突撃命令
「取舵一杯用意!」
カイルの進言を受けてサクリング艦長は命じた。
「艦隊に信号! 突撃命令! 各自手近な敵艦に接近し捕獲せよ!」
「あ、アイアイ・サー!」
突然の命令にビーティー海尉は一瞬驚いたが直ぐに命令を実行し信号旗を変える。
後続の艦も驚いて一瞬砲撃を止めるが、直ぐに変化がやって来た。
風が変わりはじめた。
それまで左舷側から吹いていた風が右前方に移り裏帆を打とうとしていた。
「取舵一杯! 敵艦隊へ突入せよ! 艦隊には継続して突撃命令!」
その瞬間、サクリング艦長は咆えた。
「アイアイ・サー」
準備を整えていたカイルはすぐさま答えて操舵手に転舵を命令。操帆手たちも帆を微調整して下手回しで敵艦隊に向かって行く。
後続の艦は一瞬戸惑ったが、旗艦の変針と信号旗が変わったことで直ぐに命令に従って敵艦隊への突入を開始した。海戦前の会議でも敵艦隊撃滅を厳命し、追撃命令が出たら各自手近な敵に襲いかかるよう命じており、各艦に躊躇いは無かった。
先ほどの演説も功を奏し、各艦の艦長は短時間で追撃に入った。
後手に回ったのはガリア艦隊だった。
突然の風の変転に対応できずガリア艦隊は一瞬止まった。
ようやく混乱を脱して戦列を再構築しようとした時にアルビオン艦隊の突撃を受けた。
「敵艦隊、砲撃してきます」
「無視しろ! 敵旗艦の頭を抑える!」
レナウンは帆走性能を最大限に生かし北東の風を受けてソレイユ・ロワイヤルの頭を抑えるべく動いた。
艦尾からの砲撃を行いたいが敵艦隊の針路を抑えるのが先だ。
「敵艦隊が迎撃に出ます」
旗艦を援護するべく後続艦が砲撃してきたが、遠距離の上二番艦一隻のみだったため大した妨害にはならなかった。
艦載砲の有効射程は一五〇〇メートルほど。戦列を構成するとき艦と艦の間は約五〇〇メートル。しかも艦砲の射界はほぼ真横に制限される。
そのため一艦が攻撃されても援護できるのは前後の艦のみ。何十隻もの戦列を構成しても前後の艦しか助け合うことは出来ない。それがこの時代の海戦の現実だった。
お陰で大した妨害も受けずレナウンはソレイユ・ロワイヤルへの攻撃を行えた。
状況不利を悟ったのかコンフラン中将は艦隊に撤退命令を出して離脱しようとした。
それが艦隊の混乱へ拍車をかけた。なにより離脱するために転舵してレナウンに背を向けたのが不味かった。
「艦尾を狙え! 両舷砲撃用意!」
「アイアイ・サー!」
好機を逃すサクリング艦長では無かった。風上側から接近すると転舵して、右舷側を敵艦に向けた。
「右舷から撃つ! 目標を捕らえ次第、撃て!」
レナウンの右舷砲門が一斉に火を噴きソレイユ・ロワイヤルの艦尾を捕らえた。砲弾は戦列艦の脆弱な艦尾から侵入し、乗員を蹴散らした。
「面舵! 左舷撃ち方の用意を」
だがカイルは追撃の手を止めない。すぐさま艦を反転させて逆側の大砲をソレイユ・ロワイヤルへ向ける。
「左砲戦用意!」
サクリング艦長もそれに応えて砲撃用意を命じる。
「撃て!」
再び砲火が放たれ、ソレイユ・ロワイヤルを直撃する。後甲板にいたコンフラン中将以下、幕僚多数が戦死。艦隊の指揮系統は壊滅した。
信号旗を上げるマストも破壊されて通信不能となりガリア艦隊に混乱が広がった。
「乗り込みますか?」
敵旗艦の惨状を見たレナが尋ねる。既に斬り込み隊を編成して準備をしていた。
「いや、待て!」
だがサクリングは斬り込みを止めた。
望遠鏡を取り出すと、続いて突撃した艦隊各艦の状況を確認する。
どの艦も追撃命令に従い手近なガリア艦隊を攻撃していた。
レナウンのように敵艦の艦尾へ側面を向けて砲撃し打撃を与える。大損害を与えると止まること無く接舷して斬り込んで行く。
被弾によるダメージのため、ガリア側は斬り込みでも劣勢でありアルビオンが押していた。
だが七番艦に指名したディフェンスの動きが鈍い。
先ほどの要塞攻略で指揮官をしていた艦長が戦死したため副長が代行指揮を執っていたが、指揮系統の掌握が出来ていないようで攻めあぐねている。
「転舵! 七番艦の援護に向かう」
「アイアイ・サー!」
カイルは直ぐに取舵一杯にして七番艦に向かって舵を切る。途中、敵一番艦と二番艦の間を抜けたが、先ほどの砲撃による損害のためか反撃してこなかった。
レナウンはガリア艦隊を中心に反時計回りに航行して七番艦に向かって急行する。
何とか逃れて反撃しようとするガリアの七番艦は他の艦より前に出てしまっていた。
そこへレナウンが右前方より突撃してきた。
「左砲撃用意! 前方へ向かってカロネード砲旋回」
砲架を可能な限り前に向かって旋回させ、狙いを付けさせる。
「撃て!」
射程は短いが、その分接近するので命中率は高く、次々と敵艦に砲弾が命中していった。砲撃は前方に集中しフォアマストに損傷を与えた。
風を受ける帆が操れず速力が落ちた。そこへレナウンが前方から接近する。
「撃て!」
今度は通常砲も含めての一斉射撃を敵七番艦に浴びせる。
これが止めとなり、敵七番艦の艦首帆装具は全滅した。速力が落ちたところへディフェンスがやって来て砲撃を浴びせて沈黙させたところで漸く斬り込みを始めた。
その様子を見て安心したサクリング艦長は尋ねる。
「敵残存艦艇はどうだ?」
ガリア艦隊は一六隻の戦列艦で攻撃してきている。アルビオンはレナウンを含めて九隻。アルビオン艦一隻がガリア艦一隻に襲いかかっている。そのためガリア側はソレイユ・ロワイヤルを含む九隻が戦闘不能あるいは交戦中だ。
そしてガリア艦隊の後ろ半分、残り七隻がいる。
増援として入って来たらアルビオンは劣勢に立たされる。
だが、彼らはまだ来ていない。
風が北東へ変わったため風下となり、前半分の味方を援護できなかった。
それでも救援しようとタッキングを繰り返して向かって来ている。
「迎撃する!」
すぐさまサクリング艦長は決断した。
レナウンを増援に向かってくる敵艦隊の進路上に進出させ針路を妨害する。
何とか北北東へ向かい最大限に切り上がっていた戦列艦の前に出て行く。
レナウンの動きに苛立ったガリア戦列艦が上手回しを行い撃破しようとした。
だが、その動きを読んでいたレナウンは敵艦の目前で下手回し面舵一杯で射界から逃れる。それどころか戦列艦の艦首を掠める寸前に砲撃を浴びせて帆装を破壊した。
戦列艦の被害は大した事は無かったが、帆装を破壊され切り上がり性能が落ちてしまい徐々に風下へ流されていった。
その様子を確認するとサクリング艦長は再び切り上がるように命じ、他のガリア艦が味方に接近するのを防いだ。
「艦長! ガリア艦が次々と降伏して行きます」
ガリア艦を防いでいる時、味方艦の動きを見ていたビーティー海尉が報告した。
突撃を敢行し接舷していた味方が次々とガリア艦を制圧し捕獲していった。艦尾のガリア国旗を引きずり落としアルビオン国旗を掲げて捕獲を示す。
一部炎上を始めた艦もあり、ガリアの劣勢は明らかだった。
それを見た残り六隻は戦意を喪失して味方船団に合流するべく離脱していった。
「残存敵艦隊、撤退して行きます。大勝利です!」
ビーティー海尉が叫ぶと艦上で歓声が沸き起こった。
フリゲート一隻を加えた戦列艦八隻の合計九隻で戦列艦一六隻の敵艦隊と対戦。
圧倒的劣勢の状況下、十隻を撃破し、そのうち多数を捕獲という大戦果。
大勝利と言って良かった。
「大勝利とは言い過ぎだな。敵艦隊を全滅させていない」
だがサクリング艦長は不満だった。半分程度の戦力しか無いのに敵を全て撃滅するつもりだったようだ。
「追撃用意。残敵を掃討する」
しかも戦意は未だ衰えず。更に攻撃を加えて全滅させようとしていた。
「待って下さい!」
そこへカイルが進言した。
「風が強くなり、雲も出始めています。間もなく嵐がやって来るでしょう。追撃中に嵐に巻き込まれるのは危険です」
風が変わったのは嵐、ハリケーンが接近してきたためだろう。その風が強くなっているのは嵐が近づいている証拠。
戦闘で損傷した艦に嵐は危険すぎる。損傷が酷く嵐に耐えきれない恐れがある。
「ここは捕獲した艦を引き連れてピク・マルティへ帰還するべきです」
サクリングは一瞬カイルを睨むが直ぐに自分の非を認めて答えた。
「わかった。追撃は取り消し、回航用意。残った残敵を掃討しつつ、ピク・マルティへ向かう。フリゲートには監視を命令せよ」
「アイアイ・サー」
こうしてピク・マルティ沖海戦はアルビオンの大勝利に終わった。
海戦前、アルビオンは戦列艦八隻、フリゲート九隻。ガリアは戦列艦一六隻、フリゲート八隻。
アルビオンの圧倒的劣勢の状況下、風向きを有効に使い終始優勢を保ち、風の変転も利用してガリア戦列艦八隻を捕獲、二隻を炎上させた。
最初の作戦に従って要塞砲へ誘導していたら風の変転に対応できず、大損害を受けていたかも知れない。敵艦隊へ流された挙げ句、敵の圧倒的戦力差で擂り潰された恐れもある。
だが、風の変転を逆に利用して突撃し混乱を突いたサクリング艦長の見事な指揮だった。
それでもサクリング艦長は嵐の接近を受けて戦闘継続を中止、撤退を命じた。戦闘で損傷しこれ以上の戦闘が無理だとの判断もあり妥当だった。
海戦初期に大破して漂流中だったソレイユ・ロワイヤルと、レナウンが最後に撃破した艦を制圧すると、新大陸方面艦隊はピク・マルティへ帰投していった。
ガリア側も圧倒的劣勢に陥ったために撤退を選択。残存艦艇の最先任が要塞を攻略中だった上陸部隊に撤収を命令。上陸部隊は大慌てで重装備を捨て物資を投棄し、人員のみボートに乗って逃げていった。




