其の四
「では、父上と宰相が『サクラ公国』の使者に会ってるんだな」
「左様でございます」
王城のとある私室で、秘めやかな会話が繰り広げられている。
ナディア・シェパード、王太子の侍女であり、影でもある。
第一王子が『王太子』となり、『帝王学』を学び始める時に、彼女はやってきた。
彼女は、王城で働く者の素性を調べ、王太子に報告するのが役目だ。
今回は偶々、執務から抜け出す陛下を見かけて、後をつけ聞き耳をたててきたのだった。
普段の陛下と宰相の会話なら、他愛もない話だったという報告だけで終わっただろう。
「それで。使者に会うことくらいで、報告すると言う事は、それ相応の意味があるのだな」
「意味があるかどうかは、まだ分かりかねますが……陛下が『ルイーズに関係する事かも』と宰相様に仰った事が気になりまして……」
「ルイーズ嬢に?……『サクラ公国』の使者と関係する事……確かに気になるな。確か、ルイーズ嬢の誕生日パーティーで如何なる人物か調べてきたな」
「はい。侯爵家の令嬢としての礼儀作法などは、これから身につけるでしょうし……人となりは、言葉を選び申し上げますと『天真爛漫』な方でした」
「言葉を選ばないで言うと、どうなんだ?」
「……少々、がさつ?!いえ、ルイーズ様は、格下である子爵家の私にも分け隔てなく優しく接して下さりましたし、私個人としては、いずれ王太子妃となっていただいて、殿下とルイーズ様のお世話をしたいと、望んでおります」
「…………そんなに、気に入ったのか?」
「はい」
「……」
淡々と報告するナディアとは裏腹に、王太子は苦虫を噛み潰したような顔をするのだった。
いずれ有力な貴族の令嬢と結婚せねばならぬ身だとしても、会ってもいない者を勧められるのは気分の良いものではなかった。
しかも、機械仕掛けの様に淡々と仕事をこなし、報告するだけであったナディアが主張したのだ。
暫し、部屋の中に静寂が続いた。
痺れを切らし、声を発したのは、ナディアだった。
「殿下。それで、使者の件はいかがいたしますか?」
「今はよい。いずれ父上に直接お聞きする。お前の行動は、ある程度、父上や宰相に黙認されているが、他国が関わる重要な案件に聞き耳をたてるのは、時期尚早だろう。私が、国政について学んだ後ならば、同席も許して下さるだろうし、聞き耳をたてたとて咎められる事もないだろうが……」
「承知いたしました」
互いに気にはなるものの、言葉を噤めず会話は終了した。
◇ ◇ ◇
使者の待つ部屋に入った陛下と宰相は、挨拶を交わした。
陛下と宰相の登場にカリンとリョウブは、小刻みに震えていた。
隠密部隊の新人でもあるリョウブは、こういった場に慣れずに緊張しているだけだが、カリンは先ほど聞いた門兵の話を思い出し震えていたのだった。
(剣の手合せしたいわ~♪)
「オホン。早速だが、要件を聞こうか」
カリンとリョウブが、何故震えているのか、理解に……否、高貴な身分である者との謁見で緊張しているだけだなと、自己完結した陛下が口を開く。
「は、は、はい。当主様より、文を預かって参りました。文の内容は存じませんので、先ずはお読みいただければと思います」
震えながらも言い切ったリョウブは、軽く達成感を感じ安堵する。
宰相の方をチラチラと見やりながらも、カリンは王国式の礼を取り、陛下へ文を渡した。
文に目を通していた陛下が「なにっ!!」と、大声をあげ立ち上がった。
「陛下?いかがいたしました」宰相にそう問われ、陛下は「いや、うむ」と言いながら座りなおし、使者へと目を向けた。
「邪神が復活したかも知れんと、書かれているが事実か?」
「上司と私共で森に調査に向かい、瘴気の濃さ、遺跡に足を踏み入れた者の痕跡等を当主様へ報告しましたところ、その文を渡すようにと使わされました。邪神復活に関する事は、私共は聞かされておりません」
リョウブが経緯を説明すると、カリンが補足する様に話し出した。
「当主様の文にそう記されているならば、その線が濃厚かと思います。私共が出発の際、当主様と上司が遺跡に向かう準備を整えておりました。その後、どうなったかは国に戻ってみませんと、わかりかねます」
これ以上、詳しい事情を知らない二人から、聞ける話もないと判断した陛下は、二人に労いの言葉をかけた。
「二人とも、大義であった。この件に関しては、宰相と話を進めて後日返答を出す。事と次第によれば、現地調査に向うやも知れぬ。その際、選出した者と共に公国へ戻ってくれまいか」
「承知いたしました。私共は『マティス・シバ男爵』家に滞在させていただくとこになっておりますので、準備が整いましたら、ご連絡ください」
そう言って部屋を後にするカリンとリョウブの姿が見えなくなると、宰相は口を開いた。
「陛下、詳しい話を聞かせていただいても宜しいでしょうか」
「代々王になる者と、魔法省のトップのみに伝えられる話だ───」
陛下は、数百年前に召喚された巫女の話を皮切りに、何故、サクラ公国の使者が邪神の話をするのか。
遺跡とはなんなのか。当主様とは、誰なのかを宰相に話した。
重い沈黙が続く。
「アベルよ、邪神復活の可能性は高いと思う。当主には、ルイーズ嬢の記憶については知らせてある。もちろん、名前は伏せてあるがな。それを踏まえ、当主が現地に赴いたというならば、時を稼ぐつもりかもしれん」
宰相は、まだ幼い娘に告げるべきか悩み、最悪の想定をすると、自らが足を運ぶのが最良と考え、重い口を開く。
「……陛下。邪神復活の件が真実だとしても、まだ国民には伏せておくべきかと。現地に赴き、現状を把握せねば、対策の立てようもございません」
「もちろん、国民に公表すれば、混乱を招く。現地に赴く者には、事実を知らせねばならぬのだが……信用に値する者はいるか?」
「私が行ってまいります。休暇と言う事で、処理しておいてください。私がいない分、執務には励んでくださいよ」
思い悩む陛下の気持ちを明るくするため、軽い口調で言い放つ宰相、そこには友に対しての友愛が込められていた。
「う、うむ。善処する……」
宰相の留守中に積み上げられる書類の山を想像すると、胃が痛くなる陛下であった。
◇ ◇ ◇
ハウンド侯爵家から帰宅したカツラは、カリンとリョウブを娘である『ユズリハ』に紹介し、共に夕食を囲んだ。
最近、娘婿である『マティス男爵』は、泊まり込みで魔法省で研究をしている。
週に1度帰ってくればいい方なのだ。
「はぁ~、久しぶりに味わう美味しいお酒に、美味しい料理……俺、幸せです」
リョウブとカリンは旅の間、安宿で食べる質素な料理と携帯食が多かったため、目の前の御馳走に舌鼓をうっていた。
「ほんとね~携帯食の干し肉と乾パンは、嫌いではないけれど飽きるのよね~安宿の味のないスープも旅の醍醐味って思えば我慢できる……でも、目の前の御馳走を食べて比べると……帰りたくない! もう、ここに住むのっ!!」
お酒も入り上機嫌なリョウブと、駄々をこねはじめるカリン。
元隠密部隊隊長であるカツラは、部下と共に飲んだ過去を思い出し、懐かしさに目を細める。
「ケンゾーも紹介できれば良かったのですが……」
ユズリハが、故郷からの客であるカリンとリョウブを紹介したかったと、残念そうに言った。
「ケンゾーくんは、ハウンド侯爵家に仕えてるんでしたっけ?」
「ええ、ご令嬢である『ルイーズ』様の従者として仕えて、もう2年になるかしら……たまに帰ってくるのだけれど、少し寂しいわ」
「今日、見てきたが仲も良さそうで安心した」
今日の出来事をカツラが説明すると、ユズリハは安心したようで笑みを浮かべた。
「ご令嬢に剣術を指南してるんですか?」
剣術を習う令嬢を想像できなくて、カリンが問うと、カツラが説明を始めた。
「ああ。今まで、侯爵様が教えていたらしいんだが、忙しくなり手が空かないからといって頼まれた」
「宰相様にですかぁ……うらやましい。で、剣術の腕はどうだったんですか?」
「…………洗練された剣技ではないが、虚を突く攻撃をして、ケンゾーを打ち負かしていたぞ。ハッハッハ」
「へえ。……成長したら手合せできますかねっ?」
リョウブはカリンを見つめ『本当に、この人は手合せの事しか頭にないのか』と、呆れ、溜息をついた。
◇ ◇ ◇
夕食も終わり、部隊の話は娘であるユズリハにも聞かせられない為、カツラの私室に移った3人。
カリンはヒイラギから託された文を、カツラに渡した。
「これが、隊長からの文です。読む間、席を外しましょうか?」
「いや、いい。目を通すから、しばらく待っててくれ」
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読み終えたカツラは思考を巡らせた。
(邪神の復活?……異世界の巫女召喚が11年後に?異世界の記憶を持つ少女が、ヨークシャー王国に居る?おババ様とヒイラギが、遺跡に向う……なんてこったっ!……少女を探せと言われても、手立てがない……いや、国の上層部は知っているに違いない。上層部……侯爵家に召し抱えられたケンゾーに探らせるか?それならば手間も少なく、不自然な動きすら子供らしさの中に紛れ込ませることができる。今から密偵を送り込むよりずっと早くて確実だろう。だが、事情が事情とはいえ、密偵だ。孫を危険に晒すことに変わりはない。失敗の可能性が少ないとはいえ、もし失敗すれば……いや待て、事情が事情だぞ? 世界の危機だというのに孫の心配などするべきなのか? たとえば敵国の情報を探るだけならケンゾーを使わずに、迂遠な手で探るのもやぶさかではないが、今回は違う。早く情報を知らなければ、ケンゾーやいつか生まれるであろうケンゾーの子孫だけでなく、いつか生まれる人類すべての未来が全て潰えてしまうかもしれないんだ。ケンゾーを使うしかないだろう。……だが、やはり苦しい。俺だって人間なのだ。視野が狭いと言われたって自分の孫を危険に晒したくない。使うしかないと言いながら公国から密偵を呼び寄せる目算を立てている自分がいる。どちらにせよ失敗すれば国の規模での問題になるとはいえ、意図的に密偵を潜り込ませるには偶然に恵まれたケンゾーよりはるかに手間も危険性もある。この大事の前に国同士で揉めている暇などないのに、それを是としようとしている自分がいる)
そう考えたところで、ふいにケンゾーの笑顔が思い出された。ルイーズとの手合せの際、爽やかな汗を散らすケンゾーの口元は決して高く吊り上っていたわけではなかったが、その微笑には輝かんばかりの幸福が湛えられていた。そうだ。カツラは思った。
(密偵など呼び寄せてはならない。もし失敗すればケンゾーはどう思う?!自分のせいで国が火の海に包まれて、それを喜ぶというのか。それならば失敗するにしても自身の最善を尽くしたいと思うんじゃないか。使うしかない。だがケンゾーとて子供だ。志は立派であろうとも、自身の肩に、自身と、同胞の命が懸っているとして、恐怖に駆られぬとも限らない。大人ですらその重責に耐えられず行方をくらませる輩がいるんだ。そうならねえ方がおかしいともいえる。だから、恐怖に駆られ、その恐怖を克服できなかったとしても、俺は孫を抱きしめてやろう。その結果として国を火の海にしようとも、俺だけはその選択を是としよう。そうだ。それでいいんだ)
前世の記憶を持つ少女捜索を、ケンゾーに委ねる決心をしたカツラは、ふとカリンとリョウブを見遣る。
旅の疲れが出たのか、スヤスヤと寝息を立てる2人にそっと毛布を掛けた。
公国に戻り、おババ様やヒイラギの安否を確かめたい。
少女捜索も手が抜けないが、何より部隊で長い時を共にした2人が気になるのだ。
懐かしい姿を脳裏に浮かべ、カツラは眠りにつくのだった。