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4:誘い2

 風巳かざみはふとソファの傍らを横切っていく人影に気がついた。物音をたてないように注意しているのか、気配を殺そうとしているのか、ひどくゆっくりとした足どりだった。あまりにも不自然な気がして、風巳は思わず声をかける。


「どうしたの?まどかさん」

「きゃあ、ごめんなさい」


 まどかは飛び上がりそうな勢いで慌てふためいているようだ。赤く頬を染めて、胸の前で手を合わせている。


「あの、二人の邪魔をする気はなかったんだけど。その、キッチンへ戻って片付けをしようと思っていただけで。せっかく良い雰囲気だったのに、ごめんなさい」


 さっきまでの状況を思い返すと恥ずかしい気もするが、それ以上にまどかの気遣いが可笑しくて、風巳は笑ってしまった。


「邪魔されて困るような話じゃないし。普通に声をかけてくれても全然かまわないのに」

「本当に?そうだったの?」


 彼女はほっとしたのか、胸に手をあてて肩の力を抜いた。


「様子を窺ってタイミングを計っていたんだけど、失敗したかしらって、どきどきしちゃったわ」


 朝子あさこも「気を遣いすぎだよ」と笑っている。


「だって、せっかく二人で過ごせる時間だもの。あたしとしては目一杯、二人に堪能してほしいし。らぶら

ぶな処を邪魔しちゃいけないと思って」


 彼女の配慮は素直で、とびきりの笑顔で激励してくれる。ありがたいと感じつつ、風巳は朝子と顔を見合わせてから、潔く報告した。


「大丈夫だよ、まどかさん。俺達うまくやってるから」


 まどかは屈託のない微笑みで頷いた。


「そうね。ベランダっていう秘密兵器もあるみたいだし。いいなぁ、なんだかロマンチックね」

「……そ、そうかな?」

「ええ。人の目を盗んでお互いの部屋を訪れるなんて、素敵だわ」


 どんなふうに想像を膨らませているのか、まどかはうっとりと目を輝かせている。どうやら乙女回路を通じると、何の変哲もない場所が素敵な舞台に作り変えられてしまうらしい。あまりにまどからしい発想で、風巳は微笑ましくなってくる。


「まどかさん、きっとそれ美化しすぎだよ。冬なんて凍えるくらい寒いし、雨の日なんか屋根があっても吹き込んできて、ものすごく濡れたりするんだよ」


 朝子は現実的に説明を加えるが、まどかの乙女回路はそれ位のことでは揺るがない。


「それはそれで浪漫よ。雪に凍えても、雨に濡れても会いたくて訪れるなんて」


 彼女の中にある光景が無駄に美しい気がして、風巳も描かれた妄想に水をさしてみた。


「……いや、まどかさん。別にそんなに必死になってベランダを利用しているわけでもないんだけど。部屋を訪れるだけなら、どっちかというと普通に廊下を使って行き来するし」

「そうそう。別にベランダが特別な場所ってことじゃないよ」


 二人で現実を示していると、無造作にリビングの扉が開いた。人影の動く気配がする。風巳が目を向けると、同じように二人もそちらを向いた。


「こんにちはっと。出迎えてもらうのも悪いので、勝手にお邪魔しました」

晴菜はるな、どうしたの?」


 親友の突然の登場に、朝子が顔を綻ばせて駆け寄る。まどかも「晴ちゃん、いらっしゃい」と歩み寄った。


「今日はバイトが昼までだったから、帰りに寄ってみたんだ。はい、お土産」


 彼女は手に持っていた箱をまどかに手渡す。


「あ、このお店、知っているわ。たまにバケットを買いに行くの。すごい、晴ちゃん。ありがとう」


 まどかの抱える若草色の箱には、この付近ではファンの多い洋菓子店のロゴが印刷されている。風巳にも見覚えのあるロゴで、店頭に掲げられた看板を見たことがあった。多彩にパンやカフェ風の食事も取り扱っており、店内で食べることも出来る。駅に近い位置に店舗を構えていたはずだった。


「はっきり云って、結城邸にケーキの差し入れはどうかと思ったんだけど。まどかさんってパティシエがいるから。でも、私ここでバイトを始めたから、思わず」

「晴ちゃんが?」

「はい。前からバイトしてみたいって思っていたし。吉川よしかわ君を見ていたら、なんか面白そうだなって。私の場合、ただの売り子ですけどね」


 ひとしきりバイト先の話で盛り上がってから、まどかが「せっかくだから、お茶を入れるわ」とキッチンへ向かった。朝子も「手伝う」と言って、後をついていく。風巳はリビングのソファで、改めて晴菜と向かい合った。


室沢むろさわって好奇心の塊だよね。それにしても、駅前のガラス張りの店だろ?俺でも知ってるけど、そんなに簡単に入れるものなの」

「欠員があって丁度募集中だったから。運が良かったかもね」


 朝子は成り行きを聞いていたらしく、彼女のアルバイトについては、それほど驚いている様子がなかった。二人であれこれ雑談に興じていると、食卓から声がかかる。

 ソファからダイニングの食卓へ移動して、四人でケーキをつつきながら紅茶をすすった。朝子がフォークで生クリームを崩しながら、思い出したように声をあげる。


「あ、そうだ。私、吉川君に誘われていたんだった」


 三人で朝子に注目すると、彼女はさっきの電話でのやりとりを教えてくれる。


「吉川君の彼女がね、この前のお礼がしたいって」

「お礼って?」


 風巳が問い返すと、朝子は「宴会のお礼だって」と答える。事情を知らない晴菜が更に質問するので、少しだけ宴会のことへ話が脱線した。楽しいひとときを羨ましがる親友を宥めてから、朝子が話を戻す。


「それでね、せっかくだから部屋に招いて演奏会をするって言っているらしいの。どうかなって、吉川君が」

「へぇ、すごいね。彼女も楽器をやっているから」

「うん。どうかな、嫌なら断るよ?」


 朝子が気遣うようにこちらを見るので、風巳は「聞いてみたい」と素直に反応する。彼女もそれで風巳の晴れ渡った心境を察したらしい。嬉しそうに笑って頷いた。


 まどかは「二人に気を遣わせたかしら」と気にしていたが、朝子が祥子の腕試しにもなるらしいと伝えると、敬遠する理由がなくなったようだ。


 親友にも話を持ちかけて、朝子は話を膨らませていく。親友である晴菜は「吉川君の彼女に会いたい」といつもの好奇心を発揮して喜んでいた。


「また、吉川君に伝えておかなきゃ」

「電話してみたら?まだ彼女と一緒だろうし」


 風巳が提案すると、朝子はさっそく席をたってソファに投げ出していた携帯を手にした。どうやら通じたらしく、受話器の向こう側と会話を続けている。

 風巳は食べかけていたケーキにフォークで触れた。朝子の世界を認めることの出来る自分に安堵しながらも、事件のことはやはり気に掛かってしまう。


 願わくば、何事もなく平穏な日々を望むけれど。

 それでも、もし何らかの事件があって朝子が関わると決めたのなら、応援しようと覚悟を決める。


 透の力になりたいと考えてしまう気持ちは、自分の中にも少なからず在るのだ。

 夏休みはまだ始まったばかりで、長い日々を残している。

 この一夏にどのような思い出が築かれるのだろうか。模索してみるが、風巳には想像がつかなかった。

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