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楽しい転生  作者: ぱにこ
95/122

其の伍

 ユグドラシルには、人族の住まう『ノア大陸』と、その他の種族が住まう『ニーズホッグ大陸』がある。

 ニーズホッグ大陸も深い渓谷を境に、魔族が住まう『魔国バベル』と、『獣人国ラタトスク』の2つに分かれている。


 魔国と獣人国を隔てる渓谷。

 そこはドラゴンが巣食い、死の渓谷とも恐れられており、この場所へ足を運ぶ者などいないと思われていた。

 

 しかし━━


 1台の荷馬車が、渓谷の頂へと向かっている。

 その中では、檻に閉じ込められた数名のエルフが折り重なるように倒れている。

 荷馬車がゴトゴトと揺れる度に、足枷の先に繋がれた鉄球が転がり肉を抉るが、微動だにしない。

 薬により、眠らされているのだろう。空になった小瓶が脇に転がっている。

 更に、魔道具で出来た首枷からは、瘴気が溢れ出ているのが見て取れる。

 精霊の手助けによって発動する精霊魔法。

 精霊は清浄な場所でしか活動できない。

 瘴気に晒されると、その力を失うのである。

 それを逆手に取り、エルフの力を削ぐために作られた魔道具なのだ。

 

 長い間、揺れていた荷馬車が止まった。

 御者をしていた魔族が後ろに回り込み、檻を軽々と持ち上げ乱暴に落とすと、用は済んだとばかりに再び馬車を走らせ去ってしまう。

 

 取り残された檻。

 落下の衝撃で目を覚ましたエルフ達は去っていく馬車を気にするでもなく、眼前に広がる景色を見て、ただただ言葉を失っている。


 渓谷の頂に建つ洋館。

 辺りは岩に囲まれ、空には暗雲立ち込める瘴気。

 にも関わらず、洋館の庭には草花が生い茂り、洋館の上空だけ青空が広がっているのだ。

 そんな奇妙な洋館を前にすれば、言葉を失うのは道理であろう。

 

 しかし、洋館から現れた従者と思しき青年の姿を捕らえると、エルフ達の瞳は憎しみに満ちたものへと変貌した。

 

 ・

 ・

 ・


 洋館の門前で、仕立ての良い燕尾服を身に纏った青年が恭しく礼を執る。

 従者のその動作に答えるが如く、空から美しい女が降りて来た。

 赤い髪をはためかせ、真っ赤に染まった唇を優雅に拭いつつ。


「お帰りなさいませ」

「ああ」

 女は短くも素っ気ない返答をし、従者を一瞥する事もなく歩き始めた。

 そして、手に持っていたハンカチを投げる様に落として、

「洗っておきなさい」

「はい」

 顔を顰めながらも、真っ赤に染まったハンカチを拾い上げる従者。

 その顔を見て、女は不敵に笑い、楽し気な口調でこう続けた。

「そうそう、頼んでいた贄は届いた? 」

 贄という言葉を聞き、肩を震わせる従者。

 声を絞り出すように返事をする。

「…………はい」

「地下牢へ運んだ? 」

「…………はい」

「一匹残らず? 」

「……はい」

「そう。なら、いいわ。同族だからといって助けようなんて思わないようにね」


 女はそう警告し、そのまま屋敷へと入って行った。

 従者は追従する事もなく、その場にへたり込み渓谷の向こう側、ラタトスクをやるせない気持ちで眺めている。

 この従者がここに来たのは5年前。

 魔族が獣人国へ渡り、人々を贄として拉致、虐殺を行った時に連れて来られた。

 何故、この従者が贄として奉げられなかったのか。

 それはこの者がエルフであり、偶々贄の対象ではなかったというだけのことである。

 

 精霊の加護を受け、自然と共に生きる種族エルフ。

 精霊魔法の使い手だった『ルフィーノ』にとって、精霊が存在出来ぬほどに瘴気で穢れた魔国では成す術もなく、この洋館の主『元魔族幹部・イルミラ』の下僕として日々を過ごしているのだ。

 

 しかし、今日。

 贄として届けられた同族を見て、ルフィーノの心に変化が生じた。

 地下牢へと運ぶ間、同族による憎しみの籠った視線、罵倒を散々浴びたにも拘らず。

 色のない世界から抜け出た様な、はっきりとした感情が湧いたのである。


『裏切者っ!! 』

『面汚しっ!! 』


「ハハ…………裏切者と面汚しか…………確かに………………」


 ルフィーノの頬に涙が伝う。

 罵られ、憎まれようとも、ルフィーノにとって同族に会えた嬉しさが勝っているのだ。

 同族を助けようという気持ちに偽りはない。

 そして叶うなら、同族の傍で死にたい。

 

「イルミラ様…………」

  

 ・

 ・

 ・


 魔国に住まう種族は元々、その他の大陸に住まう者達と変わりはなかった。

 しかし、瘴気に晒され、徐々に変異、進化したのが今の魔族である。

 魔族と言えども人肉を喰らったりはしない。

 普通に調理した獣の肉や野菜、魚などを食べるのだ。


 その中で。

 他種族の血を吸い、糧とする『吸血種』という変異種が存在する。


 目を引く美しい容姿は、エルフが進化したものだと唱えてはいるが、陰で血を吸う残虐な一族なのだから獣が進化したと嘲る者が大半である。

 

 だが、真実は誰にも分らない。

 ただ、類い稀な力を秘め、魔王と並ぶ存在でもあった。

 ゆえに、気位が高く、元より少ない種族だったにも関わらず、同種婚のみを繰り返してきた。

 その弊害だろうか。

 ここ数代に渡り、いずれもどこかしらに病気を抱えた赤子が生まれてくるようになった。

 

 洋館に住まうイルミラは、最後の吸血種になるかも知れない我が子を愛おし気に抱き、力を注いだ。

 数年前に生まれた我が子は不治の病に侵されている。

 普通の赤子の様に母乳を与えても、日に日に衰弱していく我が子。

 吸血種らしく、生き血をそのまま与えたりもしたが、飲んだ端から生命力が霧散してしまう。

 唯一、有効だったのが、イルミラが生き血を啜り得た生命力を注ぐことだった。

 吸血種が血を飲むのは、血に流れるマナを取り込む為である。


 我が子は、血をマナに変換する器官が欠損しているのではないだろうか。

 それとも、マナをため込む器官がないのではないだろうか。

 種族自体が滅びかけている吸血種を診断する医者はいない。

 何もかもが手探りではあるが、イルミラ自身がそう診断し、我が子の為に必要な治療を施す。

 その日一日を、生き長らえさせる為だけの手段でしかないが。

  

 本日届いたエルフも、イルミラの子の為に必要な贄。

 ならば、ルフィーノが何故、無事なのかと言うと、留守を任せる者が必要だったからである。

 異種族の異性にのみ、有効である吸血種の能力『魅了』━━心に強い刺激が加われば解けてしまうが、何もなければ、数か月間は効果が続く。

 

 今回はエルフが贄として届いた衝撃で、ルフィーノの魅了が解けてしまった。

 魅了が解けた事によって、良からぬことを考えていそうだが、イルミラにとって些細な事。


 今は腕に抱く、我が子の行く末のみを案じる1人の母でしかない。


 数年前に生まれたにも関わらず、まだ赤子の様に小さい我が子『リーヌス』━━生命力をいくら注いでも成長しない我が子を前にして、不安で押しつぶされそうになるイルミラ。


 もっと有効な手段はないのだろうか…………。

 思案に耽るイルミラ。

 

 その時、通信魔道具が赤く点滅を始めた。

 遠く離れた場所からでも、会話が出来る魔道具。 


『イルミラか? 』

 

「なぜ、貴方がその通信魔道具を使っているの? 」

 

 声の主に検討を付け、答えるイルミラ。

 傲慢な口調に苛立ちを覚えるが、ここで声を荒げる事は出来ない。

 スヤスヤと寝息を立てる我が子が起きてしまうからだ。


『魔王は死んだ。新たな魔王は俺だ。否、私だ。私のモノを使って何が悪い』


 通信相手の声は元部下であるコルドゥラで間違いない。

 名ばかりの魔王であったが、コルドゥラが謀反を企てたとて、どうにも出来ない力量差があったはず。

 イルミラに軽くあしらわれる程度の実力しかなかったコルドゥラ。

 確かに、瘴気が蔓延し始めて、魔族の能力は底上げされたが。それは、どの魔族にとっても同じ事。

 

「なんの冗談? 」


 イルミラは声を押し殺し、抱いた我が子の頬を撫で、心を落ち着かせる。

 そうでもしないと、通信魔道具を叩き割ってしまいたい衝動に駆られるからだ。


『冗談ではない。5年前、私は人族の大陸に行った際、邪神を取り込む事に成功した。力が安定するまでは、大人しくしていたがな』


 大口とも取れるコルドゥラの話だが、魔族が崇拝する邪神を内に秘めたと聞かされれば、信じざる得ない。

 赤い点滅は魔王からの通信。

 事実、魔王のみが使用できる魔道具を使い連絡してきているのだから。

 

「おめでとうございます、()()様」


 跪きはしないが、イルミラは敬い、称賛した。


『畏まらずともよい。それよりも、イルミラ。人族の大陸に行って来ないか? 』


「人族の大陸ですか? しかし、我が子から離れる訳にもいきませんので、無理でございます」


 元部下に対して、思う事があるのだろう。

 イルミラは憎らし気な表情を浮かべるも、口調は平静を心掛けたので、悟られてはいない。


『いや。逃げた双子を追い、人族の大陸に行ってもらう事は決定事項だ』


「っ! 無理でございます。我が子から離れ、どうやって━━━━」


 平静を心掛けてはいたものの、無理難題を押し付けられ、つい声を荒げてしまう。

 そんなイルミラの言葉を遮る様に、コルドゥラが言葉を発した。


『子の為に、贄は十分に用意してある。船に乗せてな。フハハ、だから共に行ってこい。そして、双子を殺せ』


 これは、イルミラにとって好機であった。

 この大陸には、もう贄となる者が減りつつあるからだ。

 獣人、エルフを贄としてきたが、5年前の虐殺以降、捕らえにくくなっているのだ。

 

「承りました」


『どこに漂着したかは分からぬが、人目を引く風貌ゆえ、すぐに見つかるだろう。早々に出立できるように、西の入り江に船を用意した。では、吉報を待っているぞ』


 通信が切れ、我が子の寝息だけが聞こえる。


 明らかに見た目が違う魔族。人目に付かないはずはない。

 容易い任務と判断したイルミラは我が子をベッドに寝かしつけ、ルフィーノの元へと向かった。


 ・

 ・

 ・


 コルドゥラとイルミラが通信魔道具で、言葉を交わしている間。

 ルフィーノは地下牢にいた。

 射殺すような視線を向けられても、同族に会えた喜びは大きい。

 ルフィーノは、同族に触れようと、鉄格子の隙間から手を伸ばした。

 これが幻ではない事を確かめるために。


「触るなっ! 裏切者っ!! 」

「っつ! 」


 触れようとした瞬間、手を叩き落とされてしまった。

 幻ではない事を告げてくれる痛みに安堵したルフィーノは、むせび泣いてしまう。

 しかし、顔を乱暴に拭い、顔を挙げ、気丈に告げた。


「す、すまない…………抗えなかった私を許して欲しいとは言わない……殺してくれて構わない……しっ、しかし、叶うのなら、故郷で死にたい。だから、一緒に、逃げよう」


 檻の中で捕らわれているエルフ達が戸惑い始めた。

 魔族に与し、裏切ったと思っていたからである。

 首枷もなく、着飾り、自由に行動できる者。

 それが、裏切り者ではないのなら、なんだと言うのだ?

 エルフ達が戸惑うのは無理からぬこと。


「裏切者ではないのなら、何故ここにいる」

「そうだ! 首枷もなく、檻に閉じ込められている訳でもなく、何故、逃げなかった」

「お前の言葉は信用できない。罠かも知れないからな」


 同族の言葉を聞き、ルフィーノは震撼した。

 確かに、枷もない。自由に移動できる。

 瘴気のせいで、精霊魔法は使えないが、逃げるだけなら難しくない。

 なのに、何故行動しなかった?

 これは、魅了に掛かっていたと認識してないゆえの疑問。

 そして、イルミラを裏切る事への背徳感も沸き起こる。

 なぜなら、魅了はその名の通り、強制的ではあるが、その者を愛するという事。

 

「信用してくれなくてもいい。だが、この鍵で足枷と首枷を外しておいてくれ。様子を見てくる」


 ルフィーノは鍵を手渡し、地下牢の入り口へと向かった。

 気配を探り、何も音がしないのを確認すると、再び同族の元へと赴く。

 いつも通りであれば、逃げる時間は十分にある。

 檻を開け放ち、音を立てない様に告げ、ルフィーノは先導を始めた。


 同族達の、生々しい傷跡。

 互いが互いを支えねば、歩く事すらままならない。

 ルフィーノが手を貸そうとしても、払い退けられてしまう。

 この者達は、ルフィーノを全く信じていない。

 ルフィーノ自身も信じなくても良いと言った手前、見守るほかないのだ。


「こっちだ」


 玄関は危ない。逃げるのであれば、イルミラが足を踏み入れない裏口が妥当である。

 地下牢から、裏口までの距離。全神経を研ぎ澄ませ、慎重に歩みを進めた。

 敷き詰められた赤い絨毯が、足音を消してくれている。

 傷跡から滲み出る血が気掛かりではあるが、手当などしている暇はない。

(もう少し。もう少しだ)

 裏口の戸が見えると、同族達の顔が柔らかなものへと変化した。

 その表情に、ルフィーノもホッとする。

 

「あれを開ければ、外だ」

 そう告げ、裏口の戸をゆっくりと開けるルフィーノ。

 しかし。

 

「あらぁ? 」


 いつもであれば、この様な場所に居るはずのない人物。イルミラが立っていた。

 ルフィーノの顔を見て笑みを浮かべたかと思うと、その後ろに立つ同族達を見遣り、睨んだ。


「やっぱり罠だったんじゃないかっ! くそっ! 」

「この裏切者っ!! 」

「ちくしょうっ! 」


 罠にかけられたと思った同族達は、ルフィーノに襲い掛かった。

 長く捕らえられていたせいで、覚束ない足取りではあるが、死に物狂いの攻撃である。

 このまま同族の手で死ぬのも良いかもしれないと、ルフィーノは抵抗せずに身を任せている。


「ルフィーノ! 」


 名を呼ばれた瞬間、イルミラへ顔を向けるルフィーノ。

 ジッとルフィーノの顔を見つめるその姿は、言葉を待っているかのように窺えた。


(イルミラ様は、私の言い分を聞こうとしていらっしゃるのか? いや、それよりも私が同族に殺されるのを阻止して下さっているのかもしれない。っ!! 軽率だった! 私が死んだあと、同族はどうなるのだ? )


 ルフィーノは残された同族達の事を考えていなかった事に気付いた。

 ルフィーノが死ねば、同族達は確実に殺されるであろう。

 ならば、ここで懇願するべきではないか? 例えそれが、無駄な足掻きであろうとも。

 決断したルフィーノは、殴りかかってくる同族を後ろに追いやり、一歩前に出た。

 そして、イルミラの足元で跪き、


「イルミラ様。どうか、この者達をお助け下さい」

 そう告げた。

「いいわよ」

「へっ? 」


 ルフィーノにとって、予想外の返答である。

 その言葉を待っていたのは確かなのだが、余りにも呆気なさすぎる。

 血を吸えるだけ吸い、死ぬ直前で開放すると言うのなら理解できる。

 もしくは、逃げろと促した後、狩りを楽しむが如く追いかけ、いたぶる等。

 混乱しているルフィーノを余所に、イルミラは話を続ける。

 

「急用があるから、屋敷に入るわよ。ついてらっしゃい」

 そう言って、屋敷へと入っていってしまった。


 取り残された同族達とルフィーノ。

 イルミラに付いてこいと言われた以上、行くしかない。

 ルフィーノは、同族達を見遣った。


「イルミラ様は、逃げていいと仰った。だから、どうか、無事に逃げてくれ」


 それだけを告げ、ルフィーノも屋敷へと入っていく。

 同族を逃がす事は出来た。

 故郷に戻り、故郷で死ぬ事は叶わなかったが、ルフィーノはすっきりとした面持ちを浮かべている。

 そればかりか、イルミラに殺されるのも悪くないと思っている自分に気が付いたルフィーノ。

 主の待つ部屋へ向かう足取りはいつもより軽い。


 ・

 ・

 ・


『新魔王様の命を受け、人族の地に向かうわ。リーヌスも連れて行くから荷造りをお願いね』

 

 荷造りを命じられたルフィーノは、準備に勤しんでいる。

 告げられてはいないが、ルフィーノ自身も赴くのだろうと予想し、自分の衣服も詰め込んでいる。

 瘴気が蔓延するこの大陸。


「人族の大陸に精霊はいるのだろうか? 」


 ある事を懸念して、ルフィーノは独り言を呟いた。

 再び精霊の力を得て、精霊魔法を使えるようになれば、自身はどうでるのだろう?

 イルミラに反旗を翻すのであろうか?

 それとも、追従するのであろうか?

 イルミラが命ぜられた任務の内容次第な気もするが。

 

「精霊魔法が使えるのならば、イルミラ様をお止めする事も可能になる」

 

 その場、その時の最善を尽くそうと心に誓うルフィーノ。

 イルミラの手がこれ以上、血に染まらない様に…………。


 ・  ・  ・


 こうして、イルミラ、リーヌス、ルフィーノは人族の大陸へと旅立っていった。

 

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