謁見
帝城アヴァロン。
二重の堀に囲まれ分厚い壁と高い塔に囲まれた威圧するかのような巨大な城。
かつて初代皇帝がキャメロットに築いた難攻不落の城塞であり無数の国に分かれていたアルビオンを統一に導いた拠点。
最深部は古の帝国の要塞だとか神代の時代、神が舞い降りたという神話が語り継がれるくらい古い場所だ。
「デカいわね」
昨日の夕方に出来たばかりの礼服を着込んだレナが馬車を降りるなり呟いた。
スナイダー商店は三〇〇年間何度も行ってきた仕事と経験を生かし、レナ用の礼服を見事作り上げた。出来栄えは完璧でアクシデントさえなければそのまま謁見に十分耐える服装だ。
「迷子になるから絶対に離れないでね」
迎えの馬車から玄関に降りたカイルは、浮かれているレナに言い聞かせた。
「急かさないでよ」
「レナが寝坊しなければ怒鳴らずに済ませているよ」
カイルは珍しく感情を抑えずに怒りをレナにぶつけながら言う。
昨日は前祝いとばかりに飲んだ上、久方ぶりの陸のベットでぐっすり眠れたので起床時刻を大幅に過ぎてしまっていた。
迎えの馬車が到着してカイルは慌ててレナを叩き起こし、馬車に詰め込んで帝城の玄関に到着した。
「そんな子供じゃあるまいし。あ、あの甲冑、凄い年代物」
「だから待てって言っているだろう!」
勝手に歩き出したレナを追いかけて大声でカイルは叱った。
周辺の近衛兵や侍従達が眉をひそめる。周りにひたすら頭を下げてからレナに振り向いて釘を刺す。
「ここは迷宮だよ。一度はぐれたら二度と会えないかもしれない」
「まさか」
「冗談で言っているんじゃないからね」
カイルは真面目に言った。
帝国の中枢であるため、アルビオン統一後、さらに海外に進出し大きくなった権力を制御するために無数の政府機関を収容している。
そのため場内は増築に次ぐ増築が行われ、迷宮と化している。
初めて入る者は迷子になる事、必至。最悪、遭難死もあり得る。
これは決して冗談では無く、アヴァロンが住居となっている使用人のみならず帝室からでさえ行方不明者のリストに名前を連ねている。
一部には帝室に相応しくない者を間引くための仕掛けが施されているからとまことしやかに嘯く者もいた。
「そんな場所だから注意してね。さあ、行くよ」
そう言ってカイルは、レナの手を握って歩き出した。
「ちょ、待ってよ」
いきなりカイルが右手を握ってきたことにレナは驚いた。振りほどこうとしたが、カイルが強く握り引っ張っていくために出来ない。
レナの拒絶を無視してカイルは付き添いのクリフォード海尉達に言う。
「クリフォード海尉、他の三人と共に控え室で待っていて下さい。私は海軍侍従武官と共に謁見の間に向かいます」
「気を付けてね」
気軽にクリフォードが言うと、彼女はマイルズとステファン、そして飼い主から引き離されようとする犬のような瞳でカイルを見つめるウィルマを連れて行こうとした。
「あとで合流するから大人しく待っていて」
何時までも動こうとしないウィルマにカイルが言うと、小さく頷き視線をカイルに向けたままウィルマはクリフォード海尉に連れられて控え室に向かった。
一方、カイルは侍従武官と共に、時には追い抜くような勢いで謁見の間に向かって行った。
「あなたやけに早く進むけど、大丈夫なの?」
「まあ、昔何度も歩いたからね」
「やっぱり公爵公子となると帝城を歩く事も多いのね」
「そういうものじゃないよ」
カイルは溜息を吐きながらも走らんばかりの勢いで歩いて行き、直ぐに目的地に到着した。
「何とか間に合った」
「アルビオン帝国海軍士官候補生カイル・クロフォード様及びレナ・タウンゼント様、ご入場」
カイルが安堵していると白い直毛の先がカールしたカツラを被った儀典長が号令を発して扉を開けた。
その先は謁見の間だ。カイルは慌ててレナを直立不動にさせて見てくれを良くした。
ざっくばらんで剣術にステータスを全振りしているような彼女だが、見てくれは良く黙っていれば深窓の令嬢、燃えるような赤い髪と瞳の情熱的な美女に見えなくも無い。
質素な候補生用とはいえ煌びやかな海軍礼装はやはり美人のレナが着ると格好が良い。
口を開かなければ。
「ゆっくりと前に出て」
「解っているわよ」
苛立った声を出してその魅力が半減したことを確認して、カイルは絶対に喋らせないようにすると誓いを新たに、謁見の間に進んだ。
左右には帝国の文武百官が勢揃いし、壇上には公爵などの高級貴族と皇帝一家が待機している。
いうまでもなく帝国中枢の全員から見られておりカイルは緊張しつつ前に進んだ。
そして、同時に自分の耳に、笹のように尖った特徴的なエルフ耳に汚物を見るような視線が集まることを意識する。
大昔の種族間戦争でエルフと激しく戦ったのは人間だった。
ただ戦争以前はエルフとの交流が盛んだったために、王家の中にさえ血縁関係があった。そのため時折、人間の中にエルフが産まれてくることがある。
エルフを災厄の元凶と考える世の中のため、産まれてきた子がエルフだと知ると外聞を憚り死産と言うことにして処分することもある。
そういった意味ではカイルは産まれることが出来ただけ幸運と言えた。だが、このような場で自分がエルフという一点だけで嫌われている。何もしていないのに、毛嫌いされる存在であることを再認識するのは精神衛生上良くない。
どうしてここに立たなくてはならないのか。
「どうしたの?」
黙り込んだカイルにレナが声を掛けた。
「いや、何でも無い」
悪い方向へ思考が回り始めたカイルをレナが引き留めた。
本人は意識していないだろうが、カイルとしては本当に助かった。
「ありがとう」
「?」
小さな声でカイルはレナに呟いたが本人には聞こえなかったようだ。
「何か言った?」
カイルの小声が聞こえなくてレナが顔を覗き込んできた。
「ば、馬鹿、止めろ」
慌ててカイルはレナの姿勢を正す。
当直中ならともかく、いや、当直中でも良くないが、今は陛下への謁見の場にいる。
帝国中枢の要人達のみならず陛下の御前で相手の顔を覗き込むなど、不敬に問われかねない。
(いいから黙って前に進んで)
「え?」
いきなりカイルの声が耳元で聞こえてレナは戸惑った。
(妖精魔法でレナの耳元の空気を振動させて声を届けているんだ)
簡単に言うとレナの周りの空気を振動させてスピーカー代わりにしているのだ。
(口の中だけで声を出して拾えるから)
(こう?)
(そうそう)
今度は逆にレナの口の中の空気の動きを察知して言葉を聞き取ることが出来る。
(あなたこういう魔法も使えたの?)
(滅多に使わないけどね)
エルフは妖精魔法の使い手であり、自然の中にいる妖精を操ることに長けている。
(けど、何か地味ね)
(しょうがないだろう。教えてくれる人がいないんだから)
エルフの妖精魔法は親子間で自然と身につくと言われている。人間の両親の間に産まれたカイルが妖精魔法を教わる機会は全くなく、全て独学で学ぶしかなかった。
何の手本もないため、試行錯誤を繰り返してようやく風や水の流れを見れられるようになり、少しだけ空気を動かして震動させることが出来た。
カイル自身にとっては大きな成果だが、伝承などで嵐を起こしたり、大地を割ったり、マグマを吹き出させるエルフの話しを聞いているレナにとっては物足りない魔法だった。
(少なくともお互いの間は話すことが出来るから)
(うん)
そう言って二人は、皇帝の前に向かって歩みを再開した。