其の六
『ニーズホッグ大陸』から『ノア大陸』へ渡るには、大型船舶であれば、2週間ほどの航海で済む。
海に棲む魔物にさえ気を付ければ、難なく航海できる海流。
何故、獣人族は人族との交流を断絶してしまったのだろう?
それは、初代巫女が召喚された時代まで遡る。
数多の戦いで疲弊した国々は、他国に目を向けず復興に勤しんだ。
長い年月が過ぎ去り、元の生活水準を取り戻した時には、すでに獣人族は人族の事を。
人族は獣人族の事を考える事すらなかった。伝承の一部でしかない部族という認識である。
今でも獣人族は、一部を除いて人族を知らない。
無事、ノア大陸へと渡ったイルミラ一行は、ノア大陸にある『ヨークシャー王国』へと辿り着いた。
ダミアン、アデール、リヒャルトが保護された『ホエール連邦国』に辿り着かなったのは、運命などではない。
出発地点がラタトスク寄りだったせいである。もし、魔王城に近い沿岸部からの出発なら、難なく『ホエール連邦国』に辿り着き、双子暗殺も速やかに行われていただろう。
『ロットワイラー伯領』の端にある村『タハッタ』
海の傍でありながら、漁業を生業としない村である。
その訳は、切り立った崖に囲まれた海沿いを開拓し、漁業をするよりは田畑を耕した方が効率がいいと言う理由からだ。
タハッタ村では、先祖代々伝わる潮風に強い果実『オレジノ』を生産している。
これは、ルイーズがオレンジっぽい果実と呼び、よくジューズやゼリーに使用する好物の1つでもある。
王族、貴族のみならず庶民にも愛される『オレジノ』は、ここだけでしか栽培できない果実であり、供給に合わせ広大な敷地で栽培している為、収穫期は老人から歩き始めた赤子まで召集されるそうだ。
半ば存在すら忘れられている海。
そんな人気のない崖沿いに船を止め上陸したイルミラ一行は、目立たぬ衣服に身を包み歩き出した。
我が子を抱き、ルフィーノに寄り添うイルミラ。
上陸前、怪しまれぬように夫婦と名乗ろうと提案したルフィーノに、イルミラが賛同した結果である。
イルミラの肩に手を添えて、嬉しそうに微笑むルフィーノは、船内での出来事を思い出していた。
(イルミラ様は変わった。贄と用意された獣人族も、私が殺さぬように進言するとその様に取り計らってくださったし)
イルミラが、贄を殺さない様に進言したルフィーノの提案を承諾したのはそれなりの理由があったからだ。
長い航海で、贄が尽きると我が子の命まで危ぶまれる。
だから、少しずつ数人の生き血を飲み、1日休ませ体力を回復させる事にした。
そして、夫婦と偽る事に賛同したのも、怪しまれれば同行する我が子にまで危険が及ぶと考えたからである。
イルミラの思惑は違えど、進言を快諾したかのように見えたため、ルフィーノの忠誠心とも恋心とも取れる感情は益々高まっていった。
(イルミラ様は、贄の開放まで賛同して下さった)
事実、贄たちは開放された。自由を得た贄たちは、イルミラ達とは違う進路に早々と走り去っていった。
だが、これにも訳がある。
双子捜索が長くかかれば、放置された贄達は飢えて死ぬだろう。
船に戻り、死んだ贄を始末するのは骨が折れる。
帰りの贄はその時に調達すればいいと考え、ルフィーノに賛同しただけであった。
(もし、この方々が生き血を吸わずに生きていける術があるのなら……故郷は……恨まれているから帰る事は不可能だ…………ならば、この地で…………けっ、い、いや、今は止そう)
妄想を膨らませていたルフィーノが頭を振った。
そんなルフィーノの様子を怪訝な顔で見つめるイルミラだが、もう少しで辿り着く村を前にして命を出す。
「ルフィーノ、村が見えて来たわよ。先に行って、宿があるか確かめてきなさい」
「はっ、行って参ります! 」
そう言って、嬉しそうに去っていくルフィーノの背を見送り、イルミラは再び怪訝な表情を浮かべ呟いた。
「魅了は切れているはずなのに、なんなのかしら? あの忠誠心は……」
逆らえば『魅了』をかけ直せばいいと考え、放置しているにも関わらず、ルフィーノは忠誠心を見せている。
「私の隙を狙って、何かを仕掛ける気なのかしら? …………余り面倒な事は仕出かさないで欲しいのだけれど」
小さく溜息を吐くイルミナ。
その時、抱いた我が子リーヌスが目を覚ました。
「あうっ、あぁ~」
「あら、どうしたの? 今日はご機嫌ですねぇ~」
人族の大陸に着いてから、リーヌスの調子がいい。
屋敷に居る時は苦し気な表情で眠ってばかりだったのに、今は可愛い笑みを浮かべている。
このリーヌスの変化は、イルミラにとっても良いものとなっていた。
現にルフィーノの様子を不振がりはしても、腹立たしいとは思っていないのだから。
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村に入ったルフィーノは、村人に道を聞くまでもなく、宿屋を見つけていた。
一際大きく、目立つ位置に建てられた宿屋。
これは、村の特産『オレジノ』の収穫期にのみ貼り出されるクエスト。その依頼を受けて赴いてくれた冒険者の為の宿屋だからである。
「すみません。大人2人と子供が1人なんですが、空いてる部屋はありますか? 」
「ああ、いらっしゃい。一部屋なら夕飯込みで一泊銀貨3枚だ」
ルフィーノは一部屋にするか二部屋にするか悩んだ。夫婦として過ごすのなら、一部屋でなければ不審に思われる。
しかし、今のルフィーノにとって、イルミラと同じ部屋で休む事は拷問に近い。
良からぬ想像をしてしまったルフィーノは大きく深呼吸をして、宿屋の主に向き直った。
「……二部屋空いてますか? あの子供がまだ小さいので、ベッドから落ちない様、広さを確保したいのです」
「わかった。子供は飯を食うか? 」
「いえ」
「なら、1人部屋を二部屋で銀貨4枚だ」
ルフィーノは二部屋頼み、イルミラから渡された巾着の中身を取り出した。
(ん? これは、宝石と魔石? 銀貨4枚分となると、これくらいでしょうか? )
「あの、これで支払い出来ますか? 」
そう言って差し出された大ぶりの宝石や希少価値の高そうな魔石を見て、宿屋の主人は困惑した。
「あんた冒険者か? 」
「いえ、旅人です」
「んん……弱ったな……いや、はっきり言おう。これで支払いは出来ない。この宝石や魔石をどうにかしたいんだったら、冒険者ギルドへ行き、換金して貰って来てくれないか? 」
冒険者ギルドと聞き、獣人国にある傭兵ギルドを思い出したルフィーノ。
名は違えど、同じような場所に違いないと当たりを付けた。
「冒険者ギルドとやらに行けば、換金してもらえるのですね? 」
「ああ。もし、面倒でなければ冒険者登録だけでもしておくといいぞ。一般持ち込みは手数料が差し引かれるが、冒険者登録をするだけで、丸々換金出来るからな」
「そうですか……では、行って参ります。……あ、二部屋確保していただいても宜しいですか? 」
「ああ、わかってる。二部屋確保して待ってるから、行ってこい」
宿の主に見送られ、ルフィーノは冒険者ギルドへと向かった。
「ん? ここが冒険者ギルドの様ですね」
然程歩かずして、辿り着いたのは小さな村ならではだろう。
冒険者ギルドの看板は剣が2本交差しており、文字が読めない者でもわかる仕様となっている。
ルフィーノはギルドの戸を潜り、受付と思しき場所へと歩を進めた。
「すみません。冒険者登録と買取をお願いしたいのですが」
この様な長閑な村だからだろうか? 受付嬢は恰幅のいい妙齢の女性である。
愛想の良い笑みを浮かべて、冒険者登録に必要な用紙を差し出し、ルフィーノに説明を始めた。
「はいはい、登録だね。まず、ここに名前と年齢、得意な魔法、武器などを書いてくれるかい? 」
ルフィーノは言われたまま書く事にした。
「はい、名前は『ルフィーノ』年齢は『58歳』と━━」と、書きながら呟いた時。
「58歳っ! 」━━ガタッ!
「58?! 」━━ガタッ!!
「嘘だろっ!! 」━━ガタッ!
昼間っからのんびり酒を飲み談笑していた冒険者達が一斉に立ち上がった。
ルフィーノは冒険者達が何に対して驚いたのか、さっぱりわからない。
よくわからないまま、冒険者に向かって軽く会釈をし、受付嬢に視線を戻した。
受付嬢は、大笑いをしている。
「アハハハ━━━━ああ、おかしい━━━━ギルドカードはギルドがしっかり管理しているから、嘘を書かなくてもいいんだよ。さぁ、安心して書いておくれ」
その受付嬢の言葉を聞き、冒険者達は、「なんだ、嘘か」「そうだと思った」「良かった、良かった」等と言いながら、椅子に座り直した。
(年齢に驚かれていたようですね………しかし、困りましたね…………)
ルフィーノは嘘を吐いていない。
人族と違い緩やかに年を取るエルフ。そのエルフの中での『58歳』と言えば、人族の17、18歳に相当する。
種族間の違いを説明するべきと踏んだルフィーノは、受付嬢のみならず、他の冒険者にも聞こえる様に言った。
「あの、『エルフ』なので、若く見えるかもしれませんが、本当に58歳なのです」と。
「エルフッ!! 」━━ガタッ!
「エルフだとっ!! 」━━ガタッ!!
「嘘だろっ!! 」━━ガタッ!!
再び、一斉に立ち上がる冒険者達に向かってルフィーノは、事実であることを告げた。
隠していたエフル特有の長い耳を見せながら。
「ええ、エルフです」
ルフィーノが見せた耳を凝視しながら、受付嬢は慌てふためいた。
そして、
「ちょ、ちょっと待っててくれるかい? マスターに報告してくるからね。あっ、その間、続きを書いておいてくれると助かる」
そう言って、受付嬢はギルドの奥へ走り去っていった。
書いておいてくれと言われたからには、書くしかない。
ルフィーノはペンを握り、得意な魔法、武器などの欄を埋めた。
エルフは弓が得意と思われがちだが、ルフィーノが得意とする武器は剣である。
人族と同じように、得手不得手というものが存在するのだ。
暫くすると、ぼうっと受付の前で佇んでいたルフィーノの元へ、先ほど走り去っていった受付嬢が誰かを連れて戻ってきた。
筋骨隆々で、いかにも強そうな風貌。にもかかわらず、笑った顔は人の良さが滲み出ている。
「おう! あんたがエルフなんだな? 俺はここのギルドマスター『ボドワン』だ」
「はい。初めまして、ルフィーノと申します。本日、冒険者登録に参りました」
「ルフィーノだな。こっちこそ、よろしくだ。それで相談なんだが、冒険者カードが発行されるまでの時間でいいから、話を聞かせて貰えないか? 」
話を聞かせてくれと言われ困惑するルフィーノ。待たせているイルミラがしびれを切らし怒ってはいないだろうかと、不安にかられたからだ。
しかし、ここで拒否をし、不審がられても困る。良い言い訳が思いつかないまま、ルフィーノは口を開いた。
「話すのは構いませんが、外で妻と子供が待っているので手短にお願いします。妻は怒らせると怖いので……」
58歳とは言え、ルフィーノはまだまだ若い。大人の駆け引きなど出来るはずがなく、素直にありのままを語ったのだ。
「おっ! 結婚しているのか? いや、確かに年齢から言えばおかしくはないか…………よし、わかった。手短でいいから、話を聞かせてくれ」
そう言って、談話室へと移動させられたルフィーノ。
ここは、依頼人が依頼を申し込む際に使われる部屋であり、防音結界が張られているので安心するようにと説明を受けた。
ルフィーノは革張りのソファに腰かけ、対面に座るボドワンが話を切り出すのを待った。
「さっそく聞いていいか? 」
「はい。お答えできる範囲でしたら」
「まず、この国でエルフは珍しい。珍しいと言うか、初めてのエルフと言って間違いないだろう。どうやってここまで来た? 」
先ほどの人の良さそうな笑みとは打って変わって、ボドワンは鋭い視線を投げかけている。
「どうやってと申しましても……船で来たとしか」
「船か。その船はどこに? 」
「この近くの崖沿いに停泊させております。邪魔になりますか? 」
「いや、別に邪魔にはならんから安心しろ」
漁業を行っていない村であり、一艘の船が停泊した所で邪魔になるという事はない。
それはさておき、ボドワンはこの初めての事態をどう収拾するべきか、腕を組み考え込んでしまった。
(領主様に報告するのが先か……王都から送られて来た宝珠で連絡するのが先か……いや、目的を聞きだすのが先決だな)
そう判断したボドワンは、ルフィーノに単刀直入に聞いた。
「この大陸に来た目的はなんだ? 」
ここに来た目的はと聞かれ、どう答えるべきか悩んだルフィーノだが、聞き込みをしていれば人探しをしているとすぐに悟られるだろう。
ならば、ここで情報収集するのも一つの手だと思い、答えた。
「人探しでございます。幼い双子の姉弟とその従者を探しています」
「探し人もエルフか? 」
「いえ」
探し人は魔族であるが、この人族の大陸で魔族と名乗っているかは甚だ疑問だ。
姿を隠すのなら、目立たぬようにしているはずだと踏んだルフィーノは、頭を振り黙認する事にした。
すると、何か当たりを付けたボドワンが口を開いた。
「獣人か! 獣人なら、姉妹国である『サクラ公国』と、少し離れるが『ホエール連邦国』で目撃情報が出ているぞ。そのどちらかに探し人がいるかもかも知れんが……ここからは遠いぞ」
人族とは違う見た目をしている事が獣人と認識されているのならば、この情報は有効であるかもしれない。
そう踏んだルフィーノは、サクラ公国とホエール連邦国の場所を聞く事にした。
「その二つの国はどこにあるのでしょうか? 」
ルフィーノの質問に答えるべく、ボドワンは壁に貼りつけられている地図の前に立った。
「まず、ここが今いる場所だな。そして、ここがサクラ公国だ。ここからだと、馬車で1ヶ月弱か。ホエール連邦国は更に、東へ2ヶ月ほど進んだ先にある。入国の際、審査もあるがギルドカードで十分だ。いや、そうなると子供はともかく、嫁さんが審査で弾かれるな…………嫁さんも冒険者登録するか? 」
その質問に対して、ルフィーノが項垂れているとボドワンは詳しく説明してくれた。
ここヨークシャー王国では、5年前に来た羊の獣人達の騒動もあり、海から来た客人に対して寛容になっている。
それは、いつ何時でも、魔族に虐げられた獣人達が逃げ込めるようにとの配慮でもあった。
しかし、国から国へと移動する際は、身分証明となる物が必要となる。
ボドワンの説明を受け、ルフィーノは納得した。
「妻も冒険者登録をした方がいいのですね…………」
「ああ、そうだ」
入国審査で弾かれる可能性があるのならば、イルミラに冒険者登録をしてもらうのは決定事項だ。
後、長距離を移動するのなら、馬車を手に入れる必要がある。
イルミラから預かった巾着から、全ての宝石、魔石を取り出したルフィーノは、テーブルの上に置いた。
「わかりました。妻を連れてきますので、冒険者登録をお願いできますか? それと、この宝石と魔石を買い取っていただきたいのですが……」
大ぶりな宝石と希少価値の高い魔石が無造作に置かれたテーブルを凝視するボドワン。
「これはまた……すげぇ魔石と宝石だな。ちょっと査定に時間がかかるから、その間に嫁さんでも連れて来てくれるか? 」
「はい。では、失礼します」
そう言って、退出するルフィーノが見えなくなると、ボドワンは宝珠を取り出した。
そして、ある人物に今あった出来事を説明する。
「━━━━━━━━という訳なんですが」
『ふむ、了解した。少しばかり見てみたい気もするな…………今、フラウ湖近くまで来ているから、こちらへ誘導できないだろうか? 』
「誘導ですか? 出来るかどうかはわかりませんが、や、やってみます」
『うむ、可能であればでいい。頼んだぞ』
「はい、承りました。で、では、失礼いたしますっ」
ボドワンは宝珠による通信を終えると、ふぅ~と息を吐き、ソファに全体重を乗せた。
「緊張した…………声だけだと言うのに、ドラゴンと対峙するより緊張した……」
テーブルに置かれた宝石や魔石を査定しなくはいけないのに、ボドワンはそっと瞼を閉じてしまう。
(少しだけ。心臓の鼓動が落ち着くまで……)
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イルミラと合流したルフィーノは歩きながら、ギルドマスターに言われたことを話していた。
「わかったわ。私も冒険者登録をした方がいいのね」
「はい。それと、この国は獣人に対して寛容だそうです。ですから、イルミラ様も獣人という事にしておいた方が得策かと思われます」
その言葉にイルミラは一瞬、怒りを露わにするが。
「ああう、ああぁ~」
ご機嫌な我が子の声で、落ち着きを取り戻す。
「獣人なんて嫌とは言えないわね…………この子を守る為だもの。けれど、私が獣人に見える? 」
尤もな疑問である。イルミラは角も生えてなければ、姿形は人族とあまり違わない。
血を啜る牙は生えているものの、大口で笑う事さえしなければ見破られることはないだろう。
「それもそうですね…………では、人族という事にしましょうか。事実、数百年前の大戦の折、ラタトスクに残った人族が存在すると長老から聞いたことがありますし。その子孫を名乗るのはいかがでしょう? 」
世界が一丸となり、邪神と戦った数百年前。
他種族同士であれ、信頼が生まれ、恋が生まれるのは至極同然であった。
愛する者と共に生きる為、生まれた国を捨て大陸を渡った人々。
その子孫を名乗るのが最も自然だと判断したイルミラは、ルフィーノの提案に頷き答えた。
「では、参りましょう」
夫婦として不自然にならぬよう、ルフィーノはイルミラの肩を抱き冒険者ギルドへと向かうのであった。