第一話 【トンネルを抜けると】
第一話 【トンネルを抜けると】
『自分を、友達を動物に例えるなら』
あの子は猫っぽいよね。とか、
私は犬っぽい気がする。とか、
じゃあ自分はどっち? なんて軽い気持ちで聞いて「バッファローに似ている」などと言われて密かにがっかりしたり(バッファロー可愛いじゃんなんて言われても嬉しくない)。
どんな動物にたとえ、たとえられようとも、それは何の意味も持たないはずの他愛もない話で(心理テストなら意味もあるかもしれない)。
それでも誰しも一度や二度は友達や家族との雑談の話題に出てきたり、あるいはそんな話を人がしているのを耳にしたことはあるんじゃなかろうか。
でもそれはあくまでもたとえ話で。本当に動物の耳や尻尾をつけるわけじゃない。
そう――これは当たり前のことだ。
「じゃあこれは一体どういうことなんだ」
「どうかしたの? 鯉登さん」
「え?」
うっかり口に出てしまっていたらしい。前で雑談に華を咲かせていた女子生徒――唯屋敷さんがそのふさふさの耳を撫でつけながら振り向いた。
「えっと、なんでもない。ごめんちょっと考え事」
「そう? 何か分からないことがあったら遠慮しないで呼んでね」
「うん、そうする。ありがとう」
そう『耳』だ。ピンと教室の天井に伸びる三角形の耳。ふさふさのそれは決して髪じゃない。彼女の頭部と同化するように、髪と同じ色合いをしたもふもふの絨毯に覆われた『耳』が頭の上にちょこんと鎮座している。雑談に戻ってからも時折ピクッと小さく跳ねるそれはとても作り物には見えない。眺めていると無性にモフりたくなってくるところまで『本物』そっくりだ。
「そのケモミミカチューシャ可愛いね」なんて冗談を交じえていじり倒したい衝動を抑えているのは、自分が今日この学園に入ったばかりで右も左も分からない転入生だからじゃない(いや勿論それもあるけれど)。
唯屋敷さんとの雑談の輪の中にいた女子の一人が息をついた。
「最近ちょっとバサつくのよねー」
「うわホントだ。ちゃんと手入れしてるの? 一回荒れちゃうと治りにくいよ」
そう嘆きながら彼女が手にしているのは細長い尻尾だ。薄茶色と白の縞模様が手の中でしきりに動いている。どうやら尻尾の毛並みが荒れている(バサつく?)のを気にしているらしい。
「してるよ。ちゃんと保湿袋にも入れて寝てるんだから。はぁ、ちょっと憂鬱。勉強なんて手につくわけないじゃん」
「アンタは元々手についてないでしょうが」
頬杖をついてわざとらしく落ち込む仕草を見せたその女子に、隣に立っていた女子生徒がをその『耳』をつついた。
「叶はいいよねー、どんだけつやつやしてんのよ。同い年とは思えない」
「え、いやそんなことないって一緒だよ」
「はー謙遜うざ。いいもん。叶は後でくすぐりの刑ね」
「もうしょうがないなぁ。ほらこれあげるから」
唯屋敷さんはクリームのようなものを取りだして手首のあたりにつけると、バサつくと話していた女子生徒の尻尾に手を伸ばした。唯屋敷さんの手がその尻尾を手に取ると、女子生徒は大袈裟に体をくねらせる。
「やだ叶のエッチ――あ、ちょ、そんな。叶の指があたしの大切なところまさぐって……んっ」
「……。もう知らないよ?」
「ごめんなさい」
白くほっそりとした指が毛波の中で踊るのを眺めながら、スカートからチラチラと危なっかしく覗くふともも――の更にその上、お尻の辺りから伸びる『ソレ』を目で追う。
(尻尾だ…………)
どうみても尻尾だった。
嘆いていた女子生徒の尻尾は毛足が短かったが、唯屋敷さんの尻尾は毛足が長く、ふわっと軽やかな広がりを見せている。焦げ茶色と透き通るような白の鮮やかなコントラストは猫の長毛種、ペット雑誌などで表紙を飾るような優美なメインクーンのそれを彷彿させる。そして各々特徴は違えど、そんな『耳』や『尻尾』をクラス中の皆が身に付けている。
そうしたアクセサリーが流行っていると片づけるにはあまりにも『本物』に思え過ぎてしまう。が、何より驚いているのは、それらはこの教室を、この学園を初めて訪れた数時間前までは誰の身にもついぞ見たことが無かったもの、ということだった。
(昼休み、転入手続きを終えて職員室から戻るとケモ耳とシッポの楽園だった)
うーん、『そこは』はない方がやっぱり良いな。
「……でなくて。なんて馬鹿な」
「さっきからどうしたの? あんまり顔色良くないよ? 具合悪い?」
クリームを塗り終えたのか、唯屋敷さんが心配そうにこちらを見ていた。
「あー、うん。ちょっとそう……かも」
「ホントに!? 大丈夫? 保健室行く? 案内するよ」
「いや、そこまでは大丈夫――え、ちょ!!?」
唯屋敷さんの顔が近づいてくる。
「ん、ちょっとごめんね」
前髪が上げられ、おでこを合わせたのだと理解したのはそれが離れた後だった。ひんやりとした手の柔らかな感触と唯屋敷さんの唇の形がやけに目に焼き付いていた。
「熱はない、かな。でもちょっと顔赤いかも」
感触を名残惜しむように前髪がはらりと流れ落ちる。
「転入初日で疲れてるんじゃない? 無理しないで帰っていいっしょ。あたしなら帰るね、うん」
「それはミキだけだって。でも大丈夫? 叶はちょっと心配症だけど食べられたりはしないと思うから、無理しないで付き添ってもらったら?」
「ちょっとみっちゃんまで。何言ってんの、もー」
気がつけば尻尾を気にしていた女子生徒やその周りの生徒までがこちらの様子を気にかけていた。
「い、いや、本当に大丈夫だから。なんか変に緊張しちゃってるだけだと思う」
不意に注目を浴びて本当に熱が出そうだった。
「そう? 無理しちゃ駄目だよ」
「うん。大丈夫。ありがと」
何度かそんな返事を繰り返していると予鈴が鳴り、ざわついていた空気が元に戻っていく。
「じゃあ私次移動教室だから行くね。鯉登さんはココだったよね?」
「うん、そうだったと思う」
「そっか、じゃまた後でね」
「あ、唯屋敷さん」
周囲から唯屋敷さん以外が離れたのを見計らって声をかける。確認しておかなければ授業どころではない。
「それってクラスで流行ってるの?」
「それ?」
「うん、それ。あとソレも」
頭と、次いでお尻の辺りを指で示す。
「……どれ?」
しかし、唯屋敷さんは意を得ていないようで、指された指を辿るように身体を捻ると首を傾げた。
「えっと、その耳? と、尻尾?」
「耳と尻尾?」
「そうそう。どこかのアクセサリーが流行ってるのかなーとかちょっと思って。ほら、私まだ持ってないし、少し気になるというか」
だがそれでも唯屋敷さんの反応は鈍い。「何を言っているの?」とばかりに怪訝そうに整った眉をひそめている。
「ちょっとごめんね。――えーと、これなんだけど」
席を立ち唯屋敷さんの横に並ぶ。そのスカートから覗く尻尾のアクセサリーに手を伸ばし、軽く撫でる。
「ひゃう!!? ……んぅ、んぁ」
途端、唯屋敷さんは跳び上がるように悲鳴ような叫びのような高い声をあげ、漏れ出たような艶かしい声が教室に響いた。手の中の尻尾のアクセサリーがピーンと硬直する。
(……ピーン?)
唯屋敷さんの様子に、教室を出ようとしていた生徒が数人こちらを振り向いていた。
(あれ?)
耳元で聞こえる熱っぽい吐息に、何か重大な間違いを犯したような気がして恐る恐る顔を上げると、唯屋敷さんの白い頬が朱く色づいていた。ぱっちりとしていたアーモンド型の瞳は細められ、うっすらと涙まで滲んでいる。
「あの……もしかして、触ったらまずかった?」
胸の前にある腕は跳び上がった時のまま固まり、内またになった脚はふるふると小さく震えていた。暑くなる時期はまだ遠いのに、つっ、と一粒の水滴がふとももの内側を伝うのが見えた。それでも唯屋敷さんは気丈にも立ち直ると、入り口で固まっていた生徒達に問題ないことを伝えた。
「……ご、ごめん。ちょっと驚いちゃって」
「いや、こっちこそ何か失礼なことをしてしまったかと」
「そ、そうだよ、いくら友達同士でも、急にしっぽを触るのはナシだよ」
「ごめんなさい」
「もー」と頬を膨らませる唯屋敷さんだが、本当には怒っていないのが分かる。やっぱり優しいな、なんて思うがそれはまた別の話しだ。
「でも尻尾って――まさか本当に!?」
「驚くところそこなの? そりゃ鯉登さんのしっぽは綺麗だけど」
「は?」
「え?」
そこでようやく腰の辺りに違和感があることに気付いた。
「なんかふわふわ、する?」
腰の少し下、制服のスカートから黒い曲線が伸びていた。
「月ちゃんは猫っけなんだね。わたしもだからたぶんこれから一緒になることも多いかもね」
「月ちゃん?」
妙なあだ名を付けられてしまった。
「はっ!? まさか――」
がばっと机の脇に下げたスクールバッグの中から手鏡をほじくり出し、ぱっと頭の上を鏡で映す。
だがそこに『ケモ耳』は無かった。
「あれ?」
予想が外れたことに首を傾げていると、唯屋敷さんの手が伸びてきて鏡の向きを少し下に変えられた。
「綺麗だよね、その髪。ちょっと羨ましいかも」
見慣れた顔の脇に見慣れない不審物が付いていた。ぎゅーと思い切り引っ張ると耳の付け根に鈍い痛みが走る。
「いたた……っておい!」
顔の両側には長い黒毛に覆われた『ケモ耳』がついていた。当然本来の人間の耳はどこにも見当たらない。たれ気味のその耳は自分で見ても形が良く、しっとりとした黒毛の中央に銀毛のアクセントが入っていて少しお洒落だ。
「うーん。悪くない、かも。じゃなくて! なんでーーーーーーーー!!?」
――第二話へ続く、