3、鏡映し
裏野ドリームランドの廃墟に行ったのは、いつのことですか?
飛び込みの情報提供には、一応、応じることにしていた。雑誌編集者というものは、アンテナを高くすることが第一義だからだ。本当のことを言うと、そういう輩を邪険に扱うと後でトラブルに繋がるから、それを避けたい。肝試しの体験談なんか、ホームページからの投稿で済ませてくれればいいのに、『飛び込みも可』なんて書いたのがそもそもの間違いだった。
私は目の前に背筋を伸ばして座っている、その男に聞いた。男は、はきはきと、こう答えた。
はい、二日前のことです。
全く嫌みの無い、なんとも清々しい笑顔だった。隣にいる山本が、『二日前』とメモをとっている。普段は書道家のような美しい字を書くが、走り書きは信じられないほど汚い。
わたくしは仲間を五人連れて、閉園した裏野ドリームランドを訪れました。どうやって侵入したかと申しますと、園の裏手にある扉が、非常用の通路と繋がっていましたので、そこから入りました。廃園になってから肝試しの方が多く訪れて、園内は大変に荒らされておりました。
なんだか、言葉遣いがおかしい。ひたすらに馬鹿丁寧というか、一般常識に合っていないような印象がある。
わたくしたちの仲間も、スプレーで落書きをしたり、窓ガラスを割ったりしました。わたくしも、それは楽しかったことを覚えています。
『飛び込みも可』は後から削除して『飛び込みは遠慮願います』と、こんなどこの馬の骨か分からないヤツが来ないよう修正するように命じておく。自分のしたことを淡々と話す彼に、少し苛立った。私はこう言った。
あそこは閉園したとはいえ、所有者がいるでしょう。勝手に入るのは不法侵入になってしまいますよ。
少しは悪びれる表情を期待したが、男は、ますます爽やかな表情になって、こう言った。
そうなのです。わたくしは、その方に感謝したいと思っているんです。特別な体験をさせてくださった、その方に。
やっぱり、こいつは少しおかしいのではないか。隣の山本をチラリと見た。山本は勘の鋭い女だ。顔には出していないが、やはり、私と同じことを感じているようだった。
それで、○○さんが体験したことというのは、どのようなものだったんですか?
山本が聞いた。彼女も、早くこの男を帰してしまいたいのだろう。私も、心霊雑誌の編集社などしていなければ、こんな男と関わりたくない。
ミラーハウスというアトラクションをご存じですか。ある噂がありましてね。わたくしたちは、その噂を聞いて、そこへ行ったのです。噂では、深夜0時きっかりにその鏡を見ると、何か不思議なことが起こるというのです。
ミラーハウス。鏡の迷路や様々な形をした鏡があって映り方が違う。廃園になった例の遊園地のミラーハウスは、他の園に比べると、小規模だ。廃園になってからの方が、来場者が多いんじゃないかと、酒の席でも冗談が出たくらいだ。
うん。知ってますよ。ネットでも話題になっていますから。でも、実際に試した人が多くいて、その人たちが何事もなかったと動画でも投稿されていますから、今は信じる人はいませんね。ただの都市伝説的な噂にすぎません。
廃墟に潜入して、噂を試す。噂が流れてから、そういう動画は増えた。私はそう言った。すると男がこう言った。
噂では、超巨大ミラーの合わせ鏡が例の鏡ということになっていますが、本当は違うんです。実はね、そうじゃないんですよ。
私たちが興味を示すことを期待したのか、男はそれだけ言って、こちらを『聞きたいでしょう』と言いたげな目で見た。裏野ドリームランドの噂は、他にも後を絶たない。ただのガセネタであることが多いし、今更、記事にすることはないのだが。
では、どこなんですか。
実はね、スタッフルームにある、姿見なんですよ。わたくしたちは、ミラーハウスにある、全ての鏡で、噂を試してみました。でも、何も起きませんでした。最後に残ったのが、スタッフルームの姿見なんです。わたくしたちは、ダメでもともとというつもりでその鏡を試したのです。
試したって、じゃあ、0時にその鏡を見たんですか?
山本が尋ねた。男が答えた。
鏡は人間の本性を映すとか、魔物を映すとか言われますよね。それは、他を映すのに、自身は一切映さない。この世にあるどんな道具よりも神秘に満ちたものだからなんです。おかげでわたくしは、新しい世界を見ることができました。
聞かれたことだけ答えて、はやく帰れというんだ。私は喉まで出かかった言葉を呑みこんだ。察して、山本が冷静に努めた。
それで、どうだったんですか? 鏡に変化があったり、ご自身になにか変化があったりは?
山本は聞いた。男は、答えた。
わたくしは生まれ変わったんですよ。見てわかるでしょう?
生まれ変わる前を知らないから、ねえ。
私は、笑い話をするように、山本に同意を求めた。
その鏡を見ることで、わたくしは、生まれ変わったんです。素晴らしい気分です。ぜひ、他の方々にも教えたい。記事にしてください。あの鏡を見ると、生まれ変わるんです。
生まれ変わる、か。なるほど。その意味がどういうものか、いまいちわかりませんが、我々も取材に行ってみることにします。貴重な体験を聞かせていただいて、ありがとうございました。匿名で体験談として載せるかもしれませんが。
いえ、いいんですよ。
男は、立ちあがって、そのまま出て行った。何事もなく終了した。
私は、冷めたコーヒーを啜った。なんだか、泥水のような味がした。
情報提供に来る人間も不審な人物が多いので、慣れてはいたが、あの男は印象的だった。山本は男が帰ってから、すぐに手洗いに行った。山本が帰って来てから、私は言った。
やっとお帰りになったか。『飛び込みも可』はすぐ削除しろ。鬱陶しくてやれねえや。それにしても変に爽やかな男だったな。物腰も丁寧だったし。気味が悪かった。あの男、暴走族のリーダーやってるって言ってたな。それも現役で。なあ、ゾクがあんな話し方するかねえ。
ふと見た、山本の顔色が悪かった。まさか、気丈な山本が吐いてきたのか。
編集長。気づきましたか?
なんだい? ヤツの腕に注射痕でもあったか?
違いますよ。少しだけ見えたんですけど、あの人の指、全部逆についていましたよ。
……え?
たしかにあの男は、話している最中、不自然なくらいに手をテーブルの下に隠していた。男が席を立つとき、山本だけは見たのだ。山本はさらに続ける。
親指があるべき位置に小指がついていて、それから小指のあるべき位置に親指がついていました。元からそういう風だったみたいに、すごく自然な感じでついていて、それがなんだか気持ち悪くて。
それを言われて、ふと私はあることに気づいた。あの男が、鏡の噂を試す前に、現場で撮った写真を見直した。
あの男、この写真となんだか少し人相が違うと思ったんだが、額にあるキズの位置が、変わっているじゃないか。これ、顔の左右が入れ替わっているんじゃないか。
じゃあ、あのミラーハウスの噂っていうのは、もしかしたら……。
山本が言い淀む。私は言った。
もし本当に、そうだとしたら、体の右半分が左側についていて、体の左半分が右側にあるということか。内臓も、脳も、何もかもが鏡映し……。
そんな体で、生きていけるんですかねえ。
馬鹿。生きられるはずないだろう。ミラーハウスに行ったのは二日前っつったろう? すぐに死ぬよ、あの人。
あんな奇妙な人間が街を歩いていると思うと、ぞっとする。
その鏡というのは……。
全てが反対になる鏡だったのだろうか。




