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3:揺らめく罪過

 風巳かざみが二人きりの漂流を堪能して浜辺へ戻ると、注目を集めながら歩いている人影と遭遇した。彼は風巳と朝子あさこを見ると、皮肉っぽく微笑んで岩陰を指差す。示された場所には、どうやらまどかと晴菜はるながいるようだった。

 妹の朝子に二人のところへ向かうように指示を出して、彼はそのまま風巳だけを連行する。


あき、一体どこへ向かっているわけ?」

「食べるものでも調達してこようかと思ったんだが……」


 浜辺に建っている海の家から進路をかえて、晶が波打ち際へと歩き出した。


「ちょっと、どこへ行く気?」

「風巳、泳ぎで食い物を賭けるぞ」

「え?」

「どちらが早く沖にあるブイまで泳いで戻ってこられるか競う。負けたほうが、みんなの食い物をおごる。どうだ?」


 突然の宣戦布告に、風巳は戸惑う。そもそも、彼が負ける賭けを持ちかけるとも思えない。


「なんとなく、晶に有利な気がするんだけど」

「あのな、おまえの方が圧倒的に若さが漲っているだろうが」

「圧倒的って、五つ年下なだけだよ」

「……じゃあ、俺が少し遅れてから追いかける。付け加えて、上着を着たまま泳ぐ」


 そんなふうに有利な条件を言い渡されても、風巳の中に芽生えた嫌な予感は拭いきれない。拭いきれないが、ただ負けたとしても、食べ物をおごるだけでいいのなら大した賭けだとも思えなかった。


 あっさりと賭けを受けて、風巳は勢い良く沖に浮かんでいる目印まで泳いだ。浜辺へ戻ろうとして、辺りに全く人の気配がないことに気付く。砂浜からの距離を考えると、人気がないのは当然であるが、付近には晶の姿も見つけられない。

 同じ目的に向かって泳いでいる彼の気配が、これほど途切れている筈がない。


(――まさか)


 騙された、と思い至り、風巳は傍らに浮かんでいる蛍光色の浮きを眺めたまま、脱力する。何を考えているのかと頭を抱えたくなるが、ともかく浜辺に戻らなければ抗議もできない。苛立ちに任せて泳ぎきり、風巳が濡れた体で浜辺へ戻ると、予想通り彼は上着を濡らす事もなく立っていた。


「おまえ、簡単に引っ掛かったな」


 いけしゃあしゃあと感想を述べられて、風巳は肩で息をしながらも思わず咆えた。


「引っ掛けといて何を言ってるんだよ、もう。信じられない、何を考えているわけ」

「何って、ささやかな復讐」


 詫びるどころか、彼は涼しげな顔で笑う。風巳は一瞬にして腹立たしさが悪寒に変わる。


「ふ、復讐って?」


 彼はにっこりとあでやかな微笑みを浮かべて、風巳の肩に手を置く。肌を焦がしそうな陽射しの中、風巳はざわっと鳥肌が立つのを感じた。


「おまえ、さっき朝子を沖へ連れ出して、何をしていたのかな。俺が見えてないとでも思った?」


 思い切り狼狽しながらも、風巳は何とか冷静に頭を働かせる。沖から眺めていた浜辺では、見分けのつかない小さな人影が点々と見えるだけだったのだ。あの距離感で、誰であるかを見分けられる筈がない。


「別に、やましいことはしてないけど」

「へぇ。……風巳、俺の視力は七、〇あるって知っているか」

「げ」


 偉才の持ち主である彼ならば、そういう身体能力があっても不思議ではないのかもしれない。そんな思いがよぎったが、風巳はその手には乗らないとすぐに思いなおす。

 無反応でいると、彼が更に追い討ちをかけてきた。


「そんな筈がないって?じゃあ、見たことを話してやろうか。二人で寄り添って、抱き合って、――それから」

「ちょっと待った、晶。ごめん、それ以上は勘弁して。だって、その、二人きりだったし、まさか見られているなんて、思ってなかったから……」


 恥ずかしすぎて、風巳は思わず熱くなった顔を手で抑えた。直後、傍らで低い声が「かかったな」と囁く。


「――え?」

「俺の復讐には正当な理由があったってことだな。全く、油断も隙もない」

「正当な理由って、……ええ?見ていたわけじゃないの?」

「見えるわけがないだろうが。視力が七、〇もあったらおかしいだろう。俺はマサイの戦士か」

「いや、だって。……あー、もうっ」


 風巳が悔しがっていると、晶は笑いながら浜辺を歩き出した。


「どっちにしても、海で幸せを満喫していたおまえのおごりだな。それから、帰りの運転もよろしく」


 もはや断ることなどできるはずもなく、風巳は晶の後をついてとぼとぼと歩き出した。前を行く彼はいつも通りで、こちらを振り返ることもなく海の家を目指して進んでいく。


(本当に、見られていなかったのかな)


 砂浜を颯爽と歩む彼の背中を追いながら、ふと風巳の中によぎる思いがあった。

 朝子と二人きりのひととき。

 広い海の一部に過ぎず、たしかに彼に見えるはずがなかっただろう。けれど、ここまで思惑にはめられると、見えていた方が自然で、辻褄があうのではないかと、馬鹿げた疑いを抱いてしまう。


 風巳はさっきのやりとりを、もし彼が見ていたのなら、どんなふうに受け止めるだろうかと、そんな思いに捕らわれる。


 同じ一族に生まれて、その咎を背負う者として。

 朝子から両親を奪った過ち。曽祖父の揺ぎ無い罪過。

 交わす言葉もないままに、二人は店へとたどり着いた。店内は外装よりも小綺麗で、アジア風の雑貨に飾られ、注文の窓口であるカウンターは多くの人で賑わっていた。


 屋内は照り付ける陽射しを緩和してくれるが、屋外に設けられた席は開放的な作りで、砂の上に巨木を利用したテーブルと長椅子が無造作に並んでいる。

 カップルやグループがそれぞれに陣取っていたが、満席には至らない。二人であれこれと注文してから、品が揃うまでの少しばかりの待ち時間を、その巨木で形作られた屋外の席でつぶす。


 風巳は手に入れたばかりのペットボトルを開けて、口をつけた。スポーツドリンクを飲むと、思っていたよりずっと喉が渇いていたことに気付く。

 晶はテーブルに頬杖をついて、自身の腕時計に目を向けていた。


「晶。今って何時?」

「三時半だな」

「もうそんな時間なんだ」


 時刻を示されると、たしかに陽光のけだるさが増している。晶は置き去りにしてきた三人が気になるのか向こう側の岩陰を眺めていた。どこからか投げられる視線に無頓着を演じているのか、寛いだ姿勢で周りの様子を気にかけている様子もない。


「ねぇ、晶」

「ん?」


 解放的な空間が、何気なく風巳の背中を押した。

 彼に自分の気持ちを予告するのに、最適の条件が揃っているような錯覚に陥る。何気なく語ろうとしたのに、こちらを向いた彼と視線があうと、途端に緊張してしまう。


「あのさ、俺がこっちにいる間に、少し聞いてもらいたいことがあるんだけど」


 彼は表情を動かさず、圧倒されそうな深い眼差しでこちらを見つめていた。何かを推し量っているのか、ただ風巳の反応を窺っているのかはわからない。


「だから、その、いつか時間をとってもらえるかなって……」


 どうしてこんなに緊張してしまうのか、風巳にもわからない。呟くように伝えると、彼は端的に「わかった」とだけ答えた。

 何事にも敏い彼が、風巳の考えていることにたどり着かなかったわけがない。けれど、彼は悪戯にからかうこともなく、静かに応じてくれる。


「ありがとう」


 素直に礼を述べてみたが、張り詰めた緊張は解けない。いっそうのこと、いつものようにからかってくれた方が気楽になると、思わず身勝手な考えが浮かぶ。風巳が少しずつ静まっていく動悸をたしかめていると、彼がようやく薄い笑みを浮かべた。


 見慣れた微笑みで、まちがいなく、独りで緊張している風巳を見て楽しんでいる笑顔だ。一瞬にして張り詰めた空気が拭われる。風巳は気が緩むと共に、きっと彼を睨んだ。


「ほんっとに、人をからかうのが生き甲斐だよね」

「失敬な奴だな。何をそんなに緊張しているのか知らないが、人がリラックスさせてやろうと気を配っているのに」

「よく言うよ」


 晶の端正な美貌は、それだけで一つの武器だと風巳は心の中で舌打ちをする。そんな顔で真剣に向かい合われると、他愛ない会話をしていても緊張感を誘われる。まどかが彼に戸惑うのも無理はないと、風巳は同情してしまった。


 無意味に緊張していたせいで、とてつもなく長い時間に思えたが、実際には五分も経っていなかったようだ。店員がやって来て、ようやく注文していた品が揃う。

 風巳が席を立とうとすると、晶が何気なく口を開いた。


「おまえの話というのは、――Tラボのことか。それとも……」

「え?Tラボって、どういうこと?」


 思わず風巳が聞き返すと、彼は「なるほどね」と小さく呟いただけだった。


「まぁ、そうだろうな」


 問いかけには答えず、晶は一人で何かを心得たらしく、席を立った。風巳はもう一度彼に問いただすが、曖昧な答えだけが返ってくる。置き去りにされた気分で、風巳は矛先を変えて、違うことを勢いに任せて質問する。


「じゃあさ、晶の両親って、どんな人だった?」


 不自然に歩みを止めて、彼が振り返った。向けられた眼差しに、疑いようのない厳しい光が宿っている。風巳は自身の闇を見抜かれた気がして、思わず息を呑んだ。


「――おまえ」


 彼の言葉を遮るように、席を立った二人を引き止める声がした。風巳と同年代位の女の子で、気がつくと三、四人が二人を取り囲むように立っている。

 中には携帯を持ち出して、カメラを構えている人影もあった。突然の誘いに風巳が戸惑っていると、晶は極上の笑みを浮かべて風巳の肩に腕を回した。


「悪いけど、俺達は女に興味がないから。な、風巳」


 こっちに話をふるな、と風巳は心の中で思い切り叫ぶ。それでも、この場をやり過ごすために仕方なく頷くと、黄色い声が辺りを染めた。彼女達の歓声を聞きながら、晶は意気揚々と店を離れる。


 誘いを蹴るためにカップルを演じるのは有効だが、もっと他に方法はないのかと、風巳は軽い眩暈を覚えた。同性の恋愛を頭から嫌悪する気はないが、残念ながら風巳にはその才能がない。まして晶の相手役を演じるなんて、考えるのも恐ろしい拷問である。どっと疲労感に襲われて、力の抜けた足取りで後をついていく。


「何をそんなに疲れているんだ、おまえは」

「晶がいきなりおかしな役をふってくるからだろ」

「ん?ということは、彼女達と戯れたかったわけ?それなら止めないけど。まぁ、それで朝子が泣いたら、相応の罰だけは覚悟しておけよ」

「誰もそんなこと言ってないだろ」


 笑いながら前を歩く晶はいつも通りで、風巳は一瞬だけ見た彼の反応は見間違いだったのかと思い直す。自分の何気ない問いかけで、彼がたどり着く筈がない。

 言い聞かせてみても、それはどこか説得力に欠けていた。

 彼であるからこそ、きっと些細な言葉で全てにたどり着く。


 彼だけが。

 取り戻すことの出来ない、同じ罪過を悔やむ者として。

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