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パスカルの賭け  作者: 那須野里見
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第二話 【世界中がネコ耳】

第二話 【世界中がネコ耳】



「今日はコンビニ弁当か」


学園からの帰り、電気の点いていないリビングのテーブルの上にぽつりと置かれた1枚の千円札を手に取りそう呟いた。

上がってくる時に上の階の電気が付いているのは見えたから『あの人』はもう帰ってきている。それでもここにこうしたお金が置かれているということは『そういうことだ』ということになっている。


「置いてもらえるだけ有難いことですがね」


スクールバッグを部屋に置き、上がってきたマンションのエントランスに戻ると辺りはもう薄暗くなっていた。大分長くなってきたとはいえ、まだまだ陽は短い。


「千円かー」


買って帰れば家で食べられるけれど、別に家で食べなくちゃいけない決まりはない。

なら、その辺のファミレスにでも入ろうかと考えていると、


――ぎゅるぅ~


なんとも間抜けな音がお腹の中で鳴った。


「……とりあえず、いこ」


最初に目に入ったお店でいいや。そんなことを考えながら、血気盛んに存在を主張する胃袋に食事をさせるべく足早に角を曲がった。



    ◇



「まぁ、最初となるとやっぱりココ(コンビニ)なんですけどね」


黄色と青とオレンジ色の照明を兼ねた外装がやけに目立つコンビニの自動ドアをくぐると、電子音に続いて「いらっしゃいませー」と丁寧な挨拶が飛んできた。あの店員さん新しい人だな、なんてどうでもいいことを考えながら店内を物色していく。


最初に雑誌コーナーを見ておこうと足を向けると、先客だったスーツ姿の若い女性とその手を握る小さな子供がお菓子が並べられた棚の前で何やら会話を弾ませていた。迷惑になるようなボリュームではないし、後続の客の来訪を告げた電子音の方がよほどうるさいくらいだったけれど、なんとなく気になってその様子を目が追っていた。


親子で買い物をするなら数分も歩けば大きめのスーパーがある。そう遠くないスーパーではなく、わざわざコンビニで買い物をする理由はなんだろうか。


家が本当にすぐそこにある。

夕どきの混雑を避けたい。

コンビニ限定の商品が好き。

たまたま近くにあったから寄っただけ。


どれも正解でどれも違う気がする。

子供がお菓子を一つ手に取って女性へ渡す。見た目はとても若いけれどおそらく母親であろう女性はそれを持って手早く会計を済ますと、再び子供の手へ戻す。受け取った子供はとびっきりの笑顔だ。


けれど、外に出た女性の口が紡いだ言葉は謝罪だった。


『ごめんね』


苦々しく生み落とされた音は透明なガラスに遮られて届かない。

女性は子供に手を振ると肩のバッグをかけ直しながら早足で遠ざかっていく。その背中が見えなくなるまで笑顔で見送っていた子供が姿を消すと、残ったのはいつも通りの日常だった。

のっぺらぼうの影が往来を忙しなく行き来し、新商品を紹介しているらしい店内放送からはよく分からない陽気な音楽が流れている。


日常の定義――それは人によって千差万別だろう。

晩御飯まで待ち切れず、仕度を進めている母親に間食を注意されたり、転入したばかりで中間テスト大丈夫なのかとか、そもそも授業についていけているの? とかテレビやスマホばかり見ていないで勉強しなさいとかお風呂入りなさいとか。


きっともっと楽しい様々な日常だって数えきれないくらい存在する。そして想像も及ばないような辛い日常もまた然り。


最後に顔を見たのはいつだったか。


脳みその一部が一緒に暮らしている母親のことを思い出そうとしていた。

マンションの最上階とその下の階を独占している鯉登家宅はマンションの廊下から直接部屋へ入る、いわゆる玄関口の他に、上の階と下の階を繋ぐ中階段が室内に存在する。きっとあの人はあの階段を通ってこうしてお金を置いていくのだろうと思っているはいるけれど、実際にその様子を見たことはなかった。


両親が別れて母親と二人暮らし、いや『二人で一人暮らし』をしている鯉登家にとっての日常だ。


理由もなく手に取っていたファッション雑誌を棚に戻して目的のコーナーへ足を運ぶ。見慣れた場所には見慣れたお弁当達が鮮やかに陳列されていた。


(種類は多いし、味も悪くない)


けれどどこか味気ない。いつも食べているものだから余計にそう感じてしまうのかもしれない。

ふと、唐揚げとチャーハンが両盛りされたお弁当と目が合った。『ボリュームたっぷり450g!』なんて赤いシールが蓋の上で踊っている。


(食べ盛り、とはいえ流石にこの子はねぇ……)


出来るなら遠慮しておきたい。

食べたことのないものだし、食べたいと思ったことは何度かあるけれど、この手のものは越えてはいけない一線上にいる気がして回避に徹していた。


「う~ん……」

「おや、鯉登さんじゃないか」


棚の前で唸っていると声をかけられた。高さから察するに男子だろう。


「あ、えっと……ども、こんばんは」

「こんばんは。鯉登さんも晩御飯探し?」


振り向くとやはり同じ年くらいの男子が立っていた。ブルーのレジカゴの中にはペットボトルの飲料水がいくつか入っている。

柔和なその顔は特徴が無くて覚えにくそうだと思った。


「まぁ、そんな感じ、です」

「まだ慣れないだろうけれど敬語の必要はないよ、ほら同学年だからさ」


そう言って軽く肩をひねって見せた。彼の腕には深緑色の腕章が巻かれている。

たしか、紺の帯が三年生、深緑が二年生、えんじ色が一年生だったはずだ。


「そうなんだ」

「あと一応同じクラスでもある」

「え? そうなの?」

「うーん、一回挨拶はしたと思ったけど」


話を合わせるべきか、謝るべきか迷っていると彼は柔らかく表情を崩した。

話の分かる人で良かった。落ちついて記憶を辿ってみるが、やっぱり見たことあるようなないような、印象は曖昧だった。

ただ、その男子にしてはやや長い黒髪の隙間から覗いた『人間の耳』を見て、「ああ、そういえば今はこっち側だった」とだけ安堵した。


「まあ無理もないよ。それよりお弁当を探しているということはひょっとして家が近かったり?」

「うん? うん、まぁ、近いよ」

「そうなんだ。僕も近いんだ。学園へは坂がきつくて最近嫌になりそうだけど」

「あー、分かる気がする。まだ通い始めたばかりだけどすでにちょっと憂鬱だよ」

「はは、お互い慣れられるといいね――」


その後何か続けようと口を開いて、


「――っと、あんまり長話する場所でもないね。それじゃまた。もう暗いから帰り気をつけて」

「うん、また」


店内に他の客が増え始めたのを見るとあっけなく退散していった。

結局弁当は買っていかなかったようだ。


「ってか名前聞きそびれた」


でもあんな人いたかな。

影が薄いとか、自分のもの覚えが悪いとかそういうレベルじゃない気がするんだけど。


(うーん……)



「ありがとうございましたー」


入った時とは異なる気だるげな挨拶を背に店を出る。陽はほとんど落ち、遠くの山の稜線に僅かばかりの朱を残すのみだった。

ちょっぴり夏の匂いをはらんだ心地良い風が通り過ぎていく。


学園に転入して一週間が過ぎた――結局のところ『アレ』が何であるのか、どうしてこんなことになっているのか。具体的なことは何も分からなかった。

判明したことは、生徒だけでなく教師や街の大人達全てに動物のような耳や尻尾があるということだ。あるいはここ花咲市全体がそのようになっているのか、もっとずっと広い範囲までそうなっているのかはまだ確かめていない。

耳や尻尾の形は大多数がどこかで見たような猫や犬のそれだったが、その毛色や毛並み、模様は三毛だったり縞々だったり、あるいはトラ柄だったり、豹柄だったりと様々だ。中には背中に翼を持つ人までいるらしい。


コンビニの袋を片手に坂を登る。

家までそれほど距離はないけれど袋を引っ掛けている指の付け根あたりが赤くなっているのを見て、二リットルのペットボトルなんて買うんじゃなかったと少し後悔する。


また、不可解なことにそれは『今は』存在しない。

仕事帰りとおぼしきスーツを着た男とすれ違う。最寄り駅『花咲駅』は坂を上った先、学園の向こう側にある。

すれ違い様に頭部と腰の辺りを確認するが、勿論頭の上に三角耳なんてついていないし、尻尾が垂れていることもない。普通はそんなことあり得ない。

しかし、転入初日とその後何度か、街の中で同じようにけもの耳と尻尾を持った人とすれ違い、あるいはその相手に買い物をした事実がある。皆その耳と尻尾以外は至って普通の人達に見えた。

ではその人達だけが『そう』なっているのかというと、次の日にはその店員も普通の人間に戻っていたりする。


「あとは……そう、自分だ」


最大の収穫と呼べることは、けもの耳と尻尾をした人間を見た際、必ず自分にもそれがついていたということだ。これは学園、街どのケースにも当てはまっていた。

母親はどうだったんだろうかと興味が頭をかすめたが、振り切るように思考に没頭する。


(いい加減ちゃんと調べてみるか)


どう考えても異常なことではあるけれど、けも耳モードの時間は短い上に別に何か不都合があるわけでもない。それに周囲がいつもと変わらず過ごしているので面倒なことは考えないようにしていたのだ。



    ◇



マンションに戻ると管理人のおばさんが帰るところだった。


「……。こんばんは」


無言で立ち去るのもなんなので一応挨拶はする。


「あら。こんばんは。またそれかい? もっと栄養のあるもの食べなきゃ駄目だよ」


手に下げたコンビニの袋を見つけ、人の良さそうなおばさんの顔が曇る。


「はぁ。なるべく気をつけてはいるんですけど」

「今度ウチにおいで。晩御飯くらいあたしんとこで食べたってバチあたりゃしないよ」

「ありがとうございます。でも大丈夫ですから。今日はコレですけど毎日ってわけじゃないですし」


お気遣いありがとうございます、と丁重に断る。


「そうかい? でももし気が向いたら遠慮しないで言ってちょうだいね?」

「ありがとうございます。おやすみなさい」


おばさんの気遣いは嬉しいけれど、この母親とのこの暮らしには幾つか小さいルールがあった。

その一つが他人の家に世話にならないこと。

これは母親の体裁を保つために必要なことだ。少々特殊な母親は、仮に子供が人に世話になった場合お礼に行かないわけにはいかなくなる。必然、外に出なければならなくなるのでこれは禁止としている。


「さて、とりあえずやりますか」


ちょうどおばさんの頭の上には三角耳がのっていた。歳を取るとけもの耳も張りがなくなるのか茶色と白のふさふさで覆われたそれはややタレ気味だった。

今なら何か情報が得られるかもしれない。

そんな予感のもとベッドの上にノートパソコンを広げる。

久しぶりに点けたため更新が長いようだ。


「やっぱり味気ないな」


買ってきたお弁当を咀嚼しながら呟く。

今までずっとおいしいと感じていたのに。これが『飽き』というやつかもしれない。

中々起動しないパソコンはひとまず放っておくことにし、テレビをひっぱりだすことに。引っ越しの時以来設置すら済ませていなかったのでこちらも相当お久しぶりだ。


テレビ台なんてものは無いので段ボールから出してそのまま床に置く。チャンネル設定はすぐに終わりローカルチャンネルを押す。


「あー」


続いて全国チャンネルへ回す。


「ほー」


一通りチャンネルを回し終え、テレビの電源を消す。それっぽく腕を組んで感心したように頷いた。


「なるほど」


番組の内容はどうでもいい。しかし、確かに得られたことがあった。というより、これまで気付かなかった自分の無頓着さ加減に少し呆れた。


「世界中がネコ耳だ」


勿論、犬や狐っぽい耳もあるけどなんだか平和そうなのでそう口にした。


(まさかと思ったけど。なるほどねぇ)


あまりに自分の常識とかけ離れていると、一つ予想が当たっただけでなんでもわかったような気になってしまう。

呆然と真っ白な思考の海を彷徨う。熱が籠って唸り始めたノートパソコンの駆動音がいやに響いていた。





――第三話へ続く、

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