引きこもるには 01
一度、暗転した意識がまた自我を持ったのは、随分時間が過ぎてからだった。
急に戻ったわけではない。日々の違和感から、徐々に徐々にと自我の芽生えと共に記憶と意識が身体に馴染んで行った。
故にかつて男だった己が、今生で女、いや雌株であることも受け入れていた。元が人であったのが、森精霊人という種族の子どもであった事も。
雄々しい大樹の精の父親と、嫋やかで儚い花の精の母親の間に産まれた、今はまだ双葉にも満たない幼い姿。だが、既にかつての星の日数換算で言えば二十年は過ぎていた。そこでようやくかつての星に居た人の子ならば三才程の自我を確立し始めていた。
見下ろす手は非常に透き通った白い手をしていた。水分が溜まった袋のようにふくらとした手の向こうが透けて見える。にぎにぎと開閉を繰り返す。
俯けば肩から零れるうっすらと輝く紫の髪は年々伸びており、今は既に足元に届く。母などは先が蔓に同化するのでどこまで長いのか分からないが、少なくとも地上に立った状態で一度地面に流れてから持ちあがり、樹上の蔓に同化する程度の長さはある。どうやら切ってはならないらしい。もっともココに切るのに使える物は無かったが。
大抵は己の宿る大樹に隠れている父親が、頭を撫でて来る。今日は陽ざしが強いので、起きたのだろう。殆どの森精霊人たちは自分の本体の中で寝ているばかりで、滅多に外に出てこない。起きれば毎回のように外に出て、弱い人の身を晒す元男が珍しかった。
「お前はどのような樹に育つのか」
「あら、花かも知れませんよ」
そう笑う母は、父の洞に根付き、枝に蔦を絡ませた先で咲く房状の花だ。白く大きな花は、しかし数年に一度しか咲かず、僅か一日で枯れる。けれど霊妙な薬効を持った花だった。
父と母がその身に種を成せた事は非常にまれであり、それだけ二人が想いあっている事の証だった。
森精霊人たちは雌雄同体も珍しく無く、父はそれだった。一つの樹に雌花も雄花も咲くためだろう。けれど子孫を残すのにどうやら同種でなければならない事も無いらしい。
互いに受粉し合うとどちらかの本体の中に入れて、そこで性交や力の混流することで子供を授かる基盤が整い、その状態で上手く受粉した種が育てば子供が出来るらしい。共に百を超える種を抱えて唯一育ったのが元男の宿った種だった。
仲良く腕を絡めながら頭を撫でて来る両親を見上げて思うのは
(二人ともその体組織を提供してくれないだろうか)
という、子供にしてはあまりに可愛げのない事だった。
ぼんやりとした思考で、その生態が非常に気になっていた。
ここはうっそうとした森の奥にある、やけに神聖な空気を湛えた湖の畔。
父の根っこの幾らかはその湖の中に沈んでいる。
因みに先ほどの会話、両親が起きた時に毎度のように繰り返されて既に二十年以上だ。つまり産まれてから、飽きもせずに同じ事を繰り返している。
彼らにしてはたった二十年という事なのだろう。
「とーしゃま、かぁしゃま」
今更ながら気になって、元男は両親に久しぶりに声をかけた。声を発するのも久しぶりだ。気づけば眠くなり、起きれば一年が過ぎている事もある身だ。常にどこかぼんやりとしていた意識がはっきりして来たのもここ三か月ほどだろうか。
「おにゃみゃえなぁに?」
コテリと首を傾げる。記憶はあってもまだ三歳だ。外見年齢から言えば更に幼く一歳ほどだ。頭が大きく手足が小さい。実際まだつかまり立ちがやっとで、地面の草を調べるのも見つけた木の実を拾うのも全て這っての移動をしている。
根っこの考え方は元の男と同様でも、それが直ぐに表に出て来るものではなく、また身体や心も発展途上だった。口など滅多に開かない。人型で外に出ているのも己だけでは会話もまずしない状態では、舌の動かし方もまだろくに覚えていない。
「俺はグラウクス」
「私はエライア」
二人を見上げて、ただ黙る。別に二人の名前を聞いたつもりは幼女には無かった。
もう一度問いかけるのは面倒でもう一度首を傾げる。それで両親には伝わったようだった。
「「君はリーニス」」
「リーニス」
求めていた答えを聞けてニコリと笑うと、両親もニコリと笑う。
「今日は陽ざしが温かい」
「沢山浴びて、眠りなさい」
「あい」
また一つ頭を撫でられ、父親に抱かれる。父親のひんやりとして温かい腕に抱かれて、勝手に身体から力が抜け、やがて眠りに落ちて身体は太陽の光にほどけるように淡く輝き、ようやく双葉を開こうとする小さな本体に吸い込まれて行った。
眠る中で、小さいながら大地へと伸びていく根が、情報を吸い取っていく。どうやってか解明したいという意識を端に、栄養と共に知識もゆっくりと流れ込み、この星の事を学んでいった。
とはいってもそれは彼女が求める程の詳しいものでは無く、空や大地がある事や、水が流れる事や、風が吹く事、自分たち以外に森に生き物がいて、時折森の外から別の生き物が入って来る事。
沢山の種類の生き物が地を走り、樹を駆け上がり、時に食べ、時に食べられ、多くの種類の樹が実を生し、落とし、条件が合えば次代が育つ。
この森の中では自分と同じような精霊人はこの湖の周辺にしかいない事。己の知れる範囲は、この湖からの力が強く及ぶ場所のみの知識だと言う事。
眠る度に徐々に徐々に己の産まれた森に関する知識が増えていく。
(全然足りんわ。それに知った事の検証もしたいが……中々起きていられんな……眠い)
それからまた幾数年経った頃、リーニスは己の本体を地面ごと掬い上げた。
身体を透けない用にする術を自ら編み出し覚えた。服も己の葉を利用し造り出し纏う事も出来た。
この世界に満ちる魔素を練って魔力を使い、異空間に収納する術を覚えた。
そこに己の本体を入れてみた。
(うん、動ける)
未だ外見は二歳ほどだろうか。それでも既に三十年はこの世界で生きていた。
それからは起きている間は森の中での行動範囲を広げ、この森で採れるものを粗方取り尽くし、成分を調べ、薬をつくり、この生で知った魔力と言う新しいものを織り交ぜて何が出来るか実験し、時に大地を抉るような暴発をさせつつ、この身体が火が苦手と知り耐性を得る為に試行錯誤し、過ごした。
最初は両親から種族的に自分たちは火を扱えないとさえ言われていたのだが、魔法で火を出せるようになっただけでも驚かれた。
とは言ってもまだまだ眠っている時間の方が長かったが。眠くなり一度眠ると季節一つ寝ている事もよくあった。
そうしてまた数十年。
「とうさま、かあさま。もりをでまちゅ」
一通りめぼしいものを試した後に、リーニスは森の外へと目を向けた。
ようやく外見が四歳程になった頃の事だった。この頃には数日眠れば一日は起きられるようになった。
両親は心配したけれど、リーニスの意思は固かった。
何より
(父様たちに実験の邪魔をされて困る)
という意識が強かった。
火が苦手なのは種族皆同じ。その中で火を扱って薬草を煎じたり、魔力で炎を使い物質を変換しようと試行錯誤したり、時に爆発を起こして枝葉に延焼させ水魔法で消化したりする娘の姿に、両親どころか周囲の普段は己の本体に引きこもり、他人に感心を示さない他の森精霊人たちもリーニスに構うようになっていた。
そしてリーニスが火を使い始めると、周囲に来て「止めた方が良い」「消した方がいい」「違う事で遊びなさい」と口々に言って来るのだ。普段は会話もまともにしない癖に、邪魔をして来る時だけはやたらと口数多く窘めて来るのだった。
葉が擦れ合うようなざわめきは酷く心地よく、まだ幼子のリーニスにとっては子守唄に聞こえる為にそれでウッカリ寝てしまい、起きれば火が消されている事もよくよくあった。
リーニスに構うようになったおかげ、という訳では無いが、交流の増えた森精霊人たちの間に子供が数人出来た。まだ芽吹いて居ない者も多いが。
通常なら百年に一度新しい命が増えれば多い方、という彼らにとってコレはあり得ないと言える程に珍しいことであった。
こうして度重なる実験の妨害にあった故に、リーニスは一つの考えに辿り着いた。
(引きこもろう。今度こそ好きなだけ実験できるように、誰にも邪魔されない場所で)
それを当面の自分の目標に据えた。
次に考えたのが引きこもるのに必要なものだ。
(土地、環境、資金、自給自足出来るのが良いな。いや、この身体は栄養のある大地と陽ざしと空気があればソコソコ生きられるのだから、自給自足は最低限でいいか? しかし味覚はあるしな。……それにこの生で足りるか分からんから、今度こそ不老長寿も目指すか。もっともこの身体は元から随分と長生きのようだから、落ち着いてからでも良いが。それから肉体の特性などの把握と、実験に耐えうる様々な耐性も手に入れたい)
この森に秘密基地も作ったが、この森の中では森精霊人たちから隠れる事は出来ないとつくづく思い知った。作った端から見つけ出されてしまう。リーニスが眠ればこの森の情報を手に入れられたように、大人たちも森の事は知れるのだ。見つかるのも仕方ないのだろう。
苦肉の策で森の端の方の彼らがあまり近寄りたがらない場所に作っても、彼らの声を聴く精霊や妖精、森の生き物たちに邪魔をされた。
幼子のリーニスよりも大人の森精霊人たちの言う事を優先させる彼らに、邪魔をしないでというリーニスの願いは叶えられる事は無かった。
故に、リーニスは耐えきれなくなって、森を出る事を言いだした。
「其方はまだ幼い」
「もう少し、あと数百年育ってからでも良いでは無いか」
「ただでさえ君は成長が遅いようなのだから」
「そんなに大きな力を持ったまま外に出ては直ぐに生きられなくなるよ」
そういう大人たちをジトリと見上げてリーニスは言う。
中々育たない己の身体はどうやら宿る力の為らしい。本来森精霊人でも五十年から百年ほどで前世の一般的な人種の成人と同じ十五歳程度の身体に成長するのだが、抱える力が大きいとそちらの制御に成長の為の力が割かれて器が育つのが遅れるらしい。リーニスはまさにそうだったようで、こんな幼子の姿なのに既に大人たちの中で最長老と呼ばれる青年の半分ほどの力を有していた。
「ではみょりで火をちゅかうきょかを」
「充分、許可している」
「ちゃりません」
「あれでも随分許容している」
「はにゃちになりましぇん。ではみょりを出ましゅ」
という会話を季節が一巡するほど毎日繰り返し、ようやく絡む根っこを外して貰えた。
いくら本体をしまったと思っても、どうやら森を出るまでは彼らの領域内のようで、見えない根っこに身体を縛られて出られなかったのだ。
こうしてようやくリーニスは引きこもる為の第一歩を踏み出した。その最後の最後まで、細い根っこが引き留めようと、引き返さないかと誘って来る声を振り切って。
ありがとうございました。