ファイトクラブ
「こちら温めますか?」
「いえ、いいです」
一日のうち唯一の会話を終え、一日のうち唯一の外出を終える。早く帰らないと。薄暗くて汚い部屋だけが待ってる。いつもの弁当、いつもの割り箸。レンジに突っ込んで3分待つ。散らばる抜け毛、埃。積み重ねられた書類。いつもと変わらない光景。金曜日にはストロングゼロを添えて。都会の真ん中に借りた6畳の空間。僕はこんな場所で何をしているんだろうか。今日の後悔と明日への不安だけ抱えて、眠りにつく。目が覚めたら別の世界で、別の自分に生まれ変わっていればいいのに。そうしてまたいつもの部屋で目覚めるんだ。
切っ掛けは些細なことだった。何度目かの眠れない、とある深夜。ふとテレビをつけるとイカれた男が喋っていた。何か、映画のようだ。
「いつか必ず死ぬってことを恐れず心に叩き込め。すべてを失って、初めて本当の自由を得る。」
衝撃だった。映画の中の男、赤い革ジャンを着た男の吐く言葉は、僕が今まで聞いてきたどんな言葉よりも、今まで得たどんな感動よりも、今まで差し伸べられたどんな助けよりも、酷く心にへばりついた。この感動をどこかへ投げ飛ばしたい衝動に駆られ、僕は映画ファンのコミュニティサイトへ向かった。彼を知っているか?まだ知らないなら、早く知ったほうが良い。早く彼を見てくれ。この衝撃を、お前も受けてくれ。
その日はちょっとだけ、すっきりした気分で眠れた。それからしばらく、その映画を繰り替えし見る日々が続いた。
数日後、またレビューサイトへ向かった。あの衝撃を受け取った人は増えただろうか。ちょっとの期待を胸にページを開く。
「この映画はラストシーンがすべてなんです。赤い革ジャンの彼は乗り越えるべき壁なんですよ。」「イカれた彼に憧れるような人は大人になれていませんね。もっと成長しましょう。」「彼が最後に求めたものは愛だったんだよ。」「君はあの映画を見て何を学んだんだ?何もわかっていない。」「革ジャンの彼に憧れるような人は教養が足りません。もっと映画なり小説なりを見た方が良いと思います。」
書き込まれたコメントを見て、思わず怒りで拳を握った。クソみたいな感想だ。期待した俺がバカだった。映画ファンなんて所詮、映像を受け取っただけで偉くなったと勘違いしている頭でっかちの豚ばかりなのだ。でも実生活では僕より偉い人間達なんだろう。社会的地位も持っているんだろう。しっかり生きてるんだろう。そんな奴らにあの作品の、革ジャンの彼の何が分かる。怒りと失望でいっぱいな僕がマウスポインタを右上に走らせている途中、一つの書き込みが目に入った。
「俺もあの映画を見て衝撃を受けました。是非とも会って語り合いたいです。」
お前は分かっている。お前はこちら側の人間だ。僕はこの人と会うことにした。迷いや不安はあったが、それ以上に初めて会うこちら側の人間がどんな人間なのか気になった。
コンビニの店員以外の人間と会うのは何年ぶりだろうか。ジャージ以外の服を着るのは久しぶりだ。緊張してきた。例の男が指定してきた待ち合わせ場所は都内のファミリーレストランだった。確か名前は・・・
「はじめまして。」
「へ?あ、はい。」
「よろしく。俺は・・・そうだな、トラヴィスとでも呼んでくれ。あの書き込みはお前が?」
僕と同じような覇気のない目。僕よりちょっとだけ高い身長。僕と同じようなだらしのない姿勢。伸ばしっぱなしの髪に無精髭。極めつけに「トラヴィスと呼べ」だと。ハマってるなこいつも。直感で分かった。俺と同じ人種だ。そこからは長かった。あの映画の、革ジャンの彼のすばらしさを延々語り合った。それと同じくらいの時間を使い、コミュニティサイトの映画ファンを貶して笑った。乗り越えるべき壁だと?馬鹿言いやがって。何もわかっていないだと?分かってないのはどっちだ。教養がなんだ。持ったところでマウントを取る道具くらいにしか使えないくせに。コミュニティサイトの偉そうな書き込みを一通りバカにして笑いあった。やっぱりこいつは分かってるやつだ。しばらくして、自称トラヴィスが切り出した。
「お前は今の世の中をどう思う。」
「どうって、例えば?」
彼が言うにはこうだ。
環境問題だの人種差別だの格差社会なんてのはクソだ。前の世代がやってきたことのツケを、全く関係のない俺たちが払わされる気分だ。クソッタレのインテリ共は、毎日安い牛丼を食って腹を満たし、ストロングチューハイで感覚を紛らわせてやっと生きている俺たちのことなんて気にもかけないくせに、地球のご機嫌なんかに対して怒ってやがる。声高に平等を訴える偽善者は「弱者を救うため」と言い、別の弱者には更なる負担を強いる。テレビやインターネットなどのありとあらゆる場所で、このクソ野郎どもは弱者に差し伸べるべき手を使ってお互いに殴り合ってる。あらゆる問題に怒り、悲しむポーズをとることで、何かを成し遂げた気分に浸っていやがる。
「だがアイツらは何もしなかった。ポーズだけとって、誰も救っちゃいない。少なくとも俺達に手は差し伸べられなかった。俺は間違ったことを言っているか?」
そんなことは無い。君は正しい。
「そんな馬鹿野郎を持て囃している大衆を見ていて腹が立つだろう。」
丁度、僕もムシャクシャしてたんだ。
「うまく言えないが、とにかく俺はこのクソみたいな社会をブチ壊したいんだ。」
そうだ、社会に火を付けにいこう。
会計を済ませて、店を出る。帰り道、目に留まった議員事務所の壁に、二人で大きな巻き糞を描いてやった。トラヴィスがいなかったらこんなことできなかっただろう。でも二人だからできた。僕たちからの宣戦布告だ。
「トラヴィス、またやろう。これは今の僕たちに必要なことだ。」
「ああ、必ず。」
それからというもの、僕たちは週末の夜に街に出ては悪戯をして回った。ビルの前で立小便をした。交差点には一週間溜めこんだ俺たちの糞をバラまいた。馬鹿を抜かす著名人に殺害予告を送った。偉そうな政治家には剃刀を送り、社会問題に口を出すアイドルは匿名掲示板でバッシングした。SNSで偉そうなことを垂れ流す奴に対しては、複数のアカウントを用意し通報することで、そいつのアカウントを凍結に追い込んだ。とにかくデカい顔をしている奴らを嫌な気分にさせたかった。時々、トラヴィスは誰かを連れてきた。そいつも一緒に小便をバラまいた。気に食わない発言をする奴がメールアドレスを公開していたら、それをアダルトサイトや出会い系サイトに登録した。一つ悪戯を成し遂げるたびに、僕の心からモヤモヤが取り除かれていった。悪戯は週末だけじゃなくなった。世相を斬る芸風のタレントが居れば、ありたっけの誹謗中傷を書きなぐったビラをありとあらゆる場所に貼って回った。深夜の高級住宅街で爆竹を鳴らして回った。またトラヴィスは誰かを連れてきた。二人で始めた悪戯は、いつしかグループで行われるようになっていった。




