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優駿  作者: 尾和次郎
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大越凛太朗【hopeful③】

 厩舎を覗くと作業を終えたちせはレラの馬房で遊んでいた。

「お嬢様、もう帰ったぞ」

 そう告げるとどうやら承知していたらしい。

「こっちにも顔を出してくれたので」

 ボコボコに凹まされたメンタルでは見送りも出来なかったのだが、性悪女は律儀に挨拶してから帰ったらしい。

「レラを撫でていってくれたんですよ。お砂糖もくれたもんね、良かったね」

 ちせは呑気にレラへ話しかけているが、俺からすれば冷や汗ものだ。まさか唾を付けに来た訳ではあるまいが、先程の話を聞いた直後では疑心暗鬼になるのが人情というヤツだ。

「悪かったな」

「何ですか、急に」

「東スポ杯の時の失速のこと。最低限ちゃんと説明くらいしろって、どえらい説教されてさ。まあ、その通りだなって、反省した」

 突然の展開に戸惑いを隠せていなかったが、予想できない展開では無かったらしく、ちせは自然な風に、小さく頷いた。どうやら謝罪を受け入れるという事らしい。

「ちょっと話飛ぶけど、全部説明するから……まあ、聞いてくれ」

 手近な場所にあった丸椅子を引き寄せると、決して面白くはない話が長引きそうな事を察したらしいレラは奥に引っ込んだ。

「背中」

「背中?」

「そう。馬の背中って、分厚くて堅いだろ。草食動物だから消化器系の内臓がとんでもない重さで、背骨が堅くないと耐えられないから、らしいんだけど、知ってた?」

「まあ、それ位の事なら知ってますけど」

「そうか。てっきり人が乗る為に堅くなったとか思ってるんじゃないかと」

「そんな事言うのは騎手の人くらいですよ」

 ちせは呆れた風だったが、図星を突かれた俺は苦笑する。

 馬の背中が堅いのは人を乗せる為――少なくとも俺は、エトの事が起こるまで、漠然とそんな風に都合よく理解していたのだろう。

「俺は、エトを看取った獣医に教えて貰った」

「獣医さんが?」

「あの後、解剖したのは知ってるだろ?」

「……ええ。普通の転倒じゃなかったから再発防止の為にって。おじいちゃんも承知しましたし、私も納得してます」

「俺は病院で意識無かったから、後から聞いた話なんだけどな。直接の理由は左手根骨粉砕骨折、だけどそれより異常なのは背中だったって……で、さっき馬の背中の話をしたけど、肉食動物の背中がどんなのか、解るか?」

「肉食動物って言うと、熊とか、ライオンとか?」

「まあ、熊でも間違いじゃないんだが、イメージし易いように四足歩行のライオンにしとけ。で、そいつ等の背骨は馬みたいに分厚くない、全力で運動する時にはバネみたいに、しなやかに動かせるらしい。馬みたいに重い内臓を支える必要が無いからその分自由がきくそうだ」

「そうすると、早く走れるって事なんですか?」

 どうやら大体の事は察してくれたらしい、頷いてから続ける。

「極端な事を言えばエトの背中は馬よりもそっちに近かった。だから速かった……ただ、脚は普通の馬だった」

 サラブレッドという種はそれ自体が人の都合で改良されたものだ。ブラッドスポーツと言えば聞こえは良いが、やっている事は遺伝情報の先鋭化であり人の求める品種を作り上げているに過ぎない。言ってしまえば、自己保存を目的とする生命にとっては欠落と見なすべき特性。それこそがエトやレラの速さの根源だ。

「レラには自分が壊れない程度に抑えて走るやり方を教えてある、エトみたいな事にはさせない。でも、身体がそういう風に出来ているから、自然に走ろうとしたら危ない時もある。

 東スポ杯の時はそれが出そうになった。止めさせようとして、呼吸が乱れた。だから、ああなった」

 語り終えてからちせに視線を向けると、あからさまではないが、雰囲気からして疑念は残っているようだった。しかしそれで当然なのだ。馬主や生産者と厩舎サイドの視点が完全に一致する事など本来であれば有り得ない。

「そういう事なら、解りました。ありがとうございます」

 本当は納得していない癖に、ちせは言う。

「納得してくれたならそれで良い。あのお嬢様に相当言われて、焦ったよ」

「有紀さんは、何て?」

「ちゃんと説明しないのならお前を説得してでも転厩させる、とさ。当然そうなりゃ俺も乗り換わりだ」

 笑い飛ばして言ってみせると、どうやら本当にそういう話を聞かされているのだろう、ちせは具合悪そうに視線を逸らす。

「決めるのはお前だから、俺にはどうしようもないけど――」

 言葉を止めて、ちせがこちらを向くのを待つ。一つ、二つ、数えるほどの間を開けてから、こちらに向いた、その瞳をまっすぐに捉えて続ける。

「ターフの上でレラを守れるのは、他のどの騎手でも無い、俺だけだ。エトを殺した俺だからこそやれる事がある、それだけはハッキリ言える」

 言い終えると、ちせは辛そうに頷いた。瞬間俺は安堵して、けれどもすぐに自己嫌悪で唇を噛んでいた。そうしていると引っ込んでいたレラがちせの横に顔を出してきて、ちせの表情が暗い事に気付いたようだった。

『おい、ちせに何かしたのか』

「シビアな話になって悪かったな、俺はこれで帰るよ」

 いつもと変わらない調子のレラを正面から見る事が出来ず、逃げるようにその場を離れた。







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