ぴよたろう (前編)
剣と魔法の世界『ユグドラシル』には、大きく分けて2つの大陸がある。
魔族や獣人族が住まう『ニーズホッグ』に、人族の住まう『ノア』。
7つの国に統治されたノア大陸で、最大の領地を誇る『ヨークシャー王国』と姉妹国である『サクラ公国』の両国は北の海に面している。
『ヨークシャー王国』の南には『ソマリ帝国』が隣接しており、『ソマリ帝国』と『サクラ公国』に西と北を挟まれる形になって『フレスベルグ共和国』がある。
『ソマリ帝国』と『フレスベルグ共和国』より南下して最端には『デージー王国』と、『ホーネット王国』。
そして、『サクラ公国』『フレスベルグ共和国』『ホーネット王国』の東をつらぬいて流れる大河を渡った先には『ホエール連邦国』があった。
自然豊かでありながら、魔物が跋扈する世界。
互いの領域に足を踏み入れれば、敵対するのは必然であり、運命とも言っていいだろう。
しかし、その運命に抗うかのように、数奇な巡り会わせで出会い、人間社会で暮らす1匹の魔物がいた。
ヨークシャー王国にて侯爵という位を持ち、一際大きな屋敷に住む『ハウンド家』の庭の一角には、大きな鶏舎がある。
一見、2階建てのログハウスに見えるその建物は、一際大きく開いた出入口と、寝心地の良さそうなふかふかの寝床があるのみでガランとしている。
現在、寝床の主は不在のようだ。
この鶏舎に棲む魔物の朝は早い。
侯爵家の令嬢を母とし、男爵家の令息を父とするぴよたろうの目覚めは侯爵家に仕える侍女によって齎される。
夜も明けきらない時間帯に現れた侍女達が目覚めの挨拶を告げた。
「ぴよたろう様、おはようございます」
【ココッ】
ぴよたろうが、侍女2人がかりで持ち込まれた水桶で顔を洗うと。
「本日の羽毛もふかふかですし、嘴の艶もよろしいようですね。……瞳は、寝不足でございますか?少々赤みが残っているようですが……朝稽古の後、少しお昼寝をされた方がよろしいかも知れませんね」
手ぬぐいで顔を拭われつつ、体調チェックをされるぴよたろうは、申し訳なさそうに頭を振りながらも、昼寝はしないと主張する。
【コーコッコ…………ココッ】
「そうですか? あまりご無理をされませんように。では、食事に致しましょう。本日の朝食は、お嬢様が作り置きしてくださった牛テールスープでございますよ」
侍女がそう告げ、目の前に美味しそうな香りと湯気を上げたテールスープを差し出すと、ぴよたろうは感嘆の声を上げた。
【コッココ!】
テールスープは、ぴよたろうの大好物である。母であるルイーズが作った物の中で1,2を争うほどに。
じっくりコトコトと煮こまれたテールは嘴でそっと啄まなくてはホロリと崩れてしまう。
一緒に煮こまれた根菜が、旨味と甘みを引き出し、塩気などなくても存分に美味しいのだ。
人間用に味付けされた物を好まないぴよたろうに美味しい物を食べてもらいたい一心で作り上げた、真心のこもった一品である。
【コッココ!ココッ!!】
「オホホ、ぴよたろう様ったら。やはり、料理長が作られた食事より、お嬢様が作られた食事の方がお好きな様ですね」
「やはり、母の味というものが一番なのでしょうね」
一心不乱に食事をするぴよたろうを眺めつつ、微笑む侍女達。
この2人の侍女は長年侯爵家に仕えて、少々のことでは動じない精神を持ち合わせていたのだが、さすがに初めてぴよたろうを目にした時は、尻もちを付くほどの仰天した。
来たばかりの頃はつぶらな瞳を携え、ふかふかの産毛に包まれたいたぴよたろうだったのにも関わらず。
しかし、人懐こく、人の言葉を理解するぴよたろうは瞬く間に受け入れられた。
それもそのはず。庭を丸いモフモフがトコトコと歩きまわっている愛くるしい姿は、侍女たちを虜にしたのだ。
今では大きく成長し3メートル近くまで育ったぴよたろうだが、それでも侍女達は逞しく思いさえすれ、恐れたりはしない。
食事を終えたぴよたろうは、まるでご馳走様でしたと言ってるかのように頭を下げると、侍女が嘴を拭う。
そして、ぴよたろうは大きく翼を広げたり閉じたりを繰り返し始めた。その姿は、ストレッチを行っているかのようにも見える。
一頻り、体を動かし、血流が良くなったのを見計らうと、ぴよたろうは鶏舎を出た。
侍女達も後に続き、鶏舎の出入り口で本日の予定を告げる。
「ぴよたろう様。本日は、ジョゼ坊ちゃまとカツラ様との鍛錬の後、アルノー先生による世界のお勉強が御座います。それとジョゼ坊ちゃまからの伝言で『昼食の後、遊ぼう』とお誘いが届いておりますが、如何致しますか? 」
【コッコ】
侍女達は、ぴよたろうが大きく頷いて了承するのを確認すると、話を続けた。
「では、その様にジョゼ坊ちゃまにお伝え申し上げます。後、ご主人様からの伝言なのですが、夕刻にお話があるそうですので、鶏舎で待っていて欲しいとの事でした」
【コーッコッコ】
侯爵の話とは何だろうかと考えたぴよたろうは、頭をもたげ、否応なしといった風に了承する。
「悪い話ではなさそうでしたよ」
【ココッ】
侍女から悪い話ではないと教えられ、ホッと安堵するぴよたろう。
そして、侍女達に見送られつつ、早朝の仕事場へ向かう。
「「いってらっしゃいませ」」
【コーッコ!】
・
・
・
ヨークシャー王国、王都『テリア』では、夜明けを告げる鐘の音から一日が始まる。
幾人かの兵士が欠伸を噛みしめながら、王都の中央に位置する鐘塔へと向かっていた。
まだ幼さが残る新兵の一人が、毎度変わらぬ愚痴を零す。
「新兵の仕事とはいえ、夜も明けきらない内に起きるのは辛いよなぁ」
「まあ、交代制で毎日じゃないだけマシじゃないか!」
零した愚痴の返答すら変わらぬ、お馴染みのやり取りを繰り返すのは、この後に予定されている厳しい訓練でへとへとになり、ぶっ倒れる事が確定されているからだ。
日によって訓練を行う上官が変わり、厳しさ加減は変動するものの。
ぶっ倒れて意識を失う。
仲間に肩を借りてヨロヨロとは動ける。
倒れたまま腕の力だけで、なんとか移動できる。
といった具合である。
「しかしなぁ、今日の訓練は一段と厳しい近衛騎士団長━━━━あ、ぴよたろう様。おはようございますっ!」
「「おはようございますっ!!」」
【コーッココ!】
憂鬱な表情を浮かべていた兵士達は、ぴよたろうの姿を見るなりキリリとした面差しを浮かべ、横一列に並び挨拶をしたのだが。
憂鬱そうな表情を見逃さなかったぴよたろうが、気に掛ける様に兵士に問うた。
【ココッ? 】
「あ、いえ……本日の訓練教官が、近衛騎士団長でしたので、少々愚痴を……」
【コーッコッコ……】
事情を察したぴよたろうが片翼を上げ、元気付ける様に撫でると、感極まった兵士が嗚咽を漏らした。
日頃の辛い訓練に耐え続け、抑えこんでいたものが溢れだしたのだろう。
「ぴよたろう様……あ、ありがどうございまずぅ……」
【コーッコッコ】
「はい、がんばりまず……」
【コココ、コッココ!】
「はい。訓練に励み、立派な兵士となり、ぴよたろう様のように、この国を守っていきます」
【コッコ? 】
「「はいっ!!」」
新兵の愚痴を聞き、優しく励まし、時には厳しく声を上げる。
こうやって、新兵に寄り添い、一人前へと育つのを見守る事が、ぴよたろうの本来の任務である。
これは、ぴよたろうが王都へと来た次の年からの始まった。
ぴよたろうが人々に認知され、侯爵に巡回という名目で連れまわされていた時、同じように新兵が愚痴を零している所に出くわした。
ぴぃと、一鳴きして侯爵に了承得たぴよたろうは、新兵の輪に加わり、頷き励ました。
その姿を見た侯爵は、人の言葉を理解するが、黙秘出来るぴよたろうは新兵を育てるのに、適任だと考えたのだ。
今年の新兵は素直で、見所がありそうだと期待を膨らませるぴよたろう。
過去、いい加減で見所のない者もいた。
そういった者は、侯爵に報告すると、王都ではない場所へと左遷されていった。
本能で人を見極めるぴよたろうだからこそ、侯爵が与えた任務といっていいだろう。
鐘塔へと上り、鐘を鳴らす刻限が近づいてくる。
【コーッコッコ!】
ぴよたろうが背に乗りやすい様に身を屈めると、新兵が順番を決める問答を始めた。
「おい。今日は、俺でいいか? 」
「ああ、前回は俺が乗ったから、お前でいいぜ」
「次回は俺の番だな! 」
「おし!ぴよたろう様、よろしくお願いします! 」
乗る者が決まり、ぴよたろうに一言告げた後、背に跨った。
【コッコーッコッコ!!】
ぴよたろうが大きく翼を広げ、風魔法を発動させる。
ぴよたろうは飛べない。
飛べないが、翼と強靭な脚、風魔法の助けを得て塔の頂へと一気に駆け上がることが出来るのだ。
風を切る音。不安など一切感じさせない慣れた足並み。
娯楽の少ない世界で、安全が約束され、ドキドキを味わえるこの一瞬は、新兵の愉楽の一つとなっている。
「おおーーーーっ!!!」
歓喜に満ちた声をあげる新兵に、毎度の事ながら子守をしている気分になるぴよたろう。
【コーッコ!】
しっかり掴まっているように促し、一気に頂へと駆け上がった。
鐘の前で新兵を降ろし、更に屋根へと上るぴよたろう。
地平線の彼方から、日の出が見え始めたのを確認して、新兵に合図を送る。
【コッコ? 】
「はい、準備は整っています。それでは、参りましょう!3、2、1っ! 」
━━━━ゴーーーーーンッ!!!
【コーーーッコッコーーーーーー!!!】
早朝を告げる鐘の音とぴよたろうの鳴き声が王都中を包み込んだ。
・
・
・
早朝の仕事を終えたぴよたろうは屋敷に戻り、訓練所へと足を運んだ。
すでに太極拳を始めているジョゼとそれを見守るカツラへ、挨拶をする。
【コーッコッコ】
「ああ、おはようさん」
「ぴよたろう、おはよう!」
暫し、ジョゼが行う太極拳をカツラと共に見守った後。
木剣を構えるジョゼとカツラの打ち合いが始まった。
━━カンッ、カンッ
訓練所に響く木剣の合わさる音。
━━カッ!カンッ!
体が温まり、ジョゼの動きが素早くなり始めたのを確認して、カツラがぴよたろうに声を掛ける。
「よしっ!ぴよたろう。そろそろ来いっ!」
【コーッコ!】
カツラ対ジョゼ、ぴよたろうの布陣で模擬戦闘を行うのが最近に日課になっている。
これは、いずれ共に旅をするぴよたろうとの連携を考慮した上での訓練なのだ。
6年後の未来、邪神討伐へと向かう孫や弟子を見送らねばならないカツラの思い付きで始まったのだが、なかなかどうして、油断すると自身も追い込まれて負けてしまう事もあり、己を鍛えるのにも適した訓練方法となった。
「ぴよたろうっ!今日は、かつよぉぉ!!」
【コーッコッココ!】
柔らかなジョゼの瞳が、闘志に燃えている。
同じく、闘志を滾らせぴよたろうは、カツラを睨んだ。
「おっ!今日は、いつもよりやる気だなっ!行くぞっ!!」
ジョゼの癖もぴよたろうの癖も見抜いているカツラは、ニヤリとほくそ笑み距離を詰めた。
しかし、ぴよたろうは予想通りだと言わんばかりに、背にジョゼを乗せ咆哮をあげた。
【コーーーーッコ!!】
咆哮を上げる事によって、敵の動きを一瞬止めるコカトリスの技の一つである。
「クッ!」
カツラの動きがほんの一瞬止まった事を確認したぴよたろうは強靭な尾で薙ぎ払いを繰り出した。
「っつ!」
━━ズズズッ
木剣でガードをしたものの、カツラは後退させられてしまう。
そして、好機だとばかりに背に乗っていたジョゼが大きく跳躍した。
「とうっ!」
木剣に風を纏わせ、大きく振り被るとそのまま勢いに任せ、カツラの頭上へと落とす。
「やぁっ!!」
━━ボキッ!!
既の所で防御できたものの、真っ二つに叩き割られた木剣を見遣り、肝が冷えるカツラ。
「ちっ!なんて威力なんですかっ!直撃したら、大怪我ですよっ! 」
「へへっ、姉さまに教えていただいた、ひっさつ技ですっ! 」
【コーッコ!】
ぴよたろうとジョゼは顔を見合わせ、互いにニッコリ微笑んだ。
「ねぇ~【コ~】」
「ほう……攻撃力だけなら、ルイーズと同等か、それ以上ですね。もしや、今まで尾を武器としなかったぴよたろうに入れ知恵したのも? 」
【コーッコ!】
「姉さまです!」
ルイーズに使えるものは何でも使え、それが武器になると教えられ、午後の遊びと称して、日々特訓を行っていたジョゼとぴよたろうの勝利である。
「しかし、2度は使えませんよ」
初見であるがゆえに得た勝利、2度目はないとカツラは言い放つ。
「ふふ。ねぇ~」
【コーッコー】
カツラは、まだ隠し玉を残していそうな1人と1匹を見遣り、ブルリと震えた後、気を引き締めなおすのだった。
そして、早朝訓練を終えたぴよたろうは、カツラとジョゼに向き直り、挨拶を告げる。
【コーッコ!】
「おう、お疲れさん!明日も、頼むな」
「おつかれさま~午後のとっくん……遊びもがんばろうねぇ」
【ココッ!】
ジョゼとカツラの訓練は続く。
ジョゼが訓練を終えるまでの時間を利用して、ぴよたろうはアルノーに教えを受けるのだ。
魔物でありながら、人と共に生きるぴよたろう。
本能のまま過ごせば、人は傷つく。人が傷つけば、母であるルイーズと父であるケンゾーが心を痛める。
それゆえに、どうすれば人の助けになるかを。
どうすれば、ルイーズとケンゾーが笑って過ごせるのかを教えて貰わなければならない。
細かな約束事を知り、人と共存する術を知る『お勉強』の時間はぴよたろうにとって、実に興味深い。
アルノーの待つ東屋へ向かうぴよたろうの足取りは軽やかだった。




