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パスカルの賭け  作者: 那須野里見
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第五話-Part1 【見えざる手①】

第五話-Part1 【見えざる手①】




「月ちゃん、ほら早くっ」


唯屋敷さんに半ば引きずられるように外廊下のコンクリートの上を歩く。素足で履いた上履きの感触はなんだか頼りない。プールへ続く階段がまるで処刑場へと続くそれに見えるのはきっと気のせいじゃない。


「そ、そんなに急がなくてもいいんじゃない? まだ休み時間なわけだしさ」


終始気乗りしない様子を見かねて唯屋敷さんが柳眉を逆立てた。


「ダメだよ月ちゃん、学校生活はなんだって自分から積極的に行かなきゃ楽しめないんだから」

「はぁ」

「部活の申請表まだ出してないんでしょう?」

「うっ。なぜそれを」


視線が泳いだのを見て唯屋敷さんはわざとらしく息を吐く。


「なんか月ちゃんそういうの面倒くさがりそうだからって、海老名先生が」

「面倒というか、まだ考え中というか」


正確には不意に世界をまたいだ時にどんな影響出るかまだわからないことも多いから保留にしていたのだけど。転入から一ヶ月が期限なので実際提出期限は一週間ほど過ぎていたりする。

それでもまだこうして考える時間をくれるあたり、学園の事務関連は本当に寛容だ。単に緩いだけとも言えるけれど。


「うちは入らないって選択もあるけどね。でもやっぱり私は入った方が良いと思う。転入前はバスケしてたんでしょ?」

「あ、うん。唯屋敷さんはテニスだっけ?」


何度かウェアを着ている唯屋敷さんを見かけたことがある。それに彼女の周りには人が多いので流れてくる会話だけでなんとなくくらいには予想がついた。


「うん。なんだったらテニス部来る? 私教えるし、みんなも喜ぶと思うよ」

「ありがとう。でももう少し考えてからにするよ。ゆいーー叶の言う通りまたバスケ部に入るのも悪くないかなって思っているしさ」


実際はテニス部は無理だろう。

何故なら唯屋敷さんが所属しているには『女子テニス部』だ。こちら(神使世界)はまだしも、戻った時にどんな影響が出るかわかったものじゃない。男子テニス部もあればそっちに所属していることになりそうだけど生憎蟹江には存在しない。


そんなやり取りをしているうちにプールの入り口の前までやって来た。先を歩いていた数人の女子達が既に開かれていた鉄格子の扉の中へ入っていく。

校舎の二階に相当する高さに造られたプールは、四方を高さ二メートルほどのパネルが覆っているため外から中の様子は窺えない。


「最初だから消毒は後だよ」


そう案内してくれる唯屋敷さんの後につづいて扉の中へ進んだ。気温はそれなりに高いものの、曇り空のせいか横目に見える消毒槽は非常に寒々しい。


プールサイドへ着くと先に教室を出ていた鮎川さん達と合流する。予鈴が鳴るまではまだ少し時間があるもののクラスのみんなはほとんど来ているようだ。

みんな胸から膝下までタオルで隠れているけれど、その下は紺色のスクール水着ではなく肌色全開の全裸。どうしたって意識してしまうが、なるべく視線を遠くへ向ける。

特に、既に張り切って準備運動を始めている鮎川さんは危険だ。屈伸や伸脚をするたびにタオルに浮かび上がっては揺れる柔らかなライン。そこから伸びる太ももはそのつけ根に近いかなり際どいところまで見えている。


…………遠くを見ていても視界の端に映るんだからこれは仕方ないこと、なんです。


「月ちゃん大丈夫?」

「へ!? あ、うん大丈夫、なんでもない」

「そう? でも顔赤いよ?」

「だ、大丈夫だから。ちょっと暑いなって」

「あー、そうだね早くプールに飛び込みたいかも」


この格好でおでこをくっつけるほど密着されたらそれこそ倒れてしまいそうだ。

ぱたぱたと手で顔を仰いでくれる唯屋敷さんの白い首筋に髪がはらりと流れ落ちる。


「……そ、そういえばみんなゴーグルもって来てるんだね」

「そうだね。授業とはいえ結構激しいから。月ちゃんも先生に言えば貸してくれるかもしれないよ、私あとで聞いてみるね」

「あ、うん。ありがとう。でも大丈夫それくらいなら自分でなんとかするよ」


無くても平気だしね。と付け加えると唯屋敷さんも安心したのかそれ以上は何も言ってこなかった。

と、その時予鈴と共に体育教師らしき先生がプールサイドへ姿を現した。女性の先生でホッとしたような、これはこれで落ち着かないような不思議な感情が混ざり合う。


鳥星えぼし先生だよ。去年からずっと女子の担当の人」


眉を寄せていたのに気づいたのか耳元で唯屋敷さんが教えてくれる。本当に気にかけてくれるんだなこの人は。


「ありがとう。あの先生初めて見たかも」


唯屋敷さんは応えるように小さく笑った。


「もう知っていると思うが今年はA組とC組で合同になる。授業は厳しくいくが、せっかくの機会だ。自分のクラス以外とも交流を持って欲しいと考えている。ダラダラせず、しかし気構えず一緒にやっていこう、分かったな」

「はい!」


鳥星のキビキビとした声音にみんなが応える。

170cm超えているんじゃないかと思われる鳥星先生は、その背からだけでなく短く規律よく整えられた黒髪や、つり目がちで意志の強そうな黒目に初見ではどうしても怖そうな印象を受ける。でもこの周りの反応は決してそれだけではない。みんなに慕われているのが伝わってくる。ちなみに耳と尻尾は猫型の黒毛だった。真っ黒で細い尻尾がふわりと宙に弧を描いている。


「怒らせると怖いけど、ちゃんとみんなを見てくれる優しい先生だよ」

「そうみたいだね。そういえば、あまり見ない人もいるなと思ってたんだけど合同だったんだね」

「持ち回りでやるからね。私達の後はD組とF組がプールだって」

「B組だけ今年ないんだっけ」

「B組とE組は去年やったからね。今年は調理科目じゃなかったかな」

「そうなんだ。ってことはクラス分けってある程度きまってるんだ」

「理系特化と文系特化で分かれてるんだ。BとEはいわゆる『特進クラス』ってやつだね」


そんな他愛もないやり取りをしながら、唯屋敷さんはプールサイドの端に置いてあるフェンスへ歩いていく。他の人達も雑談に華を咲かせながら同じように歩いているのでなんとなく流れでついていた。


「ところでなんでこっちに? 消毒槽とシャワーはあっちでは?」

「ん? タオルはもう終わるまで要らないからねここに置いておくんだよ」


思わずはっとした。

次の瞬間、唯屋敷さんが身体に巻いていたタオルに手をかける。タオルを留めているはめ込み式のボタンがパチリ、パチリと一つずつ外されていく。

ボタンが上から三つほど外れると、胸に巻かれていた部分が重力に引っ張られてはらりと落ちそうになる。

そのままだとタオルが地面に落ちてしまうので唯屋敷さんは片手でタオルを抑えながら残りのボタンも外していく。


その時、空を覆っていた雲が途切れ、隙間から幾筋もの光の柱がプールを照らした。その内の一つが狙いすましたかのように唯屋敷さんの染みひとつない玉のような肌に降り注ぐ。


「お、晴れてきたね」


やっぱりこうでなくちゃ、と相好を崩した唯屋敷さんの唇から、はぁーっと吐息が零れた。陽光を受けて輝いて見える淡い桃色の隙間から白い歯と赤く小ぶりで可愛らしい舌が覗く。

その艶かしさに視界がぐらりと揺れる


(あれ……これってまさか)


そしてタオルの全てのボタンが外され、唯屋敷さんの細い肩からなだらかな脇腹、きゅっとくびれた腰と女性らしい丸みを帯びたお尻の白いラインが白日の下に晒されーー


「おい卯月! そっちいったぞ!」

「え」


次の瞬間、目の前に広がっていたのはオレンジ色の何かだった。



 ◇



鼻の奥がジンジンと痛む。鼻血が出なかったのがせめてもの救いだった。


「大丈夫か?」


端っこに腰をおろし、冷やしたタオルで顔を抑えていると体操服の男子がこちらを見下ろしていた。くっきりと浮かんだ喉仏が影を作っていた。


「なんとかね。大丈夫みたい」


なるべく平静を装いたかったが、応えた声はくぐもった鼻声だった。


「急にぼっーとするからだぞ。こっちがビビったっつの」

「ごめん。なんか集中力切れちゃって。猪口いのぐち君はもう戻りなよ。俺は大丈夫だから」

「いいんだよ」


疲れたからちょい休憩。そう言って猪口君は少し離れたところに座る。短く刈られた髪はツンツンと天井を向いている。


「どうせアッチに気を取られたんだろ?」


猪口君が親指で指した先、体育館の中腹に設けられた正面入口とは別の扉は大きく開けられていて、その向こうからは『きゃいきゃい』と黄色い声が響いていた。灰色のパネルで姿は見えないがプールがある場所だ。


「……まぁ、そんなところかも」


説明のしようもないので適当に頷いておく。


「ちょうど始まった頃合いだったんだろうなぁ。よそ見してたのはお前だけじゃないし」


プールサイドでの冒頭説明が終わり、真夏でも凍えるほど冷たい消毒槽やシャワーの水を浴びて出た悲鳴というか歓声というか。


「男子はないんだっけ、水泳」

「ないな。去年はやったから来年だろうなぁ」


持ち回りの順番が少し違うのか。

そういえば、こちらも駐車場脇に併設された外コートじゃなくて体育館になっている。バスケなのは変わらないみたいだけど。


少し離れた体育館の中央ではミニゲームに熱狂するクラスメート達がいた。やはり見慣れない顔が混じっているのはこちらも合同だからだろう。


(さっき顔面にヒットしたのはバスケットボールか。道理で強烈なはずだよ)


ピーっと甲高いホイッスルの音がプールの方から流れてきた。水音がそれに続くところからするに準備運動が終わり、いよいよ水泳が始まったというところか。


「ちっ、女子はいいよなぁ。ほら俺らも戻ろうぜ」

「あ、うん」


立ち上がり様、なんとなく視線を外へ巡らせるとプールに併設されたプレハブ小屋の辺りで人影が動いた。


「うん?」


影になっていてはっきりとは分からなかったが、スカートが見えたから女子だったように思える。

影はすぐに奥へ引っ込み見えなくなった。


「おい、何して――ははぁ」


猪口君が何やらしたり顔で笑っていた。


「そんな目を凝らしたって女子更衣室の中は覗けないぜ」

「なわけ――……だよねぇ」


言い訳するのも面倒なので素直に認めてしまおう。

この辺りに耐性がついたのは神使世界の影響かもしれない。心臓にまで毛が生えたのか、自分でも驚くくらい多少のからかいや揺さぶりでは動じない。


「叶とか水着の上からでもヤバそうだもんな。気持ちはわかるぜ」

「……馬鹿なことばっか言ってないで戻ろうか。ごめんね、変な気を使わせちゃって」

「それこそ何言ってんだ。お、ちょうど俺らの番らしいぜ卯月。――ちょい待った待った、俺らも入るぞ!」

「サボり組がナマいってんじゃねーぞ」

「うっせー! 入れろったら入れろ」


輪の中に戻っていく猪口君の背中を見送ってもう一度プールの方へ振り返る。

誰かが見ていたような気がしたけど。

――まぁいいか。多分気のせいだ。

そう言い聞かせて今度こそコートの中へ戻る。暑いとはいえせっかくのバスケ。しっかり楽しまないと勿体ない。




第五話-Part2へ続く、

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