特別レッスン
店に足を運ぶ生徒たちの数も減り、日も傾いてきた頃。
茜差す窓の向こうから、『ᚲᛚᛟᛊᛖᛞ』の看板を出して戻ってくるフィネの姿が見えていた。
「ししょー、看板出してきたよー!」
「ありがとう、フィネ。
いつも助かる」
「えへへ。
他にして欲しいこととかあったら、なんでも言ってね?
私、ししょーのおかげで学校行けてるんだし」
頭巾を外しながら笑顔で応える彼女に、俺は(なんでいい子なんだ……!)と思わず頭を撫でる。
「あぁ、ありがとう。
だが無理はしないでくれよ。それで体を壊されると大変だから」
「はーい!
じゃあ着替えてくるね!」
しばらくのハグを経て、エプロンやらを片付けに奥に走って戻る。
そんな様子を、アンバーはカウンターテーブルに突っ伏しながら、微笑ましそうに眺めていた。
「まるで親子ですね」
「今は保護者でもありますからね。
……さて、それはそうと今日のレッスンを始めるとしますかね」
言いながら、隣の席に腰を下ろす。
ここ『蜂蜜の砦』では、信頼のおける相手に限り、俺が師匠に教えてもらった数々の知識や知恵、技術を伝授したり、それを活かして作られた魔法の道具を譲渡、売買するという事がある。
彼女はそんな俺の目的を達成させるための練習台として、毎週喫茶店の閉店後に来てもらっている……のだが、最近はあまり忙しくないのか、閉店の四時間ほど前には入り浸ってお菓子を食べたりコーヒーを嗜んでいる。
と、ここで一つ彼女のスペックを紹介することにしよう。
彼女の名前はアンバー。
職業は冒険者で、メイジ……つまり魔法職を専門としている。
冒険者の役割にはいくつかある。
ざっくり分けると、戦闘と支援。
彼女はその中でも戦闘を得意としていて、パーティでは主要火力として活躍するタイプ……なのだが、最近はあまりパーティを組まず、ソロで冒険する事が多いのだそうだ。
まあ、メイジは通称万能職とも呼ばれ、戦闘も支援も全て一人でこなせるから、というのもあるのだが、彼女の場合は少しわけが違う。
彼女、ちょっと魔力が強すぎる癖して臆病なのである。
普段から敬語を使うのはその現れなのである。
ちなみに、冒険者は普通、誰に対しても敬語を用いたりはしない。相手が王族であっても、である。
これにはちゃんとした理由があるのだが、話がされるので割愛。
……で、そんな彼女に対して、俺がいつもなんのレッスンをしているかというと。
「えっと、今日も魔力操作の訓練、ですか?」
「はい、そうです」
これである。
彼女は魔力の量が多いばかりにそれを操作する事がかなり不得意なのである。
要するに、魔法の威力調整が苦手なのだ。
彼女がソロで活動するようになった原因の一端はこれにあるとも言える。
「じゃ、手を出してください」
「はい」
差し出された小さな手の上に自分の手を重ねる。
魔力を少し流して、彼女の魔力とを対流させていく。
これは、彼女の今の魔力の状態を調べるカウンセリングという行為だ。
彼女の魔力の調子によっては、この店が一瞬で塵にならないとも限らないため、ここで彼女の魔力の調子を確認し、同時に整えてやる必要がある。
「ふぁ……。
マスターのこれ、気持ちいいです……」
蕩けたような表情で、小さなため息をつきながら顔を紅潮させるアンバー。
見た目が幼いだけに、この表情はなんというか、犯罪の匂いがしてならなくなってくる。
それはともかくとして。
「魔力の調子は大丈夫そうだし、さっそくレッスンを始めましょう。
では、いつもどおり両手を出して、防隔の魔法を使ってください」
防隔、というのは、魔法職において基本の基本となる防御魔法の一つだ。
魔力を均一に広げて圧縮し、盾とする魔法。
この魔法は常に同じ出力の魔力を維持して循環させるという作業が必要となるため、魔法の修行として最もポピュラーなものである。
「は、はい!」
アンバーは両掌を上に向けて、その上に防隔の魔法で一枚の板を形成した。
ちなみにこれは余談だが、魔法を使える者はある程度熟練してくると、魔力そのものを視認できる様になる。
俺は彼女が展開したそれの上に、木の器を置いた。
するとその器の底から渦を描く様に水が出現した。
「んじゃ、いつも通り、器の中から水をこぼさない様に十分堪えられたら、俺特性のチーズハンバーグをご馳走致しましょう。
しかしもし堪えられなかった場合は、明日のトイレ掃除当番はまたアンバーが担当することになります」
「チーズハンバーグ……ぅあだおぉっと!?」
提示したご褒美に一瞬気を逸らしてしまったのか、防隔を制御する魔力が一瞬だけ小さく波を打つ。
防隔を形成する魔力の出力や密度がバラバラになると、さっきの様に部分部分で力の強弱が生まれ、結果としてあの様になるのである。
「惜しい、溢しませんでしたか……」
「集中……してるんで……ちょっと話しかけないで……ください……っ!」
必死だなぁ。
何もない空間から取り出した砂時計をひっくり返して置き、カウンターテーブルを離れて厨房に回って残っている食器を拭いて片し始める。
と、それからしばらくして奥の方から部屋着に着替えたフィネがやってきた。
「ししょー、今日の晩ご飯は?」
「チーズハンバーグにしようと思ってるんだけど……しまったな、肉を切らしてる」
尋ねられて自家用の冷凍庫を開けて調べてみると、残念なことにいつも使っているミノタウロスの肉が足りなくなっていたことに気がついた。
(そういえばランチの時にステーキをめっちゃ食べるお客さんが居て、足りなくなってこっちから追加したんだっけ)
思い出して、後頭部をガシガシとやや乱暴に掻く。
「仕方ない。フィネ、お使い頼まれてくれるか?
ミノタウロスの肉、とりあえず肩ロース十キロ。
あとついでに塩と胡椒も。
数は……そうだな、一キロずつあればいいかな。
庭に留めてある馬車使っていいから」
言いながら、何もない空間から鍵と、ジャラジャラと音を立てる重い革袋を渡した。
馬車と言っても小型で、ちょっと大きめの自転車くらいのサイズのものだ。
動力は馬で、その後ろに小さめの荷車が付いているもので、運転は乗馬さえできれば問題ない。
「むぅ、せっかく部屋着に着替えたのに」
「そっか。
それならチーズハンバーグは諦めるしか──」
と、その時だった。
「えっ!?」
話が聞こえていたのか、アンバーが大きな声を上げてこちらに顔を向けた、と同時。
──バッシャーン。
「「「……あ」」」
盛大に水がテーブルに撒き散らされ、器が床に落ちる乾いた後が、静かな店内に響くのだった。
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