スナイダー商店
「直ぐに準備して!」
リドリー提督を送り出してからカイルは直ぐにレナに向かって言い放った。
「そんなに慌てることなの?」
「皇帝陛下からの命令は絶対だよ」
「会う許可をくれただけでしょう」
「正式文書で陛下が尋ねてくることは、命令と同義なんだよ!」
そう言ってカイルはレナを士官室にある彼女の部屋に追い立て彼女の衣装箱を開けようとする。
「止めなさいよ」
カイルが蓋に手を置いた瞬間、レナが手を押さえた。
「勝手に開けて見ないでよ」
「確認するだけだよ」
「士官服で良いでしょう」
「儀典には礼服が必要なんだよ。それを確かめるためだ。入っているんでしょう」
士官服は何種類か有る。
階級毎に許される装飾や必要な記章がある。また夏服と冬服の区別もある。
そして場によって着るべき服は異なる。
甲板上で任務、当直を行っているときに着る通常の士官服と特別な儀式、閲兵や任官式などに参列するときに着る礼服が明確な違いの例だろう。
礼服は、文字通り礼儀が重要な場面、儀式の場面で着る服であり、もっとも豪華で装飾の多く華やかな服だ。
しかし通常の当直中に着るには派手すぎる。
装飾が邪魔で動きにくいし、潮風で痛みやすい。そのため特別なことが無い限り着ることはない。
「だからって開けないでよ。私の下着とか見たいだけでしょう」
そう言ってレナは顔を真っ赤にしながら答えた。
「止めなさい二人とも」
二人のやりとりをレナと同室のクリフォード海尉が止めた。
「カイル。私が確かめておくから、あなたは部屋から出て行きなさい」
「……済みません」
動揺して慌ててカイルが駆け込んだが、確認の為とはいえ女性の部屋に入って衣装箱を開けるなど下着泥棒と間違われても仕方ない。
冷静さを取り戻したカイルは部屋から出て少し待った。
そして、出てきたクリフォード海尉に尋ねた。
「どうでした?」
「ダメね。全部カビていてとても着ることが出来ない」
礼服は重要な儀式で必要だが、通常任務ではまず起きることはない。
上陸日より稀少だろう。
そのため衣服箱の奥底に置き去りにされてカビてしまう事など、よくあることだ。
特に当直などで時間を奪われやすい上、従者のいない候補生によく多い。
長期の遠征帰りなら尚更だ。
「洗濯も時間が掛かりそうね」
「……仕方ないですね。帝都に行ったとき仕立てるしかありませんね」
カイルはこの後の苦労を思い浮かべて溜息を吐いた。
「じゃあ、明日朝一で出発ね」
「……何を言っているんだ」
暢気に言うレナにカイルは据わった目で言いつけた。
「仕立ての時間がかかるから今晩中に出発して朝一番で帝都のスナイダー商店に入らないと明後日の謁見に間に合わない。今すぐ出発するよ」
「一寸、急すぎない? そもそも上陸許可が下りるの」
「今すぐ艦長に言って貰ってくるよ。事情を話せば直ぐにくれる」
カイルの言ったとおり、艦長に面会すると直ぐに許可を出してくれた。
何しろ皇帝陛下への謁見では仕方ない。許可を出さなかったら不敬罪を適用されかねないくらいだ。
それ以前にサクリング艦長は聡明で、理解のある上官なので直ぐに出してくれた。
許可が出るとカイルはレナと少人数の付き添いを連れてボートに乗り込み上陸。駅に行き貸し切り馬車を雇って帝都に向かって夜通し走らせた。
途中、夜盗に出会ったが剣術の心得のあるカイル、勇敢さでは比肩することのないレナと付き添いながらも優秀な若手士官と目されるクリフォード海尉、歴戦の下士官のマイルズ、熟練水兵のステファン、そして最年少水兵ながらも戦闘で成果を上げているウィルマ。
この六人の乗った馬車を襲ったのが運の尽き。
返り討ちに遭い、わずか一分で夜盗十人は全て捕縛された。
「時間が無いのに」
地元の治安判事に引き渡す時間が惜しくてカイルは悪態を吐いてしまったが、その後馬車は順調に移動して明け方には帝都キャメロットに到着した。
キャメロットはアルビオン帝国の首都として栄え、一〇〇万人を越える人口を誇る。
二つの大河に挟まれ、縦横無尽に道路と運河が走る、エウロパ大陸でも有数の都市だ。
帝国一番の都市であり、一〇〇万の住人を支えるための商売人や職人も数多く住んでいる。
特に皇帝と仕える貴族の為に、帝国でも優秀な職人が集まっている。
カイル達が朝一番に駆け込んだスナイダー商店もその一つで、帝室御用達の一流仕立屋だ。
三〇〇年以上の歴史と伝統を誇る店で皇帝陛下の即位服を作った事も一回や二回では無い。
海軍服も例外ではなく歴代の提督もこのスナイダー商店で仕立てており、海軍軍人ならいつかはここで提督用の礼服を仕立てたいと望む店だ。
「済みません。彼女に合う海軍礼服を明日朝までに仕立てて下さい!」
開口一番にカイルが叫んだが、出てきた店主は慌てることなく一礼して答えた。
「毎度ありがとうございます、クロフォード様。かしこまりました、夕方までに済ませられるでしょう」
スナイダー商店が利用される最大の理由が無茶振りを受け入れる度量からだ。
貴族は優雅な日々を送っているように見えるが、見栄と意地の張り合いが多い。特にパーティーや晩餐会などで発揮される事が多く、突然出席することとなり、礼服やドレスがないという事態が多々ある。
夜会の出席者のリストを見て衣装が被っている事が判り、重複を避けられる服が無いという馬鹿げた事もある。
そんな時このスナイダー商店に行けば、朝頼んで夕方に出来上がり、そのまま夜会に出席するという荒技も可能だ。
そんな貴族を何人も幾度も救ってきたために、スナイダー商店は栄えていた。
「ではこちらへ」
そう言って店主はレナを計測室へ連れて行き、女性店員に採寸させた。
「ねえ、カイル。あなたはいつもここで仕立てているの?」
カーテン越しにレナが尋ねてきた。
「帝都にいたとき、父に連れられて服を仕立てたよ」
「そういえば公爵だったわね。あなたの家」
レナの家も貴族の称号を得ているが、称号だけであり上流階級と結びつくような家柄ではない。
父親が陸軍の将軍をしているが、元が元だけに知り合いや人脈は少ない。
このような高級店に入る事など無い。
「でもお金無いわよ」
「捕獲賞金があるだろう」
海賊退治の時に捕獲した海賊船や救助した商船からの報奨金などが階級毎に分配される。
フリゲート艦として最前線で活動し何隻も捕獲したり救助しているため、ブレイクの賞金額は多い。
「でも手元にないわよ」
ただし、賞金が支給されるのは戦果が認められる必要がある。そして役所の仕事は遅い、特に支出に関する仕事は遅い。そのため支給されるのは数ヶ月から一年以上も先の話であり、彼らにはまだ支払われていない。
「ツケが効くからね。何とかするよ」
「でも」
「他に明日朝までに仕立てられる店を知っているの?」
「……お願いするわ」
最後の一言でレナはようやく諦めたが一つ疑問が生じた。
「そういえば、カイルってどうしてこんなお店に入ったの?」
いくら公爵の息子といえど、こんな高級店を利用する必要があるとは思えない。
確かに高級品を身につけ目利きを良くする必要はあるだろうが、まだ一一才の少年、海軍入隊前は十歳未満のハズだ。
なのにどうして利用する必要があるのだろうか。
「色々あるんだよ」
疲れた声でカイルはそう言うだけだった。
「公爵家だと色々あるんだよ」
「公爵家と言えば帝都にあなたの家があるわよね」
通常貴族は帝都に家を持つことが多い。謁見や社交、貴族の義務を果たすために帝都に滞在する。
大貴族だるクロフォード公爵家も帝都に屋敷を持っている。
「そこに泊まるの?」
「いや、士官クラブに泊めさせて貰う」
士官クラブは士官達が会費を払い運用している会員制の互助組織だ。
各停泊地や帝都に建物を保有しており、レストランやバー、宿泊施設を有している。出張などで艦を離れるとき、よく利用する。
カイル達も会費を給料から天引きされており利用できる。
「どうして? 家の方が楽でしょう」
地方出身で家が無い士官とかはよく利用するが、帝都に家や屋敷が有る者は自宅を使う事が多い。
「いや、今行ったら酷い目にあいそうだ」
「え?」
「それ以上に、明日レナがキチンと帝城に行けるかどうか心配だから泊まることが出来ないよ」
そう言ってカイルはレナを睨み付け黙らせた。