Page.2 温泉街
息抜き回。
爽やかな朝晴れ、きっと日中は蒼天が空を覆うのだろうと予感させるような一日の始まり。
そう。こんな日はいつものように、私は気分よくスキップしつつ次の街への道中を歩んでいる――はずだった。
「嫌だあっ! 絶対温泉街へ行くのっ!! シオンちゃんだって行きたいでしょ!?」
「我が儘言わないでください! ヴィオさんの出費のせいでお金がないんですよ!!」
互いに一歩も引く気のない声が草原一体に響き渡る。
大きな道の分かれ道。看板の前で私たちは言い争っていた。
片方は有名な温泉街行き、もう片方は冒険者ギルドの支部がある小さな町だ。
「良いの!? 私たちもう六日は体洗ってないんだよ!? くさいよ!? とぉーってもくさいよ!?」
「『えへへぇ、どろんこになっちゃったぁ』とか言って三日連続で替えの服まで汚したのは誰だかわかりますか?」
「うっ……」
「子供じゃないんですよ? 旅は危険だらけだってヴィオさんが常日頃から自分で言ってるじゃないですか」
「ううっ……」
「わたしだって温泉行きたいです。でもお金がないから我慢するしかないんです」
「うううっ……ごめーん!! お金稼ぐから! 一緒に温泉行きたいよぉ~!!」
即折れにつき完敗。敗者、私。
鬼のようなシオンちゃんの追及のそのどれもが全くもって正論だった。普段は温和で争いを好まない彼女も生活面の管理となると性格ががらりと変わる。けれどそのどれもが私のことを想ってのことだって知ってる。だから申し訳なさで胸が痛いよ!
こんな、こんないつも私のことを助けてくれる良い子が、私のせいで温泉街に行けないなんて……!
そう。思えば確かにここ最近の私は浮かれていた。
奴らからの襲撃もなく、これといった世界の異常にも出会わない。与えられた浄化の力を持て余し、只々のうのうと日々を過ごしていただけだ。うん、端的に言うなら町に辿り着いては食っちゃ寝を繰り返していた。そりゃお金も底を尽くに決まっている。
そうと決まればやることは一つだ。
「今からギルド支部へ行って依頼を全部完遂させるよ。今の私ならやれそうな気がする。ううんきっとできる」
お金がないなら冒険者ギルドへ行ってお金を稼ぐほかないよね。
腕のある旅人の多くは同時に冒険者であることが多い。理由は簡単、その方が合理的だから。
旅をする上で必要となる貨幣。それらを旅人が稼ぐには、街から街へと移動をする途中で、指定された魔獣の盗伐や、薬品の精製元となる植物などの採取依頼をこなし報酬を得るのが手っ取り早い。ギルド支部を設ける街側としても、加盟し、仲介料を払うだけで冒険者が様々な素材を運んでくれるため楽なのだ。殊更自治が難しい小さな町などは、冒険者ギルドに登録した方が安全かつ安定するという弱者救済じみた仕組みになっている。逆に自国だけで完結しているような都市国家なんかは加盟を拒否している場合が多いけれどね。
「いや、何も依頼を全部こなさなくても……」
「いいの! これは私に課せられた罰。鈍りきった体を鍛えなおすチャンスなんだよ!」
「……も、もう何を言っても無駄みたいですね」
「待っててねシオンちゃん。一緒に流しっこしようね!」
「ふぇ? や、やですよ? いくら頑張っても流しっこはしないですからね?」
「えぇー? たまにはいいじゃん甘えてもー」
「ダメです! ――ってもう進んでるし……」
そうと決まれば、善は急げだ!
サクッと仕事を終わらせて、疲れを温泉で流そう!!
・
・
・
いぇーい! 有言実行! 報酬もがっぽり貰えたし、一晩宿に泊まるくらいは余裕でしょ!!
いやぁ、簡単な討伐依頼ばかりで助かったよー。
うきうきな足取りで、今夜の宿へと向かい温泉街の大通りを闊歩する。
「ふわぁ……ここが温泉街……! 温泉のにおいがここにいてもわかりますね!」
「ここは毎日賑やかだねぇ。久しぶりに来たけど全然変わんないや」
「こんなになんてびっくりです!」
こうしてシオンちゃんが喜んでくれて、頑張ったかいがあったってもんです。
街を縦断する大通りは、連日、祭日のような店揃えで賑わっている。夕暮れ時、きらきらと煌めく屋台や露天にシオンちゃんは目を奪われて、それに伴ってあっちへこっちへふらふら。
ふふ、値段を見て葛藤してるな、可愛いやつめー!
「欲しいものあったら何でも言ってね! 今日は遠慮しなくてもいいんだから!」
「ほ、ほんとですか!? あのあの……あそこにあるまあるい形をした飴が欲しいんですけど……」
ちらちらと横目でお店に並べられているスノーアップルの飴を指さし、おねだりしてくるシオンちゃん。
いつもは質素倹約に努めている彼女もこの街の魅力には抗えなかったみたい。
「うん、わかった! じゃあ買ってきてあげるよ!」
ご注文の品を買ってきてあげると、フードの奥の瞳を輝かせてくれる。
ちろりと舌を出し恐る恐る飴を味わうと、未知の食感にびっくりしている様子。だよねぇ、まさか飴なのに氷みたいに冷たいなんて分かんないよねー。
……かわいいっ! 百点満点!
「かわいいなぁ! シオンちゃんはかわいいなぁ!!」
「や、やめてください……。こんあ往来で……は、恥ずかしいじゃないですかぁ!」
やぁー、そんなこと言われてもなでなでが止まらないよー。
ほんとは直になでなでしたいんだけどなー。ローブのフードを脱いでくれないかなぁー。
「それにしてもよく半日で全部終わりましたね」
「まあ簡単な依頼ばかりだったからねぇ。今更スライムの変異種や小型の竜種みたいなのに手こずる訳にはいかないし」
「それでも普通だったら半日で終わりませんよ……」
「ふふん、伊達に『花標の神童』の名声を欲しいままにしてたわけじゃないもんねっ!」
こう見えて学園時代は優秀だったんだから。
えっへん。と胸を張り威張ってみると、隣から、
「ま、今の『神童』は四個年下の第二階級だけどな」
なんて突っ込まれてしまう。
……。
…………。
………………!?
いけない。突然のことに思考が停止していた。
「シオンちゃん! 解放!!」
「……つ、使いませんよ。こんなところで」
いけ好かない(けどまあ整った)顔立ち。むっと口を真一文字に結んでつんとした(けどまあ似合っている)態度。そして腰には愛用の魔法剣を携えた少年が、素知らぬ顔で私たちの隣に立ち会話に溶け込んでいた。
観光客やこの街の住民じゃない。そう言い切れてしまうのは、私がこの男の子を知っているから。
「……ブロードくん。もう追いついたんだ」
「よう、今回は随分と久しぶりだな」
「なんでキミがこんな温泉街に……?」
「そんなの決まってるだろ。お前の監視だよ」
「どうして場所が分かったの……?」
「そりゃ近くでギルドの依頼をたった半日で完遂した奴が現れたからな」
「やだ。ヘンタイ。ストーカー」
「はは、ストーカーなのはまあ認めざるを得ないな」
「……や、やめましょうよぅ。その……ブロードさんも命令でやっていることですし」
私が魔法学園を休学し旅を始める際に出された条件、「一定間隔で報告を送る監査官をつける」について。話半分に聞いていたそれが、ここまで厄介な物とは抜け出したあの日の私は思ってもみなかった。
ブローディア・クグロフ。それが彼の名前。監督役として学園から派遣された同い年の男の子。
私の大親友のお付き人だったから、学園にいたころはそれなりに交流があった。つんけんとしたクールな態度が一部の女の子の間で大人気……らしい。私にはさっぱりわからないけど!
「さて、さっそく本題に入るが……最近街を一つ潰したそうだな。今回はその件について調書を取るために来た」
「なっ――、待ってください! ヴィオさんは――!」
「シオン=アカネ。君には聞いていない。調書にはヴィオラ=サリックス自身の証言が必要だ」
先程とは打って変わって無機質な声。もう尋問モードに入っちゃってる。
元々彼の家は魔法学園の自治を担当する執行官を代々排出している。彼自身もこの年で執行官補佐として学業の合間を縫って活動しているため、こういった行為は手慣れたものらしい。あーあ、出会ったばかりの頃はもっと可愛げがあったのになあ。
「やめて。シオンちゃんに酷いことしたら例えロベリアの幼馴染でも許さないよ?」
「……やめておくよ。お前に喧嘩売るのは自殺行為だからな」
「あぅあぅ……仲良くしてくださいよぅ……」
頭上で睨みあう私たちを見て右往左往、あわあわと宥め諫めるシオンちゃん。
涙目を浮かべている様もまた可愛らしい。もうちょっとこのままでもいいかも。
「俺もお前たち邪魔をするつもりはないんだ。ただそろそろアリス学園長に報告しないとうるさくてな」
……ふんだ。あのおこちゃま学園長のことだ。ギャーギャーと喧しく講釈を垂れる姿は容易に想像がつく。
全く、あんなちんちくりんな狐耳っ子が組織のトップなあたり、やっぱり魔法学園はどこかズレていると他国から言われても仕方がないと思う。教師が教師なら生徒も生徒なのがあそこだけど。
ん? 狐耳……?
「あれ……? ねえねえ、話変わっちゃうけど、学園長って半獣人種だったよね?」
「ん? ああ、確かそうだな。あの人は隠さないどころか公言してるが……それがどうかしたか?」
「……んー。そっかぁー……」
私が唸っていると、自身が属する種族の話題が出たことで、シオンちゃんが耳をぺたんと折り込み更にローブの奥深くへとひっこめる。そうだ、彼らにとって迫害される対象でしかないその見た目をあの人は堂々と誇っていたっけ。「劣等と罵られる私に負けるとは何事か」とよく煽られたものだ。
だからアカデミアには種族による差別がない。ありとあらゆる種族が集まり、共存しながら暮らしている。あそこでは魔法が全てを決するからってのも種族差別がない理由の一つだけどね。
兎も角、だ。アリス学園長ならシオンちゃんの故郷のこと、分かるかもしれない。
……そう思ったけれど、あのおこちゃま学園長と顔を合わせるのはやはり極力避けたいんだよねぇ。きっと私に会った途端、長い長い説教が始まる。言っていることはまあ間違っていないのだけれど、あのどう見ても子供としか思いようのない体形と、そこから発せられる甘ったるい(しばしば可愛らしいとも形容される)声で怒られると、自分がどうしようもなく情けなるんだよ。
うぐぐ……そんな激しい板挟み、二律背反が今、私を襲っている。
シオンちゃんのため……彼女のため、なら……。
「……える」
「ん? 何か言ったか?」
「『帰る』って伝えといてっ! ……っ。……ください!」
「はあ!? 一体どういう心境の変化だ?」
「う、うるさいなあ。シオンちゃんのためだよっ! ほんとは帰りたくないしっ!」
「そ、そんなに嫌なら無理しなくてもいいですよ……?」
でもそりゃあロベリアには会いたいし? ついでと言っては何だけど、私の代わりに学園の人気をかっさらっているらしい「神童」ちゃんも一目見てみたい。お世話になった先生とも久しぶりにお話したいかな。
……。なんだか私、まんざらでもないみたいだなあ。
うーん、それもそっか。|アカデミアあそこ)は人生の中で二番目に長く滞在した国だし、いろんな出会いがあったことには間違いはないんだから。いわば第二の故郷に帰りたいと思うのは別に不思議じゃない。……なんて自分で自分に言い聞かせてみる。
「……どういう風の吹き回しだか知らないが、まあ丁度いい。『そろそろ進級するために一度戻ったらどうだ』と、言おうと思ってたところだ。ロベリアも、お前のせいでいつまでも進級できなくて手を焼いてるんだよ」
「ええ!? ロベリアったらまだ第四階級やってるの!?」
どうせ「親友と一緒じゃないと進級しない」とか言ってブロードくんを困らせてるんだろうけど……。
私なんかに気を使わなくてもいいのに、あの子も強情だなあ。
「第四階級なのはお前もだろう」
「だって私は旅してるしぃー。どうせ帰ったら一瞬で進級できちゃうしぃー」
「理屈をこねるな。というかそれとなく調書から話を逸らすな」
ぴしゃりと一喝。再び彼の目から「遊び」の文字が消える。
むぅー。なんと愛想のない。
「はいはい、言われなくても答えますよぅー。答えなきゃ帰ってくんないんだもん!」
「今日のヴィオさんは一段とわがままですね。ブロードさんがかわいそうです……」
「なっ!? シオンちゃんまでそいつの味方をするの!? 顔か! シオンちゃんも顔が良いとか言い出すんだね!?」
「ち、違います!!」
「ほら、馬鹿なこと言ってないで進めるぞ。シオンも困ってる」
「あ、こら! シオンちゃんを呼び捨てにするなぁー!!」
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促されるままに温泉街に並び立つ道端の食事処へ連れられ、お店の人の迷惑も鑑みず、くどくどくどくどと延々調書を取られた。
何をそんなに報告することがあるんだと言いたい。そもそもなぜ私なんかのために、仮とはいえ執行官をつけるんだろ。実は私のことが心配で心配で仕方がないなんてこと……はないか。当時は色々あってやさぐれてたから素行不良だったしなあ。
「よ、ようやく終わった……! もっと簡素で良いだろこの作業……!」
「あ、スモークラビットのソテーもう一つくださーい」
愚痴をこぼすブロードくんをよそに追加注文。
まあ、調書作成のための尋問とはいえ、ここのご飯が美味しいからさして悪い気分ではない。何よりブロードくんの奢りらしいからたんと頂いてしまおう。ここに入ってから十何度目かの私の注文を聞いて、彼は顔を真っ青にしているけど注文しないお客さんは迷惑だから仕方がないよね。
「くそ、シオンと出会う前はもっと大人しかったんだがな……。どうしてこうなった……」
「え? そうだったんですか?」
「ああ、いや。大人しいというよりは感情の起伏が乏しかった、か。心ここに非ずって感じで見えない敵とずっと一人で戦っている、そんな感じだったよ」
「……あぁ……。……そうですね。ヴィオさんはこう見えて結構繊細な方ですから。そういわれるとそうかもです」
「はは、シオンも中々こいつのこと分かってきたな」
「ずっとおそばにいますからね!」
何やら二人してあれこれ言っているけど。
当の本人が目の前にいるってことを忘れないでほしいんだけど。
そして昔の話は恥ずかしいからやめて欲しいんだけど!
「昔と比べないでよー。私も色々と変わったんだから。そう、シオンちゃんとあの森を抜けたあの日から……!」
「わわ、ヴィオさん、その話は恥ずかしいからダメですー!」
「そ、そうなのか……? まあ、いい変化だとは思うが……」
「変異させられた魔獣、ヘンタイ男、ぐちゃぐちゃになったシオンちゃん。そして無力だった私。それらを乗り越えて今の私があるんだよ!」
「待て待て、凄く気になるんだがその話って長くなるのか?」
「あはは。日も暮れましたし、ゆっくりお話しできるところへ場所を変えましょうか」
「そうだね。いつまでもここにいる訳にもいかないし、早く宿へ向かわないと人気のとこは埋まっちゃうよ」
ようやく解放されたとばかりに安堵のため息をつくブロードくん。九死に一生を得たといった様子で痛ましい。
なんか可哀そうなことしたなあ。お代くらいは私が持とうかな……。
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「これは……美味だな」
「って、なんでブロードくんまでいるのさー」
上品に盛り付けられた彩り豊かな料理を口に運びながら問い詰める。近海でとれるお魚の刺身だろうか。旅の都合上海に出向くことはあまりないからお魚を食べる機会はあまりない。シオンちゃんの大好物なので偶然立ち寄った街で売っていたら買ってあげるくらい。私は食べない。……食べられないわけじゃないよ?
ん! おいしいや、これ。
意を決して食べてみたけど、歯ごたえがあっておいしい。食べず嫌いって良くないなあ。
「そりゃ監視役だからな。行方を眩ませない限り共に行動してもおかしくはないだろう」
「むぅー! 私はシオンちゃんとの二人温泉宿が良かったのにぃー!!」
「まぁまぁ、いいじゃないですか。三人でご飯なんてそうそうないですし、わたしは楽しいですよ?」
「だ、そうだぞ」
ぐぬぬ、シオンちゃんが完全にブロードくんに懐柔されちゃっている……!
「そういえばお前たちは普段何を食べているんだ?」
「んー? そりゃ旅人なんだから携帯食がメインだよ?」
「それらが無くなったら?」
「いざとなったら木の実とかー、葉っぱとか?」
これはシオンちゃんと出会う前の話だけど。流石にシオンちゃんに草を食べさせるわけにはいかないもんね。
そういえば彼女が旅に同行するようになってから極貧生活に陥ることはほとんどなくなったなあ。旅のお供にはシオンちゃんだね。
「ダメだ。もっと栄養のあるものを食べるべきだ!」
「でた! ブロードくんのお節介!!」
これがあるからやなんだ。ロベリアのお付きとして幼少期から模範となる生活を送っていた彼からしたら、私たち(私)の生活は見るに堪えないかもしれない。けれど私はそれも含めて楽しんでいるんだからあれこれ言われたくないんだ。そう、ブロードくんの説教は親が子を叱るのと同じなんだよ。
……そして、更にまずいことに、今ではそれに同調してしまう子が一人。
「そうですぅ! ヴィオさんはガサツなんですよぅ! 物の整理はできないしぃ、お洋服はすぐに汚しちゃうしぃ、お金の管理はできないしぃ、すぐに厄介事に巻き込まれちゃうしぃー!!」
おおぅ、珍しくシオンちゃんがやけに饒舌だ。そして毒舌だ……。指折りでダメな所を挙げられるたびに心が痛む。ほんといつも迷惑かけてごめんね……。
「シオンも苦労しているんだな……。こんな奴だが、これからもよろしく頼む」
「ふふん、任せちゃってくださいよぉ! わたしがいればだいじょうぶですぅ!!」
「……もしかしてシオンちゃん酔ってる?」
「酔ってませんよぉー!」
「わぁ、お酒くさい……」
何処にお酒入ってたのか。シオンちゃんの飲み物の容器を手に取り匂いをかぐとツンと鼻を突くにおい。
給仕の人まさかお水とお酒間違えた? しかも結構キッツい奴だよこれ。
「臭いと言えば、ヴィオ。お前、大分風呂に入ってないんだろ?」
「なっ! なんでそんなことまで知ってるのさ!!」
「そりゃあ監督役だからな」
「流石にヘンタイだよ! 冗談じゃなく!!」
「どれどれ?」
ぐいと顔を近づけてくるブロードくん。近い! 近すぎるよ!!
「わ、わぁー! 嗅がないで!! 流石にそれはダメだって!!」
「うわ……。近づくとえげつない匂いだな……」
「これでも色々策を講じてるんだよ!」
五日目を超えたあたりからピコルルハーブ(臭い消しの薬草)やフェアリーの翼鱗粉で頑張って臭い消してたんだけどなぁ……。
そしてブロードくんはときどき私を女の子だと思ってない点がすんごく腹が立つよ!
「ご飯食べたら二人ともお風呂へ行ってこい!」
「うぅ、はぁーい」「はーいっ! あっははー! お風呂ですー!!」
・
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「ん、おっけ! 入ってきていいよー」
中に誰もいないことを確認し、脱衣所で待機中のシオンちゃんへと合図を送る。
そういう宿を選んだんだけど、やっぱり本人は気にするみたい。まあ、そうだよね。
中には獣人と一緒のお風呂なんて入れるかーって怒ってくる人もいるし。シオンちゃんとしても厄介事に巻き込まれるのはごめんなんだろう。
そぉーっと中を覗いてからとてとてと真っ直ぐこちらへ駆け寄ってくる。
湯船に浸かりすぎた訳でもないのにたらりと流れそうになる鼻血を無理矢理理性で抑え込んだ。
「ふわぁー! 大きいお風呂……っ!!」
「さっすが『温泉街』って名前なだけあるね! さあ、飛びこめぇー!!」
「だ、だめです! しっかり体を流してからですよ!」
「シオンちゃん? おめめと言ってることがちぐはぐだよ?」
きらきら輝くまあるい目は源泉かけ流しと表記された温泉を注視している。
ぴょこぴょこ忙しく反復運動を繰り返す耳としっぽが、喜びと期待を目いっぱい表現していて微笑ましい。
「と、とにかくダメなんです! ルールはルールですから!」
まあ、そうだよね。私なんかどろんこで髪の毛なんかばさばさだし。後に入る人に悪いよね。
ささっとかけ湯を行い、湯船につかっていくシオンちゃんを見習い、入念に体の汚れを落としてからお風呂へと入る。
「ほわぁー。生き返りますねぇー」
「だねぇー。生きてて良かったーって感じぃー」
互いに言葉尻がやわらかくなっていく。
体の中の穢れがみるみる落ちてくみたい。やっぱり普通のお風呂とは違うなあ。
きっと世界中が温泉だったら争いは無くなるんだろうなぁ、なんて馬鹿なことを考えていると、
「ブロードさんって、本当に良い人ですよね」
何の脈絡もなくシオンちゃんがぽつりそう漏らした。
「良い人かなぁ……?」
私が嫌だって言ってるのに付け回してくる時点で良い人ではないような気がする。
「良い人ですよ。あれだけ優しくてかっこいいお方でしたら引く手数多なんじゃないですか?」
「うーん、それは間違ってないかなぁー」
確かにブロードくんは一般的な審美眼で見積もってもかっこいい方だ……と思う。文武両道、才色兼備を地で行くので、同級生はともかく下級生からも絶大な人気を誇っているって実績もある。学園時代、そんな彼女らに恋文を手渡されている場面に何度遭遇したことか。
そんなんだから、よく「ブロード先輩にはもう彼女がいる」なんて噂が飛び交ったりもしてた。
だが実際には違う。
「そんな人がどうしてここまでヴィオさんのために……もしかしてヴィオさんのことが……」
「えーっ? それはないよー。絶対にない」
「どうして言い切れるんですか? 殿方の気持ちは解読不能ですよ?」
「ふふん、実はね! ブロードくんはねぇ――」
『そこまでだ、ヴィオ!!』
垣根の向こう、立ち上る湯気のその向こうから発せられるくぐもった声に制止されてしまう。
「あれぇー? 居たんだブロードくぅん?」
『残念ながらな……』
「ブロードさんがどうしたんですかっ!?」
ふふふ。これは面白いことになった。いっつも付け回してくる罰だよ。ちょっとからかってやろっと!
「ブロードくんが好きなのはぁ――」
『わぁー! 馬鹿ヴィオ、止めろぉ、やめてくれ!!』
「す、好きなのは……?」
続きを早くっ、そんな目で促してくるほっぺたが真っ赤になったシオンちゃん。
あらら、意外にもこういう話は好きだったり?
ふふ、今夜はいっぱい語り合おうか。
「ロべ――」
『うぉぁぁあああああああああーーー!!』
男湯から絶叫が響いてくる。私たち以外にお客さんがいないからいいけど、いたら大迷惑だよ?
「だ、誰なんでしゅかぁ……!!」
「わ! シオンちゃん!?」
ゆでだこみたいに顔を真っ赤に熟れさせたシオンちゃんが、私の肩を激しく前後に揺さぶる。
やばい、刺激しすぎちゃった? 目が完全に据わっちゃってるよぉ……!
引き剥がしてもじりじりとお湯をかき分けて距離を詰めてくる。
「誰ですか……気になりましゅ……っ!」
「待って待って、落ち着いて! 一旦上がろ! ね!?」
『ヴィオ……覚えてろよ……!』
正面からは正気を失いつつも迫り寄ってくるシオンちゃん。
後方の男湯からはぶつぶつと綴られる怨嗟の声。
あ、ははぁー……。逃げるが勝ちだ!!
のぼせたシオンちゃんを背負い、脱兎のごとく露天風呂を後にしたけど、その後普通に捕まってこっぴどく叱られましたとさ。
・
・
・
シオンちゃんを看病してたら、いつの間にかもう真夜中になっていた。
くぅくぅと寝息を立てる彼女に、お布団をかけてあげる。うん、もう大丈夫そうだね。
窓から顔を覗かせる真ん丸なお月さま。暫くぼっーと眺めてみる。いっつもだったら眠くなっちゃう時間なのに今日はなぜだか眠る気にはならなかった。あの日もこんなまあるいお月さまだったっけ。
もっと広いところであのお月さまを見たいとふと思い立ち、こっそりと宿を抜け出し夜風に当たりに行く。ここらも最近は涼しくなってきたなぁ。
温泉街は真夜中だというのに、満点の星空、月明かりに負けじとまだちらほらと明かりが漏れている。
そんな明かりのおかげで、後ろから誰かが付けてきているのにはとっくに気が付いていた。
「……おい、あまり外出てると風邪引くぞ」
大通り、少し後ろの方から声がかかる。
振り返ると、そこにはブロードくんがいた。
「やだなあ、もう。二人にバレないように抜け出してきたつもりなのに。だめだよ、こんな夜中に女の子を付け回しちゃ」
「監督役の仕事だ。……他意はないぞ。お前が風邪を引かないようにだ」
「あはは、まるでおかーさんみたいだ」
「……………………」
ありゃ、気を遣わせちゃったか。
「まだ、消息を掴めないのか?」
「……うん。全然だよ。どこへ行っても、誰に聞いても……おんなじ」
「悪い。気の利いた励ましは俺には……できないから」
「いいよいいよー。ブロードくん不器用だもんね」
「そんなことは……! いや、そうなのか?」
お母さん。私がずっと探している人。大切な家族。
私のお母さんは冒険家だ。大昔から続く冒険者ギルド「未踏の道標」、最後のギルドマスター。お父さんから聞いた話じゃ、そりゃもう立派な冒険家だったらしい。冒険者ギルドの中じゃ知らない人の方が少ないほどの偉大な冒険家。
……なのに私が二歳の時、お母さんは唐突に失踪した。理由は不明だった。事故なんかも疑われたけど、そのような推測は、逸話の前じゃ時間と共に冗談話と化してしまった。
そしてそれから十二年。私は今もこうしてお母さんを見つけられないままでいる。
「昼間の件……いいのか? アカデミアに帰るのはお前の目的を満たす為には遠回りだろう」
「どうしたの? お昼とは言ってることが逆だよ?」
「……今は仕事外だ。ロベリアもそのことをずっと心配している。……もちろん、俺も」
ふふ、今度は私の後をつけてきた監督役さんとして矛盾してるよ?
「えへへぇ。そんなに心配してくれるなんて、実はブロードくんの本命は私だったりー?」
「……っ! ……誤魔化すなよ」
「…………ごめん」
「…………」
「……いいんだよ。時間が経ちすぎた。もう、もう……いいんだ」
元々私はお母さんを探すために故郷を飛び出した。それが七歳。
アカデミアにいた四年間を除いても丸々三年。お母さんの痕跡は、この世界の何処にもこれっぽっちも残っていない。まるで世界から存在ごと消えちゃったみたい。最初からそんな人はいなかったかのように、三年という歳月は私に対して残酷な現実を叩きつけた。愚直に、真っ直ぐにお母さんを目指していたはずなのに。
そして加えて最近はおかしな魔法の存在が旅する理由を侵食している。各地に散らばる悪意を持った異端魔法の数々。それらを浄化していくことが私が旅する理由に変わりつつあるんだ。もちろんあれらを放っておくわけにはいかない。世界を根幹から覆そうと、大きな力が動いているのは子供の私にだってわかるから。でも……。
そうやって目的がすり替わっていったのはいつからだろう。表面上は、純粋な私は、お母さんを探し続けているのかもしれない。
だけどきっともう、私は心の奥底で――。
「諦めるなっ!!」
「わひゃぁっ!?」
唐突に肩を掴まれて、心臓が跳ね上がる。
「ヴィオ、よく聞け。お前のお母さんに関する情報は俺も集めている。俺だけじゃない。執行官も、学園のみんなも、魔法学園関係者でお前の境遇を知らない人なんていないほどだ」
「…………」
「お前が旅を再開してから二年間、俺達も指をくわえてみてただけじゃないんだ。……アリス学園長だって、態度はあんなだがお前のこと凄く心配してるんだぞ!」
「…………っ」
ああ、そうだよね。あそこに住む人は暖かい人たちばかりだもん。
わかってるよそんな事くらい。
「でも、もう辛いんだよ。探せば探すほど、『いない』って真実が輪郭を帯びていくんだよ? ……私はおかしな魔法を浄化するために旅を続けてるんじゃなかったのに。お母さんを探すために旅を続けていたのにっ!」
ブロードくんは何も言わない。ただ黙って私の言葉を受けてくれた。
「……なのに……どうしてどこにもいないの……」
「……シオンにはこのことを話したか?」
私はただ無言で首を振ることしかできなかった。
それをシオンちゃんには言うことはできなかったから。だってあの子に旅の目的を与えたのは私だから。その私が旅する本当の目的を失いつつあるなんて、とてもあの子には言えない。
「そんな状態で旅を続けてたのか……。わるい、もっと早く気づいてやるべきだった……」
「なんで、なんで謝るんだよぉ! まるで……まるで私がかわいそうなやつみたいじゃんかぁ……!」
「そうだな……すまん。ただ、これだけは言わせてほしい」
彼が真っ直ぐと、嗚咽のように泣き言を漏らす私の瞳を見つめてくる。
「諦めるな。諦めたら今まで頑張ったお前の足跡は全て無駄になる。ここまで、その足で歩いてきたお前の頑張りはここで終わりにしてしまっていいものなのか?」
「……っ!!」
……ひどいことを言うよね。
過去の私が無駄になる?
そのために未来の私を殺すことになるかもしれないのに?
あとどれだけの未来を殺せばお母さんに会えるの? 五年? 十年? それとも一生?
一生だったら……やだなあ。
だけど……。
「やだよ……そんなの。七歳の『わたし』に笑われちゃう」
口をついて出た言葉。
あの時の『わたし』はまだ諦めてないんだ。家のドアをぶち抜いたあの日と同じように、馬鹿みたいに一心不乱にお母さんを探し続けている。
だったら――。
「まだだよ、まだ……『私』も諦めてない……! 諦めるもんか!」
「……ああ。それでこそお前だよ」
どこか安心したかのようなブロードくん。強く握った私の肩から手を離す。
「一度アリス学園長に会え。この二年で数々の人物がかき集めた情報はあの人が持っている。きっとその中にはヴィオだけが気付く痕跡もあるはずだ」
あるはず。たったそれだけの確証もない言葉が、これほどにまで希望的だったことがあっただろうか。
零れた涙を拭う。泣いている暇なんてないよね。
沈みかけていた私に立ち上がる力をブロードくんはくれた。
だったら、それに答えなきゃだ。
「ありがとね、ブロードくん。私やっぱキミの事きらいじゃないかも!」
「は……はぁ!? ど、どうしたんだよ急に!」
「何でもないよっ。ただ言ってみたかっただけ! さ、宿に戻ろ!」
・
・
・
まだ日が昇る前、朝焼けの橙色が夜闇を侵食していくちょっと前。
「しおんちゃー……ん。おきてー……」
「ぅゆ……? ぁ、ぉはようごじゃいましゅ……。もうあさですかぁ……?」
舌っ足らずな挨拶が愛らしいけど、愛でるのは今は我慢だ。急いでシオンちゃんを起こさなきゃ。
「もう宿を出るよ。準備しよ?」
「はぇ? ブロードさんはぁ……?」
「ブロードくんまだおねむなんだって。だから私たちだけで出発だよ」
ブロードくんに見つかる前に宿を出てしまいたい。私がこれから向かう先を知ったなら、彼は絶対に同行すると言って聞かないだろうから。ふふ、昨晩はとってもとおーっても感謝したけど、それとこれとは話が別だよ。
書置きだけ残しておけば、彼もいずれ魔法学園へと戻るだろう。だから次に会うのは魔法学園でだね。
――決めたよ。私たちがこれから進む道。
「出発しよう。魔法学園へ」
知りたい真実を探し出すために、向かうんだ。
息抜き回と銘打ってみたものの、後半は割とシリアスになっちゃいましたね。ここまで起こった過去の話はまたちょくちょく上げていく予定です。
つまり、ここからが実質ヴィオラ達の旅の始まりだったり。二人とも少ない手がかりを手繰り寄せながら葛藤していく様を楽しんでいただきたいです。意地悪ですね。
では、また次回で。
ブックマークや感想、評価などお待ちしてるので、ぜひ!
(今作初ブックマークありがとうございます!)
twitter → @ragi_hu514
挿絵担当:ふゆかえで
pixivID → huyu_kaede
温泉の絵を描いてーって頼んだら「早くない?」と不審がられました。テコ入れじゃないです。打ち切りじゃないです。私の趣味です。
壮大な前日譚はこちらから → https://ncode.syosetu.com/n5414db/
同時期に起こったもう一つの冒険 → https://ncode.syosetu.com/n6484cy/