其の八
深夜、宿のベッドに横たわり、イルミラは急く思いを必死に押さえつけていた。
傍らにはスヤスヤと寝息を立てるリーヌス。
何年も成長せず、常に死と隣り合わせの日々を過ごしていた子とは思えぬほど、色艶の良い肌をしており、頬をつつけば、弾力で指が押し返されてしまう。
「ふふ、ぷくぷくね」
この大陸に来て、我が子の体調が好転したのは間違いない。
ならば、この状態を維持するためにも、生命力を与え続けなければならない。
明日、リーヌスに与える生命力を、何処で補おうか━━━━その事を考え、じっと夜が明けるのを待つイルミラだった。
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次の日。
タハッタ村の入り口で、ボドワンから馬車についての説明を受けているイルミラとルフィーノ。
ボドワンは馬車の手配だけでなく、数日分の食料や野営に必要な寝袋なども揃えてくれていた。
「何から何まで、本当にありがとうございます」
ルフィーノがボドワンに向けて礼をするが。
この様々な物資はボドワンのポケットマネーからではなく、ある方の指示により揃えたため、苦笑いを浮かべ、気にしなくてもいいと告げた。
気にされ、問いただされても困るからだ。
「それより、地図はないが本当に迷わずに行けるか? なんなら俺が同行しても良いんだが…………」
「ありがとうございます。ですが、私は森を駆けるエルフですので、迷う事はほぼありませんし。もし、迷ったとしても精霊が教えてくれますので、そのお気持ちだけで十分にございます」
ルフィーノは例え森で迷っても、精霊が教えてくれると答え、ボドワンの申し出を断った。
「そうか…………なら平気だな。とりあえず南東に向かうと大きな湖がある。その湖は街を一望できる位置にあるし、景色もいい。日が暮れると街の入り口は閉じてしまうから、そこで一泊するなりして、次の日に街に向かうといいぞ」
「湖ですね。それは…………」と呟き、遠くを見つめるルフィーノ。
暫し見つめた後、位置に検討を付けたのか、数度頷きボドワンに返事をした。
「わかりました。そこへ向かってみます」と。
「見ただけでわかるのか? 」
「はい。精霊が教えてくれますので」
「そ、そうか…………じゃあ、気を付けてな」
無表情のまま会釈をし馬車に乗りこむイルミラと笑顔を振りまくリーヌス。
そして、感謝の表れか、何度も頭を下げ御者台に乗りこむルフィーノ。
「じゃあな! 困ったら各地にあるギルドを訪ねるんだぞ! 」
「はい。では、出発します」
一行が乗り込んだ馬車が走り出す。
ボドワンは、馬車の姿が見えなくなるまで手を振り続けていた。
主に、リーヌスに向けてだが。
再び、長閑さを取り戻したタハッタ村。
ボドワンは、その入り口で1人佇み、ポツリと呟く。
「行ったか……後は、あの方達に任せるしかないな………しかし、魔族か……見た目は人と変わらんな」
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あかね色に染まる美しい空に、3つの黒い点が見える。
一定の距離を保っていた点が、互いに近付き重なろうとしていた。
すると、下から目にも止まらぬ速さで小さな点が近づいた。
その小さな点は、重なる3つの点を散らすように駆け巡っている。
しかし、3つの点の1つが小さな点を弾き返した。
━━━━ドォゴォオオオン!!
小さな点が土塊を巻き上げつつ、大木に衝突した。
小さな点は、ヨタヨタと立ち上がり他の小さな点と共に、再び駆け上がる。
あかね色に宵闇が迫っている。
3つの点に近づいた小さな2つの点が、隙を窺うように変則的な動きを始めた。
離れた場所から見ると、虫が何かに集っているかのようにも見える。
小さな点が、3つの点の内1つに目標を定めた様だ。
小さな点2つが、勢いよく飛び掛かり捕獲する。
動きを封じるために、小さな点の1つが何かを叫びつつ攻撃を繰りだした。
すると、ぐったりして動きを止めた点は、小さな2つの点に抱きかかえられ地表へと舞い戻ってきた。
戻った小さな点の1つが、多数の点に指示を出す。
その指示のよってか、多数の点が一斉にその場を離れた。
それを見届けて、小さな点は空へと向かう。
ここから始まる戦いは、後々『剣聖と拳聖の親子喧嘩』と名付けられることになる。
この戦いの発端はなんだろうか?
それは…………。
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タハッタ村を後にしたイルミラ一行は、最初の目的地であるフラウ湖に向けて馬車を走らせていた。
整備された道を進む限り、魔物に出くわす事もなく、順調にいけば、日が暮れる前に到着する道のりである。
しかし、イルミラは退屈をしていた。時折、外を見遣り溜息を吐いている。
いや、退屈とは、違うのかもしれない。何かに苛立っているようだ。
「ルフィーノっ! 人、人は居ないの? 」
「人ですか? ━━━━いえ、全く見当たりません」
「ちっ…………」
小さく舌打ちをしたイルミラは、ボドワンが用意してくれた籠に目をやる。
それは、取っ手の着いた大ぶりの籠に子供用寝具が設置されたもので、農業を営む民が、農地へと赤子を連れて行くために作られた物であった。
そこへ、リーヌスを寝かせたイルミラは、御者台の横に立ち、ルフィーノに告げる。
「ルフィーノ! 少し出かけてくるわ」
「えっ、イルミラ様っ。この様な見知らぬ土地で迷われたらどうするのですか? 」
「平気よ。空の上から、人がいないかを確かめて戻ってくるだけですもの」
「しかし、余り目立ちますと━━━━」
「お黙りなさいっ! リーヌスに与える生命力が無いのよ。一刻も早く贄を探さなくてはいけないこの状況下で、人目を気にする余裕があると思っているの?! 」
「っつ!! 」
本来なら、出かける前に生命力を与えておかねばならなかった。
だが、昨夜の狩りの失敗で、それすら叶わなかった。
与える生命力が尽きたこの状況を脱却するためにも、一刻も早く贄を見つけ出さなくてはならない。
ルフィーノに何を言わようが、我が子の命がかかっているのだ。
それゆえ、イルミラは苛立ち、ルフィーノを睨みつける。
「わかりました。このまま道なりにゆっくり進んで行きますので、狩りが終わり次第お戻りください。どうか、贄となった者の命を奪うことだけはなさいません様に、お願い申し上げます」
「わかっているわ。贄を殺したりはしない、追われる立場になっても困るからね」
そう言って、イルミラは飛び去って行った。
取り残されたルフィーノとリーヌス。
道脇に馬車を止め、ルフィーノはリーヌスが寝かされた籠を傍に寄せる。
「リーヌス様。貴方は本当に生命力が必要なのですか? 」
「あぅ? 」
「いえ、幼いリーヌス様にお聞きする事ではありませんね。では、出発いたしましょうか? 」
「あぅぅ~」
ルフィーノは御者台に戻り、馬車を走らせた。
時折、リーヌスを覗き見て、機嫌が良いかを確認する。
ふと、ルフィーノはある事に気付き、昨夜のボドワンの言葉を思い出した。
「ボドワンさんが言っていましたね。リーヌス様はもう泣かないと…………」
その言葉の通り、リーヌスは昨夜から全く泣いていない。
生命力を与えていないにも関わらず、今も上機嫌である。
一体、リーヌスの体に何が起こっているのだろうか?
問うたところで答えが返ってくるとは思えないが、ルフィーノは口に出さずにはいられなかった。
「リーヌス様。貴方は生命力などなくとも、生きていけるのではありませんか? 」
「あぅぅ? ああ~~っ! 」
「? 」
リーヌスは、ルフィーノの問いに答える様な返事をした。
けれど、全く意味が理解できないルフィーノは首を傾げる。
そこへ、木の精霊がふわり馬車に舞い込んできた。
精霊はルフィーノに軽く微笑んだ後、リーヌスの籠の中へ何かを落とすと手を振り去っていった。
精霊が籠に落としたのは、小さな果実のようだ。
「これは、ベリナ? 」
馬車を操る手を離す訳にもいかず、ルフィーノは精霊の落として行った何かをジッと見つめる。
ルフィーノの言葉の通り、一見『ベリナ』という果物のようだ。
しかし、見慣れた『ベリナ』とは少し違っていた。
小さな木の精霊が持ち込んだものは、少し発光している。
本来の『ベリナ』は赤く小さな果実で、ルイーズが『イチゴとラズベリーを合わせたみたいなやつ』といっている物だ。
酸味と甘さが程よく調和し、菓子作りを楽しむルイーズにとっては欠かせない果実である。
そのベリナが発光している。摩訶不思議な光景にルフィーノは馬車を止め、手に取ってみようと考えた。
だが、そうする前にリーヌスがベリナを手に持ち、口に運んだ。
「えっ! えっ? 」
ルフィーノは混乱する。ベリナを手に取り、ちゅっ、ちゅっと音をたて果汁をのむリーヌス。
その行動を制止させるべきなのか、これまで何も口にしなかったリーヌスが、何かを食べたという事を喜ぶべきなのか、分からなかったからだ。
ルフィーノは状況が掴めないながらも、手綱を引いた。
馬車が道の中央で、砂埃を上げながら急停止した。
運よく、誰も通らない道であり、魔物除けが設置された道である。
ルフィーノの傍迷惑な、行動を咎める者は誰もいない。
手綱を手放したルフィーノは、美味しそうにベリナを口に運ぶリーヌスを見つめた。
「リーヌス様…………貴方は…………」
ルフィーノが呟く。何かを納得した様に頷き、喜びに満ち溢れた笑みを浮かべる。
「リーヌス様━━━━だったんですね」
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「どうして…………普通なら冒険者の1人や2人は居るものでしょう…………」
贄を探すと言って馬車を降りたイルミラは、空を飛びながら人の気配を探っていた。
「人なら、年老いていようが構わないというのに…………」
イルミラの願い空しく。見渡す限り、人のみならず魔物すらいない。
それもそのはず。
観光名所でもある『フラウ湖』周辺は、魔物除けが設置されているのだ。
だが、魔物はいざ知らず、人が見当たらないのはどういう訳なのか?
その訳も知ってしまえば、なんてことはない。
ボドワンと宝珠越しに話した人物のせいである。
昨夜、宿を出たボドワンはギルドに戻り、3度目の報告をすべく宝珠を手に取った。
学園行事に参加している金狼仮面と赤狼仮面の2人と連絡を取る為である。
遠征2日目の夜にあたるこの日。ルイーズが走馬燈を見た日でもある。
「━━━━━━━と、いう事でした」
『ふむ。其方だけがその赤子の言葉を理解出来たのだな』
「はい。何故だかわかりませんが、その様です」
『念話の類かも知れぬな……して、この大陸に来た目的━━━━それが事実ならば、ホエール連邦国で目撃された獣人……否、魔族か━━その者達が標的やも知れん』
「はい。サクラ公国の獣人達は、宰相様が身元を保証されておりますし、ホエール連邦国のアルガ村に流れ着いた者達が探し人で間違いないでしょう」
『しかし、アルガ村に流れ着いた者達は、村人達と穏やかに過ごしていると聞くが』
「俺、いえ、私も耳にしております。幼い子供2人は漁師の手伝いをしていますし、青年の方は自警団に入り、村を魔物から守っていると」
『うむ……その様な者達を魔族だからといって捕らえる訳にはいくまい』
「はい、村人からの信頼も得ているようですし、捕らえるのは難しいかと。保護するにしても、この大陸に来た目的が不明でございますし……」
『目的は私が現地に赴き、問うのが早かろう』
「っ! 貴方様自らですか? 」
『なに、容易い事よ。だが……あやつも同行すると言い張るやも……いや、内密に事を進めるべきか』
「あのぅ……それは、私が耳にして良い事なんでしょうか? 」
『気にするな。誰も咎めたりはせぬからな━━━』
『陛下っ! 何をしてらっしゃるんですか? あれ程、宝珠には触れないで下さいと言ったではありませんかっ!! 』
「えっ? 陛下?? ええーーーーっ! さ、宰相様ではなかったんですかぁぁぁぁぁぁ」
『いっ、ちっ、見つかったか』
『見つかったかではありませんっ! 』
「………………」
『ボドワン、急用が出来た。なに、いつもの事よ。気にするでない』
「っ! 陛下? 」
『ボドワンか、すまなかった。こちらの話が終わり次第、連絡するゆえ、暫く待っていてくれぬか? 』
「へっ? 宰相様ですか? はい、待っております」
・ ・ ・
『ボドワン、待たせたな』
「いえ、とんでもございません」
『あの御方と話し合った結果、イルミラという者と会ってみる事にした。話し合いが通じる相手なのかが分からぬゆえ、フラウ湖周辺の人払いを頼む』
「それは、フラウ湖周辺の依頼を外しておけば宜しいのでしょうか? 」
『それだけでは、心許無い。ふむ…………Aランクの魔物が出たとでも言っておけ』
「魔物が出たので近づくなと、言えば宜しいのですね」
『ああ、騎士団が赴き、対処していると伝えおけば、近付く者は居らぬだろう』
「はい。承知いたしました」
『頼んだぞ。では、また連絡する』
「はい。あっ、あの」
『なんだ? 』
「母親の所業に胸を痛めているあの子供の為にも、どうか━━」
『わかっている。私も子を持つ親だ。悪い様にはせぬから安心しろ。後、旅に支障が出ぬよう色々手配してやれ。かかった費用は、私が持つゆえ』
「はい、お心遣い感謝いたします。それでは、よろしくお願いいたします」
これが、フラウ湖周辺に人がいない理由である。
それを知らないイルミラは、もう少し足を延ばそうと空を駆けて行った。
人を探す事だけが頭にあるイルミラは、現時点でルフィーノやリーヌスが乗った馬車とは、大きく離れてしまっている事に気付いていない。
「人……人……」
四方八方探すも人を見つけられずにいるイルミラ。
道なりに進めば、人がいるフラウ湖へ辿り着けるというのに、開けた場所を警戒して見当はずれな所ばかりを探していた。
夕暮れが近づいてくる。
「…………一度、馬車に戻った方が良いかもしれないわね。あっ、リーヌス……あぁぁぁぁ」
すでに馬車を降りてかなりの時間が経過していた。
いつもなら、2度目の生命力を与えている頃合いでもある。
その事に気付き、全身の血の気が引くイルミラ。
力なくヨロヨロと飛び、馬車が通るであろう道を探す。
「リーヌス……どうか、無事でいて……」
ほどなくして道は見つかった。そして、道を見つけたと同時に、湖周辺に漂う人の気配も感じたイルミラは。
「人っ! あっちに人がいるわっ、リーヌス、もう少し待っていて」
人が多い所は警戒して避けていたにもかかわらず、意気揚々と湖へと駆けて行ってしまう。
その湖に居るのは、総勢120名+コカトリスという面々であるというのに。
湖の真上に辿りついたイルミラは、漸く自分の失敗に気が付いた。
「人が多すぎる…………しかも、ほとんど子供ばかりじゃない……」
いくら吸血種であるイルミラでも、子供を持つ親である。
子供の生き血は吸わないと決めているイルミラは、同じく残虐な場面も見せたくないと思っている。
「子供に気付かれず、贄となる大人を見つけなくちゃ……」
そう口に出すイルミラだが、それはとてつもなく難しい事だと理解していた。
子供を守る様に付き添う大人達を引き離す事など不可能に近いのだ。
「…………」
諦めリーヌスの待つ馬車へ向かおうか、それとも夜を待つかと考えていた時。
「ようこそ、ヨークシャー王国へ。魔族のお嬢さん」
「アベル。一応、子を持つ親なのだから、お嬢さんではないのではないか? 」
「っ!! 」
いきなり背後から声を掛けられたイルミラは驚愕した。
全く気配を感じなかった事にも、自分と同じように空を飛んでこの場にいる事にも。
しかも。
「いえ、貴族でない妙齢の女性に声を掛ける時は『お嬢様』か『お嬢さん』と呼ぶべきなのです」
「そうなのか? 」
「はい。そう呼ぶことで、物事は驚くほど円滑に進むと、ルイーズに教えられました」
「ふむ……なら、お嬢さんと呼ぶべきだな」
(なんなの? こいつら……怪し過ぎる)
イルミラがそう思うのも無理はない。イルミラを放置して、楽し気に会話をしているのだから。
イルミラは訝し気な視線を送り、2人の様子を窺った。
その視線に気付いた金色の仮面を付けた者が、イルミラに向き直り話しかけてきた。
「う、コホン。魔族のお嬢さん。ようこそ、ヨークシャー王国へ。して、何用で参られたのか、聞かせてはくれまいか? 」
この尊大な物言いに、イルミラは一瞬、顔を顰めるもすぐに表情を変えた。
(こいつらは贄よ)
そう、この者達は、子供達の視線から外れた贄である。待ち望んだ贄である。
満面の笑みを浮かべるイルミラ。同時に『魅了』を発動した。
「ふふ。わざわざ出向いてくれてありがとう」
イルミラは、心のからの感謝の念を伝えた。
「勿体なきお言葉感謝いたします」
「光栄にございます」
この返答により2人が魅了に掛かった事を確信したイルミラ。
魅了に掛かった者を見極めるには、こうしたやり取りが必要なのである。
イルミラに対する偽りの愛や忠誠心を見せる以外は、普段と全く変わらないのだから。
斯くして、念願の贄を手に入れたイルミラ。
生き血を啜るべき時が……。




