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3:告白

 風巳かざみの中に、再びありえない推測が浮かび上がってきた。

 配達車が結城邸ゆうきていに到着するまで、運転主のとおるは白い歯を見せて笑っていた。報道が伝えた死亡推定時刻と同じくらいに、彼の無邪気な仕草は風巳の考えを事件から遠ざける。


 人を死に至らしめる大罪。透にはそんな罪に繋がる翳りは見えなかった。

 彼らが何らかの事情を抱えて間宮祥吾まみや しょうごと繋がっていたのだとしても、事件には関係がないと安堵していたのだ。

 けれど、風巳はゆっくりと何かが覆されてゆくのを自覚する。


「どうしたの?吉川よしかわ君」


 朝子あさこにも透の中を駆け抜ける動揺が見えたのだろう。品物を降ろすために荷台へ入った彼の後姿を、不安そうに眺めている。

 配達車は問題なく、すぐに結城邸に着いた。透は変わらず人懐こい笑みを絶やさず、風巳達を降ろすと車の後ろへ回った。荷台の閉じられた扉を開けると、身を屈めるようにして素早く中へ入った。何の迷いもない身軽な仕草だった。


 風巳も荷台の中に興味が沸いて、思わず覗いていた。荷台には彼の持参物である品物以外には何もない。配達は終了しているらしく綺麗に空だった。暮れはじめた空の明るさで、辛うじて開け放たれた荷台の中を見分けることが出来る。


 身を屈めるようにして中に入っていた彼の手が箱に届いた時だろうか。後姿でははっきりと判らないが、彼が凍りついたように動きを止めたのは間違いがない。

 中を覗きこんでいた風巳は、再び胸にひやりとしたものが流れ込むのを感じた。


 動きを止めた彼が、何もない荷台の床に手を伸ばしている。一つ、二つ、何かを拾うような仕草だった。何か小さなものを拾い上げたのかもしれないが、風巳にはそれが何だったのか判らない。


「何かあったの?」


 二度目の朝子の呼びかけで我に返ったのか、彼は慌てて大きなダンボール箱を抱えて出てきた。向かい合った彼の顔に、さっきまではなかった翳りが浮かんでいるのは、風巳の気のせいではないような気がする。

 彼が荷台で何を見つけたのか興味が沸いたが、風巳はその事実に触れることにためらいを感じてしまう。


 透は懸命にさっきまでの自分を取り戻そうとしているようだったが、不安に支配されているのは明らかだった。彼を見つめている朝子にもその不安が伝染ったように、二人は余裕のない顔をしている。


「どうしたの?吉川君」


 畳み掛けるように朝子が問う。彼は「何でもないよ」と笑ったが、その笑顔が引きつっていた。真っ直ぐに自分を見上げている朝子の視線から逃れるように、彼は風巳の前に来て抱えていた箱を差し出した。


「ごめん、俺ちょっと用事を思い出したから、これを頼むよ」


 風巳は何かを問いかけるべきなのか迷っていたが、とりあえず大きな箱を受け取った。ずっしりと重い箱を抱えて、風巳は笑う余裕のない透を見た。何かが不穏な結末に向かって動き出すのかもしれない。強くそんな予感がしたが、きっともう後戻りは出来ない。覚悟を決めて、口を開く。


「何かあったの?……荷台で、何かを拾っていたよね。それが原因?」


 一瞬、透の肩が震えたように見えた。彼は隠しようもないくらいにうろたえているようだった。少しだけ嫌な沈黙があったが、彼は激しく首を横に振る。


「別に、何も拾ってない。とにかく急ぐから、これで」


 彼は傍らの朝子を見て、「兄さん達によろしく伝えておいて」と早口に告げる。まるで逃げ出すように運転席に戻ろうとするが、風巳にはそれ以上引き止める言葉が見つからなかった。先を急ぐ理由があるのかも疑わしいが、透は頑なに追及を拒んでいる。


 ここで彼を独りにしてはいけない。行かせてはいけない。風巳の中で警告のような信号がよぎる。高まる不安に堪えきれず、もう一度声をかけようとすると、一瞬早く朝子の声が響いた。


「待ってよ、吉川君。変だよ、何かあったんでしょ?」

「だから、急用を思い出して」

「それは、そんなに吉川君を不安にさせるようなことなの?」


 叫ぶような声だった。

 彼は縫いとめられたように動きを止める。風巳は彼女が何かを繋ぎとめようと足掻いているのを感じた。風巳の中にある馬鹿げた妄想が、今は朝子の中にも芽生えたに違いない。


 それでも朝子は透を信じている。何かに追い詰められている友人を、独りきりには出来ないのだろう。祥子しょうことの約束も大きく影響しているのかもしれない。

 彼女がこんなに声を高くすることは滅多にないのだ。

 叫びのような声が、凛と何かを貫く。風巳にも痛みのように響く声なのだ。透にはもっと響くはずだった。


「吉川君らしくないよ。何でもないのに、どうしてそんな顔をしているの?何かあったなら手を貸すから。私、祥子さんとも約束したもの。吉川君の力になるって」


 朝子は肩で息をして、身動き出来ずに立ち止まる彼を見つめる。立ち去ろうとしていた透を引き止めることができたと気付いたのか、朝子は少しだけ落ち着きを取り戻したようだった。


「だから、その……」


 勢いを失った朝子の戸惑いが判る。風巳は抱えていた箱を地面に置くと、励ますように彼女の肩を叩いた。きっと朝子は勢いに任せて余計なことを口走ったと後悔しているのだ。

 祥子の思いを伝えることが間違えているとは、風巳には思えない。ためらう朝子の代わりに、風巳が彼に伝えた。


「祥子さん、吉川君のことをすごく心配していたんだ」


 透は驚いたように、大きく目を見開く。


「……どうして?」


 かすれた声が問い返した。風巳は迷ったが正直に打ち明けることにした。


「吉川君の怪我のことも、彼女は気がついていた。誰かに狙われていることも、知っていたよ」

「祥子が……?」


 透の中を占めてゆく絶望が、風巳には見えるような気がした。身震いするくらい、事実を知った彼の眼差しは暗かった。急激に彼を占めた翳りの原因がわからず、風巳は狼狽する。


「吉川君?」


 彼が震えているのが判る。朝子も不安に恐れを抱いたのか、ぎゅっと風巳の腕を掴む気配がした。透は自身の震えを止めるように、指先が白くなるくらいに強く自分の手を組んだ。


「どうしたの?」


 何度目になるか判らない朝子の問いかけに、透は再び首を振った。


「何でも、ないんだ。本当に」


 彼は自身を落ち着けようとしているのか、深く息を吐き出す。何度か深呼吸を繰り返してからも、しばらく沈黙が続いた。透はどのように伝えるべきなのか、言葉を探しているようにも見えた。風巳は彼から視線を逸らすことができない。


「あのさ、一つだけ二人に確かめていいかな」


 俯いたまま、彼は低い声で呟く。


「ものすごく、嫌なことを聞くかもしれないけど。……答えられないなら、それでいい」

「いいよ、何?」


 朝子が促すと、彼は暗い眼差しのままでこちらを見た。


「結城は、兄貴と本当の兄妹?」

「え?」


 思いも寄らない質問に朝子の反応が遅れる。朝子と晶の関係を詳しく知っている人間はごく限られている。透が知っている筈はなかった。風巳には透の真意がわからない。答えられずにいると、彼はゆっくりと風巳を見る。


「だけど、吹藤君と結城の兄貴には、つながりがある」


 言い当てられて風巳も言葉を失った。ますます透が何を考えているのかわからない。


「違うかな。……違うなら、嬉しいけど」


 自嘲するように表情を歪めて透は確かめる。気持ちを立て直した朝子が、答える前に彼に問いかけた。


「それは、もしかすると色合いでわかるの?」


 朝子の言葉で、風巳は透の持つ特異な力を思い出す。彼には人には見えない色が見える。人を取り巻く色合い。その人が纏う気配のようなものだろうか。

 問いかけに対して、透は素直に頷いた。


「そっか。吉川君の目には映るんだね。それ、当たっているよ。私とお兄ちゃんには血の繋がりがない。だけど、風巳とお兄ちゃんにはある」


 朝子が告白すると、透の顔がますます苦しげに歪んだ。いっそう深い絶望が彼を追い詰めているように見える。駆け抜けた思いを隠すこともままならないのか、彼は両手で顔を覆った。指の合間から涙が零れ落ちる。


「吉川君」


 彼を見守っていることしか出来ず、朝子も風巳も途方に暮れてしまう。この短時間に彼の中で何が起こったのか知る術がない。

 嗚咽を堪えるように、彼は声を殺して泣いていた。かける言葉が見つからず、風巳は朝子とただ立ち尽くしてしまう。


「……どうして、……っ」


 何かを悔やむように、透はそれだけを繰り返した。

 彼を暗黒へと導くように、辺りの夕闇が深さを増してゆく。風巳は朝子と顔を見合わせてから、彼に歩み寄って震える肩を叩いた。


「とにかく中に入ろう。……俺達、今は吉川君を独りにできない」

「うん。話したくないなら、聞かないから」


 透は横に首を振った。激情をやりすごすように無造作に涙を拭うと、真っ直ぐに二人を見る。絶望の向こう側で、彼は何かを掴んだのかもしれない。

 あるいは、覚悟を決めたのだろうか。

 慰める二人に笑顔を向けた。自分を嘲笑うような嫌な笑みだった。


「ごめん、二人とも。俺には心配してもらう資格なんてないんだ」

「……どういうこと?」


 朝子の声が震えていた。風巳も胸をつかまれたような息苦しさを覚える。嫌な予感が急激に高まってゆく。

 信じられない告白が、闇の中に響いた。


「俺が、――殺した」


 恐ろしい呪文のように、暗い言葉だった。自分達をとらえる呪いのように。

 風巳の中に戦慄が蘇る。辺りを呑みこむ闇の深さが、どこまでも、果てしなく暗さを増していく。

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