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2:決意表明2

 話を茶化すこともごまかす事もなく、彼は真っ直ぐに向かい合ってくれる。風巳かざみは再び鼓動が高くなるのを感じだか、恐れるような気持ちはなくなっていた。


「先にあきに話しておいたほうが、筋が通っているかなと思って。これまで、ずっと晶が朝子あさこを大切に守ってきたから」


 彼はゆっくりと目を閉じて、向かい側で語られる声を聞いている。告げるべき言葉を、風巳は迷わず口にした。


「晶、その役を俺に譲ってくれないかな。もちろん、今すぐにじゃないけど。あと半年もあればMITは卒業できるけど、俺はTラボから離れることはできない。それが夢に繋がる唯一の方法だから。――いずれ朝子が大学を卒業したら、俺は彼女をアメリカへ連れて行くけど、それを許してほしいんだ」


 包み隠さず思いを打ち明けると、晶は閉じていた目を開く。美しい蒼黒の瞳に風巳を映して、浅く笑った。


「俺の手から、妹を奪っていくわけだ」


 浅い微笑みが、少しずつくっきりとした笑みに変わっていく。


「朝子がおまえについて行くと決めたのなら、俺は応援してやるつもりだけど。……でも、アメリカへ連れて行くのは、おそらく無理だろうな」


 彼の意図がつかめず風巳は反応が遅れた。反対でも駄目でもなく、無理。それが何を意味しているのか全くわからない。朝子が結城ゆうき邸を離れることを厭うということだろうか。亡き両親の思い出を手放すことが出来ない。そういう意味を含むのだろうか。


「無理って、どういうこと?朝子がここを離れられないっていう意味?」


 一筋縄ではいかない試練を与えられた気がして、風巳はたしかめる。


「俺だって、朝子の思いは尊重するよ。彼女が嫌がるのなら、無理強いするつもりはない」


 晶は風巳の反応を面白がっているのか、見慣れた笑みを浮かべている。

 からかうような、見下すような、企むような、どこか悪戯めいた笑い方。


「誰もそんなことは言ってない。朝子はおまえが望むなら、それが地の果てでも追いかけるだろうよ。俺や両親の思い出に縋って立ち止まるような奴じゃないからな」

「――うん」

「Tラボに戻れば、すぐに耳に入るだろうけど。この際、教えてやろう」


 何を言い出すのかと風巳は思わず構えてしまう。


「今年の暮れには、IMDIとTラボは技術提携を開始する」

「え?」

吹藤ふとうとボーフォード、それからグラストン。三大財団の出資によって、二年以内には日本国内に共同施設が建設される。現在は戴家とも交渉が進んでいるようだな。俺達は楽園計画エデン・プロジェクトと呼んでいるが」

楽園計画エデン・プロジェクト?」

「そう。人の手で第二のアダムとイブを創る。それを最終目標として掲げている、そういう意味だ。医療技術と工学技術を駆使して、まず生体機器の開発をはじめる」


 遠い未来に向けておぼろげに見ていた夢は、既に実現に向けて動き始めていたのだ。風巳は思いも寄らない事実に、身動きが出来なかった。


「こらこら、おまえは呆けている場合じゃないだろ」


 晶に突っ込みを入れられて、風巳はようやく「すごい」と呟いた。晶は呆れたように吐息をついて、強い眼差しで風巳を貫く。


「いいか、風巳。楽園エデンへ来い。おまえなら果たせる筈だ。必ずたどり着いて、同じように未来の礎を築け」


 壮大に開かれてゆく、未来。その架け橋としての役割を、彼は風巳に示唆する。

 遠い未来、いつの日か、風巳は彼の助けとなる力が手に入ればいいと夢を見ていた。

 けれど。

 胸に秘めていた夢は、既に形になって風巳の目の前に道を示す。前人未到の境地へと導く道標。彼の隣に立って、同じ夢を見る。そのための道が築かれているのだ。


「俺が?」

「そう、おまえが。IMDIとTラボの新しい部門として楽園エデンが誕生するんだ。だから、今ここで俺がおまえに試練を与えてやるよ」


 彼は見惚れるくらい、艶やかな笑みを浮かべて宣告した。


「朝子をアメリカに連れて行くことは許さない」


 胸が震えた。全身が総毛立つほどに、何かが込み上げてくる。風巳はわずかに震えていたことに気付いて、自分を抱きしめるように腕を組んで力を込めた。

 彼に与えられた試練を、厳しいと厭う気持ちは生まれてこない。

 託されたことが、ただ素直に嬉しかった。喜びとなって風巳を支配する。


「俺、精一杯励むよ。たどり着けるように。――約束する」


 決意を語ると、晶は深く頷いた。


「風巳。俺は朝子をおまえに託すことには、何の不安も感じていない。……おまえと出会ってから、俺はおまえのこともずっと見てきたつもりだ。吹藤という家に生まれながら、歪むことのない心。真っ直ぐで、素直で、俺とはまるで違う。俺には妹を守ることができても、癒すことはできないんだ。だけど、きっとおまえにはそれが出来る」


 淡々と打ち明けられた思いが、強く風巳の胸に響く。彼がどんなふうに自分を見ていたのか、晶がはじめて語ってくれる。


「そんなことも知らずに、はじめはおまえに辛く当たった。悪かったと思っている」

「そんなこと」


 もう気にしていないと示すと、彼は判っていると頷いた。


「今は朝子がおまえと出会えて良かったと、心からそう思える。……風巳、妹を見つけてくれて、ありがとう」

「――晶」


 この広い世界でめぐり合えた、たった一人。自分が想いを捧げる誰か。

 風巳には朝子だった。奇蹟のような出会い。彼はそれを祝福してくれていたのだ。

 目頭に熱がこみあげる。涙が出そうになって風巳は咄嗟に俯いた。唇を噛んで堪えることで精一杯だった。


「だが、しかし」


 彼はこれまでよりもよく通る声で、わざとらしく逆説を強調する。


「それでもやっぱり腹が立つのはどうしてなんだろうな」


 感動的な場面にあっさりと水を差して、彼は嘲笑うような表情を見せた。風巳はふっと気持ちが緩む。彼と自分の間にしんみりとした空気が漂うのは似合わない、そんな気がして、おそらく晶にも同じような気持ちがあるのだと思えた。


「そういうわけで、思わず嫌がらせをしてしまうかもしれないが、よろしく」

「ちょっと、よろしくって……」


 彼の兄としての我儘は、単に場の雰囲気を塗り替えるためなのだと肯定的に考えていたが、目の前の楽しげな笑顔を見て、風巳はすぐに思い直す。


(絶対に本気だ。この人は)


「そうだな。たとえば、突然物が落ちてきたり、突き飛ばされたり、もしかすると不思議な出来事が起きるかもしれないが、気をつけろよ」

「あのね。俺に何かあったら、朝子に怨まれるのは晶だからね」

「それは大丈夫だろ。その辺りはうまくやるから」


 思い切り屈託のある台詞を吐きながら、晶は珍しく屈託のない顔で笑っている。何となくそれを見ただけで、風巳はこれが彼なりの祝福なのだと判ってしまった。


(――敵わないな)


 何もかもがとても晶らしいのだと、思わず心の中で苦笑する。

 その後、さんざん彼なりの激励――だと思いたい――を受けて、風巳はやっと次の段階へ進むことを自分に許した。

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