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4:痛み

 学食に入ると、吉川透は自動販売機で四枚の食券を購入した。後ろで様子を見守っていた晴菜は、ぎょっとして透かさず突っ込みを入れている。

「吉川君。四枚って、一体どれだけ食べる気?」

「ん?カレーとラーメンと、うどんとおにぎり」

 透にとっては、普通の食欲らしい。彼は飄々と当たり前のように答えた。

「それって、食べすぎじゃないかな。逞しさ通り越して、体格が達磨みたいになっちゃうよ?」

 朝子も晴菜に味方をすると、透は白い歯を見せて笑う。

「ああ、平気平気。その分動いているし。それにさ、外で食うこと考えたら、学食の方が経済的だから。食いだめって感じ」


 晴菜が中華そばの食券を買いながら、「なるほどね」と納得している。朝子もきつねうどんの食券を買ってから、二人の後に続いた。

 カウンターで注文した物を受け取って、三人が中央辺りの空いている席につく。考査の時期は、講義のある時に比べると圧倒的に食堂に出入りする学生が少ない。おかげで急かされたり、窮屈な思いをすることもなく、ゆっくりと食事が出来る。


「吉川君は、ひょっとして今日もバイトがあるの?」

 割り箸を割きながら朝子が聞くと、透は「いただきます」を言いながら口にカレーをほおばっている。見ると、既にカレーを半分くらい平らげていた。

「うん、もちろんバイト。実習と筆記試験の合間を縫って、稼ぎまくる」

「それでも、ちゃんと単位は取れてるんだ」

 中華そばを箸で持ち上げながら、晴菜は感心している。

「そりゃ、だってこれで落第してたら、それこそ本末転倒だろう」

「うん、そりゃそうだ」

 あっさりと頷いて、晴菜がそばを口にした。透があまりに猛烈な勢いで食べるので、何となく朝子達も食べることに専念してしまう。それでも、二人が半分くらい食べたところで、透は注文していた四品を全て食べ終わっていた。


「吉川君てさ」

 食べ終えて水を飲んでいる彼に、晴菜はいつも通りの好奇心を抱いたようである。朝子には親友が何を聞こうとしているのか、手に取るように判ってしまう。

「そんなに忙しくて、彼女とかいるの?」

 唐突な質問に動じた様子もなく、透は空になったコップを置いた。晴菜を見て勝ち誇ったような笑みを浮かべる。

「それがいるんだよな」

「本当に?うちの大学の子?」

 親友の好奇心の矛先がきらりと光ったのではないかと、朝子は思う。それは迷いなく、透の相手に向けられていた。いつもの事ながら、こういう時の晴菜がどんな時よりも活き活きしているように見えるのは、朝子の気のせいだろうか。

 透は全く気を悪くした様子もなく、むしろ嬉しそうに答えた。


「残念でした。うちの学校の子じゃないんだよな。なんと、遠距離恋愛。俺って一途だろ」

 彼のふざけた口調に、ここにはいない彼女への想いが滲んでいた。朝子は羨ましいような、微笑ましいような気持ちになる。一人でほのぼのしていると、親友の矛先が容赦なく朝子を捕らえた。

「遠距離か。朝子と一緒だね」

 好奇心の虫は、一瞬で晴菜から透に伝染したらしく、二人が同時に朝子を見た。


「結城も遠距離恋愛なんだ?誰々、どんな奴?」

「え、それは、別に……普通の人、だけど」

 突然で適当な表現が出てこない。しどろもどろと答えると、晴菜の突っ込みが炸裂した。

「普通って?吹藤君の、どこが普通?あんたって子は、晶さんの事といい、吹藤君のことといい、普通の意味が判ってる?」

「いや、だから、晴菜……」


 自分の彼氏のことを、久しぶりに会った人にすごいとは紹介できない。風巳を知らない透には、呆れた自慢話にしか映らないだろう。女の子同士で、自分の彼について楽しげに語るのとは、いささか状況が違うと思ったのだ。

 朝子だって、言われなくても風巳がそれなりにすごいことを成し遂げようとしている人だと言う事は、理解している。そんな彼につりあえる自分になることを、ずっと目標に掲げているのだから、忘れたりはしない。

 晴菜の剣幕に、透が目をぱちくりさせていた。彼は普通じゃないらしいというのを、どういう意味にとればいいのか迷ったらしく、素直に問いかけてきた。


「結城の彼氏って、普通じゃないの?」

「いい意味で違うね。朝子の彼氏はすごいよ。見た目は可愛いし、付け加えて頭もいい。それから度胸もある」


 晴菜の下した風巳の評価に、朝子の方が驚いてしまう。容姿についてはともかく、親友がそんなふうに風巳の内面を見ていたのが意外だった。


「可愛いのに、度胸があるってすごいな」

「私と朝子の通っていた高校に転入してきたんだけど。はじめは女の子顔負けの可愛さだった。最近は見るたびに、男っぽくなって格好良いけどさ。一人でアメリカ行きを決意して実行に移す辺り、私は度胸があると思うな」


 これでもかと風巳について語ってから、晴菜は「ね、朝子」とこちらに振ってくる。

「――晴菜って、風巳のことそんなふうに見てたんだ」

 親友の解説に頷くのもどうかと思うので、朝子はそう問い返す。彼女は眉をあげて何か言いたげにしていたが、また何か思いついたらしく身を乗り出した。


「そうだ、朝子。携帯の待ち受け画面は、もちろん吹藤君だよね?見せてよ」

「俺も。見たい見たい」

「そんなの見ても楽しくないと思うけど……」

 しぶしぶ携帯電話を取り出しながら、朝子は名案を思いついた。


「あっ、じゃあ吉川君も携帯に彼女を写し撮ってあるよね。それ見せてほしい」

「おお、いいよ」

 透はためらうことなく、スボンの後ろの方から無造作に携帯電話を取り出した。朝子の物と交換すると、晴菜も手元を覗き込んでくる。

「あっ、美人」

 親友がすぐに映し出された女性を見て、声をあげた。画像は鮮明で、艶のある黒髪は長く、毛先が動きのあるスタイルになっている。髪の黒さと対照的に、肌は白い。

 一重の眼差しは強く、東洋系のモデルを連想させる。女性なのに格好良い。

 手にはヴァイオリンの弦を持っていた。


「だけど、これって年上じゃないの?」

 思ったとおりに、晴菜は感想を述べる。朝子も画面から顔をあげて透に声をかけた。

「すごいね、吉川君。格好良くって美人。どこで出会ったの?」

「私も、馴れ初め聞きたい」


 二人の声が届いているのかいないのか、透は朝子の携帯を握り締めて、待ち受け画面を眺めたまま固まっている。


「どうしちゃったの?吉川君」

 晴菜が素早く彼の手元を覗き込んだ。朝子は携帯が故障でもしているのかと不安になる。

「ああ、やっぱり吹藤君はいいね。朝子。これっていつ撮った写真?ますます男っぷりが上がってる」

 どうやら携帯の故障ではないらしい。朝子はほっとしながら答えた。

「この前帰ってきた時だから、お正月だったかな」


「……たしかに、すごかったな」

 ようやく、ぼそりと透が口を開く。顔を上げて朝子を見ると、彼は「すごい」ともう一度呟いた。


「何が?」

「室沢が言うとおり、たしかに、俺から見てもすごい男前。結城はすごい奴捕まえたんだな」

「あのね、吉川君。吉川君の彼女もかなりの美人だと思うんだけど」

 朝子の台詞に、彼は優しい目で笑って頷いた。

「まぁね。……だけど、結城の彼氏って、本物はもっとすごいんじゃないかな。多分、人目を惹くようなオーラを持っていると思う」

「本人を見たこともない人に、そこまで言われても」


 良いように言われるのは悪い気がしないが、いくらなんでもお世辞が過ぎると言うものだ。彼はまるで朝子の心を読んだかのように続ける。


「結城。お世辞だと思ってるだろう」

 どこか悪戯っぽい笑い方をして、透がもう一度断言した。

「だけど、本当にそう思ったんだ。俺は、そういうのって分かるんだよね」


 あまりにも自信に満ちた言い方に、朝子はますます不思議な感じがした。晴菜も彼の意図が読めないらしく、怪訝な顔をしている。彼は白い歯を見せて笑うと、試すようなことを言った。


「こんな彼氏を持つと、結城は色々と心配なんじゃないの?」


 きっとそれは、透にとっては何気ない一言だったのかもしれない。けれど、朝子は思い切り動揺が顔に出てしまう。単なる冗談に対して、しまったと思ったが、透は驚いた様子もなく優しい目をしている。

 朝子のうろたえ具合に反応したのは、親友である晴菜の方だった。


「ええ?朝子って悩んでるの?吹藤君のことで?」

「あ、ううん。そういうわけじゃないよ。ただ、会えなくて寂しいなぁって言うだけの話。晴菜に言わせると、贅沢な悩みってやつだよ」

「たしかに、それは贅沢な悩み」


 深く頷く親友は、朝子の胸の底にうごめいている闇には気がつかなかったようだ。自分でどうしようもない位に辛くなれば、もちろん朝子は晴菜に相談するつもりでいる。親友はきっと、これまでのように力強く励ましてくれるのだから。

 判っているけれど、今はまだ甘えたくなかった。朝子としては、できるだけ風巳とのことで弱音を吐きたくない。葛藤を乗り越えて真っ直ぐに前を見る。それは彼に相応しい人間になるために、必要なことだと思える。


「結城の方が、色が暗いかな」


 久しぶりに再会したばかりの透は、まるで朝子の胸中を見透かしたように労わるような眼差しをしていた。励ましの一言が、そっと投げられる。


「心配しなくても、彼氏は大丈夫だと思うけど」

 透は朝子の携帯電話を差し出した。

「どうして、吉川君にそんなことが判るの?」

 自分の携帯を受け取りながら、朝子は訊ねてしまう。答えを待ちながら彼の携帯を返すと、それをズボンの後ろにあるポケットに突っ込んで、透が席を立った。

「判るよ。色で判る。例えば俺の彼女の色は、暗くてとても切ない色合いをしているし。――だけど、綺麗なんだ」


 そんなふうに答えてから、まるで秘め事を囁くように、彼は声の調子を低くする。


「結城は覚えていないかな。小学生の頃にさ、俺には人に色があるように見えるっていう話をしたこと」

「あっ……」


 朝子はそれで、ぱっと幼少の頃の記憶が蘇った。晴菜は隣で首をかしげているが、朝子にはたしかに覚えがあった。

 彼と自分がお互いにまだ幼かった頃の思い出。


(これは秘密だけど、結城には教えてやるよ。結城の色は桜色で綺麗)

(私の色?)

(そうだよ。室沢は菜の花の色かな。俺ってさ、人の周りに色が見えるんだ)


 透に打ち明けられた秘密。

 それは朝子には素敵なことだと思えた。けれど、透はなぜか、それがいけないことのような顔をしていた。朝子にはどうして彼がそんな顔をするのか判らなかったから、ただ思ったとおりの気持ちを口にした。


(すごいねぇ、吉川君は)

 彼はぱっと顔をあげて、驚いたようにこちらを見た。その時の顔を、くっきりと思い出せる。

(結城は変だって言わないんだ)

(どうして?変じゃないよ。そういうの、いいなぁって思う)

(他の奴は変だって言うのに。だから、もうずっと秘密にしているんだ)

(ふぅん。吉川君が秘密にしているなら、私、誰にも言わないよ)


 彼は当時も白い歯を見せて笑った。ありがとうと言われたのを覚えている。

 朝子にとっては他愛のない会話で、すっかり忘れていた。

 お互いに、ただ無邪気だった頃の記憶。

 当時、彼の秘密だったから、朝子は仲良しの晴菜にも教えなかった。だから、親友にはわからない話だ。


「まぁ、時が経つと、人間って色々あるからなぁ。結城は幸せになれるよ。そう思う」


 今は何よりも、朝子にとってそれが的を射た労わりだったのかもしれない。小学生の頃に別れて、ずっとお互いのことを知らずにいたのに、彼にはこれまでの経緯を見抜かれているのだろうか。一体、自分の周りにどんな色を見たのだろう。

 あの頃とは違うはずの色。

 それを聞くのは、今は恐ろしい気がしたけれど、透は昔と変わらず優しい。どんな色を見ても、きっと嫌悪したりはしないだろう。

 どんな闇も受け入れる強さ。

 それは朝子がもっとも欲している姿勢だ。

 この一瞬で知った彼の強さに励まされて、朝子は泣きたい気持ちになった。

 駆け抜けた思いをやり過ごして、何とか笑顔を作る。


「やっぱり、吉川君はすごいね」

 素直な思いで伝えると、彼は記憶の中と同じ笑顔を向けてくれる。

「あの時も、結城はそう言ってくれた」

 彼は笑いながら、傍らの晴菜の肩を叩いてから歩き出す。

「二人とも、またな。俺、これからバイトだから、もう行くよ」

「ああ、うん。いってらっしゃい」


 晴菜がひらひらと手を振る。朝子も手を振ると、彼も振り返ったまま、右手をあげて見せた。透が食堂から姿を消すと、晴菜が冷めた麺を箸でかき回しながら朝子を見る。

「色って、何の話?」

 朝子はもう時効かなと思い、小学生の頃の思い出を語る。晴菜は「へぇ、すごい」と同じように感心している。その反応が彼女らしくて、朝子は嬉しくなってしまった。

「だけど、携帯の画面からでも、色って判るの?」


 晴菜のもっともな質問に、朝子はうどんをつつきながら「さぁ、どうなんだろうね」と答える。次の瞬間、傍らの親友が何かを言おうとして、動作を止めた気配がした。

 朝子が不思議に思って顔を上げると、晴菜は食堂の出入り口を見て目を丸くしていた。


「どうしたの?晴菜」

 振り返ろうとして、朝子は聞きなれた声を耳にする。

 これは、幻聴だろうか。ついに焦がれた想いで、病はそこまで悪化したのだろうか。

 確かめて落胆するのが怖くて、朝子は振り返ることをためらってしまう。


「――朝子」


 追い討ちのように、声が響く。

 胸が締め付けられるような、切ない痛み。

 朝子は堪えきれずに振り返る。肩越しに彼の腕が伸びてきて、触れられるのと同時だった。


「やっと会えた。ただいま」


 焦がれ続けた温もり。椅子に掛けたままの朝子を、抱きすくめる腕。彼は人目も憚らずに、想いを示してくれる。

 朝子は信じられない想いで、彼を見上げた。

 自分には見えるはずのない色が、彼を取り巻いているように見える。

 黄金の輝き。全ての闇を退ける、太陽の色。


「風巳」

「早く会いたかったから、休暇に入った瞬間、戻ってきた」


 悪化し続けていた病が、少しずつ癒えてゆくのを感じる。

 久しぶりに見る風巳は、夏の日差しよりも眩しい。こんな悦びは、やはり彼に出会わなければ、知らずにいたに違いない。

 全てを満たす、甘い痛み。


「おかえり、風巳」

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