上弦の章
愛しい我が子と子孫たちに贈る。
この世界に初めて来た日の事を、今でも鮮明に覚えています。
あの日、空襲警報が響く中、私は妹と手を繋いで、近くの防空壕へと走っていました……。
突然視界に閃光が走り、空を舞う感覚に囚われ━━━━気が付くと、見知らぬ人に囲まれていたのです。
その人達の顔を見た私は、恐怖に慄き、妹を傍に引き寄せようと、繋いだ手に力を籠めました。
でも、その手の先に妹はいません……。私は、自分の手を見て、放心してしまいました。
妹はどこへいったのでしょうか?
目の前の異人さんといなくなった妹の事を考えようとしても、頭が回ってくれません。
息が苦しくなり、私は気を失いました……。
次に気が付いた時、私は寝台に寝かされておりました。
夢だと思った私は、辺りを見回しました。
あの異人さんに囲まれていたのは夢だったのだと思いたかった。
けれど━━━夢ではなかった様です。
不思議なマントを着ている人が、私に話しかけてきました。
「突然の召喚に驚かれたでしょう。本当に、申し訳ございません。……今、この世界は邪神と魔族に滅ぼされようとしています━━━━そこで、一縷の望みを賭けて召喚を行ったのですが、現れたのが貴方の様な少女だとは思いも致しませんでした…………」
異人さんの言葉を理解できない私は、反芻するように言葉を返しました。
「邪神?召喚?魔族?それは、なんでしょう?悪魔崇拝か何かでしょうか?」
「…………貴方を召喚する前に、これが現れたのです。これが何かわかりますか?」
「それは、兵隊さんが使われる銃ですね。これがどうしたのですか?」
「やはり、これが何かをご存知なのですね━━では、間違いないと思います。貴方がいらした世界とこの世界が別次元にあると。そして、貴方は異世界から召喚されてしまったという訳です。…………私達は、邪神と魔族に抗える戦力をと思い召喚の儀を執り行いました。しかし、まだ少女である貴方に戦力になれとは申し上げられません……」
「戦力ですか…………私に戦う力を求めていらしたなら、無理だと思います。ですから、帰していただけませんか?」
「…………そうしたいとは思うのです。帰して差し上げたいと思ってはいますが、貴方を召喚する際に使用されたマナの量を考えると、今は不可能に近いのです」
「何故ですか?無理やり連れてきたのですから、帰してくださいっ」
「…………本当に申し訳ございません。もし、邪神や魔族を退ける事が出来た暁には、マナも十分にたまりますし、お帰し出来ると思います。その時まで、安全且つ、不自由のない暮らしは保証させていただきますのでご安心を」
異人さんにそう言われても、何が何だか理解できないでいた私は、自分の足で帰ろうと外に飛び出したのです。
…………そこで見たものは、今でも夢に出てくるほど衝撃的でした。
真っ黒な霧に覆われた空、異形の動物と悪魔の様な顔の者が、人々を殺めております。
殺戮さえも楽しんでいる悪魔たちを見た私は、恐怖に慄くより、怒りに打ち震えました。
なぜなら、悪魔たちは妹と同じくらいの女の子に手をかけようとしていたからです。
私は、咄嗟に飛び出しました。
その子を守ろうと覆いかぶさった━━━━その時、私の体が発光したのです……。
その光を浴びた悪魔が、悲鳴をあげました。
そして、駆けつけた異人さんが、悪魔に止めを刺します。
この後の事は伝記に記されておりますので、省きます。
そして、ここからは日本語で書きたいと思います。
『…………その時の異人さんはとてもかっこ良かったのですよ。
私の旦那様になりました。
この日記を読まれているという事は、貴方が日本人であるという事ですね。
その事を念頭に置き、話します。
初めの頃は訳も分からず、怖かったと思う反面、異人さんというのは髪の色も目の色もハイカラなのねと、感心したりもしました。
異世界と聞かされても、わかるはずがないでしょう?戦時中に召喚されてしまったのだから、異人さんに攫われたと思うに決まっているでしょう。
でもね、私が不思議に思う事を迷惑がらず、根気よく教えてくれたのが、あの異人さんだったのです。
異人さんの名前は、サミュエル・ヨークシャー、ヨークシャー王国の第二王子でした。
二人で邪神を退ける事が出来たのは、私の実家が神社であった事が幸いしたのでしょう。
巫女の装束に身を包み祝詞をあげると、瞬く間に瘴気が沈静化し、邪神を封印する事が出来ました。
その時の活躍も伝記に記しておりますので、気が向いた折に読んでみてください。
邪神を退けた後、帰るか残るかをサミュエルに聞かれました。
当時の私は、残してきた妹の事も気になって帰る事を心に決めていました。
ですが、もう二度とこの世界に訪れる事は出来ないだろうと寂しげに泣くサミュエルに別れを告げられなくて…………心が引き裂かれるように辛くなり、残ると決めたのです。
心が決まった後は何もかもが、早く決まりました。
遺跡の監視がしやすい場所に家さえあれば良かったのに、サミュエルと一緒に暮らすのだから、国を興すといいと仰り、一つだった国を分断してくれた国王様にはとても感謝しています。
いますが、私の名前を国の名前にするのは、恥ずかしい気持ちでいっぱいでした……。
国を興してからの方が忙しかったように思います
故郷の味が恋しくて、お味噌や醤油作りから始め、日本の建物が恋しくて、建ててもらったり、お米を探す旅に出たりもしました。
幸い、南の方に位置する国で見つかり、自国へと持ち帰りましたので、この国でも食べることが出来るようになりました。
お米とお味噌汁さえあれば、後は簡単なおかずでも満足出来てしまうのです。
でも、心残りが一つ、お味噌汁に入れるお出汁を見つける事が出来なかったのが残念でなりません。
代わりに、お肉やお野菜をたっぷりと煮て、お出汁の代わりにしましたが、昆布や鰹節でとったお出汁のお味噌汁を最後に食べたかった……。
もし、これを読んでいる貴方も、お出汁を探しているのなら、東へ行ってみると似たような物が見つかるかも知れません。
私が探しに行けなかった理由は……子育てが始まったからなのです。
娘が生まれ、息子も授かり、私とサミュエルは取り決めを致しました。
男の子には王に、女の子には巫女として生きてもらう様にと……。
もし、邪神が再び現れる日が来るのなら、この愛しい世界が危険に晒されます。
サミュエルと私の子孫達が、安心して暮らせる国を、世界を、どうか守ってください。
そのために必要だと思う事は、別に記しておきます。
後、何かの役にたつ事を祈って、当時の国王様から譲り受けた宝珠を託します。
この2つの宝珠は、片方に全属性を注ぎ込むことによって、もう片方がある場所へと移動する事が出来る物です。
国と国を往復する手間が省けると、譲り受けたものですが、全属性を注ぎ込むことが出来るのが、サミュエルだけだったので、宝の持ち腐れとなってしまいました。
貴方が使えそうなら、使ってください。
日本語の読める貴方へ。
初代巫女 サクラより』
◇ ◇ ◇
数百年前に召喚された巫女が残した日記を読み、ルイーズはふーっと溜息を吐いた。
召喚された時代とこちらの時間軸が食い違うのは、転生したルイーズも理解していたとはいえ、考えさせられるものだった。
過去に召喚された巫女と、自分が生きた時代の差が100年に満たない。
それは、将来召喚される巫女が、ルイーズが生きた時代の人間である可能性が高いという事になる。
自分がゲームの世界に転生したと知った時、考えなかったわけではない。
でも、深く考えない様にしていた。
ルイーズは、将来、召喚される巫女が知り合いでない事だけを祈った。
(大幅にシナリオを変えてしまってるものね……やりにくい世界に召喚される巫女様。本当に、ごめんなさい……もし、叶うのならこの世界を知らない人が召喚されますように…………)
こめかみをぐっと押さえ、更に深いため息を吐いたルイーズは、今までの思考を振り払う様に笑顔を浮かべた。
「サクラおばあさま。よみおわりました」
「おお、そうか。それでなんと書かれておったのじゃ?」
「そうですね、だんなさまになられたサミュエルさまのノロケからはじまり、おみそしるのだしのおはなしと、ほうじゅについてかかれておりました。あと、じゃしんについてやくだつことは、べつにしるしておきますとありますが、これいがいのしょもつがあるのですか?」
「あるぞ…………あるのはあるのじゃが。それを、今読むのは無謀というものじゃな」
当主はルイーズにそう伝え、立ち上がった。
そして、床の間の掛け軸の裏に隠された金庫から、大量の書物を取り出しルイーズの前に置く。
数にして、20冊ほどだろうか。
一冊が辞書ほどの厚みがある。
これを明日発つ、ルイーズが読むことは不可能に近いだろう。
「ほんとうですね……これはじっくりこしをすえてよまないと……あぁ、どうしてあしたかえるのでしょうか?もうすこしゆっくりしたかった」
ルイーズはちゃぶ台に突っ伏して愚痴をこぼす。
「仕方なかろう。王国に帰り、報告せねばならぬからのう……おっ、そうじゃ、宝珠じゃ!これじゃ、これ。これを一つ、ここに置いて、一つは持ち帰れば良かろう。元より、この手記が読める人間に託すと伝えられておったのでのう。これはもう、おぬしの物じゃ」
当主が取り出した宝珠は、虹色の輝きを放っており、ルイーズの目をくぎ付けにした。
「なんてきれいなんでしょう……これをわたくしがもちかえってもいいのですか?」
ルイーズは手のひらにすっぽりと収まる宝珠を一つ手に取り、陽の光にかざし輝きを楽しむ。
「もちろんじゃ。もう、おぬしの物と言ったじゃろ。好きにすればええ。…………それにのう、ナギもここで暮らすようになるんじゃ。時々、顔を見せに来てやってくれんかの」
「では、いつあそびにきてもよいのですねっ?うふふ━━よかった。ナギのことも、カチヤさんのこともきになっておりましたの。もちろん、しょもつをよむじかんも、ひつようですし、かえったら、こちらとあちらのおうふくがつづきそうですね」
避難してきた獣人達は、平和が訪れるその日まで、サクラ公国に滞在する事になった。
当面は、当主の屋敷で雑用などをして暮らすことになる。
「いつでも、大歓迎じゃからの。━━━━ところで、一つおぬしに聞きたい事があるのじゃが」
当主はルイーズを見つめ、真剣な声色で尋ねてきた。
軽い調子で会話を楽しんでいたルイーズは、当主が聞きたい事に当たりを付ける。
「はい。こたえられる、はんいでよろしいのでしたら、おうかがいします」
「ナギの中に潜んでおった邪神はどこに行ったのじゃ?」
「…………そうですよね…………きになりますよね。でも、どうなったのか、これからどうなるのか、ふかくていようそがおおすぎて、こたえられないのです。ですから、かくじつなこたえがみつかるまで、こたえをまってはいただけないでしょうか?」
今、確実な答えを要求されたとしても、ルイーズには答えられない。
「では、鳴りを潜めている邪神が、再び現れる可能性はあるのかの?」
「それは、あるとおもいます。これから11ねんご、いせかいのみこをしょうかんするひつようがないほど、へいわであったのなら、じゃしんふっかつはないとおもっていいでしょう。ですが、それまでは、けいかいしていてください」
ルイーズは、ある事が気になっていた。
その気になる事が払拭される日まで、邪神については語らないと決めている。
「あい、わかった。では、警戒態勢を維持しつつ、時を待つとしようかの」
「はい、おねがいします。では、そろそろまいりましょうか?」
「そうじゃの。そろそろ、頃合いかの?!行くか」
当主とルイーズは庭で待つ人達の輪に加わった。
旅で世話になったカリンやリョウブ、遺跡の中で仲良くなったナギや当主。
ルイーズ捜索の為に、尽力してくれた隠密部隊の者達への労いの意味を込めて、心ばかりの宴を開いた。
各自が飲み物を手に取るのを見計らって、侯爵が宴の挨拶をする。
「この度、娘であるルイーズが大変お世話になりました。ささやかではありますが、大いに飲んで、食べて楽しんでください。では、乾杯!」
『乾杯!(かんぱい!)』
宴で用意された料理は、バーベキューである。それぞれが好きに焼いて楽しめるようにと、ルイーズが朝から仕込んでいた。
肉はシンプルに塩と香辛料だけのものと、特製ダレに漬け込んだものを用意して、竹串に刺した。
竹串は当主の屋敷裏に生えている竹を分けてもらい、ルイーズ自身が作ったものだ。
あの遺跡で起こった事など、誰も気にしていないかのように楽しんでいる。
その楽し気な雰囲気にルイーズは胸がいっぱいになった。
父である侯爵にたくさん叱られ、泣いた当日。
怪我をした隠密部隊の者の見舞いとお詫びに費やした翌日。
いつまでもブツブツと愚痴をこぼすケンゾーと、泣いてばかりいるカチヤの機嫌取りに丸一日観光した翌々日。
(みんな、たくさん心配をかけてしまってごめんなさい。そして、ありがとう)
そんな気持ちを込めて用意した料理に舌鼓を打つ人の顔を見て、笑みが零れる。
「ルイーズは食べないの?美味しいよ」
ナギが両手に持った肉の片方を差し出しながら、ルイーズに話しかけてきた。
「ありがとう、ナギ。━━━━うん、おいしいね。われながら、よくできているわ。…………ねぇ、ナギはぼうけんしゃとして、いきるのでしょう?」
受け取った肉を頬張り、ナギのこれからについて問うルイーズ。
「そうだね、冒険者にはなってるんだけど、あんな事があったから活躍していないしね。でも、これから、大活躍するよ~!ルイーズも冒険者になるんでしょう?その時は、ぼくがルイーズに色々教えてあげるね」
「うん、おねがいね。ナギのかつやくを、いっしょうけんめいおうえんしてるね。そして、つよくなってね」
ルイーズがそう言うと、ナギは微笑み力強く頷いた。
ナギは邪神を内に秘めていた。それゆえ、自分の身体の違いに気が付いているはず。
何も語らないナギに対して、ルイーズも語れずにいる。
(ナギ、心も強くなってね。そして、その中にあるものを目覚めさせないで)




