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1:手紙

 梅雨が明けてから、陽射しは肌を焦がしそうな勢いで照り付けている。

 さいわい部屋の中は冷房が入っているので、うだるような暑さはない。

 結城朝子ゆうき あさこは週明けから始まる考査に向けて、自室にこもっていた。彼女の在籍している文学科は、今期の考査内容の大半がレポートの提出で占められている。

 制限時間を設けた試験は数えるほどしかなく、今は続々と迫ってくる締め切りに向けて、てんてこ舞いの日々だった。


 参考文献を片手にレポートをまとめていると、ふいにぱたぱたと廊下を走ってくる足音が響いた。朝子が机から顔をあげると、同時に部屋の扉が叩かれる。


「朝子ちゃん、手紙が届いているわよ」


 聞きなれた声は、心なしか嬉しそうな響きを帯びていた。現在、自宅には朝子と彼女の二人しかいないので、朝子は部屋に鍵をかけていなかった。それでも扉の向こうにいる彼女は、部屋の主の許可が得られるまで、決して扉を開けたりはしない。


 そういうプライベートにおける境界線は大切だと思うが、朝子としては時折もっと無防備に振舞って欲しいと感じることもあった。

 義理の妹である自分がそう感じるのだから、彼女を妻に持つ兄はなおさらそう感じているだろう。控えめな振る舞いは彼女の美徳ではあるが、家族としては少し寂しい気がした。


「まどかさん、扉なら開いているよ」


 朝子は席を立って、自ら部屋の扉を開けた。現れたまどかは満面に笑みを湛えていて、手にしていた手紙をそっと朝子の方へ差し出す。


「はい、これ」

「手紙なんて珍しいね。誰から……」


 それは一目で国内から届けられたものではないことが判る。朝子は期待が膨らむのを感じた。電子メールで連絡が取れる昨今、封書で届く手紙は珍しい。どきどきしながら、朝子は差し出された手紙を受け取る。宛名の字を見て、更に鼓動が高鳴った。


 見慣れた筆跡は、丁寧に朝子の名前を記している。

 差出人は確かめなくても判ったが、朝子はくるりと手紙を裏返す。


風巳かざみから……」


 その名前を見るだけで、切なくなってしまう。遠く離れた処にいる彼。

 お互いに想いが通じていても、会えない日々を寂しく感じるのはどうしようもない。

 自分に宛てて届けられた手紙。

 それだけで胸が詰まるくらい嬉しい。こみ上げた喜びを噛み締めてから、朝子は急に不安になった。電話やメールではなく、どうして手紙なのだろう。


 ただの気まぐれなのか、もしかすると――。

――心変わりの報告、だろうか。

 嫌な想像をしてしまい、朝子は思わず封も切らず立ち尽くしてしまう。


「ねぇねぇ、朝子ちゃん。風巳君は、何て?手紙なんて、何だか新鮮よね」


 朝子のためらいには気付かなかったようで、まどかは興味津々で微笑んでいる。彼女の屈託のない笑顔に励まされて、朝子は内に芽生えた嫌な想像を振り払った。

 今更、そんなことがある筈がない。

 そう考えてしまう自分の方が、よほど彼に対して失礼だ。


 朝子は気持ちを切り替えて、ペーパーナイフを持ってきて封を切った。三つ折りにされた便箋を取り出して開く。

 彼らしい綺麗な字で綴られた内容は呆気ない位に簡潔だった。

 ゆっくりと二度読み返してから、朝子は目の前で反応を見守っていたまどかに便箋を差し出してみる。


「え?あたしが見ちゃってもいいの?」

「……うん。夏休みはこっちに戻ってくるって」

「本当に?朝子ちゃん、良かったじゃない」


 まどかが嬉しそうに笑ってくれると、朝子もどんどん嬉しさが増してくるのを自覚する。

 夏休みに焦がれる日々が始まりそうだ。既に待ち遠しくなっている。

 何気なく手紙に目を通しているまどかを眺めていると、彼女は驚いたようにぱっと顔をあげた。つぶらな瞳でまじまじと朝子の顔を見る。


「どうしたの?まどかさん」

「あの、朝子ちゃん。何だかすごいことが書いてあるんだけど、あたしが読んでも良かったのかしら」

「え?」


 そう言われてみても、朝子には心当たりがない。じっくりと二回読み返したのだから、読み飛ばしているはずもなかった。


「どこに?まどかさん。どこにそんなにすごいことが書いてあったの?」


 思わず彼女の手元にある便箋を覗き込むと、まどかが教えてくれた。


「ここよ、この最後。――朝子に会えたら、伝えたいことがあります。――って。これって、すごい意味深長よ、朝子ちゃんってば。わざわざ手紙にしてみたりとか。風巳君もいよいよかしら」

「いよいよって?」

「えっと……、だから、その、ねぇ」


 まどかは自分が口にしていいのか戸惑っているようだ。朝子には彼女の言いたいことがよく判らない。風巳とは久しぶりに会えるのだから、お互いに伝えたいことが山のようにあるのは当たり前だと思える。

 それ以外に、何の意味があるのだろうか。

 まどかにそう伝えてみると、彼女は深い溜息をついてぽんぽんと肩を叩いてくれた。

 朝子がきょとんとしていると、まどかは困ったように微笑む。


「朝子ちゃんのそういうところ。とっても可愛いと思うわ、あたし」

「何?それって、どういう意味?まどかさんってば」

「うーんと、言葉通りの意味。ともかく、夏休みが楽しみね」

「うんっ」


 朝子が笑うと、まどかは心なしか目を細めて、優しく頷いてくれた。

 手の中に在る、飾り気のない封筒と、白い便箋。

 数日前には、間違いなく風巳が手にしていたもの。

 朝子はそっと便箋を頬に押しあててみる。微かに風巳の香りが残っている気がした。

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