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2:彼女

「か、風巳かざみ。近いよ」

「じゃあ、教えてよ。教えてくれなかったら、このままちゅうしちゃおうかな」


 無邪気な脅しをかけて、風巳はこちらを見る。朝子あさこはパッと頬が染まるのを感じたが、それが単なる脅しであることはわかっていた。風巳は決して、人前で強引なことはしない。


「いいよ、べつに」


 朝子は開き直って背伸びをすると、彼の頬に唇をつけた。ほんの一瞬の出来事で、風巳は何が起きたのかという顔をしている。

 兄達が傍らから姿を消していることは、既に確かめてあった。

 朝子は頬を染めたまま笑って、舌を出す。


「そのかわり、教えないから」



 風巳はようやく事態を把握したのか、瞬く間に顔が真っ赤に染まる。完全に敗北が表現されていた。

「朝子って、ずるいかも」

「ずるくないもん」


 恥ずかしさをごまかすために、朝子も必死にいつも通りを演じている。風巳は「秘密兵器だよ」と呟いてから、「まぁ、いいや」と全てがどうでも良くなったらしい。

 彼にしてみれば、うれしい反撃だったのかもしれない。


「だけどさ、携帯の画面で友達に紹介されているって、ちょっと恥ずかしいかも」

「え?そう?……ごめん。だけど、友達の間ではそういうことよくやってるけど。ごめんね」


 慌てふためきながらも素直に謝ると、風巳は「いいよ」と朝子を宥める。


「恥ずかしいけど、嬉しかったりして」

「どうして?」

「んー?それは秘密。さっきのお返し」


 思わせぶりな彼の様子は楽しげで、朝子が拗ねて追求すると、風巳がふいに動作を止めた。


「あ、朝子。ほら、噂をしていたら」


 彼が回転扉を指すので、朝子はすぐに後ろを振り返る。すぐに見慣れた人影が視界に入った。以前は目にした包帯の白さは跡形もなく、金色に染められた髪が露になっている。さすがにいつものように逆立てることはなく、無防備に彼の日焼けした額に落ちかかっていた。ジャケットを羽織った格好では、いつもの逞しい二の腕も隠れている。


 朝子は彼の負った頭の怪我が良くなったのだと思うと、ほっとした。

 とおるに続いて、背の高い女性が入って来る。朝子は記憶していたわずかな情報をなぞってみるが、実物は思い描いていた輪郭より細身で、姿勢が正しく颯爽とした印象を受けた。


 朝子はすぐに透に声をかけようとしたが、できなかった。自分でも、どうしてためらってしまったのかわからない。意味もなく、声をかけてはならないような張り詰めた空気を感じていた。


 遠目にも、二人の表情は明るいとは言えなかった。憂いがあるように見えるのは、気のせいだろうか。いつもの陽気な透を知っているだけに、朝子は余計に不自然だと感じてしまう。愛嬌のある笑顔が嘘のように無表情だった。

 声をかけられずにいる朝子の胸中を察したのか、風巳がトントンと指先で肩をつつく。


「あれが、吉川君の彼女?それとも、何か都合があって別の女性と来てるとか?」

「彼女だと思う。見せてもらったのと同じ人だし」

「――そう、なんだ」


 朝子が風巳を振り返ると、彼はじっと二人の様子を眺めていた。風巳が自分と同じ違和感をもったのだと思い、思わず呟いてしまう。


「何かあったのかな。喧嘩したとか。何だか、吉川君らしくない」

「……色々と事情があるのかもね」

「うん」


 朝子は透に声をかけることを諦めて、再びこちらに視線を戻す。傍らから姿を消していた兄とまどかを探して、視線を彷徨わせた。いつのまにか階段を上がって二階を回っていたようで、二人は何かを話しながら下りてくるところだった。


 まどかは裾に変化のついた漆黒のワンピースを着て、麻と絹で織り上げられた光沢のある純白のストールを羽織るように身につけていた。灰褐色のスーツを纏う兄と並ぶと、館内の模様との相乗効果で、まるで映画の一場面のように映る。


 そちらに注目が集まっているのをくすぐったく感じながらも、朝子も二人の並んでいる情景に魅入ってしまう。半ば惚けていると、何の前触れもなくすぐ背後で声をかけられた。

 驚いて振り返ると、透がいつものように笑いながら立っている。


結城ゆうきの周辺って目立つよな。すぐにわかった」


 さっき見た翳りが嘘のように、とおるの声は陽気だった。透に寄り添ってきた彼女は控えめに、傍らで朝子達に会釈をする。四人で会話をしていると、二人の様子も和やかで、朝子は自分が勘ぐりすぎたのだと、こっそりと吐息をついた。

 透の彼女は、篠宮祥子しのみや しょうこと名乗った。

 黒のパンツスーツが、背の高い彼女によく似合っている。格好の良い印象をそのままに、仕草は女性らしく柔らかだった。楽器に触れるしなやかな指先が、それだけで容易に想像できる。


 兄とまどかも戻ってきて、二人と挨拶を交わす。まどかはすぐに透の頭の包帯がとれていることに気がついたらしい。


吉川よしかわ君、怪我はよくなったの?」


 まどかの問いに、透は明らかにうろたえた顔をした。彼が答える前に、彼女である篠宮祥子が口を開く。


「怪我って?」


 透を案じるように、彼女は眉を潜めた。どうやら透は心配をかけまいと隠していたようだ。まどかは余計なことを訊いたと、口元に手を当てて戸惑っていたが、何よりも話題を逸らそうとする透の様子が不自然すぎて、傍らの朝子達もうまく取り繕えない。

 このまま中途半端な受け答えを続けていると、彼女の不信感を強くするだけなのは目に見えている。


「彼は、頭に軽い怪我をしていたみたいだけど」


 朝子がどうしようかと考えていると、横からあきがさらりと真実を伝えた。


「以前に会った時、頭に包帯をしていたからね。でも、包帯が取れたところを見ると、経過は悪くないと言うことかな。きっと、君に心配をかけたくなくて、彼なりに意地をはっていたんだろう」


 茶化すように晶が笑うと、透は照れたように顔を赤くして頭をかいた。


「まぁ、その。ちょっと、バイトで荷物があたっただけ。たんこぶ程度の怪我だよ」


 朝子は透の言葉が食い違っていると思ったが、彼女への思いやりなのだろうと深く気にはとめなかった。彼女である祥子もそれで不安が晴れたのか、彼の照れた仕草を見て笑顔を取り戻した。「気をつけてね」と彼を労っている。


「紛らわしくて、ごめん」


 詫びる透はばつが悪いのか肩を落としている。祥子は堪えきれないのか、くすくすと小さく声をたてて笑った。微笑ましい想いで二人を眺めながら、朝子は彼女の襟元に、わずかな煌きを見つけた。それはペンダントトップで、小さなプレートと十字架を模している。刻み込まれた文字は読み取れないが、照明に反射して光り、飾り気のない彼女には相応しい形に見えた。朝子はもしかすると透の贈り物なのかもしれないと、一人で想像を膨らませて面白がってしまう。


「開場したみたいだよ」


 風巳に教えられて大ホールを見ると、人々がゆっくりと中へ進んでいる。


「行こう、朝子」


 当たり前のように、風巳が手を伸ばした。触れ合った手を、指を組み合わせるようにして、しっかりと繋ぐ。


「楽しみだね」

「うん」


 朝子は風巳について、大ホールへ向かった。

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