其の拾参
まだ、当主と邪神が対峙している時。
横たわっていたアヒムとコルドゥラはぬらりと起き上がっていた。
2人は先ほどまでとは違う自分の様子に戸惑いながらも、沸き上がる力を手にして心が躍り、震えが止まらないでいる。
(この力はなんだ?━━溢れ出る絶対的な力!━━━━これなら、こいつらを殺れるかもしれねぇ……ふっ、ハハハ)
(なんなんだ、この力は?それに、洗脳も解けているが………………暫く、アヒムには黙っていた方が良さそうだな)
瘴気に触れると強くなる魔族特有の性質。
だが、いくら魔族とはいえ、邪神の攻撃をモロに食らい、精神を保ったまま力だけが向上するのは、さすがと言っていいだろう。
濃すぎる瘴気は魔族とて、一部の者しか抗えない毒のようなもの。
そして、ルイーズの恐れる幹部の力が、ここに現れてしまった瞬間でもあった。
コルドゥラは洗脳が解けた事を悟られぬ様、アヒムに跪く。
その様子を見たアヒムは、軽く頷いた後、当主に目をやった。
自分たちが気を失っている内に、増えたカツラを見て軽く舌打ちをした。
(増えてやがる……こりゃあ、急いだほうがいいな。ガキで遊ぶか……)
「コルドゥラ、ついてこい」
「ハッ」
強大な力を得て、更に深く洗脳できると踏んだアヒムがルイーズを使い、父である侯爵を討つよう策を講じたのだった。
ルイーズを目立つ場所へ横たわらせ、高みの見物と決めこんで。
そして……。
策に嵌る侯爵に笑いが止まらないアヒムは、更に悪巧みをした。
「フハハハハハハ━━━━バカな奴らだ!!アーハハハハハハ━━さて、もっと楽しい遊びを始めようか!『洗脳』っ!!」
力を得たアヒムから、霧が立ち昇り遺跡内部を真っ黒に染め上げた。
全てを呑み込むような黒である。
危機を感じたアルノーがケンゾーとぴよたろうを抱き包む。
侯爵は当主の周りとルイーズに結界を施した。
霧が晴れるまで、迂闊に動けない者を嘲笑う様に、アヒムは攻撃を仕掛けた。
暗闇の中で悲鳴が聞こえる。倒れた者がいるのか、鈍い音と共にアヒムの高笑いが響く。
「ハッハハハハ━━━━弱い、弱すぎるっ!こんなものなのかっ、人族の力は━━フハハハハ━━」
ようやく霧が晴れ、見えた光景は……。
アヒムによって負傷した者、呆然と立つ者、頭を垂れ命を待つ者がいた。
隠密部隊、ほぼ全滅と言っていいだろう。
リョウブとヒイラギに関しては洗脳は効かなかった様で、アヒムを睨んでいる。
しかし、カリンが……跪く中にいた。
「では、始めようかねぇ。皆、仲間であった者を討て!」
『ハッ!』
地獄の様な戦いが始まった。
仲間だった者に、突如襲われ、反撃を繰り出していいものなのかと戸惑い、斬られる者。
うまく躱し、反撃に転じるも、カリンの戟に吹き飛ばされる者。
洗脳された者とそうでない者の区別なく、攻撃を繰り出しているカリン。
まるで、歩く災害の様なカリンを見て、力量差を恨めしく思いながらも、リョウブがヒイラギに提案した。
「隊長!カリンさんの相手をお願いします。俺は他の者を眠らせます!」
「よし、頼んだぞっ!」
リョウブが洗脳された仲間に眠り玉を投げつける。だが、カリンが戟を一振りすると風圧により吹き飛ばされてしまった。
「うふふ。こんな物を投げないで、一緒に戦いましょうよ」
「クソッ!隊長!」
「よし、任せておけっ!」
そのカリンの顔は、強敵を前にした時に浮かべる笑顔。
洗脳され、箍が外れたカリンは、この仲間との戦いを楽しんでいるかのようだった。
「カリン、お前の相手は俺だ!」
ヒイラギがカリンの目前に躍り出て、剣を構えた。
「隊長が相手だなんて、嬉しいわ」
一方、アルノーに守られたケンゾーとぴよたろうは隠密部隊の者に、襲われていた。
深く洗脳が効いた者は、攻撃に切れがあるものの、うまく効かなかった者は攻撃が鈍い。
しかし、まだ剣術に不慣れなアルノーと剣術は巧いが木剣しか持ち合わせていないケンゾーに、不利な状況である事は間違いない。
「ケンゾーくんは私の後ろに隠れていてください」
「えっ!」
「大丈夫です。侯爵様に鍛えられたこの身体で、必ず守って見せます!」
アルノーは背にケンゾーを隠し、侯爵によって強化された防御魔法を展開した。
得意な土魔法を強固にしたもの。土くれの塀だったものが、一枚岩を切り出したような硬さを持たせることに成功していたのだ。
「岩壁っ!!」
━━ゴゴゴゴゴ!!
アルノーが呪文を唱えると地中から吹き上げるように岩が突き出してきた。
突如現れた壁に対処が間に合わず、衝突し、意識を失う者もいたが、壁を乗り越え襲い来る者の方が圧倒的に多い。
「ファイヤーボールッ!」
火の初級魔法で、立ち入らせない様、時間を稼ぐアルノー。そして、ケンゾーの木剣を奪い、強化魔法を施した。
隠密部隊の隊員たちが装備しているのは鋼の剣である。
木剣で対処できるはずもない。ゆえに、強化を施したのだが……。
襲い来る隊員の一人と鍔迫り合いの末、木剣は砕け散ってしまった。
「ケンゾーくん。初級魔法で時間を稼ぐから、遺跡の入り口まで逃げてください」
アルノーに出来る最善をケンゾーに伝える。侯爵のよって強化されたこの身体。剣を見極める目も、攻撃を躱す事も出来る。しかし、誰かを守りながら戦うのがこれほどまでに困難だとは、気が付かなかった。
アルノーの言葉を聞き、ケンゾーがアルノーを一見した後、祖父であるカツラを見た。
ケンゾーは当主と対面をしていない為、祖父が誰を必死に守っているのか知らない。
しかしこの状況でカツラに、孫である自分も守って欲しいと告げる訳にはいかないという事だけはわかる。
ケンゾーはうっすらと涙をため、
「わかりました」
と、短く返答をし、頷いた。
ケンゾーの涙の意味を察したアルノーが優しく頭を撫でる。
「では、行きますよっ!ファイヤーボールッ!ファイヤーボールッ!!ファイヤーボーールッッ!!」
アルノーの呪文により生み出された火の玉が襲いくる隊員たちを阻んだ。
火魔法は、火力は低いものの、無限に生み出されるほどに燃費が良くなっている。
隊服に火が付き、慌てる者、手に火傷を負う者もいた。
が、数の暴力と言っていいだろう。次々に襲いくる者にケンゾーを逃がす隙がない。
アルノーが焦る。
斯くなる上は、ケンゾーを抱えながら上を目指そうかと考えた。それで、自分だけの負傷で済むのだったら、背を斬られようとも構わないと……。
心を決めたアルノーがケンゾーを抱きかかえる。
その光景を見た隊員がアルノーの背をめがけて斬りつけようとした瞬間━━
【ぴぴぃぃぃぃっ!!!】
ぴよたろうが吠えた。まさに吠えたと言っていいだろう。初めて聞く、怒りを含んだぴよたろうの声。
そして、ぴよたろうの瞳が黄金色に輝き、光を放った。
「ぐわぁぁぁぁぁ━━━━」
━━ゴトン
アルノーとケンゾーは、何が起こったのか理解できなかった。
ぴよたろうの瞳が光り、その光を浴びた個所が石になり、動けずにいる……。
「ぴ、ぴよたろうがしたの?」
【ぴひぃ】
ケンゾーが問い、ぴよたろうが頷く。
「あとで、元にもどる?」
【ぴひぃ】
ケンゾーが更に問うと、ぴよたろうが頷く。戦いの最中である今、深く追求するのも難しい。
元に戻ると言うのなら、ぴよたろうに手助けをしてもらおうと心に決めた。
なんと頼もしい事か。光が当たった部分だけという縛りはあるが、戦闘不能にするくらいは容易いだろう。
「じゃあ、ぴよたろうは、おそってくる人を石にしちゃってっ!……あとでなおした時に、あやまろうね」
【ぴひぃぃ】
ケンゾーの許可を得て、ぴよたろうが躍り出る。
ぴよたろうの後ろには、自分を必死に守ってくれたアルノーと父であるケンゾーがいる。
2人を守るため、ぴよたろうの瞳が神々しく光った。
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当主の前で円陣を組んでいた隊員達は、アルノーやリョウブの元へ襲い掛かっていた。
侯爵による結界は娘であるルイーズを優先した結果、間に合わなかったのだ。
洗脳が効かなかったカツラと当主は、アヒムとコルドゥラ、そして邪神と対峙していた。
力を得たコルドゥラは洗脳されていると、見せかける必要がある為、変化を使わず戦っている。
アヒムもこれ以上の洗脳は無意味と理解している為、体術のみで戦っていた。
コルドゥラの得意とする変化。
姿形、力だけではなく、装備品に至るまで模倣することが出来る。
その為、コルドゥラは武器を持ち歩かない。変化の効かない相手と対峙する時は強化された己の爪を利用し戦うのだ。
舞う様に繰り出されるコルドゥラの攻撃にカツラが翻弄される。
スピードも然る事ながら、変則的な動きに決め手を繰り出せないでいるのだ。
そこへ、アヒムが加わり苦戦を強いられていた。
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侯爵はルイーズに、変わった結界を施した。
薄く、拘束するかのような結界である……。
「ルイーズ、父様だよ。早く、目を覚まして、サクラ公国で美味しい物を食べて楽しく観光しよう」
結界に押さえ込まれ、父から奪った剣を振るう事が出来ないルイーズは呻き声をあげた。
「うわぁぁぁ━━━━」
その様子を見て、侯爵は不思議に思う。
(ルイーズは剣だけで戦う子ではない。魔法は四肢を縛っていても発動させてしまう子だ。なぜ、剣の攻撃だけに頼る?!━━━━ッ!もしかすると、不完全な洗脳なのか!どこかで、私と剣で戦うならば、怪我をさせずに済むと思っているのではないか?……辛うじて意識を保っているとすれば……怪我を負ったままで語りかけるのは悪手。傷を見たルイーズが罪の意識に苛まれ、自我を手放せば、洗脳がより強固なものへと変化してしまう)
そう判断した侯爵は、回復魔法を発動させた。
ルイーズ程、回復魔法を上手く使える訳ではないが、傷は隠せたと言っていいだろう。
「さあ、ルイーズ。父様は、もう、怪我もしていないし、元気だよ」
ルイーズに語りかけながら距離を詰め、剣を奪い返す。そして、拘束していた結界を解き、優しく、力強く抱きしめた。
「ルイーズ、怖い思いをさせたね。すぐに気付いてあげられなくてすまなかった。迎えに来たから、もう安心していいんだよ」
「うわぁぁぁあぁぁぁぁあぁぁ、あぁあ━━━━━━━━と、とう━━━━━━さ━━」
「ルッ、ルイーーズッ!!!」
ルイーズが雄叫びをあげ、意識を失った。
洗脳は解けたのか?!気を失っている以上、確かめようがない……。
しかし、ルイーズの最後に言おうとした言葉が脳裏を過る。
(父様と言おうとしたのか?…………)
ルイーズの顔を見つめ、確信する。
(この安心しきった顔は、甘えてくる時と同じだ。ルイーズは戻ってきた。ようやく、帰ってきた。愛しい娘が私の元へ……)
ならば、ルイーズはこのまま寝かせて置こうと、ゆっくり横たわらせた。
侯爵による最強の結界を施して。
振り返り、娘を弄んだ者を許すものかと、怒りを滾らせて、アヒムとコルドゥラを一睨みした。
その殺気を含んだ眼光に、コルドゥラは悲鳴をあげそうになるのを必死に堪える。
剣を構えた侯爵の行動は早かった。
一閃!
━━キンッ!ザシュッ!!
「グワァァァ━━」
━━ザシュッ!
「ギャァァァ━━」
アヒムとコルドゥラの断末魔の様な悲鳴が響き渡る。
背中を大きく斬られ、血飛沫をあげ倒れるコルドゥラ。
片腕を切り落とされ、蹲るアヒム。
意識が遠のきそうになるのを必死に耐え、アヒムが叫んだ。
「お前らっ!足止めしろーーーっ!」
その声を聞き、ヒイラギと対峙していたカリンが駆け寄ってきた。
他の隊員も、アヒムとコルドゥラを守る様に侯爵の前に躍り出た。
「侯爵様、手合わせをお願いします」
カリンがニヤリと笑い、侯爵に礼を執る。
「カリン殿は本当に洗脳されているのか?!」
侯爵がそう思うのも仕方がない。カリンの様子は洗脳されていようがそうでなかろうが、違いが然程ないからだ。
「ふふふ━━」
カリンの戟が回転を始めた。
風を切る音だけが響き、砂埃が渦を巻いて舞い上がる━━
近付く者はすべて薙ぎ払おうというのか。
しかし、隙のない攻撃も侯爵の前では意味がない。
「フンッ!」
侯爵が渾身の力を籠め、鞘を投げつけた。
━━ゴンッ!
「うっ!!」
鞘はカリンの額に命中する。痛みで呻き、反動でドスンと音を立て勢いよく倒れる。
「すまないね。時間をかけるわけにもいかないんだよ」
侯爵は申し訳なさそうに、カリンに詫びた。
そして、アヒムとコルドゥラを守っている隊員たちに目をやる。
何故か、体の一部分が石化している者がいる。
それを気にする間が惜しいと、侯爵は隊員たちを次々と戦闘不能にしていった。
隊員たちの小さく短い悲鳴が途切れ、静寂が訪れる。
「さて、足止めにもならなかったな。娘を弄んだ償いをしてもらおうか?」
「ハ、ハハ━━」
アヒムが乾いた笑い声をあげる。
コルドゥラはそんなアヒムを見て、洗脳されたフリをするのをやめた。
そう、化け物と戦うのなら命はないと、わかっていた。
洗脳されたフリをしていたのは、この時の為であった。
今、アヒムを逃がすことが出来るのは自分しかいない。
侯爵がアヒムへ止めを刺そうと、距離を詰めた━━
「ダークッ!」
コルドゥラが魔法を唱えた。
生活魔法の一つである『ダーク』
同じく、生活魔法である『ライト』を消すときに使用する魔法。
闇が遺跡内を包み、侯爵が後退を強いられた。
暗闇の中、反撃にでるつもりなのかと、身構えたまま、侯爵は呪文を唱えた。
「ライトッ!」
明かりが遺跡内を照らし、アヒムとコルドゥラの姿を探す━━
アヒムが闇に乗じて逃げようとしている。
侯爵は大きく跳躍し、アヒムの背に剣を突き刺した。
「ギャァァァアァァッ━━」
肉を貫く嫌な音を立て、アヒムが断末魔をあげた。
侯爵は剣についた血を振り払い、コルドゥラの行方を捜す。
(いない。逃げたのか。うん?おかしい……まだ洗脳が解けていないものがいる……もしかして、逃げた方が━━)
洗脳を使った者が逃げた方だとすると、追わねばまずい。そう判断して、侯爵は飛び出した。
遺跡の外に出た侯爵は、夕焼けに染まる空を恨めしく眺めた。
(探し出すまで、暗くならないでくれ)
血が流れ過ぎ、意識が朦朧とするアヒム。
しかし、あの場に留まりながらも、自分を逃がしてくれたコルドゥラの思いを叶えるため、必死に走っていた。
(コルドゥラ、すまねぇ。お前の言う通りだったぜ、化け物に見つかったら、命がないと教えてくれたのによぉ。俺はバカな奴だな……もし、化け物から逃げ切る事が出来たら、酒でも飲もうぜ……)
乾いた笑みが浮かぶ。恐らく、コルドゥラが生きて帰ってくることはないだろう。
化け物である侯爵に目を付けられたのだ。生きて帰って来れるはずがない。
自分自身も、生きて逃げ切れる保証はない。だが、だからこそ、生きて帰らなければならないのだ。
━━
アヒムの傷は深い。そう遠くへは行っていないだろう。
血の跡を辿り、アヒムを探す。
後ろを何度も振り返りながら、逃げるアヒムを見つけた。
侯爵は一気に、距離を詰め剣で首を跳ねた。
━━ゴロン
アヒムの静かな最後であった。
侯爵に止めを刺されたと思っていたコルドゥラだが、侯爵が外に出て行った隙を見つけ、隠密部隊の者へと変化していた。
いくら変化しようとも、傷が治る訳ではない。
しかし、他の者の目を誤魔化し、逃げる事さえ出来ればと考えていた。
(アヒム、逃げ切っていてくれよ。お前には文句の一つ、二つでは済まないくらい言いたい事があるんだからな)
コルドゥラは、アヒムが止めを刺されたことを知らない……。