば、最早今夜は寝れないだろうし、管理人にこの惨状を見られでもしたら即座に叩き出される事は間違いないのだ。

 敷金礼金、その他諸々が纏めてパーだ。

 グッバイ、マイ布団。

 グッバイ、マイホーム。

 長谷川歩は悲壮な決意と共に今日を生き抜くしかないのだ。



「じゃあまず、君の名前と何処から来たのか教えてくれるかな?」

『え、この流れで聞くんですか?』

「そうだけど」


 故に、肉塊を問い質す事から始めよう。

 彼女(仮称)が何者で、何がどうしてこんな姿をしているのか知らねば何も始まるまい。

 留め置くにしろ通報するにしろ、事情を聞いてからでも遅く無い筈だ、と僕は自分に言い聞かせた。

 いや、寧ろ────




『ご…ごめんなさい!分からないです…』

「はは…マジ?」

『マジです…本当にごめんなさい』

「いや良いけどさぁ、名無しの権兵衛だよそれだと」

『え、嫌です…て言うか古くないですか?』

「嘘だろ…」


──つまらない日常の繰り返しをぶち壊す、こう言う波乱をこそ望んでいたのかもしれない。

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