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衛生環境改善

 新大陸方面艦隊に配属されたレナウン。

 本国より到着すると艦隊に疫病が発生し半数が死亡という事態に直面。高級士官も大半が病死し司令長官も三日前に亡くなったという衝撃的な事実を聞かされる。

 そして新たに来たサクリング艦長こそが、現在生存している最先任の艦長となってしまった。

 艦隊に疫病が発生して大量の死者が出るのは珍しくない。衛生環境が整っていない上、大勢の乗組員が狭い艦内で生活するので疫病が発生しやすい。

 高級士官の病死も多く、艦長や司令官の死亡もある。

 その際に指揮継承が迅速に進むよう、生き残った高級士官の先任序列に従い指揮権が継承する事になっている。

 先任序列は一番高い階級に一番最初に任命された士官が最先任となり残った乗員を指揮する事だ。しかし高級士官も多くが死亡し新たに配属されたサクリング艦長が最先任となり艦隊を指揮する事になってしまった。


「ご命令をサクリング代将」


 グレイブス海佐がサクリング艦長いや代将に敬礼する。

 正式な提督が居らず、複数の艦が集まったときは最先任の艦長を指揮官として代将に任命すると決まっている。

 その時点で撤退するべきだが、司令長官死亡による混乱により誰も判断できずにいたようだ。休戦中だが何時戦闘が再開となるか判らない状態で、司令長官死亡をガリアに悟られないよう提督旗を掲げて時間稼ぎをしていただけだった。

 単に目の前の疫病に対処するために誰も手を付けなかったという事もあるだろうが。


「他にいないのか?」


「先ほどまで最先任は私でしたから間違いありません」


 サクリング艦長の問いにグレイブスは凛として伝える。

 重責から解放された思いなのだろう。

 一艦の艦長でも艦の全責任を負うことになる。代将となると艦隊全ての責任を負う。特にこのような非常時にはより強力なリーダーシップが必要となる。

 何もかもが悪い方向へ向く中、艦隊を救うべく奔走したためグレイブス海佐はかなりやつれていた。

 その責任を他人に渡す事が出来てホッとしている事を責める事は出来ないだろう。


「……了解した。これより私が艦隊の指揮を執る」




「おめでとうございます」


 レナウンに戻って来て状況を伝えられたビーティー海尉は祝辞を送った。


「良くない。状況は悪い」


 サクリング艦長は苦虫をかみつぶしたような顔をして答えた。

 確かに方面艦隊の指揮を任されたのだから一見栄転と見える。

 だが艦隊全乗員の半数が赤痢と腸チフスとマラリアで亡くなり残り半数も病人だ。

 このままだと艦隊全滅の恐れもある。

 艦隊の士気は戦闘時の士気だけでなく、乗員の健康維持なども含まれている。戦う以前に健康で訓練が施された士気旺盛な乗員を揃えることも司令官の役目だ。

 それを一から、下手をすればゼロかマイナスから始めることになる。


「まずは病人を何とかする必要がある」


「ならば私にお任せ下さい」


 そう言って立候補したのはミスタ・シーンだった。


「私は治癒魔法が得意です。病気など直ぐに治して見せましょう」


 このところ連絡任務以外に活躍が無くここで功績を上げようというのだろうか。

 治癒魔法のお披露目がカイルのキスマーク消去ではやりきれないだろう。


「いや、張り切りすぎるのもどうかと思うけど」


 恐る恐るカイルが止めるよう進言するがシーンは聞かなかった。


「やらせて下さい」


 ウィルの護衛がメインの任務だろうが穀潰しとか役立たずと思われたくないのだろう。止めても聞かなそうだ。キスマークの借りもあってカイルは強く言わなかった。


「じゃあリストを作るから、順番に治していって」


「全員治して見せます」


「無理しなくて良いから」


 そうしてシーンはカイルのリスト通りに患者を治していった。

 半日後、ミスタ・シーンは干からびた状態で後送された。

 戦列艦八隻を含む十数隻の艦隊だと定数で六〇〇〇名近く乗艦している。

 半数が亡くなっていても三〇〇〇名、そのうち半数が病人なので治療対象は一五〇〇名。

 治癒魔法が使える人間は一人当たり重傷者だと一日一〇人が限界だと言われている。

 二〇人で力尽きたミスタ・シーンは良くやったと言えるだろう。

 その日艦隊全体で新たに三〇人の病人が出たとしても彼の功績は否定されない。

 そもそも船に治癒魔法が使える人間は非常に少ない。絶対数が少ないし一人で何百人も相手に出来ない。

 衛生環境を改善し新たな病人を出さない事が重要となる。

 そのため治癒魔法が使えなくても病人が出ない予防医療を心得た船医の方が好まれていた。


「艦隊の状況を改善したまえ。ミスタ・クロフォード」


「アイアイ・サー」


 倒れたミスタ・シーンを送り出してからサクリング艦長いや代将に命令されてカイルは艦隊の整備を始めた。

 幸いミスタ・シーンが艦隊の主計長や幕僚から治してくれたので大枠を把握することが出来た。

 その結果を纏めてカイルはサクリング代将に報告した。


「艦隊の人員が少なすぎます。半数が病死し残り半数も病人で動けるのは定数の四分の一です。ピク・マルティ周辺の監視は最小限に抑え、インペリアルタウンに行き再編成を行うべきでしょう」


 インペリアルタウンは新大陸にあるアルビオンの拠点であり、ピク・マルティの西にある。

 新大陸方面の軍事、通商の拠点であり一大拠点であるがピク・マルティがあるため本国からの応援がガリアに妨害されやすい。

 そのために新大陸方面艦隊は封鎖、監視を行っていたのだ。


「監視はどうする?」


「無事なフリゲート一隻にスループを三隻ほど付けて残しておきましょう」


 フリゲートで監視し連絡通報用にスループを付けることをカイルは提案した。


「ガリアの駐留艦隊が出撃したらどうする?」


「今戦闘になれば碌に戦えず敗北するしかないでしょう。艦隊の戦力を復活させることに専念すべき時期です」


 カイルは強く断言した。


「確かに、戦えない艦隊など敗北するだけだな」


 サクリング艦長はカイルの言う意味を理解した。

 戦列艦八隻、フリゲート一二隻、その他艦艇からなる有力な艦隊だが動かす人間が病人では敗北、いや戦わずして消滅しかねない。


「艦隊に通達しろ。監視の為のフリゲートを除いてインペリアルタウンへ帰投する」


 翌日、艦隊は旗艦レナウンを先頭にインペリアルタウンに向けて航行を始めた。

 動ける人間をほぼ全て操船に回し、何とか動いている状況だ。

 一応、病人は戦列艦の四隻を病院船に指定して隔離と集中治療に当てている。

 指定された艦は病人の看病で大変だが残りの艦は操船に集中できる。

 それでも艦隊の歩みは遅く、普通なら三日ほどで行ける場所だが五日もかけてインペリアルタウンへ帰投した。

 サクリング艦長はここの基地にいる最先任の提督に指揮権を渡したかったのだが、基地維持のために離れられない、との理由でサクリング艦長が引き続き指揮を執ることになった。

 そのため、カイル達はサクリング艦長を補佐するために駆けずり回ることとなった。


「エドモント、何とかこいつを集めてきてくれ」


 そう言ってカイルはエドモントに航海中作成したリストを差し出した。


「やたらと物資が多いな」


「海軍の倉庫にあるとは思うけど、足りない恐れがある。何とか集めてきてくれ」


「しかし、ラム酒をこんなに買い集めてどうするんだ」


 サトウキビを製糖する際に出る廃糖蜜を原料にしたものだ。砂糖が高額商品であり大量生産されているので大量に出てくる廃糖蜜を使うラム酒は安価だ。

 特にインペリアルタウン周辺では大規模プランテーションが各所にあり、ラム酒の生産も盛んでアルビオン海軍に提供されるラム酒の殆どがここで調達されている。


「宴会でも開くのか?」


「消毒に使う。アルコールだけ取り出して艦内の消毒に使う」


 現在艦隊はマラリア、赤痢、腸チフスの三つの疫病が発生している。

 これらの病気に対して有効な治療薬は現在殆ど無い。そのため衛生環境を良くしてこれ以上の感染を防ぎつつ、栄養を取らせて抵抗力を回復するしかない。

 下痢などで体内のウィルスを排出させつつ水分を補充させて脱水症状を抑えるのが精一杯だ。

 特効薬等があれば良いのだが無いのだからしかたない。キニーネを飲ませる位が関の山だ。江戸時代にタイムスリップした医者の活躍が凄いと実感できる上、参考になる。


「兎に角、栄養を摂らせて回復させるのが最優先だ。それに病原菌が繁殖している状況を撲滅する」


「病原菌?」


 不明な言葉をいうカイルにエドモントは戸惑う。


「病気の原因を根絶するために消毒する」


「酢と硫黄で燻蒸するか?」


「いや、ラム酒から取り出したアルコールで消毒する。布に付けて甲板とかを拭かせる。バラストも新しいのに取り替える」


「手間が掛かるな」


「他に方法はない。病人は陸上に送って療養。他の乗員を総動員して一隻ずつ作業を行う。何二週間もあれば何とかなるだろう。陸上の方が食料も豊富だしな。新鮮な果実で壊血病の心配もない」


 ビタミンCが不足すると古傷が開いたり歯が抜ける壊血病になる。組織間を結ぶコラーゲンや象牙質が生成されないためだ。

 ビタミンCを補充すれば良いが、ビタミンCは加熱すると壊れてしまう。衛生上、加熱する必要がある上、生鮮食料の保存の難しい船上、特に長期航海ではビタミンCが摂取できず壊血病になりやすい。医学が発達していないこの世界では原因不明の奇病として恐れられていた。

 一応カイルは知識があったので南国の果物を与える事で早期の回復を図った。


「それでも人数が足りないんじゃないのか?」


 しかし、艦隊の半分が死亡しており水兵の数が足りないのはどうしようもない。

 絶対的なマンパワーが足りない。


「何、方法はある」


 そう言ってカイルはインペリアルタウンの下町に向かった。

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