其の九
人が容易に足を踏み入れることが叶わない高山の一角。
そこはワイバーンにとっては楽園ともいえる場所であった。
招かれざる客が来るまでは……。
その者達の風貌は他種族と、さほど変わらないものの、狡猾であり、残忍な性質を持っている。
獣人国で残虐な行為を繰り返し、逃走した贄を捕らえる為にやってきたのだ。
「それで、贄は見つかったのか?」
一人が深紅の瞳を歪ませながら、苛立ちを含んだ声で問う。
「ああ、めんどくせぇ事に、人族と一緒に行動してやがる……どうするかねぇ」
その問いに答えつつも、漆黒の瞳は一点を見詰めていた。
「様子を見て、攫うしかないだろう。でも、騒ぎは起こすなよ。まだ、この大陸で目立つわけにはいかないからな」
「…………ちっ、仕方ねぇ。こいつを使ってみるか」
一人が、1匹のワイバーンに近づき、呪文を唱え始める。
「洗脳」
背に生えた蝙蝠の様な翼が黒い霧を発生させて、ワイバーンを包み込んだ。
【ギェエェェエェ!!】
ワイバーンは抗い、威嚇の唸りをあげるが、成す術もなく支配されてしまう。
従順になったワイバーンは、主に頭を垂れた。
呪文の成功を確信し、褐色の肌から白い歯を覗かせて、ニヤリと笑う。
「そのままじゃ、つまんねぇから『筋力増強』ほら、行ってこいっ!」
【ギャースッ!】
主の命を受け、咆哮をあげ飛び立っていくワイバーン。
その主は、一仕事終えたと言わんばかりに崖を背に横たわった。
「アヒム、やりすぎじゃないのか?贄は生きてこそ価値がある」
「なに、死にゃしねぇよっ……多分な」
懸念する仲間の姿を一瞥する。
同族だというのに、雪のように白い肌。
魔族は、褐色の肌を持つものが多い。そして、個々に特殊な能力を持つ。
(お前の力を借りずとも、贄を捕らえてみせる)強固な意思を胸にして、瞳を閉じた。
この者の特殊能力は、洗脳した相手を使役し、視界を共有できるというものだ。
洗脳できる相手はこの者より知能が低いものと限定されてしまうし、離れていては細かな命令が出来ない。だが逆に、知能さえ上回れば、どんな凶悪な魔物すらも使役できてしまう無双の鉾でもあった。
獣人を探すために、数匹の鳥を洗脳していたのだが、飛び立ったワイバーンに視界を切り替えた。
ワイバーンは隙を伺っているのか、馬車の上を旋回している。
「おいおい」
「どうした?」
「ん、ああ。贄が乗っている馬車を挟んで走行してやがる」
こっそり狙う手筈だったのだが、当てが外れたようだ。
「ん?後続の馬車は何してんだ?!」
「おい。呟いていないで、しっかり説明しろ」
独り言のように呟いてばかりいるアヒムに苛立ちを覚えて、捲し立てる。
「はいはい。ガキと男が2人、馬車の後ろに座って、でっけぇ火の玉を出したり、水の塊を出したりしてるんだよ」
「…………まさか!ワイバーンが気付かれたのか?!」
「それはねぇな。っつ、なっ、なんだぁ?今度はでっけぇ岩が爆発したぞっ━━ちっ、ワイバーンが突っ込んで行きやがった」
「はあ?どういう事だ!失敗したのか?」
「平気だろう。魔物が人を襲った。それだけだ」
目立たぬように細心の注意を払っていたのに。
悪びれもせずそう言い放つ仲間に激昂し、胸倉を掴み上げ問いただそうとしたが、
「おい、ちょっと待てっ!…………なんてこった……」
「だから、説明しろっ!」
「やられたんだよっ!」
仲間の手を払い、怒声を響かせる。
アヒムの徒ならぬ様子を目の当たりにして、払われた手が力なく落ちた。
そして、焦燥に満ちた声で囁いた。
「どうして……強化されたワイバーンだろう?攻撃力はないが、強靭さはドラゴン並みのはずだよな?」
「ああ……」
ワイバーンがやられて、共有していた視界も消えた。
ただわかるのは、やられる寸前までの光景だった。
「人族は化け物ばかりなのか?」
そう呟くアヒムに、詳細を語る様に促す。
「これからの作戦の事もあるし、細かく説明してくれ」
「初めに来た人族3人の攻撃は、ワイバーンを傷つける事はなかったんだが、ワイバーンの攻撃も当たらなかったんだよ……遅れてきた1人の人族に一方的にやられたんだ……あれは、ぜってぇ化け物だ。あいつさえ出てこなかったら、贄を攫う事も出来たかもしれねぇのにっ」
「……ワイバーンの攻撃を躱す人族も相当だが、倒した奴はそれ以上という事だな?!」
「ああ……なぁ、コルドゥラ。力押しでは無理そうだ。他の手立てを考えてくれ」
放心状態のアヒムに代わり、知恵を絞り始めるコルドゥラ。
確かに力押しでは無理だろう。
邪神が復活し、瘴気が満ちる時ならば、魔族は真の力を出せる。
だが、今はドラゴンを相手に戦えるかと問われると、否。
「人族は何人いたんだ?」
「ガキが2人と人族の男が4人。女が1人で計7人だな。んで、贄が3匹と」
「…………仲は良さそうか?」
「どういう経緯で一緒に行動してるのかは、わからねぇけど。仲は良いんじゃないか?ガキと笑いながら話してたし」
「………よしっ!後を追うぞ」
作戦と呼べるほどのものは思いつかなかったが、近付く必要はあった。
これはコルドゥラの特殊能力に関係するもの。
変化。
この能力を使うと、対象の人物の姿に変わり、能力もコピー出来る。
しかし、力の差が開きすぎた場合、変化そのものをすることが出来ないので、力量を見極める事が必要不可欠である。
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侯爵一行の馬車を追い続ける魔族。
一行が休憩をとる時に、情報収集を重ねるのだが、近づき過ぎると、気配を察知する者がいるため、難航している。
一定の距離を保ち、一行がバラバラになる時を待ち続けていた。
「隙がねぇな……」
「ああ。それに、ばらけて行動することがほぼないのも問題だ」
アヒムがワイバーンの目を通して知りえた情報は伝えてある。
オレンジ色の髪を持つ人族には、近づかない。
黒髪の若い人族は、気配に敏感ゆえ、近付き過ぎない。
他の人族は、姿さえ現さなければ警戒する必要はないとの事だった。
「化け物と同じ髪色をしているガキは、娘か?」
アヒムが一人の娘を指さし狡猾な笑みを浮かべる。
「確かに似ているな……何か思いついたのか?」
「ああ。あのガキだけが、単独行動している事が多いと思わねぇか?」
「ふむ。言われてみれば、もう1人のガキがくっ付いている事もあるが、単独行動してる時が多いな」
幾日も様子を探っていた2人の脳裏には、これまでの行動様式が思い出されていた。
基本、3度の食事の準備は、ルイーズがおこなっている。
その時々で、食材の調達や、水汲みに川まで足を延ばしたりと、短時間だが単独行動をしている。
それに比べて、他の者はどうだろう。
剣術の鍛錬をしたり、魔法を打ったり、それぞれが他の事をしているにも関わらず、ひと塊で居る事が多い。
「それで。何を思いついたんだ?」
「あのガキに変化しろ。油断を誘って、贄を呼び出して攫うんだよ」
「━━━━そういう事か。確かに、あのガキに変われば、容易に近づけるな。しかし、あのガキの前に立つ時はどうする?」
「……黒髪のガキか、贄の女……黒髪のガキは、常に魔物の雛と行動してるから、贄の方がいいか」
「よし。あのガキが単独行動をした時に決行するぞ」
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その時は思いの外、早く来た。
ルイーズが手に何かを包み込む様に持ち、森の中へ走って行ったのだ。
そして、時々振り返り、後を付けようとする者に声を掛ける。
「あぶないから、ぜったいにちかづかないでくださいね!とうさま、ぜったいですよ!」
近場とはいえ、森には死角が多く存在する。
それゆえに、侯爵は娘の身を案じて後を付けようとしたのだが、釘を刺されてしまい立ち止まるしかなかった。
再び、事故が起き、入れ替わってしまったら、侯爵の身は持たないだろう。
身体的には問題ないが、精神的に。
成す術もなく森を見守る侯爵の背には哀愁が漂っている。
【ぴぃぃ】
「ん?もう、ケンゾーもよ。いれかわったりしたら、こまるでしょう?!すぐにすむから、まっていてね」
従者であるケンゾーも、そっと後を付けたのだが、見つかってしまう。
リョウブに薬草の知識だけでなく、気配の消し方まで教えてもらったのだが、抱えているぴよたろうが、声を出してしまったのだ。
森から立ち去るのをルイーズが見ている。
ルイーズの後を追う事はもう出来ないだろう。
項垂れつつ森を後にするケンゾーの背を確認すると、ルイーズは再び森の奥へ踏み込んでいった。
ルイーズはしばらく森を歩き、距離を確認する。
「これくらいはなれたら、しっぱいしても、ひとに、がいはないでしょう」
ルイーズはそう呟くと、傍にあった手頃な切り株に、ペンダントをそっと乗せた。
一方、コルドゥラは一人きりになったルイーズを確認し、贄の一人に変化した。
「変化」
小さな声でそう呟くと、体が黒い霧に包まれる。
その霧が晴れると、そこにはカチヤが佇んでいた。
(この贄……力も身体能力も、魔力すら乏しい。戦いが目的ではないのが救いだな)
獣人も、十人十色。
剛力の者もいれば、俊足の者もいる。
魔法に特化している者もいれば、剣術の才能がある者もいる。
それは人族とて同じ事。
個性なのだ。
ルイーズは、ペンダントを見つめた後、何かを呟く。
そして、決心したかのように、腕をまくった。
━━ガサガサ
油断している。
そう感じたコルドゥラは、わかりやすく草を踏みしめ、物音をたてる。
気配を消したまま近づく方が不自然だからだ。
「っ!だれ?あ、カチヤさん……どうして、ここに?」
ルイーズは心臓が跳ね上がるほどに驚いたのか、胸を押さえてホッと息を漏らした。
バレていないと確信したコルドゥラは、おどけた笑みを浮かべて、言葉を発した。
「あれぇ?ここには誰もいないと思っていたのに~」
一瞬、ルイーズの表情が険しくなった。
(バレたのかっ?!言い方が拙かったのだろうか、それとも、表情?)
内心、冷や汗をかきつつも、表情を崩さないように平静さを保つコルドゥラ。
「…………?カチヤさん。ここはきけんですから、はなれていてくださいますか?」
ルイーズは不思議そうな顔を浮かべ、この場所は危険だからと注意を促す。
「どうしてぇ?」
そう問いかけてくるカチヤを前にして、ルイーズはある事に気が付いた。
(あ、カチヤさんにペンダントを直すって話をしていないわ)
切り株に乗せられたペンダントを手に持ち、ルイーズは説明を始めた。
「いまから、ペンダントをなおすのです。まんがいちのこともありますし、はなれていたほうがあんぜんかと、っつ!━━━━」
その様子を見たコルドゥラは、眠り薬が塗られている針を手にし、視線をペンダントに向けている隙を狙い、首に刺した。
力なく倒れてゆくルイーズを見て、コルドゥラは作戦の成功を感じ、笑いがこみ上げてきた。
「ふふふ、ハハハ。たわいもない」
「やったか?!」
物陰に隠れていたアヒムは、コルドゥラの笑い声を聞き姿を現した。
「ああ、このとおり」
意識を失っているルイーズを前に、手を広げ大袈裟に成果を自慢するコルドゥラ。
その様子に、アヒムは憤りを感じつつも、作戦続行を促す。
「このガキは目立たねぇように隠してくるから、お前は作戦通りに動いてくれ」
「お安い御用さ」
人を食ったような話し方をするコルドゥラに、
(調子に乗りすぎている)
と、不安を感じつつも、アヒムはルイーズを抱えた。
時を掛ければ、必ずボロが出る。
この作戦は、時間との勝負である。
「じゃあ、贄を攫ったら、この先にある遺跡まで来てくれっ」
鳥の目を使い、贄の行方を捜していた時に偶然見つけた遺跡があった。
鳥では入る事すら出来なかったが、隠れるにはうってつけの場所に感じ、落ち合う場所として指定したのだ。
「ああ、楽しみに待っていてくれ」
「気を引き締めて行けよ」
「もちろんさ」
「…………俺が、距離を取ったと感じたら、作戦続行だからな」
「承知っ!」
その言葉を聞き、アヒムはルイーズを抱え走った。
背に翼はあるが、アヒムは飛べない。
いや正確には、宙に浮くことは出来るのだが、飛んで移動する事が出来ないのだ。
ゆえに、走る。
万が一、化け物に存在がバレたら、命はない。
この恐怖心は、ワイバーンの目を通して見ていたアヒムだから感じるものなのだ。
草に足を取られそうでも、木が進路を妨害しようとも。
感覚を研ぎ澄ませて、走り続けた。
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「もう、良い頃合いか」
そう独り言を呟いたコルドゥラは、カチヤの時と同じように、黒い霧に包まれ、ルイーズに変化した。
━━したつもりだった。
「…………何故だ?!何故、変化出来ないっ?!…………まさかっ!!」
焦りを感じつつも、アヒムが走り去った森を見つめて、思考を巡らせる。
(あのガキに、変化できない。では、どうする?考えろっ!先ほどに贄にもう一度変化するか?!
いや、固まっているから、無理だろう……そもそも、あのガキだけが単独行動していたんだ。
他の者にはなれない。何故なれない?!…………………………化け物の娘も化け物…………なのか?)
絶望を感じ、その場にへたり込んでしまうコルドゥラ。
しかし、すぐさま立ち上がった。
遠くから、娘の名前を呼ぶ化け物の声が聞こえたからだ。
(ヤバイ、ヤバイ、ヤバイ、ヤバイ、ここにいては殺されるっ、逃げなければ、逃げるんだっ)
無我夢中で、走り出したコルドゥラ。
後ろを振り返る事もしない。
ただ、前だけを見て、仲間と落ち合う場所へと走った。
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走り続ける事、数十分。
コルドゥラは足を止めていた。
それは、このまま仲間と落ち合う場所へ向っても大丈夫なのだろうか不安が過ったからである。
(化け物の娘が気が付いたらどうする?)
このまま、アヒムに何も告げず、姿を隠した方が良いだろうか?とさえ思ってしまった。
下位とはいえ、それなりの地位にいるアヒムとコルドゥラ。
邪神復活に貢献すれば、幹部にもなれるだろう。
その全てを捨ててまで、逃げるという選択肢を入れたのは、己が変化出来ないという事実を目の当たりにしたからである。
ただの幼い娘に見えた。
しかし、その身に宿るのは、ドラゴンすらも屠るであろう化け物と同じ血。
それも視野に入れねばならなかったのだ。
(どうすれば………どうすればいいんだ………)
答えを出せぬまま、コルドゥラはただ一人森に佇むしかなかった。