其の七
冒険者ギルドへと赴いたルフィーノとイルミラは、再びギルドマスターであるボドワンと対話していた。
目の前のテーブルには先ほど置いて行った宝石と魔石が置かれている。
「査定の結果、この宝石と魔石を全て買い取ったとして金貨250枚なんだが、全てをこのギルドで買い取る事は出来ない。まぁ、支払う大金が無いってのも理由なんだが……」
ボドワンはそう言って、ルフィーノとイルミラの顔を見た。
ルフィーノは困ったような表情を浮かべているが、イルミラは射殺すような視線をボドワンに向けている。
ここで旅の資金を得ることが出来なければ、イルミラ達は宿に泊まることすら出来ない。
幼ない我が子を抱え、野宿など出来るはずもなく、買取が出来ないと言われボドワンを睨んでいる訳だが。
睨まれている当の本人ボドワンは、イルミラから、その射殺すような視線。殺気を向けられているにも関わらず、違う事を考えていた。
(登録する時、確か『人族』って言ってたよな……それって、俺たちと同じ人って事だよな……獣人とのハーフでもなさそうだが…………でも、なんか違うんだよなぁ……う~ん…………)
いくら考えてもその違和感が拭いきれず、腕を組み口を噤んでいるとルフィーノが口を開いた。
「それは、買取が出来ないという事ですか? 」
「いや、全てをと言ったろ? 一部なら買取は出来るぞ。現時点で用意できる金貨は70枚だが、どうする? まぁ、買い取るのは魔石だけになるがな」
この『タハッタ村』にある冒険者ギルドでは、宝石の買取を行っていない。
王都や大きな街であれば、宝石の需要もあり受け付けてはいるが、長閑なこの村で宝石を身に着ける者など居るはずもなく。持っていても宝の持ち腐れ、石ころと同等に見られている。
本来であれば、査定前にその事を告げるべきだったのだが、予期せぬ来客、エルフを前にしてボドワンは綺麗サッパリと失念していたのだ。
その詫びも含めて、ギルドの運営費にまで手を付け、金貨70枚という大金をかき集めた。
受付嬢兼、経理を担当している『フランシーヌ』に土下座までして。
「それでは、魔石だけで構いませんので、買取をお願いします」
「よし、これに金貨70枚が入ってる。確かめてくれ」
ボドワンは金貨が詰まった巾着をルフィーノに手渡し、数を確認するように促す。
それを受け取ったルフィーノは、イルミラも視認できるようにゆっくりと数えた。
「………………はい、確かに金貨70枚受け取りました」
ルフィーノが巾着をしまうのを確認して、ボドワンは宝珠で連絡を取った相手の思惑通りに事を進めようと、話を切り出した。
「よし、これで取引は終わりだな。ああそうだ。もし、その宝石も換金したいのであれば、大きな街に行けばいいぞ。そうだな……近い場所……ここから南東に向かって行くと『ロットワイラー伯爵』が治めている街『フラウ』がある。そこなら、宝石の買取も行っているはずだ」
「フラウですか…………そこへは、歩いていくと何日くらいかかりますか? 」
「おいおい、そんな小さな子がいて歩いて行くつもりか?! それだけの金貨があれば、馬車が買えるだろうよ」
ここはロットワイラー伯領の最北端である。『フラウ』まで歩くとなれば、冒険者の足でも3日。子供連れとなると、その倍の日数はかかるだろう。
しかも、途中立ち寄れる町や村などないのだ。
ゆえにボドワンは馬車を手に入れるよう、提案した。
「この村で馬車が買えるのですか? 」
「ああ。まぁ、こんな農村だから、綺麗で豪奢な馬車ではないが、それなりの馬車は手に入るぞ」
実は馬車の手配も済ませているボドワン。何が何でも、期日中にイルミラやルフィーノを『フラウ湖』に行かせたいとみえる。
「それは本当ですかっ! 」
「その馬車を見る事は出来ますの? 」
馬車が手に入ると聞き、ルフィーノが身を乗り出す。
先ほどまで沈黙を保っていたイルミラまで話に食い付いてくる。
その剣幕に、ボドワンはたじろぎながらも返答する。
「おお、おおよ」
「馬車はどこに行けば、手に入りますか? 」
「何処って、ここだよ、ここ。ギルドで買える」
「その馬車は、こんな小さな子が乗っても大丈夫ですの? 揺れは? 」
「心地よいと感じる程度の揺れしか無いから安心しろ」
イルミラとルフィーノは互いを見遣り、軽く頷いた。
「イルミラさ…………イルミラ。馬車を買いましょう」
「ええ、そうね」
ボドワンは馬車を手に入れる気になった2人を見て、商談を始めようと口を開いた。
ちなみにタハッタ村の冒険者ギルドは、商業ギルドも兼ねている。
いや、ギルドとしての仕事だけではない。
各種ポーションから装備品に始まり、農民がその日に食べる食材まで置いている。
小さな農村ゆえの、兼業。地域密着型ギルドなのだ。
「じゃあ、商談を始めようか。まず、馬が2頭と帆馬車で、金貨15枚でどうだ? 」
「「? 」」
ボドワンの提示額に首を傾げる2人。
高いのか安いのかさえ分からない2人なのだから、この反応は当然なのだが。
ボドワンはその反応をみて、
(ほう、沈黙と威圧か。なかなかやるな。普段はもっと駆け引きを楽しむんだが。この2人には、馬車を手に入れてもらわなければならないからな……ほどほどにするか)と、商人魂を抑え込んだ。
ボドワンは商業ギルドのギルドマスターも兼業しているが、れっきとした冒険者ギルドのギルドマスターである。
今は引退しているが、やり手の元Aランク冒険者でもあった。
そんなボドワンが、魔物被害も少ないこの村でやる事と言えば、特産品の取引ばかり。
それは商業ギルドの仕事である為、商人魂が目覚めても仕方のない環境なのだ。
「お前さん達には負けた、よし! 金貨12枚でどうだ? もう、これ以上はまけられねぇぞ」
ルフィーノは、ボドワンの提示額が安くなったのは理解した。
しかし、なぜ値下がりしたのかは全く理解していない。
けれど、ここで了承せねば、馬車が手に入らないかもしれないと懸念し、その額で納得する事にした。
「…………で、では、この金貨12枚で馬車の手配をお願いします」
「了解した。出発は明朝だな? 」
「はい」
「じゃあ。明日の朝、出発前に取りに来てくれ。馬の手入れや馬車の整備をして待ってるからよ」
「わかりました。よろしくお願いします」
ルフィーノはそう返事をして、イルミラを見た。
ここまでのやり取りに納得しているかどうかを確認するためである。
「ルフィーノ、どうしたの? 馬車の手配も終わったのだし、宿に向かいましょう」
イルミラの穏やかな表情を見て、ルフィーノは安堵した。
「ええ、そうですね。参りましょう」
イルミラの肩に手を添え、ルフィーノは夫婦らしく装い部屋を出た。
そのぎこちなくも初々しい姿を見たボドワンは、一つ疑念を抱く。
夫婦として考えるのであれば、初々し過ぎると。
否、他人行儀に見える。
誰も居なくなった部屋で、再び宝珠を取り出したボドワンは、この疑念も含めて報告する事にした。
・ ・ ・
『夫婦ではないかもしれない? 』
「はい。夫婦にしては余所余所し過ぎます。それと、人族と言っておりましたが、我々と違うと言うか……」
『違うとは? 』
「うまく言えないのですが、ぞわっとするんです。…………薄気味悪さがあるといいますか」
『うむ…………其方がそう言うのであれば、何か秘密があるのやも知れぬな。事実、人であったとしても、闇に手を染めた者という可能性もある。それは私の目で見て判断しよう』
「ありがとうございます。それと、明日の朝に出発するそうですので、道中何事もなければフラウ湖で出会えるかと」
『うむ、了解した』
「では、失礼いたします」
ボドワンは宝珠を置き、ソファに横たわった。
1度目の時より落ち着いて話せた事に喜び、笑顔を浮かべているボドワンだが。
ふと、笑顔が掻き消えた。
イルミラに覚えた違和感について、上手く説明できなかった事を不甲斐なく感じたからだ。
「あの方が仰るように、秘密があるのだろうか? それを暴くのは俺の役目ではないか? 」
宝珠の先で会話した相手はその様な事を望んでいない。
しかし、元Aランク冒険者として数々の死線を潜り抜けて来たボドワン。
だからこそ、危険察知に優れているのだ。
そのボドワンの勘が警鐘を鳴らしている。
「少し探るか…………」
・
・
・
イルミラとルフィーノはそれぞれ、宿の部屋で寛いでいた。
ベッドに横たわったルフィーノは、自分の変化に思考を巡らせている。
「人族の大陸…………ここまで精霊が多いとは思わなかった…………我らの故郷よりも多いのではないか?! 」
加護を受ける者であれば視認できる精霊ではあるが、種族によって様々な見え方をする。
気配だけを感じる者も居れば、煌めく粒子が見える者もいる。
エルフ━━精霊と最も親しい種族であるルフィーノは、当然精霊の姿を視認することが出来た。
しかし、だからこそ、この光景に息を呑むほかなかった。
精霊が、そこら中を溢れんばかりに飛び舞っている。
「畑に木の精霊と土の精霊。山の方には火の精霊と水の精霊…………」
夜も更けて久しいというのに、辺りは賑々しくきらめいている。
ルフィーノは、瘴気で失っていた精霊魔法を発動してみる事にした。
「『我は願う。清き一陣の風を━━━━ウィンド』」
ルフィーノがそう唱えると、指先に空気の渦が発生して散った。
「っつ! …………規模は同じだが、威力が上がっている…………」
ルフィーノが唱えた精霊魔法は、幼いエルフが初めて覚える魔法であり、攻撃力はない。
ただ風を起こすだけのものだ。
攻撃力のない精霊魔法にもかかわらず、指先に怪我を負った。
その傷を愛おし気に見つめながら、ルフィーノは呟く。
「これで、イルミラ様をお守り出来る…………ふふっ、フハハハ━━━━」
・ ・ ・
一方、イルミラはリーヌスに生命力を与えていた。
この地に着いて顔色の良くなったリーヌスだが、食べ物を摂取出来ない体である以上、日に何度も生命力を与えねばならない。
しかし━━━━
「ふんぎゃ~っ! ぎゃぁ~っ! 」
なぜか、生命力を与えた瞬間、火が付いたように泣き始めたリーヌス。
「えっ? あ、どこか痛いの? ここ? 何ともなっていないわね。ああ、どうしたのかしら。もう、泣き止んで。ね、お願い…………あっ、もしかして、まだ生命力が足りないのかしら」
そんなリーヌスに戸惑いつつも、生命力が足りないせいかも知れないと当りを付けるイルミラ。
再び、生命力をリーヌスに流し込んだ。
「ぎゃ~~っ! 」
「っつ! まだ足りないのっ? ああ、どうしましょう…………もう、生命力が無いというのに……贄、贄を見つけないと…………少しっ、少し待っていてねっ」
ここまで大声で泣き叫ぶ我が子を見たのは初めてであり、混乱するのも当然と言えば当然なのだが。
泣き叫ぶ我が子を置いて、イルミラは部屋を飛び出してしまう。
━━━━バンッ!! ガツッ!
「いてっつ!! ん? うぉっ、なんてっこった……」
この時、イルミラは焦るあまり、扉の外に居た人物に気が付いていなかった。
そう、ボドワンである。
ボドワンは、イルミラとルフィーノの様子を窺う為、息を殺し扉の前に張り付いていたのだ。
勢いよく開け放たれた扉に、ボドワンの石頭で付いた凹みがある。
いや、穴と言っていいだろう。
にもかかわらず、ボドワンは無傷だ。
さすが、元Aランク冒険者。
鍛え抜かれた肉体の勝利といえよう。
しかし、その凹みを見て冷や汗をかくボドワン。
「これは事故だ……俺のせいじゃない、事故なんだ…………」
穴の修理代を気にして、事故なんだと自身に言い聞かせている。
扉の前に張り付いていたのはボドワン自身であり、どちらに非があるかは明らかなのだが。
昼間、土下座までして金貨を工面して貰った手前。これ以上の出費は言い出せない。
「母ちゃんは怒ると怖いからな…………」
ボドワンが『母ちゃん』と呼び恐れる相手。
それは元パーティ仲間でもあり、妻でもある『フランシーヌ』の事である。
ボドワンが説教だけで済めばいいなと、楽観的思考を巡らせ現実逃避をしたその時、何かが聞こえた。
「ん? 泣き声? 」
「ふんぎゃ~ふんぎゃ~」
開け放たれた扉の先から、赤子の泣き声が聞こえる。
ボドワンは再び気配を消した。
イルミラが出て行ったとしても、ルフィーノが中に居ると思ったからだ。
ところが、そっと扉に手をかけ、中の様子を窺うボドワンの目に映ったのは、1人ベッドに寝かされ泣き叫ぶリーヌス姿であった。
「おいおい。赤ん坊だけじゃないか…………」
呆れと共に憤りを覚えるボドワン。
イルミラとルフィーノを探るという目的を一旦忘れ、部屋へ足を踏み入れた。
ベッドに寝かされているリーヌスを抱き上げたボドワンは、優しい笑みを浮かべあやし始める。
「おお、よしよし。ボドワンおじさんですよ~レロレロレー」
ボドワンには3人の子供がいる。
それぞれ成人して巣立ってはいるが、子育てで培った経験は今も活きていた。
「きゃっきゃっ。あぅあぅ」
現に抱き上げられ、崩した顔を見せただけでリーヌスはご機嫌だ。
なかなかの腕前だといえよう。
「うんうん。赤ん坊は笑ってる方がいいな。よ~し!高い高いーーっつ! 」
「きゃ~っ」
高い高いと体を持ち上げられたリーヌスは、大喜びしている。
その喜び方に大満足なボドワンは、我が子達が大好きだった遊びを一通り披露する事に決めた。
・
・
・
その頃、飛び出したイルミラは暗がりに身を潜め、贄を物色していた。
「もう、人通りが全くないわねっ! 」
長閑な農村タハッタ。
日の出と共に目覚め、日が落ちると眠りに付く。
ゆえに、日が暮れたこの時刻に出歩く者は殆どいない。
稀に、冒険者が宿屋の酒場で呑み、ベロンベロンになって家路につくくらいだろう。
人通りの少なさに不満を漏らし苛立つイルミラ。
狩場を変えようかと一歩踏み出した時、イルミラの前で影が動いた。
ヨタヨタと歩くその様は、余程泥酔しているとみえる。
これは、イルミラにとって格好の獲物。
イルミラの瞳が喜色に染まった。
獲物が決まれば、後は行動するのみ。
イルミラは素早く獲物の隣に並び立ち、声を掛けた。
「ふふ。少しいいかしら? 」
イルミラは息を呑むほどに美しい。
イルミラの姿を見た者は、一様に頬を染め視線を逸らす。
そう、視線を逸らすのだ。
視線さえ合えば、いとも容易く魅了が発動するというのに、イルミラの目を見る者は殆どいない。
魔族の個性ともいえる『特殊能力』━━━━とりわけ精神に作用する能力は、同族であろうと畏怖の対象となっていた。
にもかかわらず、発動させるまでに至らない美しさゆえの弊害。
声を掛けられた者が振り向く瞬間、魅了を発動する。
これは、不意を突く為に身に着けた、いつも通りの狩りの手順である。
「うん? うぃ~ひっく…………誰だぁ?? ん? 」
だが、イルミラの思惑通りにはならなかった。
この泥酔者は、目の焦点が合っていないのだ。
しかも、街灯もない村。月明りや星の煌めきだけでは、イルミラの姿を照らす事も叶わない。
(ちっ。場所が悪かったわね。目撃者を出さない為に、奥まった場所にしたのがいけなかったわ)
心の中で舌打ちをするイルミラ。だが猶予はない。
贄となる獲物はこの者しかいないからだ。
いくら闇が深かろうが、イルミラの瞳にさえ焦点が合えば、魅了はかかる。
万が一失敗しても、そのまま生き血を啜ろうとも思っていた。
多少騒がれはするが、我が子の命がかかっているのだ。強硬手段もやむ得ないだろう。
「こっちよ」
イルミラは泥酔者の肩に手をかけ、自分の方に向き直らせた━━━━体を揺さぶられた衝撃が、泥酔者を襲う。
「んっ? オエェェェェェェッーーオロローーーーッ、カァーーッ、ペッ! うぃ、すっきりした。帰ろ」
「………………」
一頻り吐くだけ吐いた泥酔者は、幾分しっかりとした足取りで帰って行くが。
イルミラは突然の出来事に言葉を失っていた。
ここまで狩りに手こずった事はない。
ましてや汚物を吐きかけられた事さえない。
呆然と佇むイルミラの頬に、一滴の涙が伝う。
「…………」
・
・
・
部屋でリーヌスをあやし続けていたボドワンの前に、水を滴らせたイルミラが現れた。
「おいおい、あんた。子供をほったらかして水浴びしてきたのか? 」
「…………貴方、ギルドに居た人ね。ここで何をしているのかしら? 」
「イルミラ様っ! 今までどちらにいらしたんですかっ」
憔悴しきった表情を浮かべ、ルフィーノがイルミラに駆け寄った。
ルフィーノもボドワンと共に、リーヌスの子守をしていたのだ。
「ルフィーノ。お前が居ながら、何故他人を部屋に通しているのかしら? 」
留守中の子守は、いつもルフィーノに任していた。
当然、今宵もルフィーノがリーヌスを守っているとばかり思っていたイルミラは、射るような視線を向け問うた。
「それが……」
言い淀むルフィーノの視線の先に目を向けるイルミラ。
その目に飛び込んできたのは、肩車をされご機嫌なリーヌスの姿だった。
「っ!! ど、どういう事なの? 」
驚愕のあまり、自分自身が濡れている事を忘れ駆け寄るイルミラ。
「きゃ~っ、あぅあぅ。じぃじ~っ」
「おう、『じぃじ』ですよぉ~。本当はおじさんと呼んで欲しかったんだが、じぃじになっちまった。ハハハ━━━━」
リーヌスの体を持ち上げ、目線を合わせて話しかけるボドワン。
短い間、触れ合っただけとは思えぬ懐きっぷりである。
「私がこちらへ参った時は、すでにこの有様でした。引き離そうとすると悲しそうなお顔をされますし…………致し方なく、残っていただきました」
「そう…………」
力なく椅子に腰かけたイルミラ。声を掛け難い雰囲気を醸し出している。
しかし、ボドワンは気にせずに話しかけた。
「それより、なぜ、子供を放置して出かけた? 」
赤子を放置してまで出かけた理由を聞かねばならなかったからだ。
イルミラの返答次第では、養子に迎え入れる心積もりまでしているボドワン。その眼光は魔物と対峙している時よりも鋭い。
「………………それは」
人族の大陸に着いて早々、揉め事を起こすつもりはないイルミラ。
真実は到底口に出せない。
「船にリーヌスのお気に入りを置いて来てしまったのよ。それがないと、この子は夜も寝てくれない程泣いてしまうから…………取りに戻ったんだけれど……辺りは暗くて、海に足を滑らせてしまったの」
本当は吐瀉物塗れの体を洗う場所を探し彷徨っていたが、見つからず。
結果、吐瀉物よりは海水の方がまだましだという事で海に飛び込んだせいである。
苦しいが、体が濡れている言い訳としては最良と言えよう。
「「…………」」
言葉を失うボドワンとルフィーノ。
イルミラが留守にする時は、贄を探しに行く時だと理解しているルフィーノは。
(贄を探しに行ったはずのイルミラ様に何が起こったのだ? 濡れている事を思えば、海に飛び込んだという事は真実なのかも知れない。しかし、なぜそんな事に?? )
何故そうなったのか。イルミラに何が起こったのか。
謎は深まるばかりで、一向に晴れない。
(お聞きしたい事は山ほどありますが、無関係な者がいる以上、今は口を噤んだ方が良さそうですね)
ルフィーノはそう思い至り、乾いた布をイルミラに渡した。
一方、ボドワンは。
(子供のお気に入りを取りに戻って、海に足を滑らせてしまっただと?! この女はいまいち信用できねぇが…………いやいや、リーヌス坊の母親だ。悪く言っちゃあいけねぇな。な、リーヌス坊)
「あぅあぅ~」
まるでボドワンの心の声が聞こえているかのように、返事らしきものをするリーヌス。
そして、リーヌスとボドワンはニッコリ微笑み、手と手をパチンと打ち鳴らした。
まるで、歳の離れた親友同士の様だ。
親子でもなく、家族でもない。しかし、そこにあるのは確かな友情と愛。
この不思議な関係の2人を前にして、口端を引き攣らせるイルミラとルフィーノ。
そんなイルミラとルフィーノを前にして、ボドワンは大きく深呼吸をした後、口を開いた。
「あんた達には、申し訳ないが俺はそろそろ帰ろうかと思う。リーヌス坊も納得してくれてるみたいだしよ。もう、泣かないと約束もしてくれた。なっ」
「あぅっ! 」
「だから、お気に入りとやらが無くても大丈夫じゃねぇか? じゃあ、俺は行くわ。邪魔したなっ! 」
「あぅっあぅう~」
ベッドにリーヌスを降ろし、悲し気な表情を無理に笑顔へと変えたボドワンは、呆然と佇む2人を余所に部屋を出た。
宿の外にでたボドワンは、リーヌスが居た部屋を眺めながら、心の中である事を誓う。
(リーヌス坊。お前さんの事は俺に任せてくれ。どうにかしてやるからよ)
心と心で会話をした2人。どんな会話が繰り広げられ、そこに至ったのかは誰にもわからない。
ただ言えるのは、ボドワンはリーヌスの為に、全力で何かを成し遂げようとしている事だけであった。




