3:秘められた真相
風巳が深い溜息をつきながらテレビを消した。事件についての続報は依然として人々の関心を集めているらしい。好き勝手に賑わっている報道は、朝子の目にも見ていて気持ちの良いものではなかった。
祥子が全ての真相を明らかにしてから、既に三日が過ぎた。
朝子は事件の解決を願っていたが、与えられた結末はやりきれない思いだけを残した。
隣に座っている風巳が、朝子の心境を察したのか慰めるようにぽんぽんと肩を叩く。
「祥子さんの想いは、ちゃんと吉川君に届いたよ」
「うん。それはそうなんだけど。……でも、やりきれないなって」
風巳も同じ想いを抱えているのか、静かに頷いた。
「でもね、朝子。俺、もしかすると間宮祥吾は祥子さんのことを好きだったんじゃないかなって思うんだ」
風巳の発想に驚いて、朝子は首だけではなく体ごと身動きをして彼と向き合った。
「どうして?」
「出来事を辿っていくと、そんなふうに考えるのも有りかなって」
「だから、どうして?」
朝子が身を乗り出すようにして風巳を見ると、彼は苦く笑う。
「もちろん、これは俺の想像だけど。間宮祥吾が自分の両親を怨んでいたのなら、吉川君の両親をあんなに怨んでいたのは変じゃないかなって。自分の過去に関わった全てが憎くて、単に見境がないだけだったら話は別だけどさ」
風巳に示されて、朝子ははじめてそういう考え方に思い至る。たしかに間宮祥吾が自分を捨てた両親を怨んでいたのなら、その両親を失意の底へ突き落とした透の両親を怨むような理由はないのかもしれない。
けれど事実として、間宮祥吾には透の両親へ怨みを書き綴った手紙を送りつけるほどの憎悪があった。
「間宮祥吾は、自分の両親を怨んでいなかったということ?」
「そういう考え方もあるっていう話。彼は祥子さんを見つけてからも、祥子さんに対してはずっと優しかった。あの事件が起きる日まで」
「それは、優しくしておいて裏切るためで。それが最大の復讐だったんじゃないかな」
「うん。彼が自分の両親を怨んでいたのなら、祥子さんをつかって怨みを晴らすことも考えられる。でも、もし本当は両親を怨んでいなくて、純粋に祥子さんを大切に思っていたら?」
「大切に思っていたら、あんなふうに豹変しないと思うけど」
風巳は頷いて見せたが、「でもね」と続けた。
「俺が空港ではじめて二人を見た時、恋仲のように見えた。間宮祥吾の仕草がとても優しかったんだ。……晶がまどかさんに触れる感じと良く似ていた。だから、俺は祥子さんが吉川君と二股をかけているのかなとか疑っていたりもしたんだけど」
朝子には風巳が空港で見た光景を、同じように思い描くことができない。けれど、風巳がそう感じたのならば、それは正しいのかもしれないと思えた。
「はじめはたった一人の妹として祥子さんを大切に思っていた。だけど、それが恋愛感情にならなかったとは言えないだろ。兄妹とは言っても、二人には兄妹として共有するはずの思い出もないんだ。どちらかというと、ただの男と女っていう感覚の方が大きかったんじゃないかな」
「……うん。それはわかる」
「だけど、間宮祥吾にとって祥子さんは実の妹なんだ。叶うはずのない想いに苦しんでいたのかもしれない。一時期、彼は女性関係の噂が耐えなかったけど、それも本当は妹への想いをごまかすために、そんなふうに振る舞っていたんじゃないかな。でも、結局誰と付き合っても、祥子さん以上に想える相手がいなかった」
朝子はただ頷いて、風巳の言葉に耳を傾けた。
「そして、祥子さんは吉川君と交際をはじめる。吉川君の両親のことを誤解して逆恨みしている間宮にとっては、彼は親の敵で恋敵にもなった。彼の吉川君に対しての度を過ぎた攻撃も、それなら理解できる」
「――うん。そうかもしれないけど」
それだけでは、まだ祥子に向けられた憎悪に繋がらない。風巳は朝子の疑問を心得ているらしく、先を続けた。
「祥子さんを愛している間宮にとっては、吉川君に対して嫌がらせをしている自分を祥子さんに知られるのは絶対に避けたかった。だけど、あの事件の夜、祥子さんは間宮にこれまでのことを訴えた」
その時の間宮祥吾の思いを想像すると、朝子にも彼の心の筋道が見えてくるような気がする。最愛の人間に、自分の最も醜悪な部分が露見する。人を動揺させ、狼狽させる要因としては充分だと思える。
「彼はものすごくうろたえたと思う。もしかすると自分が頑なに秘め続けた想いを、彼女に気付かれてしまったと感じたのかもしれない。兄として慕っていた人間が、妹である自分を女として見ている。間宮祥吾の中で祥子さんが自分を嫌悪する理由が出来上がる。吉川君と別れた彼女が、自分の前からも立ち去ってしまう。そんなふうに考えて、彼はそれだけは避けなければならないと思った。結果として祥子さんを縛り付けるために、咄嗟に両親への恨みを捏造した。彼は祥子さんを手放したくなくて、本当はずっと手に入れたいと考えていて。あの夜に、これまでの想いが歪んだ形で集約されてしまったのかもしれない」
「――そして、悲劇が起きた?」
「うん。俺の勝手な想像だけどね。今となっては、もう解き明かすことも出来ない想いだから」
寂しそうに風巳が呟く。朝子は切なくなって彼の肩にもたれかかった。
「風巳は優しいね」
彼が驚いたように身動きした。
「私なんか、間宮祥吾を悪役としか考えられなかったのに。風巳はそんなふうに、彼の想いも辿ってみるんだね」
風巳は労わるように朝子の肩に腕を回してから、またぽんぽんと叩いた。
「それはきっと俺が優しいからじゃないよ。空港で二人を見てしまったからじゃないかな。もしかすると、祥子さんはとっくに間宮祥吾の想いに気付いていたのかもしれない。彼が妹としてではなく、自分を愛しているということ。でも、彼女は気付かないふりをして、ずっと間宮を兄として慕っていた。空港で彼に寄り添う様子が、とても切なげに見えたからさ。チラッと見ただけたから、本当は俺の思い過ごしなのかもしれないけど。だけど、その光景がとても印象に残ったから」
「――そっか。間宮祥吾は信じられなかったのかな。祥子さんがお兄さんを慕う気持ちは、間宮祥吾には伝わらなかったのかな」
風巳は朝子を抱き寄せて、囁くように言葉にする。
「伝わっていたと思う。ただ、あの夜に一瞬だけ見失っただけで。結局、それが取り返しのつかないことになったんだけど。でも、彼女が間宮祥吾のために書いた曲は、あんなに綺麗なんだ。きっと届いていたよ」
「うん。そうだね。……それに、祥子さんは生涯彼を手に掛けた傷跡を背負っていくんだもんね。悲しいけど、祥子さんを手に入れたいと思っていたのなら、間宮祥吾の想いも、少しは果たされたのかもしれない」
風巳は頷いてから、また大きく溜息をついた。
「祥子さん、その後の容態はどうなんだろう。――見舞いにも行けないのは、悔しいな」
「うん」
あれから救急車で病院へ搬送されて、祥子は無事に一命を取り留めた。彼女は真実を書き綴った遺書を携えていたらしく、事件の全容は彼女が目覚める前に明らかになったようだ。彼女の身柄は重要参考人として、病院内で回復を待ちながら、緩やかに拘束されている。
どんな理由があろうとも、彼女の犯した罪は消えない。
けれど、きっと彼女は償うことを厭わないだろう。誰よりも、彼女自身が罰を望んでいるに違いない。自身の命を投げ出すほどに。
そして、透はそんな彼女を許さないだろう。彼は彼女に生きることを架した。もう自分の前から逃げ出すことを許さない。
生死の狭間で、彼女の腕を掴んでこちら側に引き止めたのは、きっと透の想いだったのだろう。たとえ祥子が罪人でも、透の想いは揺るがない。
自分を護ろうと足掻く彼女の想いを知っているから。
事件は悲劇だったけれど、その結末は彼らに揺ぎ無い絆をもたらしたのだ。
きっと、二人が迷うことはない。
朝子は風巳にもたれかかったまま、リビングのソファで目を閉じる。これまでの成り行きを思い返していると、ふいに背後で声がした。
「二人とも、お昼にしましょう」
まどかの明るい声が、しんみりとした空気を塗り替えてくれる。リビングからダイニングの食卓へ向かうと、またしても邸宅の主の席が空いていた。
「晶って、どうしてこっちでもそんなに多忙なの?」
風巳のささやかな疑問に、まどかは笑ってみせるだけだった。朝子にも兄のスケジュールは全く想像がつかない。
「朝子ちゃん。吉川君はどうしているの?」
まどかが心配そうに問いかけてくるので、朝子はその懸念を払うように笑顔で答える。
「うん。とりあえず実家に戻って両親に会ってくるって言っていたよ。落ち込む暇なんかないって」
透は彼なりに、祥子の与えてくれた想いに応えようとしているようだった。まどかも「良かった」と微笑んでいる。
「どっちにしても、ひとまず事件が解決して良かったわね。……風巳君なんて朝子ちゃんが心配で、気が気じゃなかったでしょう?」
まどかに言い当てられたのか、風巳は照れたように掌で頬をさすった。
「うん、まぁ。だけど、おかげ様で自分なりに、色々と決着のついたこともあったので」
朝子には風巳の示すことが全く判らないが、まどかはぴんと来たらしくて嬉しそうに掌を合わせて顔を輝かせている。
「だけど、肝心の晶がいないんだよね。まぁ、まだ休暇があるからいいんだけどさ」
「風巳、それって何の話をしているの?」
朝子が何気なく問うと、彼は一気に顔を朱に染めてうろたえる。
「え?や、別に。なんでもないけど」
思い切り動揺してから、彼は一つ吐息をついて教えてくれた。
「帰ってくる前に、朝子に手紙を出したよね。……朝子に伝えておきたいことがあるって。それ、もうすぐだから。色々とその下準備をしておこうってだけ」
「下準備?」
朝子には全く意味がわからない。まどかが傍らでおかしそうに笑っている。
「俺にとっては、最大の難関だけどね。それを突破できたら、朝子に伝える番だから」
「ごめん、風巳。何を言っているのかさっぱり判らないんだけど」
素直に伝えると、風巳は屈託のない笑顔を見せた。
「今はそれでいいよ。吉川君と祥子さんに勇気をもらったし。俺ももう迷わない」
限りなく前向きな台詞だった。意図が見えなくても、悪いことではないのだとわかる。
朝子も風巳の言葉に頷いて見せた。
透の真っ直ぐな想いと、祥子の切ない想い。
この一夏に体験した出来事は、この上もなく悲しい結末を迎えた。
けれど、朝子の中には真相を嫌悪する気持ちはない。誰かを大切に想う、切ないくらいに激しい想いに満たされていた。
朝子は食卓に向かったまま、ふと窓硝子の向こう側に広がる空を見る。
翳りのない明るい蒼穹が、どこまでも広がっていた。