其の拾伍
あれから1日が過ぎた。
侯爵一行は、当主の屋敷に滞在し、ナギと入れ替わったルイーズとそれを見守っている当主の帰りを待っている。
あの日。
ナギの身体に入っているルイーズに語り掛け、落ち着きを取り戻したかの様に見えた侯爵だったが、魂が抜けた様に、ふらりと遺跡から去っていった。
事後処理に追われ、主の異変に気が付いていなかったケンゾーは取り乱し泣いた。
自分に入れ替われと命を下してくれれば良かったのにと……。
その言葉はカツラに突き刺さった。孫であるケンゾーが入れ替わるくらいなら自分が入れ替わる。そして、仮にケンゾーが入れ替わっていたならば、ルイーズを恨んでいたかもしれない。
ルイーズが大切な弟子である事は間違いない。しかし、孫と比べると言うまでもないだろう。
そんな、自身に嫌気がさしながらも、眠るルイーズに語り掛けた。
『早く目覚めたら、必殺技を伝授してやろう……だから、俺の気が変わらない内に、起きろよ……』
ぴよたろうに至っては、眠っている傍らで不動の構えを見せていた。
何度連れ出そうとしても舞い戻ってしまうぴよたろうに向かって、当主が言い聞かせた。
『ルイーズはわしが、守るからのう。おぬしはケンゾーの傍についてやっていてはくれまいか?』と。
その言葉により、ぴよたろうはケンゾーの傍を片時も離れずピッタリと寄り添っている。
アルノーも衝撃を受けた。しかし、自分に何が出来たのか……。
意思も強い方ではない、ルイーズ程勇気もない、その場に立たされても何も出来なかったのは明白。
そんな自分を悔いていた。
誰が邪神を目の前にして、二の足を踏まずにいられるだろうか……。
だから、誰にも責められず、誰も責められないのだ。
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溜息を吐き、落ち着きがなくウロウロしたかと思えば、遺跡へ赴く。そして、帰ってきた侯爵はより深く沈んでいた。
侯爵の様子を見兼ねた人々は、何とか元気付けようと奮闘するが空振りに終わっている。
沈んでいるのは侯爵だけではない。
カチヤも手を組み、祈ったかと思うと、泣いている。
そんな娘の悲しみをどうしていいのかわからず、イザークはオロオロするばかりだった。
「駄目ですね……侯爵様がそんな調子では、ルイーズ様が戻った時に叱られますよ」
「ん、ああ、カリン殿か…………今日はどうした?」
事後処理の報告に来たカリンだったが、いつもは明るく清浄な空気に包まれている当主の屋敷が、幽霊屋敷の様に暗い。これは、何とかせねばと思い、明るい調子で侯爵に声を掛けた。
「昨日の、報告に参りました。怪我人多数でしたが、幸いな事に死亡者はいません。…………後、不可思議な事なのですが、魔族の死体がありませんでした。聞き込みをしても、誰も持ち出しておらず、…………もしかすると、魔族は死ぬと、煙の様に消えるのでしょうか?」
「…………そんな、バカな事がある訳あるまい。外で倒した魔族の亡骸は消えてなくなりはしなかったぞ。もし、魔族の亡骸がないというのであれば、生きて逃げたのであろう。……仮に逃げたとしても、あの傷だ。助かりはしまい…………それで、報告は終わりか?ならば、一人にしてくれ……」
「はい、報告は以上です。では、失礼します……はぁ……」
カリンは深いため息を吐きながら、退室する。
途中、屋敷の庭で無邪気に遊ぶ、ルイーズの体に入ったナギを見つけた。
(こんな無邪気に遊んでいる子が、邪神の供物にされていたなんて……酷過ぎるわ)
ナギの事に関しては、ナギ自身も語り、カリンとリョウブが旅立った後の事はヒイラギから知らされていた。
邪神の供物にされそうになり、逃げてきた獣人。邪神の供物になってしまったナギ。
自分たちが知らないだけで、供物として奉げられる人はどれほどいるのだろうか?
そう考えると、やるせない気持ちが沸き上がっていた。
(私も駄目ね……強くならなければ……簡単に洗脳されたりせず、心身ともに強くならなきゃ……うん、道場でリョウブを巻き込んで訓練しましょう)
そう決心したカリンの足取りは軽く、飛び跳ねるように帰って行った。
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闇に閉ざされた空間に落とされたルイーズは、懸命に抗っていた。
自己を保たなければ、喰われてしまう。
考える事を放棄すると、すぐさま喰われてしまう。
そんな空間の中で、ルイーズは邪神に語りかけていた。
返答など求めていない。邪神が発するのは『喰らえ』と言う欲望のみなのだから……。
━━喰らえ━━喰らえ━━
『喰らえかぁ、そう言えば、最後にご飯を食べたのはいつだっただろう?誘拐される前よね?丸1日くらいご飯を食べてないんじゃない?!…………あ、この身体はナギのものだわ。ナギはいつから、食べてないんだろう?帰ったら、ナギと皆で美味しい物を食べたいわね。サクラ公国の名物ってなにかな~過去に召喚された巫女様の故郷の味があるかも知れないわね。楽しみ』
━━喰らえ━━喰らえ━━
『お腹が空き過ぎてるのかしら?邪神はどうして、食べる事しか考えないのかしら?そもそも、満腹中枢がなかったりするのかな?だから、無限に食べてしまうのかも!それはそれで、辛いわよね。いくら食べても、満足感がないんだもの……邪神に美味しい物を美味しいと感じられる心があるのなら、一緒に世界の美味しい物紀行をしたら、楽しそうよね。まだ見たことのない食べ物を探すのが、旅の醍醐味だもんね。この異世界で、作っていない食べ物も残っているし、私はやりたい事がたくさんあるの。…………だから、私を食べるのは駄目よ。食べさせてあげないよ━━でもね、美味しい物を一緒に食べたいと言うのなら、ずっと、傍に居てあげる。だって、一人は寂しいもの。邪神には一人とかという概念すらないのかもしれないけれど……でも、ご飯はみんなで食べた方が、ずっとずーっと美味しいのよ』
━━喰らえ━━
『そうなのね……なにか、食べたいのね……私も食べさせてあげたい。心を込めて作った料理は、人を感動させたり、笑顔にしたりするの。それをあなたにも味わって欲しいわ。欲するままに何もかもを食べ尽くすのがあなたの役目なのかもしれない……けれど、その後に残るのは何?何もない、人も動物も植物さえも死に絶えた混沌とした世界が残るのみ。そこであなたは満足するのかしら?何もない世界で、空腹感を味わったまま彷徨うのかしら?いやよね━━私だったらいやだわ』
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2日目の朝。
籠を抱え遺跡に向かうナギとケンゾー。
同じく遺跡に赴こうとしていた侯爵が、2人を見かけ声を掛けた。
「それは、当主様の食事か?」
「あ、ご主人さま。おはようございます。はい、当主さまの食事と、おじょうさまが起きられた時に召し上がるものです」
「そうか、では、向かおう」
「はい」
「…………」
ナギは、未だ話しかけても貰えず、話しかけても目を逸らされてしまう侯爵が苦手だった。
侯爵は、ナギが嫌いな訳ではない。辛い過去の話も聞いた。
もし、この様な状態でなければ、優しく接していただろう。
無邪気に遊ぶ姿も、なんでも珍しそうに見ている姿も、娘と変わらないナギを見るのが辛い。
だから、ルイーズの体に入ったナギを避けてしまっていた。
そんな侯爵の気持ちを少年がくみ取れるわけはない。
いそいそと遺跡へと向かう侯爵の背を見つめ、ぷくっと頬を膨らませるナギだった。
「当主様、おはようございます。娘は目覚めましたか?」
「おはようございます」「おはよう!おばあさん」
「おお、おはようじゃ。皆、よく来てくれたの。ルイーズは変わらず眠っておるよ……しかし、顔色も良いし、穏やかな寝顔じゃ。うまく行ってるのかも知れんの」
そうであって欲しいという希望を込めて、当主が答える。
「そうですか……そうですね、昨日より顔色が良い。……ルイーズ、早く起きなさい。観光する時間がなくなってしまうよ……」
優しく頬を撫でながら、ルイーズに語り掛ける侯爵。その傍らに居た、ケンゾーとナギも声を掛けた。
「おじょうさま、おいしそうな食べ物を売るお店を見つけましたよ。もどられたら、いっしょにまいりましょう」
「ルイーズ……ぼくが、かわりに邪神を抑えるから、ルイーズは無理をしなくてもいいんだよ……」
ナギの言葉を聞いて、当主と侯爵の顔が曇る。
入れ替わりの日が過ぎれば、再びナギが邪神を抑えなければならない。
他に手段はないものなのか……。
幼い少年を苦境に立たせるのが、大人のする事なのか?
この小さな体で、懸命に抗う少年を見守るしか出来ないのか?
知っていた事とはいえ、口に出され聞いてしまうと、考えずにはいられなかった。
その夜。
入れ替わりが戻る日を前に、興奮して眠れずにいた侯爵と、同じく自身の体に戻り、邪神を抑えなければならない重圧で眠れずにいたナギが、屋敷の縁側で出くわした。
空に浮かぶ月を眺めている侯爵の姿を見たナギは、声もかけず立ち去ろうとする。
ナギの気配に気が付いた侯爵も同じく、立ち去ろうとしたが、思いとどまった。
「ナギ、何か飲むか?」
声を掛けられた事に驚き、咄嗟に逃げだしそうになったが、飲み物に釣られ、頷いてしまう。
「うん」
「では、甘いミルクでも持ってこよう」
温かく蜂蜜がたっぷり入ったミルクを美味しそうに飲むナギ。
そんなナギを見つめ、侯爵はルイーズの事を話し出した。
「私の娘は、とにかく自重をしないんだ……無茶な事ばかりして、親に心配ばかりかける。魔法の事にしてもそうだ。目立つから人前では使うなと言っているのに、使ってしまう。なんど、叱っても、必要とあらばこれからも、使うのだろうな……」
「ふ~ん……でも、ルイーズは優しい子だよ。きっと、誰かが傷つくより自分が傷ついた方がいいんじゃないかって思ってるんだと思う」
「それが、駄目なんだよ。親と言うものはね、傷ついた子供を見る方が自分が傷つくより苦痛なんだ……だから、それをわかって欲しいと思っているのだが、前世の記憶が邪魔をして、無理なんだろうな……きっと、あの子は皆の親になった気持ちでいるんだと思う」
「親?そうか、だから、ルイーズは優しい顔で笑うんだね。早く、ルイーズの笑った顔が見たいな……」
「…………でも、明日、戻ってきたらきつく叱ってしまうからね。明日の顔は泣き顔だ。それはもう、ぐちゃぐちゃに泣いた顔になる予定だから、笑顔は諦めて欲しい」
「…………うん」
侯爵の迫力に負け、頷くしかなかったナギ。ルイーズの笑顔を楽しみにしていたナギにとっては、辛い1日になりそうだ。
3日目。
夜明けと共に、皆を集めた侯爵は、それぞれに指示を出していた。
「私は、今から遺跡に向かうが、獣人の皆さんとナギ、ケンゾーは屋敷で待機していてくれ」
「え、なぜですか?」
「私が遺跡に向かうのは、ナギの体に入ったルイーズを見守る為だ。入れ替わりが戻り、ルイーズが自分の体で目覚めてみろ。…………どうなる?」
「そうですね……見たこともないやしきですし、サクラ公国だということはわかっていらっしゃるだろうし……歩きまわったり、かんこうしたりするかもしれません!」
「そうだ!だから、どこにも行かぬように、しっかりと見張っていてくれ。ぴよたろうも頼んだぞ!」
【ぴぃぃ】「はい」
見張りの役目を担ったケンゾーとぴよたろうは、キリリとした表情を浮かべ、ナギを見つめた。
「まだ、入れ替わってないよ~だから、じっと見るのやめて……」
熱い視線にナギは居た堪れないでいる。
「カツラ殿はケンゾーとナギをお願いします」
「ハッ!承知いたしました」
「アルノー先生は私と共に来てくれ。特に役目はないのだが、遺跡が見たいと言っていただろう?あんな事があった後だが、遺跡に関して、色々調べて欲しい」
「はい。承りました」
口には出さなかったが、これらの指示には暗い予測があった。
もしもルイーズが失敗したとして、しかしそのまま戻ってきたとしたら、彼女はまた無謀な事をしでかすだろう。
もしもルイーズが失敗したとして、しかしそのまま戻ってこなかったとしたら、抑えを失った邪神は以前より強大になって暴れ出すだろう。
運良く封印できたとして、遺跡が無事で済むとは思えない。
侯爵はルイーズを信じていた。
だがその一方で、そんな二つのもしもを考えられずにいられなかった。
「では、行ってくる」
侯爵は皆にそう告げ、アルノー、ヒイラギを連れ立って遺跡へと向かった。
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━━喰らえ━━く、ら、え━━
『あとね、料理長の作ってくれた唐揚げが絶品なの。カツサンドも最高だし、何を作って貰ってもほっぺが落ちそうになるくらい美味しいのよ。あなたも食べてみたくない?ふふ、きっと、食べたら驚くわよ~この世界で見ていない食べ物はたくさんあるのだけれど、前世の好物で作ってみたいのは━━えっと、ハンバーガーでしょ。ピザも捨てがたいわね━━あとは、和食かしら?!昆布やカツオのお出汁がないから、作れていないのだけれど、いつかは見つけたいわ。この世界にないのだったら、海に出て、自作ね!お寿司も食べたいわね……あ、お好み焼き!鉄板の上でハフハフしながら食べるの。これも、鰹節が必要ね。戻ったらメモしておきましょう。喫茶店とかに出てくるナポリタンも食べたいわね……あれは、作れるかしら?!━━ね、食べたくなってきたでしょう』
懸命に抗い、食べ物の話を続けているルイーズ。
ナギと入れ替わりが起きた瞬間から、ずっと思考を続けている。
ほんの一瞬でも油断すると、喰われていくのだ。
暗く何もない世界にただ一人取り残された感覚に陥る。
そのまま意識を手放そうとする自分を奮い立たせ、再び思考を続ける。
━━くらえ━━
『もうね、こればかりは、食べてみない事には始まらないと思うの。ナギの身体に入っているより、私の身体に移動した方が、美味しいものに恵まれると思う。だって、私の父様は侯爵様だし、こういっては何だけど、お金に余裕があるのね。だから、美味しいものを作りたいだけ作れるし、私の前世の美味しい物リストを合わせたら、あなたも満足出来るはず。ね、私と美味しい物巡りする?私についてくる?』
邪神に心はない。
だが、何故か、邪神が頷いたように感じた。
『ふふ、では、私と一緒に、美味しいものを食べましょうね』
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祭壇に眠るナギを見つめる侯爵と当主。
アルノーは、遺跡について調べている。
危険がないと言い切れない為、ヒイラギはアルノーの護衛に回っている。
ナギの手がピクリと動くのを見た侯爵と当主は息をのむ。
「う、うう、背中が痛い……」
苦悶の表情を浮かべ、ゆっくりと起き上がるナギ。
侯爵と当主は互いに顔を見合わせ、頷いた。
「おぬしはナギかの?」
「うん、ナギだよ」
その言葉に、侯爵は安堵の息を漏らす。
そして、柔和な笑みを浮かべ、ナギの頭を撫でた。
邪神に関しても聞きたい事があった侯爵だが、何より先に娘に会いたい。
その気持ちが伝わったのか、ナギがクスっと笑みを漏らし、侯爵に告げた。
「おじさん、ルイーズを叱るんでしょう?早く行かないと、なにかやっちゃうかも知れないよ」
「うむ、うん。そうだな。あの子は目を離すとすぐに何かをしでかす……ケンゾーに任せているとはいえ、心配だし、きつく叱らないといけないな」
「そうじゃの。ここはわしが見てるからのう、安心してルイーズを叱りに行くとええ」
「では、行ってくる」
ナギと当主の後押しにより、侯爵は飛ぶように駆けて行った。
途中振り返り、ナギに向かって、ありがとうと呟いたが、返事を待たずに行ってしまう。
「すごく早かったね」
「早かったのう。それだけ、ルイーズが心配だったんじゃよ」
「うん」
「はて、おぬし、そんな目の色をしていたかの?」
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侯爵は走りながら、考えていた。
ルイーズをどうやって叱ろうかと……。
(きつく叱ってやらないといけない。いつも絆されてばかりだが、今回ばかりは言い訳は聞いてやらないぞ。少し泣いたって許してやらない。父様は鬼になる。
そうだ、帰ったらアデールにも叱ってもらおう。これなら絆されたって安心だ。
ルイーズは母親なんかじゃない。私とアデールの娘なのだ。
それをきちんと自覚してもらわなければならない。
━━だから、うんときつく叱ってやるのだ)
しかし、ケンゾーとぴよたろうに囲まれたルイーズを見た瞬間。
その気持ちはなくなっていた。
「ルイーズッ!!」
「あっ!!とうさまーーーっ!!」
大きく手を振り、駆け寄ってくる娘。
胸に飛び込み、ギュッとしがみつく愛しい娘。
侯爵はそんなルイーズを胸に抱き、優しい声色で語りかけた。
(ああ、後でうんと叱ってやるとも。だが今だけは━━)
「おかえり」
「ただいま、とうさま」
月喰の章 ━━━━完━━━━




