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1:冷蔵車

 朝子あさこが駅から自宅までの道程を辿っていると、少し先にまどかの後姿を見つけた。


「まどかさん」


 声をかけながら走り寄ると、彼女がすぐに振り返る。


「朝子ちゃん、大学からの帰り?――バスには乗らなかったの?」

「うん。待ち時間を考えると、歩いてもそんなに変わらないかなって」

「元気ね」

「この道、けっこう好きだし。でも、暑い」


 朝子は掌でパタパタと、気休めに顔を扇ぐ。

 隣を歩くまどかは、夏のギラギラした陽射しや、蒸し暑さが嘘のように、仕草に暑苦しさがなかった。透けそうな肌の白さが、辺りの暑気を払っているかのように涼しげに見える。


「ほんとに、今日は焦げつきそうに暑いわね」


 朝子の思いとは裏腹に、彼女は眩しそうに晴れた空を仰いだ。


「まどかさんを見ていたら、そんなふうに見えないのに。なんかね、一人で涼しそう」


 彼女は「暑くて倒れそうよ」と小さく笑う。

 陽光に照らされても白い横顔は、血の気が通っているのか疑わしい。朝子はようやく彼女の顔色が青ざめているのだと気付く。


「まどかさん……」


 確かめようとすると、背後から車のやってくる音がした。まどかが「危ないわ」とすぐに朝子を促す。道を空けようと端によると、同時に甲高いクラクションの音がした。

 朝子が振り返ると、ちょうど運転席の窓が下がって、にこやかに笑っている運転手がひらひらと手を振っている。

 笑っている口元の白い歯と、目深にかぶった帽子から覗く、愛嬌のある目元。


「よ、吉川よしかわ君」


 朝子は思わず声を高くする。まどかが「知りあい?」と呟いて、朝子ととおるを交互に見つめた。


「こんな所で何をやってるの?」

「だから、バイトだって。今日はクール宅急便を任された配達員。お中元の季節だから、大忙しだぜ」


 背の高いボックスタイプの車体には、朝子の知らない会社名が描かれていた。他は白くまるで飾り気がない。透が知り合いの運送屋と語っていたとおり、どうやら大手の運送会社ではないようだ。

 傍らで二人の会話を聞いていたまどかに、朝子は透を紹介する。


「あのね、まどかさん。彼は同じ大学の吉川君。小学校の頃の同級生でもあるけど」

「じゃあ、晴ちゃんと同じで、二人の幼馴染?」

「ううん。吉川君は途中で転校しちゃって、大学でばったり出会ったのも、ごく最近だから」


 まどかは「すごい偶然ね」と感心すると、運転席から顔を出している透に「はじめまして」と微笑む。透は照れくさそうに笑って、それでも礼儀正しく挨拶をした。

 朝子は彼の様子に笑いながら、今度は透にまどかを紹介する。


「彼女は私の義姉あねで、まどかさん」

「結城に、兄さんがいるってのは知っていたけど。姉妹もいたんだ」

「だから、お兄ちゃんのお嫁さん」


 透は「あ、なるほど」と笑う。それから彼は懐かしげに、少し先に見える公園や、辺りの様子を眺めた。


「そういえば、結城の家ってこの辺りだったよな。俺、あの公園で車を止めて昼飯とか晩飯を食ってたりする事もあるぜ」

「ええ、そうなんだ。でも、吉川君も昔は地元民だったもんね」

「そうそう。この辺を配達で走るのって、懐かしくて好きだし」


 彼の眺めている公園は、徒歩や自転車ならば、住宅街を貫いて向こう側に抜けることができる。昔から変わらない風情で、朝子も幼い頃は両親とよく訪れた。今でも、抜け道として使うことがある。

 園内は陽光に照らされ、青々と茂った梢が一直線に並んで、挟まれた砂利道を示していた。

 住宅街の一角にあるとは思えない広い敷地で、中央には子供向けに作られた遊具もある。

 付近の住人はもちろんのこと、休日には自転車や車で子どもを連れてくる家族連れもあった。


「昔から変わらないよな、あの公園。これくらいの車だったら、通り抜けは無理だけど、園内で一時駐車ができるからものすごく便利なんだ。たまに他の運送屋の車も駐車していたりするから気楽だしさ」

「やっぱり元地元民だね。詳しい」

 彼は「まぁな」と胸をはって笑った。


 辺りの住宅は敷地にたいてい車庫を持っている。たとえ家の前に車が止まっていても、別の車が通り抜けするには余裕な道幅が確保されていた。それでも、やはりたまに公園に駐車している車があった。駅からは遠いので、利用する用途は限られているだろう。

 休日の昼間ならば、散策に訪れた家族の車。

 平日や深夜ならは、もしかすると付近の住人が来客用の駐車場として利用しているのかもしれない

 朝子の見慣れている公園は、昔から変わらず自由に解放されているようだ。


「だけど、駅前はいろいろと変わってたな。あ、そうだ。プラチナホールも見てきたよ。ここからだと、わりと近いのな」

「うん。新しいし、綺麗な建物だったでしょ」

「たしかに」


 透は頷いてから、朝子とまどかを見て車内を示した。


「どうせ結城の家だったら、通り道のようなものだから、家まで乗せていってやるよ。狭いけど、前にあと二人くらいなら乗れるはず」


 透は車をおりて、あろうことか助手席の荷物を後ろの冷蔵庫へ放り込んだ。


「それ、冷たくなってもいいの」

「ただのテキストだから」


 朝子は傍らのまどかを見る。いつも通り笑う顔色が、やはり白すぎる気がした。自分の思い違いなのかもしれないが、このまま歩くよりは、透の気遣いに甘えてしまうほうがいいと思える。


「快適じゃないだろうけど、どうぞ」

「うん。じゃあ、お言葉に甘えて。……まどかさんも」

「あ、ええ。ごめんなさいね、吉川君」

「いや、そんな。通り道ですから」


 車内は窮屈だったが、炎天下の中を歩くよりはずっと快適だった。結城邸は、車を使うとあっけないくらいに短時間で着く。


 二人が車を降りると、透も冷蔵庫から冷たくなったテキストを持ち出した。良く眺めるとそれは簡単な医学書であるらしく、彼の熱心さを示すように手垢で汚れていた。


「車の中でも勉強してるの?」

「まぁな。大して頭に入らないけど、気休め。試験中だしさ」


 広くはない荷台から、ひんやりとした冷気が漂って心地が良い。朝子は好奇心で冷蔵庫の中を覗く。中は暗く、人が体を屈めて進める程度の高さで、奥行きは人が一人横になれる位だった。

 奥のほうには、包装された荷物が積まれている。


「これを全部、配達するんだ」

「うん。多分、結城が思っているよりはすぐだと思うけど」

「そうなんだ」


 運転席へ戻ろうとする透に、朝子とまどかがお茶を出すと言ったが、彼は先を急ぐようで、エンジンをかけながら、いつものように白い歯を見せて笑った。


「気持ちだけもらっておくよ」

「――そっか。じゃあ、また大学でね、ありがとう」

「ああ、じゃあな」


 彼は「気をつけてね」と手を振るまどかに、軽く会釈をしてハンドルを握る。まもなく車が発進して、背の高い車体がすぐに三叉路にさしかかる。二人が見送る中、車はゆっくりと曲がり、見えなくなった。

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