第五話-Part2 【見えざる手②】
第五話-Part2 【見えざる手②】
体育が終わり教室へ戻る。
着替えは体育館の横にある部室棟の1階を使った。当たり前だが女子はプールに併設されている専用(女子)更衣室を使う。
部室棟があることは知っていたが、授業で使用するためか1階の半分はどこの部も使用しないことになっているのだという。プールに併設された更衣室もそうだし、駐車場脇にある外コートもこちらはさほど広くはない。猪口君によると県外のバスケ部を複数招いた際やレクリエーションでストリートバスケをやる時以外使われることはなく、わざわざ授業で使用することはまず無いらしい。
こうしてみるとこちらと神使世界とでは大きく、それも大胆に建物や街の構造が異なっていることも結構あることに気付く。今まで気にしていなかったけれど、改めて色々見て回るのもいいかもしれない。
(とはいえ、常識を常識で塗り替えられるからあまり意味はないんだけど)
教室に入るといつもの生ぬるい空気にプールの匂いが混じっていた。まだ髪の乾ききっていない女子達がしきりにタオルで髪を撫でつけている。微かに漂う甘い香りは化粧水によるものなのか、彼女らから自然に発せられたものなのかは分からなかった。
猪口君に別れを告げて自分の席へ戻る。休み時間は5分も残っていない。
「あ、鯉登くん。おつかれー」
教室の前の方に出来ていた女子達の輪の中から唯屋敷さんが戻ってきた。しっとりと水分を含んだ髪がゆるやかに肩へ流れている。
唯屋敷さんはこちらに気づいて笑みを貼り付けるがその表情は硬いままだった。
「お疲れ様。何かあったの?」
「え? ううん、なにも。どうして?」
「なんか話しこんでいるみたいだったから。余計なお世話かもしれないけど」
唯屋敷さんが歩いてきた先にはまだ何人かの女子達が固まって話していた。
「あー、ちょっと疲れたねって話してたからかも。久しぶりのプールって女子には色々問題も多いから」
色々。その言葉にどれほどの意味が含まれているのか。
「……」
「? どうかした?」
「いや、なんでもないです。ごめんなさい」
「なんで敬語? 変な鯉登くん」
唯屋敷さんはくすりと小さく笑って目の前の席に座る。
衣替えを終えた学園は夏服に切り替わっており、女子はスカートの上は薄水色のブラウスだけだ。思わずその陶器のような白い肌を唯屋敷さんの上に浮かべそうになって慌ててかき消した。
チャイムが鳴り、最後まで前の方で固まっていた女子達が何やら言葉を交わしながら散っていく。一番最後に離れていく人はどうやら鮎川さんのようだ。数学の先生が気だるげな顔で入ってくるが、それでも鮎川さんはまだ何やらその席に向かって言葉をかけようとしていた。先生に軽く注意され、俯きがちに席に戻っていく鮎川さんの横顔は世間話をし足りないというにはあまりに影が落ちている気がした。
「……」
唯屋敷さんの視線が鮎川さんを追っているのは分かったが、後ろからではその表情までは読み取れない。
俺は鮎川さんが最後まで離れるのを渋っていた席へ目を向ける。
窓側から2列目の一番前の席に座る女子生徒。窓際1列目の一番後ろという『特等席』からではその背中しか窺えないが、たしか大鶴さつきさんという名前だったはずだ。普段はおさげをしているが、プールの後とあってか頭の後ろの高い位置で髪を束ねたポニーテールに変わっている。
大鶴さんの眼鏡にわずかに差し込んだ陽射しが反射した。特に接点があったわけではないので、それ以外に普段と何が違うかは分からない。ただ、束ねられた髪から覗くその小さな耳はうっすらと朱く色づいているように見えた。
◇
放課後。睡魔の泉から黄泉がえりした運動部員が意気揚々と部室棟へ駆けていき、部活でなくとも用事がある人は足早に教室を後にする。
唯屋敷さんはホームルームが終わるなり挨拶だけして一人でどこかへ行ってしまった。テニス部に所属しているとはいえ、いつもは他の人と一緒に移動していたんだけど。人づきあいも多いし、部活以外にもいろいろと忙しい人なのかもしれない。
蟹江学園はバスケ部と野球部が県大会やその上の地区大会へ進むことがある。しかし逆に言えばそのくらいで、その他の部活では個人種目を含めても目覚ましい実績は聞かない。バスケや野球部にしても中堅かその少し上くらいで、特に厳しいレギュラー争いがあるわけでもないという。「そもそも厳しい練習や規律が根付かない」とはOGの姉を持つ唯屋敷さんの言葉だ。
幸い運動はある程度得意な方なので、ならいっそどれに入ってもそれなりに楽しくやっていけるかなと思ってはいるんだけれど、
「でもなぁ……うーん」
机の上に置かれた白紙の活動希望表には『部活動は希望しない』という文字も印字されている。ここを○で囲んでしまえば悩みが一つ簡単に片付くというのに、それでも中々決心がつかないでいた。
「どうしたの? さっきから唸ってるようだけど」
わざとらしく腕を組んで頭をひねっていると頭上から聞き覚えのある声が降ってきた。
「部活どうしようかって考えてて――えーと」
長い前髪が顔に影を作る。ほっそりとした背の高い男子が立っていた。
「犬養だよ。犬養、誠」
「ああ、うん。ごめん犬養君」
人の顔や名前を覚えるのが苦手――そんな設定やスキルはないけれどこの人は別だ。どうしても印象が希薄になっている気がする。
「いいよ。僕も声をかけたのはこれが3回目だからね」
「ああ、コンビニで」
もう一ヶ月近く前のことなのに顔を見ればしっかり思い出せる。そういえばあの辺りに住んでいるようなことを言っていたけれどあれから一度も見ていなかった。
「あの時は邪魔してしまったね」
「いやそんなことは」
涼やかで穏やかな声音は聞いているこちらまで気分が落ち着くようだった。
結局、うだうだ考えていても何も決まらず。気が向いた時にでもまた考えてみることにした。
「部活、入らないのかい?」
昇降口まで歩き、一足先に靴を履き替えた犬養君が口を開いた。
「入ろうかな、とは考えているけど。どれにするってなると決まらないんだよね」
ふーん、と犬養君は曖昧に頷く。
「犬養君は何か部活やってるの?」
「やってないよ」
「そうなんだ」
「僕は街で遊んでいる方が好きだからね」
「街で?」
靴を履き終え並び立つ。こうしてみるとかなり身長差がある。自分も低い方ではないけれど、それでも犬養君は頭一つ分高く、首を上げないと目線が肩になる。
覚えにくいはずないんだけどなぁ。とその整った顔立ちを見上げる。
「変な意味じゃないよ。CDショップ寄ったり、適当な喫茶店で本を読んだりね。ゲームセンターとかも好きかな」
「へぇ。なんか意外かも」
思わずそんな感想が零れていた。
「いや、悪い意味じゃないよ。あんまり知らないからかもしれないけど、そういうのってもっと派手な人ってイメージがあって」
「まぁそういう人が多いね、やっぱり。僕は街をうろつくのが好きなだけっていうのもあるから。誰かと一緒にっていうのは少ないね」
もしかするとあのコンビニもただ歩いてて行き着いただけなのだろうか。
「鯉登さんはあまり出歩かなそうだね」
「うーん、なんとなく人混みが苦手っていうのはあるかも」
「部活やらないのと合わせると人嫌いのきらいがあるのかもね」
「うっ……自分ではそんなつもりないんだけどなぁ。まぁ部活を迷っているのはちょっと親の事情もあってね」
正門をくぐると街を見下ろす坂道に出る。区画整理された街は見下ろすと網目状に規則正しく伸びた通りが見える。駅前とその周辺には田舎街を脱するために精一杯背伸びしようとした大人達の努力が垣間見えた。少し視線を横ずらせば大森林茂る山脈が広がっているんだけどな。レヒトと出会った墨江津大社はその山脈の麓でひっそりと埋もれている。
「そうなんだ。じゃあいきなり遊びに誘うのも悪いね」
「もしかしてどこか行くつもりだった?」
それでわざわざ声をかけてくれたのか。
「まぁね。でもいいよ、今度また誘うから」
それから学園のことや街のこと、他愛のない話をしながら坂を下ったところで別れた。
◇
「久しぶりに見たぞコレ」
家に着くとリビングには二千円札が置かれていた。製造中止になって久しいので最早珍しいお金と分類されつつあるが不思議と出し惜しむ気にならないそれを財布にしまい、顔を洗うために洗面所へ向かう。
電気を点け、蛇口をひねる。山から引いた花咲市の水はたとえ真夏でも十分に冷たい。肌にまとわりついていた生ぬるい空気がすーっと引いていくのを感じていると同時に違和感を覚えた。
「あっ……」
目を閉じたまま平積みされた真新しいタオルに手を伸ばす。
「やっぱりか」
そっと優しく叩くように水をふき取ってから顔を上げる。目の前に立っているのはプリーツスカートと薄水色のブラウスを身に付けた女の子。銀毛をアクセントにした黒い三角耳が顔の横でぴくりと身じろぎすると黒髪の何本かがさらりと流れ頬に薄く触れる。紺色のハイソックスは顔を洗った時の水しぶきでつま先が少し濡れていた。
右手首に巻かれていた黒のレースとフリルがついたシュシュで髪を束ねる。うなじが空気に触れ、見た目も気分も涼やかになる。
「お洒落したい気持ちが分かるって不思議な気分だ」
ほとんど他人の身体を勝手に借りている状態なのに意識は大分『俺』寄りになっている。それだけに罪悪感がないと言えば嘘になる。
ただ、感覚というか感性や思考の共有度は非常に強い。例えば、薄水色のブラウスを控えめに押し上げているこのなだらかな膨らみにはこれからもっと成長してもらわねば困る、『叶』のように――とか。
「そういえば『あの人』もネコ耳モードなんだよな」
猫型かどうかも定かではないが、親子で型となる動物が違うのも違和感が強いので同じになるのではないだろうかと思う。今度叶や猪口くんあたりに聞いてみよう。
上の階にいるのは分かっているのだから直接確認すれば良い、と自分のことながら思うのだけれど残念ながらその勇気はない。なので、
「とりあえずご飯行きましょうかね」
鏡の中の女の子に向けてそう呟いたのだった。
第五話-Part3へ続く、