57話
それは、私が明日の遠征に向けて、荷造りをしている時の事でした。
突然の来訪者を告げるノックの音。
侍女ナタリーは、「は~い」と軽快な返事と共に訪問者を迎え入れようと戸口に近づいたのです。
すると、またドンドンっと乱暴にドアを叩く音。
その音に恐れ慄いたナタリーの「きゃっ」を聞きつけた私は急いで駆け寄り、ドアの外の来訪者に向けて声を荒らげました。
「何者だっ! 」と。
すると、外の来訪者はこう言いました。
「私だ! 」と。
こうも高慢な態度で、私だと名乗る者など、私は一人しか知りません。
そう、ヨークシャー王国において『鬼の宰相』や『氷の宰相』と呼ばれているその人です。
しかし、今は夜更けとも言っていい時間。
そんな時間に、来るはずがない。しかも、ここは男子禁制の女子寮。
これは、私を謀ろうと誰かが声真似をしてるのかも知れません。
私は、そろりとドアノブに手をかけました。
私の手に手を被せるナタリーは不安気な表情を浮かべながらも、なぜか、片方の手には強く握りしめられたフライパンが。
ナタリー……それは、調理に使うのだから、血生臭い事には使わないで欲しいの……。
「ナタリー。大丈夫だから、フライパンを置きなさい」
「ですが……そうですね……あ、守る盾としては? 」
一瞬、目を伏せたナタリーは名案が浮かんだとばかりにキラキラとした瞳でそう告げますが、私は頭を振り答えます。
「………置いておきなさい」
「はい…………」
さも残念そうなナタリーを後目に、私はドアノブをそろりと回し、2センチほど開けた隙間から外の来訪者を覗き見ました。
っ!!
ほ、本物だったーーーーっつ!!!
「きゃー! 父様ですのっ! なぜ、この様なお時間に? もしや、私の顔を見に来てくれたのですか? 」
勢いよくドアを開け、父様に抱きつきます。
不審者扱いした事への詫びと誤魔化しを兼ねて。
「おおっ、突然の来訪にここまで喜んでくれるとは思わなかったぞ」
父様は満面の笑みを浮かべ、私の頬をスリスリしております。
今のうちに、ナタリーに『お茶の用意をして』とアイコンタクト。
ナタリーは私が教えた敬礼をし『承知いたしました』と、急ぎ早にお茶の準備を始めました。
よし。
「ささ、父様、中へどうぞ」
「うむ」
父様をソファへ案内した私は、ナタリーの淹れてくれたお茶を飲みながら、来訪の訳を尋ねる事にしました。
「それで、こんなお時間にどうしたのですか? 私の顔を見に来てくれただけではありませんでしょう? 」
いくら親バカな父様とて、こんな時間にふと愛娘の顔が見たい! とやってくる訳がないと思いたい。
「うむ。まぁ、顔が見たかったのが9割方の理由なのだが、話もあったのでな」
腕を組み、満足気にそう答える父様。
あ、9割は顔を見に来ただけなのね。
それはそうと、お話ってなんだろう?!
最近、悪さはしていないから、叱られるという事はないだろうし……。
ないはず……。
不安に駆られた私は、これまでの記憶を走馬燈の様に再生してみると、思い当たる節がちょいちょい思い出されます。
私は固唾を呑み、処刑台に身をさらす思いで尋ねる事にしました。
ごっくん。
「……ま、まぁ。それは、どんなお話ですの? 」
「つまらん話なのだが、くれぐれもと頼まれたのでな……それよりも、息災であったか? 顔色は良いようだが、寮の食事に満足はしているか? 夜はぐっすりと眠れているか? なにか不自由を強いられているのなら、すぐに言うのだぞ」
父様……それよりもの方ではなく、つまらないと一蹴りした方をお聞きしたいのですが?
「父様との会話はゆっくりと楽しみたいので、つまらないと仰られた方を先に教えて下さいますか? 」
「そうか…………それも、そうだな。つまらん話は先にすべきだな。なに、そう構えなくていい。学園長に頼まれた伝言を伝えに来ただけだ」
「学園長のお話ですの? 」
それって、大事な事じゃない?!
叱られるのではないと安堵した私は、緊張を緩め、父様のお話の続きを待ちます。
「ああ。遠征に向かう時の注意事項の様なものだそうだ。まず、快適を求めてはいけない。という事と、食料は学園側が用意するので、必要以上の持ち込みを禁止すると言っていたな」
快適を求めるな。食料を持ち込むな。か…………。
ならば、足りない食事の分は現地調達で補うしかない。
「では、鍋やフライパンは持ち込みしても宜しいのですか? 」
「う、うむ……小さな物なら、黙認してくれるやも知れんな。よし、小さな鍋とふらいぱんを持っていきなさい」
「ええ~っ。寸胴鍋はいけませんの? 」
カレーなら20人前は出来る大きな寸胴鍋で、愛用しているのに。
ぷくっと膨れて抗議しても、父様は首を縦に振ってはくれません。
ちぇ、仕方がないので、妥協します。
「では、焼き網を持っていくことにしますわ」
「焼き網はどれくらいの大きさなんだ? 」
「これですわ」
父様に問われて見せたのは、横1メートル、縦50センチの特注で作っていただいた焼き網。
先日、皆で焼肉をした時の物です。
しかし、焼き網を見た父様は少し驚いた後、頭を振りました。
「これも、駄目ですの……なら、何を持ち込んだら良いのでしょう……」
途方に暮れた私は、鞄から詰め込んだ寸胴鍋とフライパンを取り出し、焼き網も一緒にナタリーに手渡しました。
「もう、詰め込んでいたのか?! 」
「はい」
「すまなかったな」
「いえ、学園の決まり事なのですから」
そう、父様は伝言を届けて下さっただけ。
決められた事は守らないといけないし、ここで我儘を言って持ち込んでも仕方がないもの。
それは、そうと。
「父様、快適を求めるなとはどういう意味ですの? 」
ふと、気になった事を父様にお伺いしてみました。
寝袋はOKなんだよね?
もう、フェオドール達のも作って渡してしまってるし、今更駄目って言われても困る。
「ふむ。学園長がルイーズのやる事を予測していてな」
「どんな予測ですの? 」
「まず、女子生徒用の浴室テントは、必ず作って持ち込むだろうと言っていたな」
「まぁ! 学園長って、先見の明がございますの? 全くもってその通りですもの……って事は………駄目って事です?! 」
「ああ」
ああああああっ!!!
せっかく作ったのにぃ。
ご令嬢受けが良い様に、装飾にも拘ったのにぃ。
ぐすん。
「父様…………制限が厳し過ぎると思うのです。御令嬢達が、冒険者の様に水浴びや布で体を拭くだけなんて、耐えられると思います? 」
「…………無理だろうな。しかし、ルイーズは耐えられるのだろう? 」
「え、はい。もちろんですわ。私は、水浴びさえ出来る川があれば、温水は自分で作れますし、どうにでもなりますが」
どういう意味で聞かれたのかわかりませんが、私はある物だけで工夫しますとも。
すると、私の返事を聞いた父様は、簡潔にこう仰いました。
「そういう事だ」
そういう事?
あっ、ああ。そう言う事ですの。
「要は、ある物を工夫し、自力で快適にする技量を身に付けろという事ですわね。それなら納得ですわ。でしたら、私の持ち込む物は、全て不要ですね」
うんうん。では、この浴室テントも、簡易トイレも要らないかな?
鞄から取り出し、この2つもナタリーに手渡します。
「父様。学園長の仰った伝言は以上ですか? 」
「ああ」
「それでは、親子の会話を致しましょうか」
「うむ」
「父様、明日からの遠征に同行して下さる方は、どんな方達ですの? 」
「それは、明日になって自分の目で確かめた方が早いのではないか? 」
「…………そうなのですが、同行して下さる方は、父様がお選びになった強い方達ばかりなのでしょう? どうしても気になってしまって」
「気になるのか? 」
「はい。父様以外の強い方の基準が、いまいちピンとこないと言うか…………隠密部隊の方達もお強いのですが、あの方達は剣技に特化してますでしょう? 魔法も剣も使う強さというのを知りたいと思いまして」
剣と魔法のコラボでの真剣勝負ってした事がないのよね。
冒険者って、魔物が相手だから、どちらも使い戦っているイメージがあるの。
「そういう意味の強さなら、あまり期待は…………いや、そうだな。期待しても良いかもしれんな」
「本当ですかっ! では、手合わせを…………無理かな? …………なら、お話を聞けるだけでも儲けものと考えるべきですわね……ふむ。あっ、それはそうと、父様は本当に参加致しませんの? 」
こういう場合、喜んでと言うか、我先にという感じで付いてくるはずの父様が参加しないと言う。
不思議よね。
「ああ、すまないな。どうしても抜けられぬ用があるのでな」
そう仰る父様は、どこか嬉しそうな表情をしています。
もしや、母様とデートの約束でもしたのでしょうか?!
それならば、私は我儘など言いませんとも。
「父様もお忙しい身ですから、無理は言いませんわ。長い遠征の間、家族に会えないのは寂しいけれど、頑張って参りますわね」
「ああ、頑張って来なさい」
「はい。あ、父様、前々からお伺いしたい事がありましたの」
「なんだ。言ってみなさい」
「学園長の事なのですが、この学園となにか縁でもあるのですか? 」
『コモンドール学園』と『バスチアン・コモンドール学園長』の繋がりが前々から気になっていたのよね。
私の想像では、この学園の創設者が、学園長のご先祖様なのかな? と。
「ん? 縁も何も、学園長がこの学園の創設者ゆえ、この名なのだが……」
ん?
創設者?
「学園長はおいくつなのです? 」
「う~む…………はて? 私が学園に入った時も、好々爺な風貌だったが…………」
「この学園はいつ頃、建てられたのですか? 」
「かれこれ、100年は経っていると聞いたが…………ん?! 」
100年?!
学園の歴史は思ったより浅いけれど、反対に学園長の謎が深まっていく。
あ、異世界だから寿命が長いとか?
この世界は空気も綺麗だし、食べ物には添加物なども入っていないもの。
うん、十二分にありうるわね。
考えを纏め、私が納得しているのも関わらず、父様は渋いお顔をされています。
「父様、如何されたのですか? 」
「いや、学園長の年齢について、不思議に感じたのでな」
「きっと、健康に気を使い過ごしていらしたのでしょうね」
「うん? いや、果たしてそれだけで、これほどまでに長生きが出来るのか? 」
父様はそう仰いながら、落ち着きなく足を組み直したり、視線を彷徨わせたりなさっております。
長生きって言っても、120歳くらいでしょう?
地球でもご長寿の方だと、それくらいは長生きされているわよ。
「何か、まだ気にかかりますの? 」
「学園に像があっただろう?! 」
像。学園の正門を潜った先で、ドンっと佇んでいるアレね。
「ええ、ありますね」
「あれは、創設時に作られたものだそうだ」
………………。
「では、創設時から、学園長はあのお姿なのですか? 」
「うむ…………」
2人揃って腕を組み、考える。
学園長の見た目は、どんなに若く見積もっても60歳くらいの風貌です。
銅像も然り。では、160歳?
いやいや、人間なら、もう少し皺が深くなったりするでしょう。
じゃあ、何? 風貌に変化がないのをファンタジー的な思考で処理すると、年老いた後に、吸血鬼にでもなったとか?
だけど、この世界に吸血鬼がいるって話は聞いたことがない…………。
では、他に長寿で思い当たるのは、エルフ。
しかしながら、数百年前の戦いから、大陸を隔てて行き来していないというし…………。
いえ、待って。
エルフなのだから、数百年前から居たとしても、不思議じゃないわね。
アニメやゲームなんかだと、エルフは年の取り方がゆっくりだったもの。
「父様、学園長がエルフという事はありえますか? 」
「っ! …………ありえるか?! いや、ありえるかもしれん。早速、明日にでも陛下に伺ってみるか」
「陛下はご存じなのですか? それよりも、ご本人に確認した方が早いのでは? 」
「いや、あの学園長に確認したとて、のらりくらりとかわされて終いだろう。こういった場合は口の軽い陛下にお伺いするのが一番の早道なのだよ」
陛下が口が軽いって…………。それって、親友でもある父様相手だからだと思うの。
「では、謎が解明しましたら、教えて下さいませね」
「ああ、もちろんだとも。━━━━さて、そろそろ帰るとするか」
父様が立ち上がり、帰り支度を始めております。
「もう、お帰りになるのですか? 」
「そんな悲しそうな顔をしないでおくれ。帰り難くなるではないか」
そう仰いながら、父様は頭をぽんぽんと撫でて下さいますが。
暫く、家族に会えないんだよ。寂しいじゃない。
私が俯き黙っていると、父様が励まして下さいます。
「ルイーズ、大丈夫だ。きっと、楽しい遠征になると思うよ」
「そうでしょうか? 楽しい事もあると思いますが、家族に会えない寂しさが埋まるでしょうか? 」
「ああ」
ん? 目線に合わせて『ああ』と仰る父様のお顔。
何故か、ニヤケておりますね。
この世界に生まれて10年、父様の娘として生きてきた私にはわかります。
これは、何か企んでいる時のお顔です。
とはいうものの、伺ったところで、答えては下さらないでしょう。
「父様。サプライズは程々にしてくださいませね」
「うん? 」
「いえ、女子寮の外までお見送りいたしますわ」
「そうか、では頼む」
そして。
私は、父様を女子寮の門の所までお見送りをした後、遠征の荷造りを再開いたしました。
簡易テーブルは置いていく。これは足を折り畳んで使うタイプの物ね。
虫除け魔石ライトは持っていく。これは、ライトに寄って来た虫をパチっとする殺虫灯をヒントにして作った物ね。
調味料各種は、こっそり持っていくでしょう。鍋とフライパンは小さいなサイズの物を詰めて。
マイ包丁とまな板は必需品ですし、お菓子も非常食として持ってい行く方がいいわよね。
後は、着替えと武器なんだけど…………未だに武器を持たせてもらえない私。
不便はないから従ってはいるけれど。
どうして、武器はまだ早いって、全員が口を揃えて言うのかしら?
まあいいわ。最後に、寝袋を詰めて。━━━━はい、完成っと。
「ナタリー、明日はいつもより早めに起こしてくれる? 」
「はい、承りました」
「では、私は休むわね。おやすみなさい」
「はい、おやすみなさいませ」
遠征に出かける生徒は、授業開始時間より早い時刻に学園の正門に集合しなければならない。
だから、いつもより早い時間に起床する必要があるのです。
うん、寝よう。寝坊なんてしたら、大変だもの。
けっして、寝坊するフラグにはなりませんように。