4:再会
正門の前で十五分ほど待ってみたが、朝子がやって来る気配はない。もしかすると既に大学を出て帰途についているのだろうか。けれど、まだ構内に残っている可能性もある。
どちらにしても、もう少し正門前で待っていることが最良の策ではある。
風巳は壁に背を預けて腕を組んだまま、じっと俯いていたが、もう一度大学の建物を仰いだ。顔をあげると、通りすがりの学生達と目があってしまう。
さっきから周りの視線が気になって、まともに顔を上げられない。
なぜか注目されているのだ。
やはり在校生ではないことがばれているのだろうか。それとも、自分に何かおかしな点でもあるのだろうか。
ここで待っているのが良いとわかっていたが、風巳は居心地の悪さに負けてもう一度構内へ戻ってみることにした。
腕時計の針は一時を過ぎている。
結城邸に出る前に食事を済ませていたおかげで、風巳の空腹は満たされていた。
(だけど、よく考えるとお昼時だな)
自分にお腹の空いている感覚がなくて見落としていたが、よく考えると朝子が学食にいてもおかしくはない。風巳は閃いた考えに従って、構内を進む。
一階の掲示板の前は人通りが多く、その向かい側が食堂になっていた筈だ。食堂に向かいながらも、やはり遠慮がちにこちらを窺う学生の視線を感じる。
ここまで周りの反応が顕著だと、自分が部外者だとばれていると思わざるを得ない。早く朝子を見つけて、大学を出て行くしかないだろう。
ようやく学食の前まで来ると、風巳は見知った人影が出てくるのを見つけた。白っぽい金髪に、日焼けした肌。袖から出た二の腕の逞しさは、羨ましいくらいだ。 向こうもすぐにこちらに気付いたようで、弾かれたように風巳を見た。
彼は「あっ」と声をあげて、一瞬何かを迷ってから、勢い良く歩み寄って来た。
「あの……」
図書館での出会いがあったとしても、初対面の知らない学生であることに変わりはない。風巳は突然声をかけられて戸惑ってしまう。もしかすると、何か注意されるのだろうか。
「結城の彼氏、――ですよね」
思いがけない問いに、風巳は反応が遅れた。彼は日焼けした顔に、にかっと愛嬌のある笑みを浮かべる。
「えっと、俺は彼女の知り合いで吉川透って言います。結城なら、学食にいますよ」
風巳は彼に抱いた疑問が解けるのを感じた。朝子の知り合いならば、自分のことを知っていてもおかしくはない。図書館で出会ったときも、それで声をかけようとしてくれたのかもしれない。
微妙に間違えているが、風巳はそれで全ての符号が揃うと納得してしまう。
張り詰めていた緊張をといて、風巳も自然に笑みを返した。
「良かった。図書館で見失ってから、彼女を探していたから。どうもありがとう」
軽く会釈すると、彼は戸惑いながら「いえいえ」と首を振った。見た目は派手でいかついのに、きさくな仕草だった。
「あの、それじゃあ」
彼は白い歯を見せたまま風巳の前から立ち去る。掲示板の前に出来上がっていた人ごみへと紛れてしまった。
「――さてと」
風巳は気を取り直して学食へ踏み込む。遮られることのない陽光に照らされた食堂内は、明るく、人影もまばらだった。
同じ空間で、まるでそこだけが別世界のように鮮やかに飛び込んでくる。
会えない日々、何度も思い描いた人影。
後姿なのに、それは想像よりもずっと鮮明で、近づいて、手を伸ばせば触れることの出来る距離感。
立ち尽くして魅入っていると、彼女の親友である室沢晴菜がこちらに気付いたようだ。信じられないものを見るように、ぱちくりと目を見開いている。
風巳は口元に人差し指をたてて、笑ってみせた。
それから。
「朝子」
呼びかけが届いたのか、親友の様子で何かがおかしいと気付いたのか。彼女は刹那、動きを止めた。けれど、まだ振り返ってくれない。
「――朝子」
こんなにも近くに、彼女の気配がある。
ずっと、思い描いた輪郭が。
突然、かつて味わったことがない衝動が、風巳の中で荒れ狂う。
抑えのきかない気持ち。
もう彼女が振り返るまで、見つけてくれるまで、待ちきれない。
腕を伸ばせば届く。
触れられる。
風巳はためらわず手を伸ばした。腕の中にしっかりと彼女を捕まえる。ずっと確かめたかった温もりが、身体を突き抜けて胸を打つ。
餓えた何かが、満たされてゆく感覚。
「やっと会えた、ただいま」
腕の中で彼女がゆっくりと振り返る。懐かしさを覚えるほど、焦がれていた体温。
澄み切った、大地を映したような色合いの瞳が、真っ直ぐに心を貫く。
「風巳」
自分を呼んでくれる声。
背後から彼女を抱きすくめたまま、風巳は笑ってみせた。
「早く会いたかったから」
ますます彼女を強く抱きすくめて、甘えるように頬を寄せてみる。
「休暇に入った瞬間、戻ってきた」
朝子の手が、そっと風巳の腕に触れた。眩しいものを見るように、彼女は一瞬だけ眼差しを伏せてから、とびきりの笑顔で応えてくれた。
「おかえり、風巳」
何も言葉にならない瞬間。
風巳は触れた身体から、思いが届けばいいと目を閉じた。
「……えーと」
感動の再会を一部始終見守っていた室沢晴菜が、わざとらしく声をあげる。風巳はそれで我にかえったが、何となくもったいなくて朝子を離すことができない。
そろそろこの腕を解かなければ、周りの視線が痛いことも確かである。
「本当に、びっくりしたけど。……ともかく、私からもおかえりなさい」
朝子から離れない風巳を見ながら、晴菜が気を取り直して声をかける。
「うん。室沢も、久しぶりだね」
席に座っている朝子を背後から抱きすくめたまま、風巳は返事をする。晴菜はそんな様子に笑いながら感想を述べた。
「なんかさ、犬っころみたいだね、吹藤君」
「あー、うん。たしかに、久しぶりに飼い主に出会えた犬の気持ちかも」
「でもね、傍から見ていると単なるバカップルだよ」
「いいもん、別に。会えるときにぎゅうってしておかないと、もったいないもん」
風巳が開き直っていると、腕の中で小さく朝子の声がする。
「――あの、風巳」
人目が気になるのか、彼女は腕の中で顔を真っ赤に染めている。
「そろそろ、離してほしいんだけど」
彼女に訴えられると、風巳としても腕を解くしかない。名残惜しい気持ちのまま離すと、朝子は大きく吐息をついた。
風巳の視線に気がつくと、赤く頬を染めたまま、はにかんだように笑う。
(……か、かわいい)
風巳にとっては、殺人的なくらいに愛しい仕草だった。
次々に衝撃的な感動に襲われて、気持ちが乱れっぱなしである。
会えない日々に思い描いた幻では、こんな想いは与えられない。
「それにしても、予定よりも早く戻って来れたんだね。連絡をくれたら空港まで迎えにいったのに」
「そういうと思ったから、ゲリラ帰国にしたの。朝子は試験中なんだから」
想像と違わない反応に苦笑すると、朝子は「平気なのに」と不満そうな顔をする。
「吹藤君、お昼ご飯は?」
「食べてきたよ。まどかさんが用意してくれていたから」
何気なく答えると、朝子が「えっ?」と声を上げた。
「まどかさん、風巳が戻ってくるって知ってたの?」
「うん。今朝、空港から電話したんだ。朝子には内緒ってことで」
「もうっ、ひどいよ。二人とも。……あ、でも、だからまどかさん、何だかそわそわしていたのかな」
朝子は何かを思い返して、可笑しそうに笑っている。彼女をよく知る晴菜にも風巳にも、何となくその様子は想像がついた。
「だけど風巳、突然大学まで来て、よく学食にいるってわかったね」
「まどかさんに朝子達が図書館で調べ物するって教えてもらったから、実はずっと二階から眺めていたんだ。だけど、途中で見失って、時間的に学食かなと思って。それに、ほら、朝子達の知り合いの、吉川、君?派手な金髪の学生が教えてくれたよ」
「吉川君に会ったんだ」
朝子と晴菜が声を揃えた。風巳は頷いてみせる。
「その前に図書館でも会ったし。じっと俺のことを見ていて焦ったけど」
風巳が成り行きを話すと、朝子は隣の晴菜と顔を見合わせた。
「――そっか。吉川君、風巳に会っていたんだ」
何かを悟った様子で朝子が呟くと、晴菜が興味深げに風巳を見る。
「吹藤君って、一体どんな色だったんだろう」
「私も、すごく知りたいかも」
二人はしげしげと風巳を眺めて、再び顔を見合わせている。一人だけ状況がつかめず、風巳は首を傾げるばかりだった。