其の拾弐
アヒムとコルドゥラに啖呵を切ったルイーズ。
だが。
「フッ、ハハハハハ━━━━━━」
アヒムの笑い声が遺跡の内部に響き渡る。
未だに、魔族の幹部だと信じ切っているルイーズにとっては、この状況下で笑う余裕があるアヒムを見て、冷や汗が止まらない。
(さすが、幹部ね。ゲームでは、アヒムとコルドゥラを倒す推奨レベルが28。低いように思うけれど、週を重ねる毎に推奨レベルも上がっていく仕組みになっていたから、いつもジリ貧の戦いだった……。レベルという概念がないのが、こんなにも不安だなんて思わなかったわ。━━せめて、どちらか1人なら、隙をついて、サクラおばあ様とナギを脱出させるのだけれど……いえ、考えても仕方がないわね。私に出来る事をして、守らなければ!)
ルイーズが展開した結界は、外部からの攻撃から身を守るが、同時に内部から外部への攻撃も通さない。
まさに、ジリ貧である。
「ねぇ~ルイーズ。あいつら誰?」
アヒムとコルドゥラの動向を見逃さない様、睨みつけていたルイーズに、ナギが疑問を口にした。
「わたくしをさらってきたまぞくよ」
「ふ~ん、悪いやつなんだね。━━━━よしっ!ぼくがやっつけてあげる!」
「「だめよっ(駄目じゃっ!)」」
「ええ~~~なんで?」
「ナギは、サクラおばあさまをまもって。ね?おねがい」
ルイーズと当主が引き留めた事に不満を口にするナギ。しかし、邪神を内に秘めているナギに戦闘をさせるのは、危ういと判断したのだ。
「じゃあ、そうするけど━━このままだと、危ないよ。だって、あいつら嫌な感じがするもん」
「いやなかんじ?」
「うん、ぼくを、こんな体にした嫌な奴と同じ臭いがする」
そう言ってナギはアヒムとコルドゥラを睨みつける。その顔はまるで、腐った生ごみでも見てるかのような、嫌悪感を出していた。
「クソガキがあぁぁぁ━━━━━━」
━━ガキンッ!
「クソッ!!」
アヒムはナギの視線に憤りを感じて、結界を殴りつけたが、阻まれてしまう。
軽く悪態を吐いた後、まるで予想通りだったと言うがの如く、ニヤリと笑った。
「さてと、お楽しみはここからだな。頑丈な結界だが、洗脳も阻むのかね?『洗脳』」
アヒムがそう呟くと霧が遺跡内部に、充満する。
この場にいる者を一度に洗脳しようと考えたのだ。
アヒムとて、後がない事は十分、理解している上での、全力である。
ルイーズは霧に巻き込まれなければ、洗脳されないのではないかと予測し、結界を解除した後、風魔法を展開した。
「ぼうふうっ!!!」
今、ルイーズが使える風魔法の中で、最高の威力を誇る『暴風』である。
ちなみに、ゲーム内で使われていた魔法名をそのまま使用するのを疎んだルイーズが、勝手に付けた魔法名である。
異世界に転生してまで、著作権について悩むのは、地球人の性であるかもしれない。
強烈な風が、遺跡内部に吹き荒れている。
轟音と共に巻き上げられた小石や砂埃が容赦なく2人を襲い、視界を奪う。抗おうにも身動きすら満足にできない暴風。アヒムとコルドゥラは成す術もなく吹き飛ばされ、鈍い音と共に壁面に叩きつけられた。
━━ドスッ!
アヒムとコルドゥラが呻く。
「アガッ!!━━ゴフッ!!━━━━クソッ!!」
「グフッ!!━━━━ガァァァ━━ううぅぅぅ」
風が収束し、静寂が遺跡内部を包み込む。
アヒムとコルドゥラがヨロヨロと起き上がり、互いに怪我の程度を確認し合う。叩きつけられた衝撃で頭を打ち付けたアヒムは額から血を流していた。コルドゥラに目立った傷はない。その様子に安堵し、アヒムは憎しみを込めてルイーズを睨んだ。
「今のは痛かったぜぇ? なぁ?」
アヒムは血の混じった唾を吐き出しながら、ルイーズへ問いかける。
しかしルイーズからの返答はなく、事情を察したアヒムは、息が切れるほどに笑った。
「ヒャハハハハハ━━━━呆気ないもんだなぁ。……こいつ、効いてやがるっ」
洗脳が効いてしまった。
確かに、霧は風に巻き込まれ、散っていた。しかし、魔法名を唱えた際、霧を吸い込んでしまったのが、原因であった。
反撃に出ず、結界を展開し続けていれば、結果は違っていたかもしれない。
「このークソガキがっっっ!!!」
━━バチンッ!!
「うっ」
額から血を流しているアヒムがルイーズめがけて、手を振り上げた瞬間、当主が前に出て代わりに攻撃を受けてしまう。
「ババア。どきやがれっ」
「どけと言われて、どく奴はおらんよ。幼子を守るのが大人の務めじゃからの」
「ほう、なら、もう一撃受けてみるか━━」
アヒムが、再度手を振り上げた。当主は、瞬きもせず、アヒムを睨みつけている。
当主にとって、転生者であるルイーズは特別な存在である。
いや、転生者でなくとも、幼子を守るという気持ちは揺るがないであろう。
ゆえに、強い意志を持って、アヒムを睨んでいるのである。
しかし、振り上げられた手が、当主に届くことはなかった。
ナギがアヒムの腕を掴んでいたのだ。
「お前達、きらい━━おばあさんを殴って、ルイーズを変にしたから、許さない━━」
ナギの表情は先ほどまでとは違い、嫌悪感も憤りもなく、ただ淡々とアヒムに告げた。
そこには何の感情も見えない。虚無である。
その表情を見た当主は、ナギとルイーズを抱擁し、アヒムから背を向けた。
そして、呆然としたままのルイーズと無表情のナギの頭を優しく撫でながら、呟いた。
「ナギは良い子じゃ。ルイーズも良い子じゃ。だから、わしに守らせてくれぬかのぉ」
優しい手のぬくもりを感じ、ナギの瞳に感情が現れ、当主の顔を覗き込んだ。
その瞳には、当主やルイーズに向けた優しさが感じられる。
「でも、あいつら悪いやつだよ」
だからこそ、ナギ自身が守ろうと考えて発言だったのだが、
「そうじゃ、悪い奴らじゃからな。大人のわしが、守る。見ておれ、こう見えて、わしはなかなか強いんじゃよ」
当主に任せろと、言われてしまう。
ナギはルイーズと同じ年の頃、父母と別れた。
死別である。幼い子供に何が出来るであろう。
薄汚いスラムで食べる物も住む家もない。朝から晩まで働いたとて、パン1つ分程度の賃金である。
気候の穏やかな大陸であるゆえ、寒さや暑さで苦しむことはなかったが、雇い主に暴言や暴力を振るわれることは多々あった。
そんな苦しい生活をしていても、ナギには夢があったのだ。
身一つで、成り上がる事が出来る冒険者になる事。
虐げられたこの身を羨望しろ。
跪き、守って欲しいと乞うがいいと。そうすれば、守ってやる。そして、自分と同じような子供が苦しむ事のない世界を作ってやると。
そして、冒険者登録のできる年になったナギに、近付く者がいた。
謎の集団の一人である。その者は、冒険者登録をしたばかりのナギに依頼を持ちかけたのだ。
連れ去られた子供を助けて欲しい、助けるには、秘密裏に動かないと命が危なくなる。
成功した暁には、小さいが住む家をやろうと……。
深く考えれば、この依頼がおかしい事に気が付くだろう……。
しかし、子を思う親を演じきったその者を疑う事が出来なかったのだ。
そして、邪神の供物へと奉げられてしまったナギ。
今でもナギの本質は変わらない。人を思いやる優しい子。
だが、邪神を内に秘めたナギは、悪感情を抱く者に容赦をしなくなっていた。
優しさには優しさを。悪には死を……。
「わかった。でも気をつけてね」
「安心せい。こんな奴らは、おババぱんちで一撃じゃわい」
当主の言葉に、ナギは微かな笑みを漏らす。しかし━━
━━ドスッと鈍い音と共に、当主の体が揺れ「グフッ」と、息が漏れた。
ルイーズとナギを守る様に包み込んだ当主の背中をアヒムが蹴ったのだ。
口を切ったのか、内臓がやられたのか、当主の口から僅かに血が流れる。
当主の姿を見たナギは怒りを露わにする。
「おまえっ!!許さないからなっっ!!!」
「はっ、ガキが何を許さないってんだか。お前も傀儡にしてやるよ『洗脳(ブレインウォッシュ』」
・
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「はあ、はあ、はあ━━━━じっちゃん。ぴよたろうがとまっているよ」
さすが、雛といえコカトリスである。ぴよたろうの健脚に付いて行くケンゾーの息が上がっていた。
平地と違い、山を駆け上がったのだから、仕方がない事なのかもしれない。
「━━━━ここはっ!!」
ぴよたろうの止まっている場所を見てカツラが、驚愕する。
「しっている所?」
「ああ、遺跡だ。今回の旅の目的地だな━━ぴよたろう、ここにルイーズがいるのか?」
【ぴひぃぃぃ】
カツラが屈み、ぴよたろうに問いかける。その問いに答えるかのように、一鳴きした後、ぴよたろうは頷いた。
「じっちゃん。じゃあ、ここにおじょうさまがいるんだね」
ケンゾーはすぐにでも踏み込もうとするが、カツラが引き留める。
「待て。ケンゾーは、まず侯爵様達に合図を送れ。そして、合流した後に来るんだ。今は俺一人で、異変がないか、調べてくる」
ケンゾーは葛藤の末、頷いた。今すぐにでも行きたい気持ちはあるが、祖父であるカツラの言う通りだからだ。
「うん、わかった。ご主人さまたちとごうりゅうしたら、中に入るね」
「頼んだぞ。では、行って来る」
ケンゾーはカツラにそう伝えると、空に向かって魔法を飛ばし、遺跡の中へ踏み込んで行く祖父の背中を見送った。
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洗脳の霧が晴れ、アヒムがナギに視線を落とした。
ルイーズ同様、ナギにも洗脳が効いてしまったようだ。だが━━
━━ナギの様子がおかしい。
視線が定まらず、キョロキョロと瞳を動かすナギ。
そして、ニタリと笑みを浮かべた後、アヒムとコルドゥラに歩み寄って行った。
「喰らえ、喰らえ、喰らえ、喰らえ━━━━クフフフフフフ━━喰らえ、喰らえ━━アッハハハ━━」
ナギから瘴気が沸き上がり、遺跡内部に充満していく。
洗脳により、ナギの意識が低迷し、邪神が溢れ出てきたのである。
当主は悲痛な表情を浮かべ、ナギの身を案じるが、
「いかんっ!!ナギっ、しっかりするのじゃ!!」
当主の言葉が空を切る。
「グオオオ━━」
「ウガァァァ━━」
瘴気は自らの意志でもあるかの様に、アヒムとコルドゥラの口に押し込まれていく。
肉体的な痛みはない。しかし、個を完全に否定する攻撃である。弱い精神力では、自我を失い廃人と化すだろう。それこそが、邪神の目論見である。
廃人と化した者は、自ずと、邪神に取り込まれてしまうのだ。言葉通り、邪神に喰われに行くと言っていいだろう。
「喰らえ、喰らえ、喰らえ━━クフフフ━━」
アヒムとコルドゥラの悲鳴がやんだ。
そして、ナギが当主を見つめる。傍らには、死んでいるのか、気を失っているのかわからないが、アヒムとコルドゥラが横たわっていた。洗脳が解けたのか、ルイーズも力なく頽れていた。
当主は、ナギを救う手立てを考える。ナギを傷つけたくはない当主にとって出来る手段は一つ。
邪神の力を弱めつつ、ナギに問いかける事だ。
意識さえ覚醒すれば、ナギは戻ってくる。そうに違いない。そうであって欲しいと願いを込めて、ナギを見据えた。
(さっきルイーズに回復して貰ったからのう。元気いっぱいじゃ。頑張るしかあるまい)
「さて、ナギや。おババと遊ぼうか」
「喰らえ、喰らえ━━アハハ━━」
瘴気が当主に向かっていく。しかし、それを阻むかのように当主により生み出された光魔法が、遺跡内部を明るく照らした。
「グァァァァアァァァァァァアァァァァア」
ナギ、いや、邪神の呻き声が遺跡を轟かせる。
だが、より濃い瘴気が、ナギの体から溢れ出始めた。
「これはもしかして、駄目かもしれんの。だが、容易く死ぬわけにもいかんのじゃ」
当主とナギが互いに見つめ合い笑っている。
邪神に意識を飲まれたナギは喰らう事だけを考えて笑う。
当主は、最後まで諦めないと意思を固めて笑う。
瘴気が渦を成し、当主に襲い掛かろうとしたその時。
「おババ様っ!!」
先に遺跡へと踏み込んだカツラが駆けつけ、当主を庇う様に前に出た。
絶体絶命かと思われたこの状況で、一縷の希望が沸き上がった。
しかし、邪神の攻撃は止まらない。
いくらカツラとて、瘴気を前にして、取れる手段はない。
「━━━━、━━━━」
━━シャラン
当主が奏でた言の葉と共に神楽鈴が遺跡に鳴り響き、瘴気を阻んだ。
巫女だけが成せる受け継がれた技である。
「カツラかっ!久しいのぉ」
当主はルイーズだけでも、外へ連れ出してもらおうと考え、カツラを見据え頼み込む事にした。
「カツラよ。ルイーズを外に出してやってはくれんかの」
「おババ様……いえ、もうすぐ、援軍が参ります。ここで、待っていた方が安全かと」
カツラにとってはルイーズも大切だが、当主の事も大切に思っているのだ。
ここで目を離し、当主に万が一の事でもあったらと思うと気が気でない。
ならば、援軍である侯爵達が駆けつけるその時まで、ここで戦おうと考えた。
「そうか……ならば、頑張るしかあるまい。援軍到着まで一緒に凌ごうか」
「ハッ!その命、承りましたっ」
当主とカツラによる邪神との攻防が続く中。
この場に雪崩れ込むかのような足音が響いた。
「ルイーズっっっ!!!」
侯爵が娘であるルイーズを探し、辺りを見渡している。
侯爵の後に続き、ヒイラギや隠密部隊の者達も駆けつけた。
ケンゾーもアルノーの背に守られながらこの場の入り口で様子を窺っている。
当主とカツラに安堵の息が漏れた。
「おババ様!援軍です。援軍が到着しました。皆ーー!!おババ様を守れっっ!!」
カツラは隠密部隊の隊員に向け檄を飛ばす。
『ハッ!!!』
当主の元へ、隊員たちが駆け寄り円陣を組む。
「その者は、傷つけん様にしてはくれんかの。今は邪神に呑まれているが、普段は優しい少年なのじゃ」
当主のその言葉を聞き、隊員たちは顔を顰めた。獲物を見る目で当主を睨んでいる少年に対して、無傷でどう抗えというのか……。
今、この場は当主の光魔法で守られているが長くはもたないだろう。
「返事をしてくれんかのぉ」
『ハッ!』
当主に返事をせっつかれ、渋々ながらも了承する隊員達であった。
一方、侯爵は横たわっているルイーズを見つけ、駆け寄った。
愛しい娘に怪我はないか、もし傷の一つでもあろうものなら、叩き切ってやる。
そう胸に秘め、ルイーズに声を掛ける。
「ルイーズ……気を失っているのか…………」
ルイーズを抱きかかえ、当主の元へと向かう。
この場で何が起きたのか、尋ねる為である。
「当主様とお見受けします。正式な挨拶は後ほどいたしますので、今は娘に何があったのか、教えてくださいますか?」
「ルイーズはわしらを守ろうと━━」
当主が訳を話そうと口を開いた瞬間。
侯爵の腰に差している剣が引き抜かれた。
ルイーズが剣を奪ったのだ。
「うふふふふ━━」
抱えられた腕からすり抜け、侯爵の首に剣を当てがいながら、奇妙に笑う娘ルイーズ。
「ルイーーズッ!!」
侯爵が飛び退く。
あまりの出来事に驚き、娘を名を呼ぶものの、返事はなく、ニヤリと笑うだけ。
「洗脳されているようじゃの」
「せ、洗脳?!」
「そうじゃ、あそこに居る、魔族の者がルイーズを攫い、この場へ連れてきた。そして、洗脳したという訳じゃ」
当主の口から衝撃的な事実が伝えられる。憎しみを込めて魔族を見据えるも、当の魔族は距離を取り、薄汚い笑みを浮かべているだけ。
(娘を弄ぶ者、許さんっ。一瞬で終わらせてやる)
そう思うも、ルイーズが襲い掛かり、侯爵へ一閃っ!!
━━カンッ!
娘を傷つける訳にはいかず、攻撃を躱す。
「ルイーズッ!しっかりするんだっ!!」
洗脳を解かねば、他の者まで傷つける恐れがある。
侯爵は、ルイーズに近づき、力づくで取り押さえようと考えた。
「さあ、ルイーズ。父様が迎えに来たから安心するといい」
声色は優しく、娘を思う気持ちが溢れ出ているようだ。
しかし、剣の間合いまで近づいた侯爵に、ルイーズは攻撃を繰り出す。
(私が怪我をするのはいい。ルイーズさえ無事ならば……)
━━ザシュッッツ!!
侯爵の腕に剣が掠め、血が滴り落ちる。呻き声もあげずに、侯爵は笑みを浮かべたままルイーズとの距離を詰める。
━━シュッ!
頬から血がにじむ。
しかし、侯爵の表情は変わらない。
「フハハハハハハ━━━━バカな奴らだ!!アーハハハハハハ━━さて、もっと楽しい遊びを始めようか!『洗脳』っ!!」
力を得たアヒムから、霧が立ち昇り遺跡内部を真っ黒に染め上げた。