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1:彼を護る真実1

 朝子あさこは床に落ちた携帯電話を素早く拾い上げた。祥子しょうことおるに向けた別れの言葉が、彼女の語った言葉と重なり合う。

 あの時一瞬だけ覚えた違和感が、今は朝子の中をいっぱいにしている。

 祥子は密かに、永遠の別れを決意していたのではないか。


(私がいなくなっても、とおるのことをお願いね)


 寂しそうに語られた想い。透を守るために、彼女は既に何かを決意していたのだ。

 繊細で美しい、祥子の旋律。

 彼女の心を映す音色が蘇って、朝子はますます不安が募る。

 もしも彼女が間宮祥吾まみや しょうごを手に掛けたのなら、どんな前途を自身に望むだろう。

 きっと彼女は自分を許したりしない。罰として、自らの命を手放すのではないだろうか。


 朝子は震える手で、透の携帯を操る。登録されていた祥子の番号を探して迷わずにかけた。数回のコールを恐ろしいくらい長く感じだが、電話は通じることもなく留守番電話に切り替わった。朝子はそれだけのことでは挫けずに、唇を噛みながらすぐに祥子に向けてメールを打ち込んで送信する。


――このまま祥子さんがいなくなったら、吉川よしかわ君はずっと後悔します。


 朝子は何かを考えている余裕がなかった。透の携帯から自分の言葉を送っても、祥子は混乱するだけなのかもしれない。それでも、何とかして彼女を繋ぎとめるきっかけが欲しかった。


「吉川君っ」


 朝子は放心している透の肩を掴む。


「ぼうっとしている場合じゃないよ。祥子さんを探さなきゃ。本当にこのまま会えなくなったら、どうするの?」


 透には状況を打開する方法が見つからないのだろう。打ちひしがれたように、その場から動こうとしない。朝子は叱咤するように、更に声を高くする。


「とにかく祥子さんのマンションとか、心当たりを回ってみよう。まだ絶対どこか手の届く処にいるよ」

「……だけど」

「だけども何もないっ。行くのっ。――風巳かざみ、車を出して」


 無我夢中で、朝子は透の腕を引っ張ってひきずる。自分でもどこからこんな力が沸いて来るのか不思議だった。今更、祥子を追いかけても、既に手遅れなのかもしれない。朝子は最悪の事態からあえて目を逸らす。


 このまま、全てが終わってしまう筈がない。透を想っているのなら、祥子は決して残酷な結末だけを残して去ってしまったりはしない筈なのだ。

 もちろんまだ祥子が犯人だとは限らない。以前に語られた言葉が死別を示しているとも限らない。全てが朝子の思い過ごしで、後で笑い話になるのかもしれない。それならそれでいい、いや、そうであってほしかった。とにかく、今はこのままじっとしていることができなかった。


 朝子はものすごい剣幕で透と風巳を急かす。車に乗り込む間際に、兄とまどかにも大雑把に経緯を話して協力を仰いだ。

 朝子は張り裂けそうな思いを抱えて、透が思いつく場所を回った。

 祥子のマンション、透のアパート、プラチナホール、事件現場。


 手当たりしだいに訪れるが、どこにも祥子の気配は感じられない。結城邸を飛び出してから、既に一時間が経過していた。辺りは夜の闇に呑まれて暗い。

 街灯の小さな明かりが、辛うじて夜道を照らしている。

 事件の起きた現場近くで車を止めて、朝子は途方に暮れてしまう。


「吉川君、他には?他に心当たりとか、ないの?」

「心当たりって言われても、祥子がこっちの地理に詳しいのはこの辺りだけだし。あとは――」


 透がふっと体を強張らせたのがわかる。


「どこか心当たりがあった?」

「――あの公園」

「公園って、車を止めていた処?」


 透は深く頷いた。会話を聞いていた風巳がすぐに車を発進させる。透は記憶を辿りながら、経緯を教えてくれる。


「バイトの後に、一度だけ公園で祥子と待ち合わせしたことがある。俺としては、車を置いてあったから、ただの成り行きだけど。……そういえば彼女、懐かしいって言ったんだ」

「懐かしいって?」

「そう。その時はここと良く似た公園を知っているって言っていたけど。莫迦だ、俺。どうして気がつかなかったんだろう。祥子も昔はこの地元に住んでいたのに」

「あっ」


 朝子も思わず声をあげてしまう。透の家の事情から繋がる祥子の過去は、たしかにこの地にあるのだ。


「懐かしいのは、知っている公園に似ているからじゃなかったんだ。祥子はあの公園を知っていて、きっと幼い頃の思い出があったんだ」

「まだ、両親が健在だった頃だよね」

「――たぶん」


 それっきり、透は黙り込んでしまった。その事実は、きっと今の透にとって一筋の光明なのだろう。祈るような気持ちで、祥子の所在を求めている。

 もう彼女に繋がる心当たりはそこにしかないのだ。

 車は公園を目指して進む。朝子は組み合わせた手を胸に押し当てて、全てが手遅れにならないことを祈った。





 黒い車体が素早く公園へ入った。風巳が適当な場所に車を駐車させると、朝子と透はすぐに外へ飛び出す。すっかり日の暮れた園内は、果てが恐ろしいくらいの闇に呑まれていた。風巳は二人を追いかけるようにして、砂利の敷き詰められた道を走る。


 一定の間隔を開けて設置された外灯が、真っ直ぐに伸びる道沿いに並んでいる。目を凝らすと、外灯の真っ白な光には細やかに動く黒い点が群がっていた。

 木々の影に目を凝らしながら走り続けていると、石畳に囲まれた中央の広場に出た。先にたどり着いた二人が、凍りついたように動きを止めた処だった。


 闇色の輪郭を浮かび上がらせて、滑り台や鉄棒が佇んでいる。遊具は園内に設けられた外灯に照らされて、一部分だけが微かに闇から姿を現していた。

 風巳も二人が眺めている一点に目を向ける。

 暗がりの中で、ブランコを支える鉄骨や鎖を見極めることが出来た。その遊具の背後にある外灯が、ささやかな光で輪郭を照らし出していた。


 キィキィと金属の軋む音が響いた。誰かがブランコに腰掛けている。

 安堵と共に、風巳は戦慄で肌が粟立つのを感じた。この危機感にも似た感覚が、一体何を意味しているのか判らない。

 ブランコに腰掛けた人影が、駆けつけた三人を見ている。驚くこともなく、何の身動きもせずに当たり前のように座っている。


「……祥子」


 小さな声だったが、遮るものは何もない。透の声は闇を震わせて彼女に届いた。照明のほのかな明かりが、彼女の微笑みを映し出す。朝子が歩み寄ろうとしたが、風巳はその細い腕を掴んで引き止めた。振り返った彼女に、ただ首を振って見せる。


 朝子はそれで風巳の言いたいことを理解してくれたらしい。立ち尽くして、二人の様子を傍観することを受け入れた。


「やっぱり、透は見つけてくれた」


 立ち上がる気配はなく、祥子は真っ直ぐに透を見つめている。


「……当たり前だろ」


 ゆっくりと透が歩み寄ると、彼女は両手で包み込むように持っていた缶ジュースに視線を向けた。


「この公園は変わらないわね。ここに座っていると、昔に戻ったみたい」


 ごまかすことなく自身の過去を示して、祥子は手にした缶を持ち上げる。既に口は開いていたらしく、彼女はそっと口をつけた。


「小さな頃、休日に両親とやって来た。夏の暑い日に、こんなふうにジュースを飲んだわ。今もよく覚えている」

「祥子は、全部知っていたんだな」


 歩み寄った透がどんな顔をしているのか風巳には判らない。顔をあげた祥子は、間近に佇む彼を労わるように、もう一度微笑んだ。


「もう一度あの頃に戻れたら、私は透を苦しめずにすむかしら」

「俺は、苦しくなんてない」

「私が人殺しでも?」

「――祥子っ、ちがう」


 叫ぶように声を振り絞って、透は彼女の腰掛けている遊具の鎖を掴んだ。


「違わないわ。私はあなたにもらったペンダントを失ってしまった。透はもう気がついた筈よ」

「ちがう。悪いのは祥子じゃない。全部、俺のせいだ。俺が殺したんだ」

「……違うわ。透は悪くなんてない。私も、あなたに話していないことがたくさんあるの。透の両親のことも、私の両親のことも、私はあなたに会うずっと前から知っていたわ。透のことも、はじめから知っていた」


 祥子の笑みに翳りが過ぎる。自嘲的な声が真実を告白した。


「もう透に会わずにいようと考えていたけれど、あなたに話しておかなきゃいけないことがあると気がついた。このまま私がいなくなったら、たしかに透は自分を責めてしまう。透は何一つ悪くなんてないのに」

「俺は祥子の両親を不幸にした人間の息子だよ。それくらい、バチが当たっても当然だよ」


 彼は自身を蔑むように吐き出す。投げやりな言葉だった。祥子はゆっくりと首を振る。


「透の両親には悪いところなんて一つもないのよ。私の両親の恩人で、私の恩人なの」

「そんな筈ない」

「あるわ。透は彼の逆恨みを鵜呑みにしているだけ」


 透にも祥子が何を話そうとしているのか、よく判らないのだろう。鎖にかけていた手を離して、じっと祥子を見下ろしている。


「彼の逆恨み?」

「そう。間宮祥吾。本名は篠宮祥一、……私のこの世でたった一人の兄よ。驚いた?」

「――それは、何となく映っていた」


 それだけで祥子には通じたのだろう。彼女は「そうだったの」と吐息をつく。


「透は彼の誤解の通りに、過去を辿っていたの。だけど、彼は真実を知らない」

「真実?」

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