真夏の夜の悪夢 1
今夜は大人しく彼に身を任せようと思ったが、まどかは次の瞬間に名案を思いついた。自分の体に触れようと伸ばされた手を、思わず両手でしっかりと受け止めてしまう。
「何?この手は」
寝台の上でまどかを組み敷いたまま、晶がわずかに首を傾けた。夜色の透けた瞳が、思いがけず障害物を見つけたという様子でまどかを見下ろしている。
「晶、あたしと賭けをしない?」
思い切って提案すると、彼は綺麗な眉を寄せる。この状況で何を言い出すのかと、眼差しが語っていた。まどかは自分でも状況に相応しくない問いかけだと思ったが、彼の荒んだ矛先を止めるのは自分の役割のような気がしたのだ。
晶の複雑な心理はよく理解できる。できるから慰めてあげたいのも事実なのだ。
けれど、自分が慰めるだけでは、きっと彼の思いは晴れないに違いない。
単に一晩だけ目を逸らすことができるだけで、夜が明けて明日になれば、彼は妹の彼氏と顔を合わせた瞬間、全ての経緯を思い出すだろう。
思い出してしまうとおしまいだという感じがした。何のためらいもなく、思い切り複雑な気持ちをぶつけて憂さを晴らしてしまうに違いない。健気な風巳がどんな目にあうのかを想像すると、まどかはそれだけで充分に同情できる。
結果として、何としても晶の振る舞いに釘を刺しておく必要があると、強い使命感に駆られてしまった。
「賭けって、またオセロでもするのか?」
懲りないなという目で見られて、まどかは「違うの」と声を高くする。
「もう、そんな負けて当たり前の、無謀な賭けなんてしないんだから」
「――へぇ」
晶はようやくまどかが本気であることに気がついたのか、興味深げに表情をかえた。
「負けるつもりはないって?」
「もちろんよ」
強く主張すると、晶はますます興味が沸いたようで問いかけを繰り返す。
「そんなに気合を入れて、おまえはいったい何を賭けたいんだ?」
「風巳君と朝子ちゃんの平穏な時間」
素直に打ち明けると、彼は想いも寄らない代価だったのか驚いたようにまどかを見た。
「もしあたしが賭けに勝ったら、絶対に今日のことで晶は二人をからかったりしない。それがあたしの望み」
晶は苦笑しながら、呆れたようにまどかの額を軽く小突いた。
「おまえは。こんなに心の荒んだ旦那を目の前にして、あいつらのことを思いやるわけか」
「もちろん、晶のことも慰めてあげるわ」
「言っていることが矛盾していないか?」
「していないと思うけれど」
彼は吐息をついて気を取り直したのか、再びまどかに訊いた。
「俺が勝った場合にも、もちろんそれなりにメリットがある訳だよな」
「ええ、もちろん。あたしに出来ることなら、晶のお願いを何でも叶えてあげる」
「……ずっと前の賭けの代償もまだもらっていないが、まぁいいだろう。それで?賭けの方法は?」
まどかは笑顔で自分の考えついた対戦方法を教えた。
「今夜ね、これから晶があたしに指一本触れなければ、あなたの勝ち。それを破ったらあたしの勝ち。どうかしら?」
簡単で判りやすい方法だとまどかは思う。自信を持って明るく伝えると、晶は思い切り深い溜息をついて肩を落とす。
「おまえ、絶対に言っていることが矛盾しているだろう」
「どうして?あたしが慰めてあげたら、晶はそれで満足してねっていう、そういう意味なんだけど」
彼はうな垂れたまま「なるほどね」と投げやりに呟いた。
「でも、俺が風巳をいたぶる絶好の機会を逃さないつもりだったら、どうする?」
彼はからかうような眼差しで、自信ありげに薄く笑う。
「おまえに触れるのを一晩我慢すればいいわけだろう? 賭けに勝てば俺の望みを何でも叶えると言ったよな。今夜慰めてもらえないのは悲しい気もするが、賭けに勝ちさえすれば明日には倍返しになる可能性もあるわけだ」
まどかは彼の途方もない計画に気が遠くなる。名案だと思っていたが、彼の手に掛かれば単なる愚案であったような気になってくる。思わずうろたえそうになったが、風巳と朝子のことを考えると、今更後には引けない。
「べ、別に、――いいわよ、あたし、全力で晶のことを誘惑してみせるから」
「それはそれは、楽しみですね」
皮肉っぽく笑って、彼はまどかから手を離すとゆっくりと寝台から離れた。どうやら本気で勝負に出るようである。
「じゃあ、始めようか」
彼の合図で、賭けが開始される。まどかは既に後悔しそうになっていたが、自分一人だけの問題ではないのだと気持ちを立て直す。
(――女を本気にさせたら、怖いんだから)
絶対に彼を陥落させてやるという強く激しい意気込みと共に、まどかは試合に臨んだ。