Page.6 思い出のパン屋さん
ちょっと一息休憩回。
「おーい、ヴィオラちゃん! 久しぶりだねえ!」
約二年ぶりの帰郷ともなれば、街を歩くだけでこうして知り合いに呼び留められる。私のことを覚えていてくれたのはとてもありがたいことなんだけど、ちょこっとだけ小恥ずかしいなあ。
「お久しぶり、ターニャさん! パン屋は繁盛してるー?」
この人、パン屋さんを営んでいるターニャさんもそんな知り合いの一人だ。年齢は……聞いたことないけれど多分三十歳手前くらい。こうやって店前で私を呼び留めては色んなことをお話してくれる近所のお姉さんって認識を勝手にさせてもらってる。それくらい快活な性格の持ち主だ。
「やーぼちぼちだねぇ。今日は一人でお散歩?」
「まぁ、そんなとこかな。帰ってきたは良いけどヒマでねー」
実は今日は珍しくシオンちゃんと一緒じゃない。というのもロベリアにシオンちゃんを取られたから。シオンちゃんの凄惨な境遇を聞いたロベリアは彼女のことを甚く気に入り、連日のようにこの街を連れまわしている。シオンちゃんもとりわけて嫌じゃないみたいだし、色々な物を自分の目で見て回ることは良いことだから止めはしないけど……。今までずっと何処へ行くにも一緒だったから、隣に誰もいないのは少し寂しいな。
私はと言うと、魔法による武道大会、「フェスタ」が始まるまで特にやることもないからこうして毎日ぶらぶらと街を回ってる。要するに暇人だ。ブロードくんとの間に妙な気まずさがあるからロベリア達について行き辛いってのもあるんだけどね。たまには安全な場所で気を抜きながら一人でゆっくり過ごすのも悪くはないし、気が楽だからこの状況を楽しんでいないと言えばそれは嘘だけどね。
「そうだ、ヴィオラちゃん『フェスタ』に出場するんだって?」
「あ、うん。成り行きでねー。って何で知ってるの?」
「メイド先生がビラを配ってたのさ。もうこの区域で知らない人はいないんじゃないかな」
メイド先生とはセラ先生のことだ。授業中だけでなく私服としてもあのメイド服を着用しているため、街の人からしたらちょっとした名物になってる。言動も目立つしね。悪い意味で。
「まーた余計なことしてるんだね……あの人」
「はは、とか言っても頑固な人よりは茶目っ気があるから好きなんだろ?」
「んー、そうだけどさー」
学園の教師はまさに十人十色、強烈な個性の人が多い。その中でもセラ先生は特に癖が強いけれど、熱血や堅物じゃないから話しやすかった。どちらかと言うと友達に近いというか、振る舞いが教育を受ける側というか……。いや、これ以上は名誉に関わるからやめとこ。
「何でも母親探しに繋がる大一番なんだろ? 頑張りなよ?」
「頑張るよ。ようやくたどり着いたからね。全力で戦ってくる」
「気合十分って訳か。あたしも当日は応援行くよ。可愛く戦うヴィオラちゃんがタダで見れるんだからねー」
「えー、なんだか恥ずかしいなぁ」
確かに国を挙げてのお祭りだから多くの人が集まるけど、応援してもらうとなるとちょっぴり照れる。どうせ当日はそんな事すらも忘れるくらいに目の前の一戦に集中するからいらぬ心配なんだけどね。
……そっかぁ、応援してくれるのかぁ。
「パン、買ってく?」
「うん。丁度お腹すいてきたし!」
「好きなやつ選びな。一個おまけにしとくからさ」
「やったー! ターニャさん大好きー!」
落ち着いた内装の店内。一歩中に踏み込むだけで特徴的な匂いが漂ってきた。雰囲気も相まってパンを選ぶ手も自然と進む。
こうやって沢山並べられたものの中から選ぶのってなんだか楽しいよねー。わくわくするというか。
そうだ、シオンちゃんの分も買ってあげようかな。甘いもの好きだからお菓子のパンだと喜ぶだろうなぁ。ふふふ、これでロベリアに傾きがちな心を取り戻せる……完璧だね!
選び終わりレジで会計を済ませる。お金の代わりに紙袋に入れられたパン達を受け取った。
「ほい、どうも。それにしても……」
「ん? どしたの?」
「いーや、いい顔になったなぁって」
「ま、色々あったからねぇー。じゃ、ありがとね!」
「お~。またこいよ~」
やる気のないヘニャヘニャとした見送りをするターニャさんにお礼を言って店を出る。
袋に入ったパンの香り。
あの時と同じ匂いだ。初めてターニャさんに出会ったあの日と同じ匂い。
昔の出来事を、思い出す。
~~~
逃げ出さなきゃ。
わたしの頭にはそれしかなかった。雨降りならば追跡し難いだろうという考え。そんな安直な考え。でも他に方法が無いからただただ街を出るためにわたしは走っていた。
魔法学園? 冗談じゃない。お母さんを探すためにわたしには少しの時間だって無駄にできないのに、今から悠長に魔法を学ぶなんて馬鹿げてる。一体何のためになるって言うんだろう。命を奪う事すらできない武器以下の知識が旅の役に立つとは到底思えなかった。
「……はぁ、はぁっ…………あぅ……っ!」
べちゃり。自分の足に躓き顔面から地面に突っ込む。
運動神経の無さが仇となったか、それとも脱出なんてできないって暗示だろうか。
すごく痛い……。衝撃で口の中を切ったのか鉄の味がじんわりと広がる。
「ひゃー。いたそ。大丈夫?」
横から聞こえてくる声。街の人だろうか。これほどまでに無視してほしいって思ったことは未だかつてないというのに。
そんな思いが届けばと顔を上げて声の方を睨みつける。
「お、見ない顔だね。新入生かい?」
「…………」
エプロン姿、わたしよりも年上。明るそうな女の人だった。
「んー? どした、なんかやな事でもあった? ほれ、立てるかい?」
「……子ども扱いしないで」
しゃがみ込み目線を落とされるのは癪に障る。指し伸ばされた手を払い一人で立ち上がった。
わたしはそこらの子供とは違う。こんな所で足踏みしてる場合じゃ……ないんだ。
「肩肘張ってても良いことないよ? とりあえず店に入りな」
「ちょっ、……やめっ!」
手を取られ、店の方へと引きずられる。必死に抵抗するものの大人の腕力に敵うはずもなく、甘い匂いのする店の中へと連れ込まれてしまう。ここは、パン屋さん……?
「まあまあ、取って食いはしないから。ずぶ濡れじゃ風邪ひくぞ?」
「う……」
ここから逃げ出すつもりだったのに、まさか変な人に捕まるなんて……っ!
それに肝心の旅道具を入れたリュックを宿舎に忘れるという痛恨の失敗に今さっき気付いてしまった。どのみちあそこには一度戻らなきゃいけない。となると必然的に脱出は失敗……最悪だ。どうしてわたしってこんなに要領が悪いんだろ……。
「んーそだな、丁度いいや。今日は雨でお客さん全く来なかったし――ほいっ」
「……?」
放り投げられたものをキャッチすると、手のひらにほのかに温かさが伝わる。
「パンだよ。おねーさんの手作り。美味しーぞー?」
「……いらない」
「ん? パン嫌い?」
好きか嫌いかと聞かれたら好き。
でも、懐事情とついでに今の心情も相まってとても食べる気にはなれなかった。
「……わたし、お金持ってない。払えない」
「あはは、いらないって。これはおねーさんからのプレゼントさ」
「……なんで?」
純粋な疑問が口を突いて出る。
さっきからあっち行け、放っておいてくれと拒絶の感情をこれでもかってくらいに発信しているのに、この女の人は意にも介さない。それどころか何が何でもわたしに関わろうとしてくる。
「なんで……ね。なんでだろ?」
……そんな不思議そうな顔で聞き返されても困る。不思議なのはこっちなんだから。
「そだな、あたしの夢がパンで沢山の人を笑顔にする、だからとか……?」
「……なにそれ……薄っぺらい」
見ず知らずの誰かのためなんて胡散臭いし信じられない。ついでに言うと上手くいくなんて思えない。わたし自身ここに来るまでで痛いほどそれを学んできたんだから、報われるはずがない。
この人はお母さんを探すためにすべてをつぎ込める自信があるわたしとは完全に真逆だな。そう、思った。
「あはは、今決めたし確かに薄っぺらいかも!」
……なんなんだこの人。適当というか……軽薄だよ。
「でも素敵じゃない? それで可愛い女の子たちが元気になるんだよ? そしてキミがその第一号だ! どうどう? ちょっとは笑顔になる?」
「……なんで女の子限定――ぐむ」
疑問が出てくるその前にわたしの口にパンを突っ込んでくる。まだ食べるなんて一言も言ってないのに……。これじゃ実験体の第一号だ。
だけど……。
「……むぅ…………。おいしい……」
美味しいものには嘘をつけなかった。
このパンにこの人の全てが詰まっているような、そんな優しい味が口いっぱいに広がっていく。
「お! 美味しい!? やった!」
「……どうしてお姉さんがそんなに喜ぶの?」
「いやー、あたし今日初めてパンを焼いたんだよ。色々勉強してやっと焼けるチャンスが来たのに、あいにくの雨で誰もお店来なくてさー」
あ……。だからさっき夢を今決めたって。って、本当にわたしは実験体だったわけだ。
「……変なの」
おかしかった。この人が。さっきまでこの人を穿った見方でしか見ていなかったのに、このパン一つで引っくりされたことがどうしてだか面白いと思ってしまった。
張りつめて、削ってきたわたしとは違う夢の描き方。……それで上手くいくのならどれだけ羨ましいことか。その面白さは、結局全てを捨てて目標に辿り着く手段を選んだわたしへの自虐だろうか、それとも遠い立場から眺めたとっくに捨てたはずの理想への羨望か。
「おー、笑ったなぁー! 笑うとかわいいじゃん!」
「わ、笑ってないよ!」
「ほら、もっと食べてもっと笑えー!」
そんなこんなで休む間もなく四つは口にパンを押し込まれた。
むぐむぐと食べてる間に道端で倒れてた経緯を聞き出される。不思議なことにこの人を拒絶していた心はいつの間にか解きほぐされていた。やっぱりパンの力? だとしたらわたしが物で釣れたみたいでちょっと悔しい。
でもこの人と話すのは嫌じゃない。話すら聞いてくれない人もいるのに、この人はちゃんとわたしの話を聞いて受け止めてくれるから。だから嫌じゃない。
「なるほどねえ。お母さんを探してたらアリスさんにここに連れてこられたと。すげー唐突だね」
「あの小さいもこもこ、全然わたしの話聞いてくれないんだもん!」
「小さいもこもこ! あっはっは、確かにもこもこだよね! そっかぁー。……でもさ、ちょびっとだけ贔屓目になっちゃうけど、あの人のやることは強引だけど間違ってはいないと思うよ」
贔屓目……。あの人がこの国の偉い人だからかな。あれでも人望はあるのか。
「……お姉さんもあの人の味方するの?」
「んー。味方って訳じゃないけど、他に何か意図があるんじゃないかっておねーさんは思うけどなー」
「意図……」
あの人が倒れていたわたしを拾ってここに連れてきた意図。旅を続けさせてと言うわたしに半ば強引にここで魔法を学ばせようとする意図。
本当にあるのかな……?
「無責任なことはあまり言えないけどさ、キミの事情を知ってるならあの人は力を貸してくれると思うよ?」
「…………。……わかった。もうちょっとだけ待ってみる」
お姉さんの言葉に説得力があった訳じゃない。理由があるとするなら……パンが美味しかったから?
どちらにしても荷物を忘れた今となっては見つからずに逃げ出すことも難しいし、今日は帰る他なかった。あー……帰ったら隣部屋のあの子に怒られるんだろうな。どうして相談せず勝手に抜け出したのかって。憂鬱だよ……。
「また来なよ。キミには特別にパン一個だけおまけしてやるからさ」
「……。まあ、たまに来るよ。また話聞いてほしくなったときとか」
店を出て気がつく。
お礼……言ってなかったな……。また来るしかないか。
雨はまだ止んでない。
けど、帰り道までの足取りはここに来たときより幾分か軽かった。
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そんなこともあったなぁー。昔の私は余裕がないからツンツンしてたっけ。懐かしいや。あの時はターニャさんに悪いことしたなあ。
パンを一つ袋から取り出し、ほおばる。
出来立てほやほやの温かさと、口に広がる優しい甘み。
「やっぱりおいしぃー! あ、でも、シオンちゃんの分も残してあげなきゃね」
思い出の味は記憶と寸分も違わない。
パンで沢山の人を笑顔にするかぁ。あの人ならきっと出来るんだろうなぁ。
……夢。お母さんに会う夢を私は今もこうして追い求めている。あの頃のわたしと同じように。あの頃のわたしとは違う視点で。もしかしたらその視点の第一歩をくれたのはターニャさんだったのかもね。結局二年前の私は耐えきれなくて逃げ出すようにこの国を旅立つんだけど。
「さーて。応援してくれる人もいることですし、ちょっとばかり頑張っちゃうか!」
胸の内に紙袋越しの暖かさを抱えながら、通い慣れたこの道をあの時よりも軽やかな足取りで後にした。
次から連続で戦闘回ばかり続くので中和剤として書いてみたこの話。
主人公の過去を書くとなると重すぎるなあと思って出来たのがこの半分回想回です。でも割とシリアスも入ってたり。昔の方が理性的と言うか楽観出来ない必死さがあるというか。二話のシオンに出会う前のヴィオラに通じる危うげのある感性を残すように書いてみました。
ちなみにシオンちゃんはパンをぺろりと平らげ大変満足そうなご様子でした。
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