飛べない天使
手直しは加えましたが、昔のものなのでお目汚しすみません。なんでも読める方のみの閲覧をお勧めします。
彼女はどこかぬけた人間だった。
人よりワンテンポ遅れているというか、観点が違うというか、とにかく他とは少し違う人間だった。
人間の中でこれだけマイペースな人間は珍しい。
この「日本」と言う国では特にそう思う。
「日本人」はいつでも時間に追われている、仕事仕事のまじめな人間、と言うのが俺たちのイメージだ。
その「日本」に俺は堕とされた。
天界のじじぃどもめ、つまんない紙切れを景気よくばら撒いてやっただけなのに、「天使にあるまじき」と罵倒され階級降格、人間界修練生に逆戻り、ときたもんだ。
試練さえなきゃ人間界もそこそこ楽しめる。だが今は制約が多すぎて一生暮らすには多少面倒だ。それに人間なんてもんはろくなもんじゃねぇ。
「人間の清廉な魂をもって百人の悪辣な魂を浄化し天界へ葬送すること」
つまり地獄に送られるような悪人の魂を清廉潔白な人間の協力を持って浄化して天界に送れということだが…。
その試練のみを与えられ、地上に堕とされた俺はあきらかにやる気が失せていた。魂の清廉なやつなんてそうそういない。人間なんて上っ面ばかりていのいい偽善者だ。少しばかり優しかろうと「清廉」という域までは到底届かない。
「清廉者探し」が飽きてきた頃、あいつと出会った。
妙な出会いだった。
人間だらけの景色に飽きて俺は静かな森の中を当てもなく歩いていた。すると唄が聴こえてくる。だが声の方向にいくら歩いても声の元にはたどり着かなかった。
しばらく探したが見つからず、「声」は途切れた。俺は泉に歩きついていた。小さな泉で、真ん中に高さ1メートルくらいの球体が浮いていた。
俺は少し驚いた。天界ならまだしも人間界でこんな光景が見られるとは思わなかった。
不思議な現象だ。天界への入り口である天界門があるわけでもないのに。この森に、いや泉に? なにかチカラがあるのだろうか。
俺は水面の上空30センチくらいを飛んで球体に近づいてみた。色も質感もガラスのような直径30センチくらいの球体。
俺はさらに驚いた。このあたりの空気、この空気は天界の空気「聖気」に近い。この不思議な泉と人がいない森だからこそ、か。
俺は泉のほとりに移動し腰を下ろして羽を休めた。水面を眺めながらふぅ、とため息をついた時。背後から突然「声」が聞こえた。
「あ、あの……。天使様?」
なんとも間の抜けた質問。だが、俺は不意をつかれたのでかなり驚いた。目の前の泉の中に落ちてしまった。我ながら情けない。
だが、「人間」の気配がなかった。と言うか「人間」独特の「気」を感じなかった。さらにいうと今の「声」さえ「人間」のものとは思えなかった。森の声のようであり、小鳥や、動物のようであった。だが、この「声」どこかで聞いたような……。
俺は「彼女」の方に向き直ってまじまじと眺める。
長く美しい髪に整った顔立ち。そして、淡いブルーの瞳。
こんな色は珍しい。だが俺はこの色を知っている……?
こんなことが、昔にもあった気がする。
それよりも。
「な、なんだ、お前……?」
「ご、ごめんなさい。あっ、大変っ! びしょぬれですよ! 早く乾かしましょう」
オロオロしていた彼女が俺の質問に答えずにいきなり俺の手を引っ張って走り始める。わけがわからなかったがなにもいわずこの子の正体が解るかもと思い何も言わず走った。
少し走るとまた不思議な雰囲気の家が建っている。幻覚のような夢の中のような不思議な感覚。でも確かに存在している。まるで天使のようだな。
「天使様! こっちで服を―」
彼女の言葉が途切れる。俺が羽を開いたからだろう。振り向きざまに俺に話しかけたので見た瞬間に言葉を失った、ということだろう。
自慢じゃないが俺たち天使の羽は美しい。それでも天界で見るのと比べると雲泥の差だが人間を魅了するくらいは綺麗だ。
だが、彼女の口から出た次の言葉は俺の予想に反した。
「大変っ! 羽もぬれてますよ! こっちで温まっていて下さい!」
彼女の近くの暖炉を指差し口早にそういって彼女はぱたぱたと走っていった。俺はあっけにとられた。
「天使という事実はどうでもいいのか」思わず一人ごちて暖炉のそばに座った。
俺は温まりながら「彼女」のことを考えた。
「天使様! 天使様! 」
ぼやけた視界に少し驚いたような「彼女」が写る。いつのまにか眠っていたようだ。
「天使様って眠るんですね〜。風邪引いちゃいますよ。羽は拭いておきましたのでもう乾いたとは思いますけど。あちらにベッドを用意したので使ってください」
「! 普通に睡眠はとる。が、もういい。それより、羽に触ったのか!」
少し強く言ったつもりだったが、彼女はあっけらかんと答えた。
「はい。天使様が眠っているみたいだったのでそ〜っと拭きました。風邪を引くといけないですし。やっぱり乾いてるほうが綺麗ですね」
満面の笑顔でそう言った。
「ああ……、悪かったな。で、あんた、何者だ」
俺は心底それが知りたかった。
俺たち天使の羽は汚れのない「純聖」なので「人間」に触られると普通の「人間」の少なからず持つ「瘴気」に反応する。羽が反応して起きないなんてことはありえない。なのに俺は起きなかった……? 羽も、なんともない。
「私はマリアと言います。天使様のお名前は何て言うんですか?」
「ミエルだ。って名前なんかどうでもいい! 俺はお前が何者かと聞いている!」
マリア? 小さな疑問が浮かんですぐに消えた。
彼女は少しうつむいてしまった。
しまった、言い過ぎたか。言い直そうと、おい、と声をかけた瞬間彼女はパッと顔を上げて少し困ったような笑顔を向ける。
「何者なんでしょう、ね」
その寂しそうな笑顔になにか声をかけようかと思ったが、またその瞬間俺の言葉は遮られた。彼女はパッと満面の笑顔に戻って
「それより天使様! お腹すいてませんか? お昼ごはん作ったんです! こっちどうぞ!」
天使は人間界の食べ物は食えない。何者の命をも採ることは許されない禁忌だからだ。だが俺はその笑顔に引かれ食卓についてしまった。
「俺は食えんぞ」
おとなしく食卓についたものの、テーブルの上の料理を見て言った。悪いとは思ったが食えないもんは食えない。
「あっ! そうですよね。天使様ですもんね。ごめんなさい、うっかりしてました」
なるほど、というふうに手をポンっとやって彼女はまた笑う。思わずつられる笑顔だ。悪いな、と呟いて席を立つ。
「天使様?」
彼女が不思議そうに声をかける。急に席を立ったからだろう。
「窓を開けるだけだ。俺たちにとっての「食事」は日の光だからな。この森は空気も澄んでいるし、光も多い。いい環境だな」
「はい! 私も大好きです」
そういってまた笑う。
本当にいい笑顔だ。人間の中でこんな風に笑える娘がどれほどいるだろう。
俺はふと気になり、いつから住んでるんだ、と聞いた。すると意外な反応が返ってくる。
「わからないんです。覚えてる限りすごく小さいころからここいることしか知りません」そして、でもいいんです、と続けた。
「私はここが大好きですから。「外」に行ってみたいとも思わないし、友達もいるから寂しくもないです」
「友達?」
他に人間はいないはずだ。
「はい、鳥や、動物たちは大切な友達です。森や、泉も」
俺は思わず微笑ってしまった。少し一緒にいただけなのに「彼女らしい」と思ってしまったことが自分で不思議だった。
「泉といえば中央に浮かんでいる球体はなんなんだ? 」
俺はいきなり話を変えて彼女のことのほかに気になっていたことを聞いた。
「あれは……ウンディーネが眠っているんです」
「ウンディーネ、水の精か。そんなもんがいるんなら合点がいくな」
泉の周りの「聖気」、彼女の「天使」に対する知識、反応、態度も。普通「精霊」が人間界にいることは珍しいがここなら納得できる。他にもなにかいそうだな。
「あ、はい。ウンディーネは普通泉の中にいるんですけど、眠っていても天使様が来たのがわかったんだと思います」
自然の精霊は天使の配下のようなものだ。俺の「聖気」に反応して浮いてきた、か。面白い現象もあるもんだ。
「謎」は一つ解けたが以前「彼女」のことについてはわからないことだらけだ。
「過去を知りたいか」
俺はまた不躾に聞いた。
「過去?」
「お前が何者で、いつから、なぜここにいるのか。ウンディーネに聞けばわかるだろう。お前は言葉がわかるまい。お前が望むなら通訳してやる」
精霊は長寿だ。それにこいつがここに住めているならウンディーネは少なからず彼女を気に入っている。素性も知っているだろう。
「私は、過去に興味はありません。ウンディーネの言葉は少しわかります。わからないこともあるけど一緒にすごすのにはなんの不自由もないし。それに、森や、動物たちも言葉はわからないけど意思の疎通はできます」
きっぱりと言われたが、俺は珍しく食い下がった。
「自分に興味がないのか」
「私は「今」が大事ですから。「今」を作った「過去」も大事なことですけど過ぎ去ったことを知ってもなにもかわりません。天使様は私の過去が気になりますか? 」
彼女の瞳はまっすぐで真剣だった。だから俺も真剣に答えた。
「ああ、過去というよりはマリア、お前に興味がある。それにここら辺に関しても疑問が多い。だが、お前が嫌ならいいさ」
「あ、いえ。嫌なわけじゃないです。私もここら辺のことは不思議ですし気になるなら聞きに行きましょうか」
ニコニコ笑って言うので俺は面食らった。断固拒否と言う感じだったので過去に触れるのが嫌なのかと思ったんだが。まぁそういうならいいんだろう。俺たちは泉に向かって歩き出した。
球が消えていたので起きていたらしい。マリアを抱えて泉の中央に寄ると水の精霊はその姿を現わした。
「ウンディーネ」
「ミエル様。ようこそいらっしゃいました。なにか疑問がおありのようですね」
透き通る水の肌に全てを見透かすような瞳。額には金冠。落ち着いた雰囲気で見た目は人間で言うと「美女」に入るだろう。
「さすが、わかるか。水鏡でここらの過去が見たい」
「過去、ですか。いいのですか? それほどこのあたりのことが不思議ですか。この娘のことも」
ウンディーネは美しい眼を曇らせてマリアに眼を向ける。そして俺に向き直って珍しいことですね、と漏らして薄く微笑する。
俺はこの呟きを聞き逃さなかったので複雑な心境だった。
珍しい、か。確かに他人の過去が気になるなんて今までから考えると珍しい。しかもたかだか寿命百年の人間の過去に興味を持つことなんかなかったことだ。
ま、たまにはこんな感情も悪くない。
「ウンディーネ、珍しいことだと俺も思うよ。だが、気になることがある。それとも水鏡は寝起きじゃ難しいか」
「フフ。そんなことはございません。もっとも貴方様の予想とあまり変わらないと思いますけれど」
ウンディーネは俺の「予想」まで視えているらしい。まったく恐ろしいな。
そう。まったくわからない彼女の正体。でも手がかりは確かにある。
彼女は「ウンディーネの言葉は少しわかる」と言った。でも純粋な人間が精霊の言葉がわかるなんてありえないんだ。
精霊や天使の言葉は勉強して覚えられるとか、話しているとわかるようになるなんてことはない。
でも彼女は話していた言葉こそ人間の言葉だったが、俺の言葉を完璧に理解しているし、ウンディーネの言葉も少しわかると言う。
それに森の中で俺が聞いた「唄」はマリアの「声」だった。
あの「唄」は天界にある古い唄であのときの「唄」は天使の言葉だった。
つまりあまり考えたくなかったが、マリアは天界に関係のある、突き詰めて言えば天使の血が入っている可能性がある。
それならいろいろと納得できることもある。
「俺の「予想」がわかるか」
「聡明な貴方様ですから何の考えも無いまま私のところには来ないはず。そして貴方様の考えですから多少違っていても根本的な間違いはないでしょう。それについて貴方様がどう思われているかは私の考えの及ばぬところではございますが」
あからさまに後半のセリフでマリアの表情が変わった。
「天使様。私をほとりに下ろしていただけませんか? 」
さっきから抱えっぱなしで俺たちの会話を聞いていたマリアがやはりあまり聞きたくありません、と小さいながらもはっきりと言った。
俺はそうか、と一言いい、ウンディーネを一瞥してから彼女がうなずいたのを見てほとりへ運んだ。
「悪いな。やはり興味もあるが、それ以上に俺にも関係があるらしいから聞かないわけにはいかなくなってな」
「大丈夫です。自分がちょっと聞きたくなくなっただけですから」
そう言ってまた笑った。
彼女を横目に俺は戻った。
「さて、ウンディーネ、単刀直入に聞くがマリアは天使、か? なぜここにいる。両親はいないのか」
早口にまくし立てる俺に彼女はゆっくりと答える。
「これはまたストレートですね。結論から言うと彼女は天使ではありません」
「だが―」
考えと違ったことを言われ思わず口を挟もうとした俺を彼女が眼で制す。
「落ち着いて聞いてください。天使ではありません、が天使の血は入っています。天使の定義は羽を持つことが第一です。つまり彼女は天使ではない。半天使です。」
「半天使」
これまた考えもしなかったことを言われ俺は半ば呆然と言葉を繰り返した。
そして同時にある考えが頭をよぎる。
その考えをすぐさま振り払い、話の続きを促す。
「そうです。そして両親のどちらか、天使の方は天界に戻っているか、堕天して寿を全うしたかでしょう。堕天すると寿は極端に短くなりますから。人間のほうもこの世にはいないでしょう」
ウンディーネはすこし辛そうだった。やはり彼女を気に入っているようだ。
「見たことは無いのか」
「ないですね。彼女は半天使ですから普通の人間とは少し違う。でも普通の天使ではない。
彼女は空から降ってきたんです。もちろん羽はありません。この泉に堕ちなければ半天使といえども死んでいたでしょう」
「この泉は―」
言いかけてウンディーネが続けた。
「あの家も、この泉も彼女の両親が作った、と考えるのが自然ですね。どちらかは水天使だったのでしょう。水を操る水天使ならば泉を作るなど簡単なことです。聖水だからこそ水の精霊も住めるのですし」
ウンディーネは複雑そうな顔をして俺を視ていた。
俺は言わずにはいられなかった。
「ずっと見守ってくれてたんだな」
「あの子は、一人ではありません。森には小動物や、鳥なんかもたくさんいますから。優しいあの子はすぐに皆と仲良くなりました。でも心はいつも独りだったと思いますよ。いつも明るい笑顔を絶やさないあの子は時々ここへきて独りで泣いています。私が出て行くと途端に笑顔になりますから、あの子はいつも独りで泣きます」
言葉がなかった。
俺はマリアの笑顔しか見ていない。
俺も他人、か。
「マリア」
ウンディーネを返して俺はほとりで小鳥と戯れていたマリアを呼んだ。
視線を俺に向けてマリアはまた笑う。
笑って手を振る。
「早かったですね。でももう薄暗くなっちゃいました。お腹すきませんか?」
「必要最低限だけを聞いたからな。腹減ったのか。俺は食わんが、家に戻るか?」
俺の言葉にマリアは、あっと声を上げてごめんなさい、と言って笑った。
「マリア」
俺は彼女を呼ぶ。
マリアは「はい」と答えて笑う。
この瞬間がたまらなく好きになっていた。
だがその空気を壊すのは自分だ。また俺は不躾に、マリア、と呼び止めて口調重く聞いた。
「親に会いたいか」
マリアがきょとんとした顔をする。そして少し考えて言う。
「会いたいです」
聞いた瞬間言葉が出る
「! ならもし―」
だが彼女の言葉も続いていた。
「でも、会いたくない。どっちでもいいです。私は何も変わらないですから!」
彼女の言葉を聞いて心底「マリアらしい」と思った。
そしてまた少し微笑う。
それを見たマリアが俺に飛びついてまた可愛い笑顔を見せる。
「天使様! 微笑うとさらに綺麗ですね! もっと笑いましょう! 昔、誰だったかは忘れちゃいましたけど綺麗な女の人が「笑うと幸せになれる」って言ってくれたんです」
それは彼女(**)の口癖。
古い思い出。
「ミエル! もっと笑おうよ! 幸せだから笑う、なら笑うと幸せになると思わない?」
「―様! 天使様! どうしたんですか? 」
マリアの不安そうな声で俺は現実に戻った。
「あ、ああ。悪い。ちょっと昔がフラッシュバックしただけだ」
マリアはそうですか、と呟いてそしてにこっと笑った。
「天使様。私、両親に会いたいとも会いたくないとも思いませんけど、すごく感謝はしてますよ。生んでくれたことと、この環境に置いてくれたこと。私今すっごく幸せですから! 」
この笑顔が俺の幸せ、かな。
俺は彼女の後ろで『試練の紙』を破り、一番大きな木の根元に埋めた。
「天使様〜何食べたいですか? あっ、また。ごめんなさい」
「もういいんだ。なんでもいい。マリアの好きなものを食べよう」
マリアは不思議な顔をしたが、俺がもう一回「もういいんだ」と言うと「そうですか」とだけ言ってまた笑った。
最後まで読んでくださった方、ありがとうございました。批評など下さると嬉しいです。