1:繋がる世界
事件についての速報が流れたのは、昼過ぎのテレビ番組だった。第一報が入ってからは、どの局も競うように番組を変更して事件を追いかけている。
被害者が有名人であるだけに、事件は大きく報じられているようだ。晴菜のもたらした情報は間違いではなかったようで、被害者であった間宮祥吾の身元はすぐに確認された。何かの間違いであってほしいという願いは、虚しくも裏切られたわけである。
映し出されている現場は、既に警察によって取り仕切られている。一定の位置からロープがはられ、厳重に境界を作って人の出入りを禁じていた。
駅が近いせいか、野次馬は依然として多い。
報道は夕方になっても止まず、事件に関する続報を次々と明らかにする。それでも全容は謎に包まれているらしく、信憑性の疑わしい内容もあった。
朝子は厳しい顔をして画面に見入っている風巳の横顔を眺めた。兄や晴菜は既に興味を失って、いつのまにかリビングから姿を消している。向こう側のダイニングキッチンにまどかの気配があるだけで、こちら側の部屋には朝子と風巳の二人きりだった。
風巳は自分なりにマスコミが与えてくれる続報を吟味しつつ、事件の成り行きを組み立てているのかもしれない。
「風巳、どうしたの?すごく興味があるみたい」
問いかけると、風巳はハッと我に返ったように朝子を見た。
「……あ、いや。だって、俺も間宮祥吾の曲は好きだったから、どうして死んだのか気になるよ」
「本当にそれだけ?ずっと、何か考えているみたいだけど……」
「そんなことはないよ」
取り繕うような答えに、朝子は不信感を覚えた。これまでにも風巳の言動を不自然だと感じたことを思い出す。透の置かれた立場を危惧するのは理解できるとしても、祥子に対しても風巳は何らかの懸念を抱えているような気がした。
彼女の部屋に招かれたとき、何かを探しているような風巳の素振り。直筆の楽譜を見つけて一瞬動揺していたのは、やはり見間違いではなかったのかもしれない。
「風巳、何を考えているの?本当のことを教えて」
ごまかされないという思いをこめて彼を見据えると、風巳は戸惑ったように目を伏せた。困ったように苦笑する。
「言えば、きっと朝子は怒ると思うけど」
「私が?」
風巳が頷いたとき、再びテレビから新たな情報が流れた。風巳は興味をひかれたように、素早くそちらを眺める。
テレビ画面の中央に移っているリポーターが、情報を書き留めた紙片を片手にマイクを構えていた。
「――今、入りました情報によりますと、被害者である間宮祥吾さんの死因は脳挫傷、死亡推定時刻は昨夜午後十時から十一時。警察は事件の可能性が強いとして……」
朝子の隣で風巳が深く吐息をついた。肩の力を抜いて心の底から安堵しているような仕草だった。思わず俯いている彼の顔を覗き込んでしまう。
「ね、風巳。私は何を聞いても怒らないから、教えて?」
彼は俯いたままの姿勢で、首だけを回して朝子を見た。困ったように笑っているが、さっきまでの張り詰めた空気が失われている。
「朝子は絶対に怒ると思う」
「だから、怒らないってば。約束するから」
風巳は随分迷っていたが、帰国直後に空港で見た光景を教えてくれた。祥子と間宮祥吾の思いもよらない繋がりを知って、朝子は素直に驚いてしまう。
「じゃあ、あの二人は知り合いだったんだね」
「うん。……それで、その、色々と余計なことを考えてしまったわけなんだけど……」
風巳は言いにくそうに指先を閉じたり開いたりしている。朝子はばつが悪そうな風巳の横顔を見て、おおよそ彼が何を考えてしまったのか想像することが出来た。
「もしかして、祥子さんが間宮祥吾とも付き合っていて、吉川君と二股をかけていたとか考えてしまったわけ?」
「……うん、まぁ、そういう瞬間もあった、かな」
「て、吉川君の怪我は、三角関係の痴情のもつれだとか?」
朝子はごく単純に、思ったことを組み立てていく。まるで大袈裟に物事を膨らませる週刊誌の記事のような展開が出来上がった。たどり着いた結論に半ば呆然としてしまう。
「まさか、それで間宮祥吾を殺したのが、吉川君だとか疑っていたの?」
「――ほら、朝子。怒ってるじゃん」
風巳は叱られた子どものように上目使いに朝子を見た。既に自分の間違いを反省しているのが判って、朝子は落ち着きを取り戻す。
「お、怒らない、けど。でも、それってあんまりにも吉川君と祥子さんに対して失礼だよ」
「うん。俺も今ものすごく反省しています」
がっくりと頭を垂れて、風巳がうな垂れている。朝子は可笑しくなってきて、思わずからかいたくなってしまう。
「死亡推定時刻を聞いて、吉川君のアリバイを確認したからでしょ」
「……うん。だから、反省しているってば」
手を合わせて、風巳は「ごめんね」と謝った。朝子は「ううん」と横に首を振った。
「何となく、風巳がそんなふうに考えてしまったの、判る気がする」
「え?」
彼が驚いたように顔をあげた。朝子はためらわず伝えてみる。
「それって、私のことを心配してくれているからだよね」
そんなことを断定するのは恥ずかしい気もするが、彼に与えられた気持ちは疑いようもない。きっと風巳は自分のことを考えてくれているのだ。透と祥子に関わろうとする朝子を案じるが故に、最悪の状況を思い描いてしまう。
馬鹿馬鹿しい妄想だと判っていても、風巳にも止めようがなかったのだ。
どんな時も、彼は自分を想っていてくれる。いつもの自分を見失う瞬間がある位に。
透と祥子には悪い気がするが、朝子には彼の大袈裟な妄想も、ただ愛しい。
「だからね、許してあげる」
風巳の顔が優しげに歪む。彼は「良かった」と呟いて、いつもの輝いた笑顔を見せてくれた。
彼の抱えていた憂慮の在処。
それは朝子を取り巻く世界に繋がっていた。
きっと彼の想いに触れる瞬間は、どこにでもある。遠く離れている日々にも。
「でも、間宮祥吾の事件は気になるんだよね」
風巳は呟きながら、再びテレビを眺めた。さっきまでの厳しい色が消えていた。傍観者の眼差しを取り戻している。
朝子は甘えるようにコトリと彼の肩に頭を預ける。
「心配をかけてごめんね」
そっと呟くと、わずかに身動きする気配があった。彼の柔らかな髪が頬をくすぐる。朝子が目を閉じると、頬に彼の唇が触れた。
小さな囁きが、優しい。
「いいよ。朝子のことを心配できる自分が、好きだから」
彼に大切に思われている自分が、泣きたくなるほど愛しい。
そして、それ以上に彼が愛しくてたまらない。
もうこれ以上、彼に心配をかけるようなことが起こらなければいい。
彼に繋がる世界が穏やかであることを願う。