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2:過去と憶測2

 とおるの目に映る、彼女を取り巻く色合いの美しさと哀しさ。それは隠しようもなく、透に祥子しょうこの境遇を見せつけたのだろう。

 けれど、透には背負う罪も受けるべき罰もないと、朝子あさこは思う。けれど、それは透には通用しない理屈なのだ。彼の心が痛む限り、それは消えない跡になって刻まれる。

 風巳かざみや兄も同じだ。同じように、朝子に対して咎を背負う。


「前に吉川よしかわ君が言っていたのは、そういうことだったんだね」

「え?」

「祥子さんを取り巻く色は綺麗だけど、哀しくて切ないって。それが自分のせいだって、そう言っていたから」

「うん。俺は両親のしたこと、忘れてはいけないと思っているから」


 透の内にある祥子への想いが、罪悪に負けなければいい。朝子は祈るように、強く願ってしまう。願わずにいられない。

 どうしても透の内にある想いを、風巳に重ねてしまうからだ。

 たしかに風巳に嫉妬を覚えさせるほど、朝子は透に思い入れがあったのかもしれない。彼に負けて欲しくなかったから。どこかで自分達の未来を重ねて、託しているような想いが在ったのかもしれない。


 自分の未来を、誰かに託すなんて出来るはずがないのに。

 朝子があらゆる想いに捕らわれていると、ふと風巳の視線を感じた。朝子の胸中を見抜いたのか、労わるような優しい眼差しをしている。


「朝子が吉川君にこだわる理由、わかった気がする」


 風巳はそう言って、透を見た。


「自分勝手な解釈だとしても、何かしなければいられない吉川君の気持ち、俺も少しは判るよ。そういう罪悪感、心当たりがあったりするから」


 風巳は悲観することなく、笑って見せた。


「受け売りだけどさ。罪も罰もいつも自分の中にあるから。だから、それを解くには自分が励むしかなくて。励んでいる自分の中に、救いが生まれてくるって、そんなことを言われたことがある」

吹藤ふとう君が?」


 透がうわ言のように問い返すと、風巳は笑顔のまま頷く。


「そうだよ。吉川君はさっき、晶と朝子と俺の繋がりを言い当てたよね。そんなふうに俺達にも色々と事情があって、振り返るたびに苦しかった。でも、今は自分で悔いのないように励んで、いつか辿りつけたらいいと思っている」

「……うん」


 透には伝わることがあったのだろう。深く頭を垂れて頷いた。


「だから、きっと吉川君の行動も励んでいる証だよ。それは、悪いことじゃないと思う」


 何かを堪えるように、透は固く目を閉じた。泣き出しそうな表情に見えたが、彼は涙を堪えてゆっくりと首を横に振る。強く何かを否定するような仕草だった。


「でも、やっぱり俺は、最悪だよ」


 彼の中の苦痛は和らがない。朝子と風巳が見守っていると、彼は再び口を開いた。


「はじめて祥子を見たときは、苦しかった。彼女の色があまりに切なげに映って、きっと幸せじゃないんだろうって思えたから。でも、彼女の様子を窺っているうちに、色々なことが見えてきた。祥子はこれまでの境遇に捕らわれることなく過ごしていて、楽しそうだった。彼女の色合いを切ないって感じてしまうのは、俺の思い込みのせいで、俺の心を映しているのかもしれないって思った。はじめは様子を窺ってすぐに帰るつもりだったけど、彼女があまりに前向きだったから、何かを話してみたくなった。声をかけて知り合いになって、いつのまにか想いを寄せている自分に気がついたんだ」


 透は暗い顔をしたまま、後は宴会の時に語った馴れ初めの通りだと話した。


「だけど、俺は祥子を追いかけるべきじゃなかったんだ。過去の出来事に衝撃を受けて、自分を慰めるために彼女を探すなんて、莫迦だよ。結局、俺は彼女を追い詰めることしか出来なかったんだ」

「ちょっと待って、吉川君。そんなことないと思うけど。怪我のこととかで心配をかけたのかもしれないけど、祥子さんは吉川君のことを想っているし。そんなのは、これから幾らでも挽回できるよ」


 朝子が声をかけると、風巳が少し迷ってから彼に訊いた。


「祥子さんは、吉川君のことを知っているの?自分の両親を追い詰めた人の息子だって、知っていた?」


 彼は激しく頭を振った。


「俺の口からは、話していない。……怖くって。俺って、どうしようもないくらい最低だ。だけど、彼女は知っていたのかもしれない」

「……どうして?」


 風巳の問いかけに、彼は少しだけ何かを考えたようだったが、まるで抱えきれない何かに降参するように、何かを確かめるように語る。


「祥子に足長おじさんがいるのかもしれないって、そう思っていたって言ったよな。彼女は音大を卒業して楽団に所属していて、既に何不自由なく生活していた。はじめは苦学生だったんだろうって思っていたけれど、話を聞いているとそうでもなくて。学生時代にバイトに励んだ経験もないようだったし。ひたすら音楽に打ち込んでいたようだから」

「特待生だったとか」

「……わからないけど、違うと思う。東京の住まいも立派だから。当時は不思議でたまらなかった。室沢が言っていたみたいに、パトロンでもいるんじゃないかって、本気で疑ったこともあった。だけど、それも違った」


 透は覚悟を決めるように一呼吸置いてから、秘め事を明かした。


「祥子はさ、間宮祥吾まみや しょうごに楽曲を提供しているんだ。きっと、その恩恵で生活が成り立っている」


 朝子は咄嗟に意味が理解できなかったが、風巳はすぐに「やっぱり」と呟いた。混乱したまま、朝子は思わずたしかめてしまう。


「楽曲の提供って。……間宮祥吾の曲は、祥子さんが作曲していたってこと?それって、盗作みたいなもの?」

「盗作とは違うけど。でも、簡単に人に話せることでもないよな。間宮祥吾の初期の楽曲は彼自身の手によるものらしいけど、当時は評価も知名度も低かった。彼が名を馳せるようになったのは、ちょうど祥子が曲を書くようになった時期からだと思う」

「……たしかに私達が高校生の頃にものすごく人気が出たよね。そのまま世界に進出して、成功をおさめて」


 透は静かに頷いて見せた。朝子は「驚いた」と無意識に胸をおさえてしまう。


「だけど、祥子は間宮に曲を提供することに、何の抵抗もないみたいだった。彼が無名の頃から、祥子はものすごく世話になっていた部分があったみたいだし。恩返しだって、屈託なく笑っていたよ。だから俺は彼女から真相を聞かされても、彼女が納得しているのなら、それでいいと思っていたんだ」


 風巳が空港で見たという光景に、話は何の齟齬もなく繋がっている。彼女の部屋に招待された時に、風巳が直筆の楽譜を眺めて考えていたことが、ようやく朝子にも理解できた。

 彼女の奏でた旋律は、誰かの楽譜を暗譜したものではなかったのだ。あの美しい旋律は、全て祥子の中から生み出された音だった。


 聞くものの心を打つ、魂の音。

 祥子の中にある世界は、なんて繊細で美しいのだろう。透が過去の確執を抱えながら、それでも彼女に惹かれてしまうのは、無理もない成り行きだと思える。

 切ないけれど優しくて、癒される音色。まるで彼女の人柄を表すように。


「でも、祥子さんと間宮祥吾は何がきっかけで知り合いになったんだろう。やっぱり音楽の関係からなのかな」


 朝子が些細な疑問を口に出すと、透は深く溜息をついた。


「核心はないけど、あの二人は兄妹じゃないかな」


 続々と明かされる事実に、朝子は目を見開いたまま一瞬固まってしまった。多くの推測を打ち立てていたのだろう風巳も、さすがに想定外の事実に驚いている。


「兄妹って、本当に?」

「判らないけど、……俺の見ている色合いが正しかったらの話」


 透は違うかもしれないと示すが、朝子達には彼の目に映る色合いを疑う理由がない。たたでさえ自分達の関係を言い当てられているのだから、尚更だった。


「どういう経緯があるのかは、俺にも判らないけど。……そんなふうに映るんだ」

「世の中って、狭いね」


 朝子が素直な感想を述べると、透は苦く笑う。風巳が思いきったように問いかけた。


「じゃあ、これは俺の推測だけど。吉川君を襲ったのは間宮祥吾?」

「うん、たぶん。彼が頼んだ輩だろうとは思う。ずっと、そんなふうに警告はされていたから」


 風巳は口元に手をあてて、わずかに首を傾けた。


「警告って、誰に?」

「もちろん間宮祥吾にだけど」

「吉川君は、直接彼と話したことがあるっていうこと?公演で彼を見ただけじゃなくて?」

「……うん。彼は俺が祥子に近づくことをよく思っていなかった。俺の親父達が祥子の両親にしたことも知っていて、どういうつもりだって、彼にはものすごく憎まれていた。別れなければ痛い目に会わせるって、そう言われていたから」

「それは、いつの話?」


「はじめて会ったのは、俺が大学に入ってすぐの頃かな。それからも何度か会って、会うたびに厳しく警告された。彼は少しおどせばすぐに諦めると思っていたのかもしれない。でも、俺は諦める気はなかったし。彼の仕掛ける嫌がらせが、だんだんエスカレートしていることは判っていたけど。でも、もし間宮祥吾が祥子の兄妹なら、その思いは正当なものだと思っていたんだ。だから、いつか判ってくれる日がくるって、そう思っていた」

「祥子さんは、間宮が吉川君にしたことを知っていたの?」

「俺は襲われたことは教えていないけど。でも、間宮が自分達の交際を反対しているっていうのは、知っていたんじゃないかな。……っていうか、祥子は全て知っていたんだよな。俺の両親のことも、とっくに知っていたのかもしれない」


 彼らの事情を聞きながら、朝子は新たに組み立てられてゆく事実が、再び不吉な真実を導いているのではないかと、嫌な気持ちが込み上げてきた。

 最悪の結末を想像して、そんな筈がないと自分を叱咤する。

 間宮祥吾の命が絶たれた時刻には、自分達が一緒にいたのだ。

 犯人である筈がない。


 朝子は突然形になった推測から目を背けるように、箸をとって料理に突き刺した。

 口に含もうとして、拭えない不安が胸を塞いでいることに気付く。何かを食べる気にはなれず、そのまま箸をおいた。

 そんなことを考える自分が恥ずかしいのに、一方でごまかしようもなく恐れを抱いている。朝子はこの不安が風巳の中にも在るのかと、そっと彼の顔を眺めた。

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