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1:悋気の鬼

 結城ゆうき邸に戻ってからも、二人には言葉を交わすきっかけが見つからなかった。リビングに入ると、すぐに朝子あさこは浴室へ向かってしまった。風巳かざみは逃げるように部屋を出る小さな後姿を、ぼんやりと見送ることしかできない。


「……い」


 風巳には、辛辣な態度をとってしまった自覚がある。押さえようもなく込み上げた気持ち。それは熱くて、暗い。


 どうしてあんなに苛立たしい思いに捕らわれたのか、自分でもわからない。友人を案じる朝子の気持ちは正当なもので、そんな彼女を愛して止まない筈なのに。


(――俺って、最低な人間じゃないか)


 こんなにも狭い心で、彼女を思っていた。余裕のない自分をさらけ出して、初めて気がついたのだ。自分が不在の間に、彼女の周りに築かれてゆく世界。


 その世界に、激しく嫉妬している自分。


 誰でもない自分が、彼女を置き去りにして、離れ離れになる環境を選んでおきながら。

 どうして、こんなに傲慢な思いで満たされてしまったのだろう。


「―――、……ざみ」


 ずっと彼女の傍にいて守ることは出来ない。それが悔しくて仕方がないのだ。その立場を放棄したのは自分であるのに。


 手の届かない世界で、もし朝子が危険に巻き込まれることがあっても、風巳は手を差し伸べられる位置に立っていない。けれど、だからと言って彼女が向かい合う世界を限定することなど、許されるわけがない。友人を思う彼女の優しさを否定するなんて、間違えている。


(莫迦だ、俺)


 胸の奥底に蠢くどろどろとした思い。朝子が知れば、きっと軽蔑するだろう。

 拭っても、拭っても、底から滲み出すのは、醜い思い。


「――……、おいっ」


(一体どうすれば……)


「風巳っ!」


 怒声と共に、突然脳天を貫く衝撃に襲われた。渦巻いていた葛藤が、一瞬にして断たれる。風巳は呪縛を解かれたかのように、ようやく周りの光景に触れる。


「あ、……あき


 頭をさすりながら呟くと、彼は固く丸めた新聞を手に持っていた。どうやらそれで殴られたらしい。


「ちょっと、いきなり何をするんだよ」


 我に返って晶の行動に不平を唱えると、彼は吐息を漏らす。手に持っていた新聞を無造作にテーブルに置くと、ソファを指差した。


「いいから座れ。戻ってきてからもぼっさりと立ち尽くして、こっちの方がどういうつもりなのか聞きたいね」

「え?」


 辺りを見ると、まどかも心配そうに風巳の様子を窺っていた。


「何かあったの?風巳君」


 二人の危惧を受け止めて、風巳は頬が赤くなる。朝子に醜い気持ちをぶつけてしまい、周りが見えなくなるくらいに動揺していたのだ。


 改めて自分を情けなく感じながら、風巳は促されるままにソファにかけた。まどかが「大丈夫?」と労わるように声をかけてくれる。


「大丈夫、――じゃないかも」


 自身の中で渦巻いていた葛藤をごまかすように、風巳は軽い口調で答えた。朝子に関わることを、この二人に相談する訳にはいかない。特に晶になど語ろうものなら、気絶するくらいに恐ろしい制裁を下されるに決まっている。


 今はまだ、朝子の傍にいられるのだ。これ以上間違えなければいい。過失を取り戻す時間は残されている。


 風巳は自分に強く言い聞かせながら、二人には透が狙われた事件のことだけを話した。まどかは素直に仰天したようで、矢継ぎ早に質問が飛んでくる。怪我の状態などを具体的に説明すると、彼女は心配しながらもひとまず胸を撫で下ろしたようだった。


 一方、晶は驚くまどかとは対照的な様子で、二人の会話に無言で耳を傾けている。風巳がまどかと事件について熱く語り合っていると、再び朝子がリビングに顔を出した。


「あら、朝子ちゃん、早かったのね。だけど、そのままじゃ風邪をひいちゃうわよ」

「あ、うん。でも、この時期なら自然乾燥でも平気」


 濡れた髪をタオルで押さえながら、彼女は見慣れた寝間着で現れた。まどかと一言を交わしてから、そっと窺うように、大きな瞳が風巳に向けられる。


「あの……」

「俺も、浴室借りるね」


 朝子の台詞を遮るように、一言が口をついて出た。なぜか彼女と目を合わせることが出来ない。このままでいい筈がないと判っているのに、風巳は素早くリビングを後にする。


 廊下を進みながらも、自分の醜悪さに嫌気がさす。厭わしい想いだと判っているのに、どうにもならない。止まらないのだ。想いが逆巻いて、彼女を傷つける。


(本当に莫迦だ、俺)


 脱衣所の鏡に、余裕のない自分の顔が映っている。


「――最低、だ」


 嫉妬に狂っているのに、哀しげな顔。般若のように恐ろしいほうが、まだ救いがある。


「情けなくて……」


 風巳は駆け込むように浴室に入ると、シャワーの湯を勢い良く頭からかぶった。タイルに手をついて目を閉じても、自分の望みが形にならない。

 ただ、苦しくてたまらなかった。

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