其の弐
朝露に濡れた樹木の香りが立ち昇る清々しい朝。
冒険者の様な出で立ちに身を包み、ヒイラギに見送られる2人の姿があった。
『ヨークシャー王国』の王都までの距離は、馬車に揺られ、ひと月はかかる。
入隊し、初めて旅を経験するリョウブを気遣い、ヒイラギは声をかけた。
「リョウブ。道中何があるかわからん。何時如何なる時も、カリンと力を合わせ任務を全うせよ」
「ハッ」
普段、軽口ばかり叩いている者とは思えぬほどの、真剣な面差しと覇気を感じさせる返答を聞き、満足したヒイラギは、昨夜の内にしたためておいた文をカリンに手渡す。
「カリン。王都に着いたら、前任の隊長である『カツラ』さんを訪ね、その文を渡してくれ。カツラさんの娘である『ユズリハ』様は男爵家に嫁がれている。屋敷の所在は、貴族街の門番に聞けばわかるだろう」
「ハッ」
隠密部隊の前任の隊長『カツラ』は、妻を病で亡くした後、『冒険者』となった。
一度に任務に就くと、数日は家に帰れず、家族と過ごす時間も満足にとれない。
妻を亡くしたカツラ、母を亡くした娘、互いが悲しみに暮れ、心に空いた穴を埋めるべく共に過ごそうと考えたのだ。
10歳の娘と共に、冒険者として登録し、薬草収集、魔物退治にと勤しんだ。
流石というべきか、カツラの娘はどんどん頭角を現し、冒険者ランクを上げていった。
6年の歳月が過ぎる頃にはカツラ自身、国では初になる『SSランク』、娘は『Aランク』までになったのだ。
その頃に、護衛依頼で知り合った男爵家の息子と結婚し、娘は男爵家の故郷である『ヨークシャー王国』へ移住した。
カツラ自身は、新婚の娘に気を遣い、流浪の冒険者として過ごしていたのだが、孫である『ケンゾー』が生まれると、孫可愛さもあり、娘家族と一緒に暮らすようになったのだ。
元隠密部隊隊長の肩書を持つカツラ、ヒイラギが唯一無二に信頼できる上司でもあった。
昨日、おババ様に言われた言葉を思い出すヒイラギ。
『信頼できる者であれば、言って良いからの』……。
少女は『ヨークシャー王国』に住んでいる。
(カツラさんの協力を仰げば、少女を特定し、繋がりを持ち、より詳しく未来の事を聞く事が出来るかも知れない)
少女特定は、難航するだろうと考えたヒイラギだが、一縷の望みに賭けたのだ。
ヒイラギは2人を見送り、おババ様と森へ向かう準備を整える。
鬱蒼と茂る木々に邪魔をされ、徒歩で進むしかない森。
いざとなれば、おババ様を抱え、逃げ帰る事を想定し、軽装で赴くことにする。
準備が整うと、おババ様の住まう屋敷に向かった。
「おババ様、おはようございます」
「うむ。今日は、よろしくじゃ」
おババ様は、神事の折に用いられる衣装を身に纏い、神楽鈴を手にしていた。
全力で挑むと言った心構えが伺える、おババ様の真剣な面持ち。
ヒイラギは、そんなおババ様を見つめ、この身に代えてもおババ様をお守りすると、再度誓うのだった。
◇ ◇ ◇
更に瘴気が強まる森の中。
歩みを止める2人の姿があった。
「こりゃあ……かなり深刻じゃの……」
「以前、調査をした時よりも、瘴気の範囲が広がっている様子……おババ様、いかがいたしましょう」
「どうするもこうするもないじゃろうて。わしが瘴気を抑えつつ進むでの。後からついて来るのじゃ」
おババ様はそう言うと、神楽舞を舞い始めた。
おババ様が手にしている神楽鈴から、神気を纏った音色が響く。
神楽鈴から音色と共に放出されている神気は、異世界の巫女が仕えていた神の力と、この世界の光魔法が融合したものだと言われている。
周辺一帯が強い瘴気で澱み、薄暗く感じた森に清らかな空気が流れ始めると、遺跡へと続く道のようなものが出来た。
その道なりに進み始めるおババ様、その背を守るように進むヒイラギ。
生き物の気配すらない道中に、気味の悪さを感じるが、何事もなく遺跡へと到着するのだった。
「着いたようじゃが…………想像以上に酷い有様じゃの……」
黒く変色し、床や壁にへばり付いた何か……。
息をするのも躊躇われるほどの瘴気と臭気。
そして、人の身では到底抗えないと感じさせる化け物がいた。
外見はあどけなさが残る少年、しかし秘めた力は邪神のもの。
ヒイラギは腰の剣を抜き、戦闘態勢に入る。
それを制止するおババ様は、化け物に向かって言葉を発した。
「おぬし、何者じゃ」
「ぼく?何者なんだろうね~くふふふふ」
おババ様は、要領を得ない返事に戸惑いながらも、問答が出来る現状に安堵する。
邪神とは、命あるものを喰らい、瘴気を生み出すだけの存在として知られている。
そこに人の感情はない。
「ここで何があったのじゃ。して、おぬしは何故ここにいるのじゃ」
「ふふふ。ぼくはね~生贄にされたの。憎いなって思ったら力が湧いてきて、ぼくをこんな目に合わせたやつは……食べちゃった。まだ、たくさん食べるものがあるから、ここに残ってるだけだよ」
少年は食べるものと言いながら、天井を指さす。
そこには、闇に蠢く何かがいた。
「おババ様、何か見えますか?」
「ああ、闇に蠢く虫のようなものじゃ」
巫女の血筋ゆえなのか、おババ様は幼い頃より、闇に潜む何かを認識していた。
こちらから手を出さねば、何もしてこぬ存在と気にも留めていなかった。
「それを食べ終えると、外に出ていくつもりかのぉ?」
「う~ん、どうしようかな~お腹が空いたら出ていくかも……でもねぇ、外に出ても、醜い心の人ばかりでしょ……だって、ぼくを助けてくれる人なんかいなかったし。醜い心はおいしくないから、もう食べたくない……あっ、おばあさんみたいな綺麗な心なら食べてみたいかも!」
────そう言葉を放った少年がおババ様に詰め寄ったのは、ほんの一瞬だった。
ヒイラギは咄嗟に前に出て、おババ様を背に守り、剣を構える。
だが、少年の様子がおかしい事に気付く。
「うるさい、うるさい、うるさい、うるさいっ!ぼくに指図するなああああああああああ!!」
頭を掻き毟り、絶叫する少年。
途端に膨れ上がる瘴気。
事の次第を見守るヒイラギだが、手に握った剣は何時でも少年の急所を突けるように構えてあるのは、隠密部隊隊長ゆえだろう。
(こりゃあ、まずいの……人格を失うのも時間の問題か……)
そう考えたおババ様は、ヒイラギの背を横に押しのけ、一歩前に出て、言の葉を紡ぎ始めた。
────♪────♪
リン♪──神楽鈴が鳴ると、膨れ上がった瘴気が払い除けられ、少年を含む3人の周りに清浄な空間がうまれる。
おババ様は、正常な空間に包まれた少年の顔から安堵が生まれたのを見た。
あどけなさが残る少年を救いたいと願った。
まだ救えると思った。
少年はどのような過酷な運命を歩んできたのか。
このような現状に至るまで、少年に手を差し伸べる者はいなかったのか。
贄にされたと言った。
結果、邪神の力を内に秘めたことは間違いないだろう。
されど、少年は邪神に身も心も委ねる事を抗おうとしているではないか……。
(わしの力では、この少年を救うことは出来んじゃろうのぉ……少年が完全に邪神に呑まれるまでの時間稼ぎが出来ればよいか。わしの体を依り代にしたとして、何年稼げるかのぉ……後は頼みましたぞ『異世界の巫女様』、転生者の少女よ)
「少年よ、このおババと暫し眠りにつかんかの?」
「おババ様っ!──」
おババ様の発言に賛同しかねるヒイラギが声を荒げるが、おババ様に制止させられた。
「静かにしておれ!で、どうじゃ?少年よ」
「ん?……この気持ちのいい空間で?……ここは、頭の中のうるさいやつが大人しくなるから、少しなら眠ってもいいよ。……でも、一人は嫌だよ……おばあさんも一緒ならいいよ♪」
「もちろん、わしも一緒じゃ」
おババ様の提案を了承する少年だが、ニヤリと笑いこう続けて言った。
「お腹が空いたら、起きるからね。おばあさんは食べちゃっていいんだよね?くふふ」
「貴様ーーーーっ!───」
憤怒に駆られたヒイラギは、剣を振り上げるが、またしてもおババ様に制止させられる。
しかし、ヒイラギもここで折れてはおババ様の身に危険が生じると考え、おババ様を説得しようと試みた。
「おババ様──」
おババ様はヒイラギの言葉を遮り、向き合い、幼子を諭すように言った。
「ヒイラギよ。現状では、これが最善の策よ。わしは、眠りにはつくが死ぬと決まった訳ではない。わしの身を案じるなら……おぬしに出来る最善を尽くせ。……そうじゃのぉ……願わくば、わしの身が亡びる前に助け出せ、よいな?」
現状、策がないのはヒイラギも認識している。
おババ様の策に縋るしかない。頭では理解していようが、心が拒むのだ。
行き場のない怒りを踏み留める為、握りしめた拳から血が滴る。
その様子を見たおババ様は心を痛め涙が溢れそうになるが、心を静め、ヒイラギに最後の命を下す。
「隠密部隊隊長ヒイラギよ、命を下す。遺跡内で、わしとこやつが眠りについている間、異世界の巫女及び、転生者の少女、その関係者以外の立ち入りを禁止とし、封鎖せよ。この遺跡を守り抜け。よいな!」
「ハッ!」
ヒイラギは頬を伝う涙を拭う事もせず、おババ様を見つめ返答をする。
それを聞き満足したおババ様は、遺跡の外を指さし「即刻、退却せよ!」と、続けて命を下す。
戸惑い、踏み止まりたい気持ちに苛まれたヒイラギだが、短く返答した後、遺跡の外へと向かうのだった。
「さて、少年よ。おババと眠ろうか」
「うん」
◇ ◇ ◇
ヒイラギが遺跡の外に辿り着くと、眩い光が遺跡を包み込む。
(おババ様……)
その光は、闇を巣食うものを拒み、安らぎを齎せる、おババ様のように優しく温かい。
地に蹲るヒイラギは、咆哮をあげ、泣いた。
「ウォオオオオオオオオオオオオオオ!!」
◇ ◇ ◇
ヨークシャー王国へと続く街道。
馬車がぬかるみにはまり、引き上げ作業をしていたカリンとリョウブ。
妙な胸騒ぎを覚えたのか、森の方へと視線を移す。
「おババ様とヒイラギ隊長は、無事ですかね……」
「…………」
2人は隊長の強さを身をもって知っている。
だが、そう言葉に出し、確認せざる得ないほど胸騒ぎが止まらないのだ。
引き返し森に向かいたい衝動に駆られながらも、任務を全うするため、再び馬車に乗り込み、ヨークシャー王国へと向かうのだった。