序章 出会いのものがたり
ーその日は、100年に一度あるかないかの猛暑、のはずだったー
人の波がこっちにくる。我先にと他人を押し倒しながら。ものすごい勢いだ。
自分が助かるために、他人を…明確な意志をもったそれは、津波よりもはるかに恐ろしい、黒い壁となって押し寄せてきた。
それを避けるように脇道にそれて観察する。いつも穏やかに笑っていた駄菓子屋のおばあちゃんも、優しくみんなを包みこんでくれていた学校の先生も。みんながみんな、見たこともない必死の形相で走って行く。
耳を塞ぎたくなるほどの悲鳴や、大の大人がむせび泣く姿はあまりにも、心にくる……
なぜ? 何で? そんな疑問ばかりが頭をしめていく。
夏の暑い日差しは、分厚い黒い霧のようなものに遮られていく。
寒い。暗い。怖い…………
あたりは完全な暗闇におおわれ、人の波は完全に途切れてしまった。
悲鳴もなにも聞こえない、ただただ静かな空間。風もとぎれ、街を囲う森の木々も、不気味にたたずんでいるだけだ。
つくつくぼうしは何と鳴いていたっけ?
この世界にたった一人だけになった感覚……そう思うと、不思議と怖くはない。
「こんな世界、壊れたほうがよかったんだ」
目をつむると、さっきの光景が浮かぶ。
人は、結局自分さえよければいいんだ。
人は、自分のためなら平気で他人を傷つけることができる。
さらに人の悪意は、小さく弱い者にばかり向かっていく……
こんな世界……見捨てられて当然なんだ……
そう自分の中で結論づけて、自らの終わりを覚悟する。やがてぶわっという熱気とともに、黒い霧が優しく私を包む、その瞬間。
強く、それでいて痛くない白い光が、黒い霧を消し去った。
「……?? あなた、は??」
数時間前、世界中に突如降ってきた謎の黒い霧。それは地面に落ちると、無制限に膨張し、そして…人類の殺戮をはじめた。
その霧は10秒で人の思考を停止させ、15秒以内に意識を奪い、20秒以内に命を刈りとる。
人類の天敵。
誰にも、それを止めることはできない。
腐りきった人間の世界はリセットされる、はずなのに。
「わたしは新、多々良新。とにかく、私の後ろにいて!」
言われるままに少女の後ろに下がる。
新、と名乗った少女が黒い霧に手をかざすと、辺り一帯のそれが少女のもとへと集まっていく。その手を握ると白い光が黒い霧を一瞬にして消しさった。
「あなたは絶対に助ける。大好きな、この街も」
そう言って笑った美しい少女は、息を切らしながらも、黒い霧の中へと飛び込んでいってしまう。
その背中をただただ見送りながら……
「こんな世界、守る価値なんて、ない……よね?」
問いかけるようにつぶやいたその言葉は、わずかに刺した太陽の光に、とかされて消えていく。
ー終わるはずの世界と、終わるはずだった私ー
二つの世界が交錯し、東雲楓のものがたりは、動き出した。