第一話
風とは、出会いを運び、憂いを連れ去るものである。
それは遠い世界の物語。
時代はいつから始まったのか?この世界はどうして始まったのか?捲る歴史は色褪せ、頁は灼けて文字は霞む。
古びた本とセピア色の世界。乾いた紙の音、錆びれた匂い。静かに消える蝋燭の灯。
目を閉じて、感じて、そこに答えはなく、それを知るにはきっと、本の中の世界ではなく
―目を開かなければならないというのを、君はもう知ってる筈だろう?―
長閑な自然を象徴するような小鳥と木々の囀り。揺れる葉は音と風を運び、1人の旅人も連れてきた。
男はこの地には疎く、近くの村の伝承に伝わる古びた神殿へと足を運ぶのであった。
村は既に遠く小さく未開の獣道を行く。
パキパキと枯れた小枝を踏みしめて、足元を這う虫を跨ぎ、靴を泥まみれにしながら歩いていく…。
そして男はついに其処へとやってきた。
「ふぅ…やっと着いた…」
男は小さくため息をつき、顔を上げた。
耳元を風が通り抜け、男の赤みがかかった髪を擽る。
そしてやってきた場所、それは、苔むす程古く、地元の人もめったに訪れないような場所。
至るところが木の根に侵食された古びた神殿だった。
神殿というにはいささか面影がなく遺跡というほうが正しかったそれは、風の神殿と呼ばれていた。
男はこの神殿に用事があった。地元の人間すら近寄らないだけあり、その荒れ放題にして異様な雰囲気を醸し出してた神殿の入口は風化により壊れ大きく口を開けたままだった。
不意に、神殿の奥から風が吹いてくるのを感じる。
神殿の中へ吹き込む風は時間を置くと神殿の入り口へと吐出される…まるで呼吸でもするかのようだった。
男は意を決して神殿へと足を踏み入れる。
亀裂の入った壁、掠れた古代文字、崩れてしまった石碑を横目に見ながら進んでいく、そしてあることに気が付ついた。それは自分より先へ入ったまだ新しい足跡。
帰った痕跡は見られない。
男は考える、此処に金目のものは無いと踏んではいるが、もしかしたら盗賊やらそれに準ずる人間、もしくは自分のような目的の人間、そう感じると目を細め、肩から下げたマントを寄せ、口元を覆い足跡をなるべく立てないように気配を殺して歩を進めた。
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「ふん…こんなものか…それにしても本当に何もないんだなここは…」
神殿の最深部、一人の少女が灰色と茶色が混ざったような砂のようなサンディブロンドの耳と尻尾。そして身軽な軽装と腰に添えられた二本のダガーナイフ、フードの付いたマントは風に揺れる。神殿と聞いて彼女は財布の足しになればとやってきたのだがそこには何もなかった。
彼女の気持ちに同調するように髪の色同じ色をした耳は残念そうに倒れている。
「後、調べていないのは此処だけだな」
少女は最後の希望をもってドーム状の部屋の中心に鎮座する、日差しを浴びている石碑に足を運んだ。
そしてその石碑にそっと触れる。文字は灼けて所々読めない物だったが…。
「何だ…?随分と古いものだな…?まあいい、これが"読めれば"研究者なんかに幾らかで売れるだろう」
そういって彼女はその文字を〝読んだ〟
「 風の調べ…? 欠片…? 意志を閉じこめ… さすれば 与えられん…? ッチ、これ以上は読めないな…、いや…もう少し…」
石碑に刻まれた文字が霞みうまく読めなかった。すると不意に吹いた風が”匂い”を運んできた。それは人間の匂い… 彼女は耳と尻尾を猫の様にビンッと立てマントを翻しながら振り向き、ダガーに手を添えた。
「誰だッ!?」
声が木霊する。
するとゆっくりと一つしかない入り口に影が蠢く。
そこにいたのはマントを羽織り、口元まで覆った、いかにも旅人といったような風貌の男であった。
その腰には剣が添えられていた。
「獣人のシーフ…?」
男は驚いたといわないばかりに目を見開いた。獣人が珍しいというわけではない。ただ気配は消していても匂いで勘付かれたというのが自分の不甲斐なさであった。
男は考える。相手は見るからに盗賊やトレジャーハンターのたぐいの人間で、加えて獣人、真っ向から対立するのにはいささか分が悪い。いやだいぶ悪い。
「どうした?剣は抜かないのか?」
挑発するように彼女は述べるが男は動じない、挑発だ。いまだに剣の柄に手すらかけない
「俺に戦闘の意志は無い。俺がほしいのは財宝じゃない…そう、その石碑の情報なんだ」
男はゆっくりと指す、それは少女の今いる後ろにある石碑であった。そして少女は分が悪そうに顔をしかめては吐き捨てるように述べた。
「同業者ならわかるだろ?残念だがそれはできない相談でね。私がつかんだのはこの石碑の言葉だ。これを売って金にするつもりだからなッ…!だからあんたにはお引き取り願う!」
そう述べると彼女は腰を落として勢い良く地面を蹴った。ダガーを逆手に持ち、飛んだ勢いで一気に男に斬りかかる。
「この短時間で掴んだというのか!? ンなっ…!」
相手の言葉に驚くも束の間、相手の行動に合わせて剣を引き抜いてはその一撃を受け止めて受け流す。ガチンッと重圧感のある音が鳴り響き、埃が舞う。しかし少女は止まらない下段から切り上げを男は上段から抑える様に振りかざす、しかし少女はその振り下ろされた剣ダガーの刃で受け止めると手首を返して受け流し首にめがけて刃を振るう。
「-っ!!」
男は首を動かしてその刃が顎の下を通り抜けるの感じ冷や汗を流した。続く剣撃を後退しながら避けると男は広いほうへと飛び退いた。
「やるじゃないか…!けどっ!」
少女は何処か楽しそうに唇を歪めた。彼女の背から強い風が吹いた瞬間。続く言葉を述べる前に彼女は腰の鞄から複数のナイフを投げつける。数本のナイフは風に乗りながら男へと一直線に飛んで行った。
男は避ける所か微動たりせず、飛び交うナイフを、己の剣で叩き落とす。
弾かれ宙を舞うナイフを男は見定める。そしてそのナイフを蹴り返した。 ヒュンッ!と風を切る音が少女の頬をすり抜け、崩れた壁にナイフが突き刺さる。
少女の頬を薄く切りつけた刃、少女の頬に赤い一筋の線が浮かび上がるとやがてそこから血が滲み始めた。少女はその血を袖で乱暴に拭った。
「…やるじゃないか。ちょっと驚いた」
「どうも、所で話し合いで解決ってわけには?」
「冗談。私は同業者には厳しいんだ。」
そういって少女はダガーを持ち直すと低く姿勢を構える。身を潰し獣が獲物の隙を狙い定めるような姿勢だ。一本は普通のダガーナイフだがもう一つは業物だ。今更ながらにそれに気が付く。それは彼女のシーフとしての実力を裏付けるものと言っても過言ではない。
「今すぐ帰ってくれるなら終わってもいいんだけど」
「悪いがそういうわけにはいかなくてね…」
不敵に笑みを浮かべながら少女は足に力を込める。
「じゃあ…」
「交渉決裂だな!」
二人が地面を踏み一気に距離を詰める。おそらくこの一撃で勝敗が決まる―――。そんな時だった
突然神殿が大きく揺れる。
「「なっ…!」」
二人の声が被り思わず意志が反れる。それと同時にバラバラと崩れてくる天井。咄嗟に二人は出口へと向かおうとするが
「扉が…!」
「しまっている…!?」
二人は崩壊するドーム状の部屋の中へと閉じ込められてしまったのだった。そんな彼らに容赦なくがれきの雨は降りかかるのであった。
あとがき